・
運転手さんそのバスに 僕も乗っけてくれないか
行き先なら どこでもいい
こんなはずじゃなかっただろ 歴史がぼくを問い詰める
眩しいほど 青い空の真下で
私の歴史が私を問い詰める
私の母は、父を愛している。 それは理屈なんかじゃなく。
父は結婚当初から、いや、結婚前から奔放な浮気者だった。
金遣いも荒く、見栄っ張り。
母を酷くぞんざいに扱い、文字通り足蹴にし、暴力を振るった。
言葉でも、手足でも。
そんな父に対し、母は「パパが好きだから。」そう言って父の好物を作り、
父が喜ぶからと言って私たちに彼の意に沿うようにと強要した。
別宅を持ち、何時帰るかわからない父のために食事の用意をし、
毎晩の不摂生がたたって胃がムカムカするといえばおかゆを作り。
その晩もその次も朝帰りをし、何も食べなくても。
「食べられるように」と作り続けていた。
そしてまさに、靴下をはかせ、歯磨き粉までつけて歯ブラシを渡すような人だった。
大事にしてもらえない。報われないのに、
何故、この人は尽くすのだろう。
何故、愛し続けられるのだろう。
私はずっと謎だった。姉とよく
「なんでそんなに愛してるのだろうねー」
「何がそんなにいいのだろう」
「あんなに憎しみの限りの言葉を吐きながら、それでもひたすら尽くし続けて。結局、好きなんじゃん」
そんなことを言っていた。
報われない、見返りのない愛情などごめんだ。
貰ったら倍に返すけど、くれないなんてまっぴらだ。
損得勘定とも言える。
そう思ってきたから私は自分から人を好きになったことはない。
以前私は友人に言った事がある。
「私の愛情の基準は、相手がどれだけ自分を好きかで決まる。」
もちろん、どれだけ好かれてもダメな相手もいるけれどw
そー思っていた。
私には、愛情がなければダメ。共に生きられない。
それに気づいたのは何年か前。
けれどそれがわかっても愛がわからなかった。
そして、人からでも、自分の中でも。得られないものだと思っていた。
ある時−最近になって−理解した。
無条件に人を愛する事。
理屈なんかじゃない。 相手が何を、どれだけしてくれるかじゃない。
魂が惹かれるんだ。
あなたがただ傍にいるだけで。
声を聴くだけで。
心が震える。安らぐ。
他の誰からも、何からも得られないとても優しい感覚を得る。
誰と何をしても。
仕事がどれだけ充実しても。
達成感や感動に震えても。
決して得られない、そう、それはとても不思議な感覚。
得てみて初めてわかる。
魂がしっくりと収まる居場所。
人が人を愛したのじゃない。
魂が、根っこが愛したんだ。
出逢えば必ず惹かれ合う。 魂が求める。
それを理屈で考えても無駄。
頭で考えたら、「何をくれる」「何を得る」「ここが良い。ここが悪い。」
いわゆる、もっといい人…だって、条件でも性格でもたくさんいるだろう。
「性格が合う」とか「価値観が…」とかじゃないんだ。
そんなものはピッタリ合う人間なんかいるはずがない。
魂が合うんだ。魂が「違う」がないと言うんだ。
相手がどうとか関係ない。
愛している。それだけ。
全部ひっくるめて、愛してる。
与え続けていくのが愛 変わらぬ愛
だからありったけの思いをあなたに投げ続けられたら
それだけでそれだけでいい
あなたに出会えて 心からしあわせです
見返りは、魂が報われるしあわせ。
しっくりと収まる。それでいて無限に広がる開放感。
母の魂が父を愛したんだろう。
私から見て、はたから見ての父の人間性など関係なく。
もしかしたら母から見ても関係なく。
自分はずっと父に似ていると思っていた。
欲張りで自分勝手でさみしん坊の父に。
別にどっちにも似たくないけれどw
家族愛ではない、愛がなければダメなんだと気づいてからも。
魂の求める愛に出逢って。「違う」のない、しっくり感。
