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夢目記


日記鯖システム管理者からのお知らせ

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  • 日記鯖の仕様変更、不具合対応等については、こちらの記事もご覧ください。

元気です。

2009/08/16 自分苦の人 one and only

ギル・エヴァンス『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』→レッド・ガーランド『マンテカ』→大西順子『クルージン』と聴き進んだが大西順子が一番良かったな。大西順子は今年11年振りに復活して、新譜『楽興の時』を出したのだが、時悪しくCD購買禁止令が出てしまっており買えなかった。が、じっと待てば新譜もいつかは旧譜になり、レンタルも中古購入もできるようになるのだ。鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス。徳川家康の心境でw

karibuさんと高根木戸で会ってきた。ジョナサンで数時間話したが僕は350円のドリンクバーのみで十杯くらい飲み干し粘った。いやーこれだから貧乏人は厭ですねえ。

彼女のことは彼女自身のプライバシーだから書かないが、僕は僕について書くことにしたい。僕は自分苦と自己愛の人だと自分で思うのである。自分苦というのは僕の造語だが、要するに自分自身について悩み苦しむということ。自分苦と自己愛の人だというのは、僕は究極的には自分自身を一番愛しており、自分が最高だと思っており、他者が不在だということだ。だから、他者概念を決定的なものとする一切の批評に対立する。他者がいない、それで全く結構。それが僕の立場である。

僕は自然発生的散文と称してだらだら書き散らしたり、弾くのが好きだ。そして、即興演奏や即興の文章表現が最高だと思っている。自分で自分を賞賛し、肯定し、承認する。他者の承認など不要。純粋な喜び。

自分で自分のことを天才だと思っている。馬鹿だと嗤われても当然だが、そう思っているのだ。超人だという自意識と、余りに酷い私生活の現実の落差に首を傾げることはあれ、基本的な認識は変らない。自分は天才であり超人だと、そう思う。別に天才や超人でなくともいいのだが、ともかくone and onlyだと感じている。しかし、それは誰でもそうなのだ。誰もが自分自身については自分はone and onlyだと感じている、と推測する。そして、それでよい。

紅茶やお茶やコーヒー、カフェラテ等をたて続けに飲み続けたためかハイである。今ベン・ウェブスターの『シー・ユー・アット・ザ・フェアー』を聴いているがご機嫌であり素晴らしい。僕にとって全ての音楽は僕自身の生の伴奏だ。僕にとっては生は映画のようなもので、伴奏音楽が必要だ。それが僕にとっては無数のジャズなのである。CDウォークマンを装着して街を歩いたり電車やバスに乗る僕は、光景を映画の画面のように眺め、耳から入ってくる音楽を映画音楽のように聴いている。このように、自分で自分の生を映画化している。映画のような生を生きる僕は、だから映画を改めて観る必要が全く無いのである。

僕は恋愛や性について書こうと思っている。中年の恋愛や性の事情。それが主題である。僕はバイセクシュアルだが同性にしか興味がない同性愛者だと誤解されている場合も多く、女性に興味がないと思っていたとkaribuさんからも言われた。だが、異性と性経験が、ここ15年間ないというのも事実である。花子ちゃんと生まれて初めて「付き合って」以来、僕は異性と恋愛や性関係を持ったことがない。同性となら、ついこないだも寝たばかりだが、特に自分が変ったとは思わなかった。相変わらず自分苦と自己愛の人であり、ただそうであるだけだ、と思った。その感想はこのブログにも書いたはずだ。

僕はプライバシーや個人機密を持たず、ありとあらゆる情報を公開している。同僚から、それで恥ずかしくないのかと問われたが、彼女は恐らく僕の同性愛の性体験の記述を読んでそう感じたのだろうが、僕は一切恥ずかしくない。というか、それを恥ずかしいと思う人のほうが恥ずかしいのだ。僕自身は一点も恥じるところはないし、何も隠すつもりはない。全裸系せっちゃんwww メタボも隠さずにwww

top.はAセクだが僕はAセクではないので、恋愛に興味がないわけではないし、性別を問わず恋愛したいと思っている。しかし、難しい。自分しか眼中にない自分苦の人である故にwww 自分が一番大事で可愛いのに恋愛しようというのがそもそも間違っているという正当なツッコミは措いておく。

