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夢目記


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2007/12/02 メルマガ発行&日刊化宣言!!!!

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2007/12/05 書評:島田雅彦『カオスの娘──シャーマン探偵ナルコ』(集英社)を読む。

島田雅彦は私のマイミクだが、私のページを訪れたことが一度もないのは、「足あと」を定期的に確認している私にはよく分かっている。だが、この小説は、まさに島田雅彦が私の心を、内面を透視でもしたかのようなロジックで組み立てられている。自殺するくらいなら、社会悪に対して敢然たる自爆テロを、とは私も常々考えていることだ。それを作家の彼に見抜かれてしまったと感じた。

この小説でテロの実行行為に及ぶ大学教員は、救いがないことが救いだ、と呟く。坂口安吾か柄谷行人あたりが言いそうな科白だが、全くその通りだと思う。

「反米左翼」だとか「負け組」と自分のことを思っている人には是非一読を勧めたい。

気になった箇所は、主人公の娘を誘拐する、ことの発端となる三人の誘拐犯についてである。

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三人の誘拐犯はいずれも三十代の大学院中退者で、能力も教養もあるが、職もなく金もなく、彼女もいない男たちだった。サナダの周囲にはあまたいるオーバー・ドクターズである。一人はイスラム文化の研究者、一人はCO2削減などの環境保護活動を行っている人物、そして、今一人が魔王子で、犯罪心理学を専攻し、株式投資を趣味にしていた。三人は反米ブログの常連で、アメリカの石油メジャーに対する憎悪の深さを競い合っていた。(p262)
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テロリストになるであろう人物、「悪霊」に取り憑かれ易い人物として島田が考えたのが、反米のオーバー・ドクターズだというのは興味深い。私は修士卒業(博士課程には進学できなかった)だが、島田が描いた人物にかなり近い立場といえよう。アメリカの帝国主義的覇権への憎悪がともすれば、犯罪やテロになりかねないようにも思い、自分で自分が怖くなった。

もう一箇所は、ここだ。

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だが、闇の権力を動かす彼らも、切れば血が出る。便器に座って用を足し、寝る前には歯を磨き、自分で靴下を脱ぐちっぽけな人間だ。いくら莫大な資産や巨大な権力の後ろ盾を持っていようとも、しょせん命は一個しか持っていない。そこに限界がある。彼らの資産や権力を奪うのは難しいが、その首を掻き切るのはさほど難しいことではない。彼らが一人の生身の人間になる場に居合わせることになるのだが。

彼らは他人の命を奪うことを屁とも思っていない。空爆で罪なき者が爆死しようが、枯葉剤や劣化ウラン弾で奇形児が生まれようが、彼らの知ったことではないだろう。ならば、自分の命が奪われることにも無関心でいられるかどうか確かめてやろう。意味なく死んでゆく者の気持ちを味わってもらおう。そして、死神は万人に平等であることを悟っていただく。(p276-277)
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テロリストにでもなるしか、権力者に抵抗する道はないのだろうか。私は、テロをせずに、彼らに抗う道を見つけたい。が、それは可能なのだろうか。

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今回の爆破事件は真田幸広による単独の犯行であり、共犯者はおらず、協力団体、犯罪組織、テロリスト・グループなどの関与も一切ありません。しかし、一見従順に見えるこの国の市民のあいだにも、社会悪に対する憤りがくすぶっていることはいうまでもありません。これまで劣悪な労働環境、生活環境に甘んじてきた人々、好むと好まざるとにかかわらず、負け組にさせられてきた人々がいつまでも大人しくしていると思ったら、大間違いです。この自爆テロが、社会にくすぶる不満分子たちの破壊衝動を刺激し、連鎖的にテロの火の手が上がることを、私は切望してやみません。おのが破壊衝動の捌け口を、ネット上での誹謗中傷、自殺、弱い者いじめにしか見出せなかった人々に向けても、私は強く主張したい。社会悪に正面から向き合え、と。おのが絶望や不満と馴れ合うだけでなく、その怒りを既得権益にぶら下がっている連中に突きつけてやれ、と。(p326-327)
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この小説は、テロを煽動するだけのものなのだろうか。違う。主人公のナルヒコは、次のような使命を持っているからである。

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世界が病んでいる限り、地上に暮らす人は全て狂い、壊れてゆく。おまえの体は狂った世界を映す鏡だ。誘惑に負けるな。おまえを食い殺そうとする悪霊に打ち勝って、生まれ変われ。そして、悪霊に魂を奪われた者たちを救ってやれ。(p10)
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私は本書を読みながら、自分は死にたいのか、テロ行為をやりたいのか、何度も自問した。小さな敵ではなく、社会悪、権威に挑戦し、刺し違えて死にたいと願っているのか、と自問した。それは私に取り点く「悪霊」の仕業だろうか。ネグリ=ハートが自らの概念「マルチチュード」をよく説明するものとして、ドストエフスキーが聖書から引用している「悪霊」を持ち出している(『マルチチュード』NHK出版)のを思い出した。悪霊は、島田の小説においても、払い除けられるべき忌々しいものであるとともに、「行動」を生むためには必要な要素なのである。それを倫理的にどう捉えるべきか? 現実を変えるには、悪魔に魂を売り渡さねばならないといった場面もあるのだろうか?

私にも、シャーマン探偵ナルコの助力が必要なようである。が、そのような知り合いは身近にいない。私は、独りで考え行動せねばならない。「悪霊」とも戦い、世俗の権力者達にも抗って。だが、幸い私には、多くの仲間や友人がいる。彼・彼女らとともに、この世の巨大な権力や悪に向き合い、抵抗し、闘っていくつもりである。

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