母にとっての愛すると言うことを知った。
自分にとっての愛すると言うことを知った。
父にも似てるかもしれないが、私は母に似ている。
別れりゃいいのに。何度そう思っただろう。
頼むから別れてくれ。そういった事すらある。
傲慢だね。
家族であっても、私たち子供は彼らが選んで買ってきたものでもないし、
惹かれあって、あるいは利便上、一緒に暮らそうと約束した関係じゃない。
親である前に人間であり、男と女。
我々がとやかく言うことじゃない。
実害がでたとしても。子供にとってそこは人生の終の棲家ではないのだから。
母は先日60歳になった。
相変わらず父は傲慢で奔放で身勝手。 年食って拍車の掛かった部分すらある。
けれど奔放の限りを尽くしきり、老後と呼べる時が来て振り返れば何時もそこにいた。
最後に、最後まで残っていた母と寄り添う気持ちが少しは出てきたようだ。
仕方のない諦めかもしれないがw
感謝の心だけはそれまでも一応持っていたみたいだしね。
彼もまた、居場所があるからそれだけの事ができたのかもしれない。
彼は子供に焼餅を焼くんですよ。
自分は母をないがしろにするくせに。
母にとっての一番は自分。 それがわかってるんだ。
母にとって一番じゃなければ嫌なんだ。
だから自分のために好きな食事を作るのは当たり前。
子供のために子供の好きなものを作るのは気に入らないw
見下したように邪険に扱うくせに、母が飲みに行ったりして自分以外と過ごすのは嫌がるんだ。
母は、話すと何時も必ず、父の悪口と愚痴を言う。
とても口汚く。 うんざりする。
けれど必ず父を褒めもする。
そして罵った後に必ず「でもまぁ、なんだかんだ言っても…」と、
何やら良いと言うことを言って勝手に完結する(´゚ω゚):;*.':;ブッ
勝手にやってくれ…( ゚ ρ ゚ )ボーーーー
そして日々、罵りあいつつも、彼らはこのまま添い遂げるのであろう。
幸せは自分の心が決める。
とどのつまり、彼らは己の人生の成功者だ。
どれだけ泣いても、いわゆる不幸な家庭でも。
ガンに蝕まれ、子供の産めない体になっても。
事故で入院したり、難病の親を持ったり、貧困で満足な学を持てなくとも。
子供が不良になろうとも、離婚しようとも。
報われないのに。は、間違いだった。はたから見ての余計な感想。ちゃんと報われているんだ。本人にとって。
魂が安らぎを得られるんだもの。これ以上の報いはないよね。
母はきっと「幸せだった。」と最後に笑えるだろう。
とにかく笑えれば 最後に笑えれば
答えのない毎日に ハハハと笑えれば
私はどうだ。
こんな時、私はとても客観的。
愛するあの人を失ったら私はどうなるのだろう。
友人に聞いた事がある。
「悪くて死。良くて廃人だろうね。」(´゚ω゚):;*.':;ブッ
まぁ、大差ないだろうね。
何時いなくなって平気なはずはない。
むしろ、その程度なら驚きだ。
嘘をつかないといい、五感の全てを使い愛してきた事が全て嘘だったのじゃないかぎり。
私ほどあの子を愛する人はいない。後にも先にも。
それはあの子もそう感じてくれているはず。
だからこそ、あの子にある時は力を与え、ある時は支え、安らぎを与えることができてきたんだ。
「これでもう本望ヾ(・∀・。)ノダ-!!!!。何時死んでも悔いはな(・∀・)イッ!!!」などと時々人は言うよねぇ。
私の愛が本物である以上、添い遂げられても、られなくても。
生きている限り、愛し続けるし与えられるものは与え続けるから。
それで得られるものがあるから。
残りの人生が廃人や余生のようになったとしても。
元気満々でも、そこそこボチボチでも。
あるいは全てを失ったとしても。
何時死んでも私はきっと笑えるだろう。
あなたに出逢えて心からしあわせです。