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jpegの調査が膠着してしまい、結局何もすることがなくなってしまった。
新しく入ったメンバ二人も入りたてで、ものすごーく静か。
コミュニケーションが無い空間ってとても退屈で息が詰まる空間だと思うのです。
張り合いが無いというか・・・冷たいというか。
どうしてそんな中で寝ずにもくもくと仕事ができるのか、みんな不思議でなりません。
# もっとも。仕事してるフリという必殺技もあるんでしょうが
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気持ち悪い話の続き。
昼間、ちょっとうとうとしていたら、えらい人に「散歩してきな」といわれ、外をちょっと歩いてきた。
ぶっちゃけ、仕様も無い、作るものも無い、議論することすらない状態だと、自分なんていなくてもいいんじゃないだろうか? という錯覚を覚えます。
shi3zさんのblogだったでしょうか? 記事の中に「我慢賃」という言葉が出てきたことがありました(ごく最近ですが)。
ぎくりとしました。
自分は我慢賃で生計を立てているんだ。そう思いました。
それを見た瞬間、なんだかとても心苦しく、情けない気分になったことを覚えています。
とはいえ、凄まじい洞察力でエンドからニーズを聞き取りベースモデルを構築・提案、その週のウチに承認を取り付け仕様を構築、メンバに展開、開発に着手・・・なんてバリバリのキャリアみたいなマネができる人は早々にいません。
我慢賃で喰っていくのが関の山かもしれません。
それに、なんでしょう。
自分はせっかちなのか「早く完成させないと」「早く知識として取り入れないと」などと焦った挙句、何もできていない・完成したら駄作だった、なんてことがザラです。
客観的に分析できるなら何とかしろよ、と突っ込まれそうですが、直りません。
昔からやることがトロくお荷物扱いされることが多く、吃音(ども)って喋ればを「早く喋れ」と急かされ(親にさえ急かされました)、納期に追われるプロジェクトに突っ込まれた挙句の果てに出来上がった人格が、
「すばやさ至上主義」
なのでしょうか?
なんだかドラクエの武道家みたいです。
・自分意見を的確に早く相手に伝えられることは、至上のこと。
・アルゴリズムの解説を瞬時に理解して、コードに起こすことができることは、至上のこと。
・毎日仕事があって、それを的確なペースでこなすのは、至上のこと。
・PCのスペックに求めるのはCPUスペックのみ。これも至上のこと。
# PCだけはバランスよく組んでます。念のため補足。
書いていてばかばかしくなってさえきましたが、自分は物事のスピードに対してコンプレックスを抱いています。これは否定できない事実です。
昨日リンクを張った数学の記事を読んでいる自分を見て思いました。
「自分は式をひとつひとつ解決せず、最短で解を求めようとしている」
これは数式だけに当てはまったことではないと思います。さまざまな問題に対しての解決を検討する力が圧倒的に不足しているような気がします。
また、これは自分だけでしょうか?
ちょっと前にプロジェクトを去ったリーダが残していった言葉にこんな言葉がありました。
「前衛的にならず問題に対して立ち向かえ。考えを改めろ」
特に、はっきりと「考え直せ」といっていた事が印象深かったのですが、不特定多数に向けられていた言葉であったため、言われた当初は意図をよく読み取ろうとしていませんでした。
世の中全体がスピードに追われ、足元を見ることを忘れているのでしょうか・・・って「すばやさ至上主義」に無理矢理こじつけてもしょうがないですが、少なくとも自分は何かに追われています。
何に追われているのかわかりません。もしかしたら追いかけているのかもしれません。
たとえば厨房・工房時代に活躍したX86K全盛時代の先輩たちとかを。
たくさんゲーム作って、ハードウェアの知識とか豊富になって、先輩たちに肩を並べたい。誰でもない先輩たちの影を追いかけているのでしょうか?
積み重ねらければいけないキャリアを短時間でこなさなければいけないとしたら、すばやさは至上であり、必須の概念でしょう。
かといって振り返れば、ゆっくり数式を咀嚼する時間(フランス人的時間感覚(※)、と呼ぶことにしましょう)も必要なのです。
すばやさのバランス、どれぐらいが適度でしょうか?
※ 「フランス人的時間感覚」という言葉は、漫画「ピルグリム・イェーガー」の作画をしている伊藤真美さんがコミックスの前書きで書いていた言葉です(間違っているかもしれません)。
作中の舞台の国(イギリス、フランス、スペイン)あたりの百科事典を注文したら必要とする時代の刊が出来上がるのが6年後の予定、とアナウンスされ至極まったりしている、という感覚を示しています。
# フランスじゃなくて、イギリスだったかなー? 以上、雑学つき乱文でした。