いやーしかし恋愛難しいよ。それも中年になるとね。若いうちが華といえば華。中年になってくると、いろいろ生活のことも考えないといけないし、その他もろもろのしがらみも出てくる。好きだから付き合おう、というわけにはいかないのだ。いや、そんなこともないと俺は思いますけどね。だけど、相手がいない。全国仲人連合会に頼もうかwww 北習志野にも支部があるらしいんだが。佐々木病院からバスで帰る時、医療センターのバス停にベンチが二つ置いてある。一つは新京成バスが設置したもので、もう一つが全国仲人連合会が寄贈したもの。僕は病院帰りにいつもその広告付きのベンチを眺めて、ここに申し込もうかどうしようか迷うのである。そういや Yahoo! パートナーというのもあったな。しかし、客観的に見れば駄目人間でしかない俺に、恋愛したいとか、さらに反動的なことにwww 、結婚したいとかいっても相手が見付かるものか、どうか。友人知人がどんどん結婚したり子どもを作ったりしているなか、僕も焦りを感じないわけではない。しかし、子どもの頃の冷徹な認識のことも想起したりする。僕は子どもの頃、親なり大人は全く勝手なものだと思っていた。そして、辛い思いをさせたくないから、自分が大人になっても子どもは決して作るまい、と決心していた。それから約三十年が経過したわけだが、子どもを作るか作らないかというより、そもそもパートナーがいないという状況にある。選択肢がないわけだ。

躁鬱

躁の後には必ず鬱が来る。人生山あり谷あり。落ち込む時は底まで墜ちる。
昨日、激しく躁だった。今日、きつく辛い欝だった。職場でひたすら堪えた。苦しかった原因は分かっている。昨日、昂揚した気分で自分自身を天才だの超人だの、one and onlyだのと褒め上げたが、今日はではそのようなお偉い人が何故、浦安の倉庫で時給で単純作業、肉体労働に従事しているのか、という根本的な問題に直面せざるを得なかったからだ。現実を直視するのは辛く苦しい。少なくとも、僕の場合は。
自分苦のエッセイは、惰民論と繋がっている、という直感がある。根本的で絶対的、無条件的な自己肯定こそがそこで問われているからだ。仮にベーシック・インカムなどで生活が保障されたら、僕は働かぬと思う。そこまで労働に価値を見出していない。生活のため、借金返済のためやむなく働いているという認識だ。旧ソ連の社会主義リアリズムのように、労働や労働者を賛美する気持は僕には全然無い。僕は怠惰であり、そのことを別に悪いと思っていない。
自分苦という概念は、「自同律の不快」と言い換えることが出来ぬかどうか、自問してみた。が、自分が編み出したささやかな概念を、偉い戦後文学者の概念で置き換えずとも良いのではないか、と思う。というか、『死霊』をちと読んだくらいで、その文学者のことをよく知らぬのである。
もともと世界苦という概念を知っていた。誰の概念だか忘れたが、戦前の哲学徒の間で流行っていたという。それで、僕は、彼らが世界苦なら自分は自分苦だな、と思ったのである。ただそれだけのことである。
僕は、精神病院では、不安障害、不安神経症という診断である。境界性人格障害、自己愛性人格障害等であるとは言われていない。だが、人格、パーソナリティーに問題は多々ありそうだ。冗談で、意味不明性人格障害などと言ってみたこともあったが。しかし本当に、意味不明である。フランス語の意味 sensという語には、方向という意味もあるが、僕は本当に、あらゆる意味で方向を見失い彷徨し咆哮している。「右も左も分からない」という冗談を口にしたいくらいだ。
ピッキングが始まって、自分がゾンビのようだと感じた。体が思うように動かない。こういう経験は多々あった。時間が解決してくれる、と信じて堪える。隣の棚をピックしているおばさんが、カカオを多く含んだチョコレートを食べさせてくれる。そして、休憩。僕は、驚くほど回復した。それからは、元気にピッキングを続けることができた。
チョコレート、このささやかな物。それが僕の一日を根本的に変えたのである。昨日飲んだ紅茶やコーヒーが僕を昂揚させたように、今日食べたチョコレートが僕を回復させた。人間は、自然法則の必然的で無慈悲な貫徹に支配されるか弱い存在だ、と思い知る。お茶なりコーヒーなりチョコレートなりに含まれる何らかの物質が脳に作用し、それで発奮したり元気になったりする、ただそれだけのことなのだ。それだけ不安定だということだ。
自然の一部としての自分自身。機械としての、マシーンとしての自分自身。こういう把握は、高校生の時に『アンチ・オイディプス』を読んだ時から一貫して持続している。自然過程としての自分。

ここで一旦送る。

種無し男子

毎日書こうと決めたのに、三日目にしてネタ切れ。三日坊主とはこのことか。
電車の中では、自分が非正規になった経緯を書こうかなと思っていた。僕は、会社員(サラリーマン)になろうという考えは幼い頃から今に至るまで一切無かった。大学を出て、研究職に就くつもりが、能力不足で大学院を修士課程修了でドロップアウト。それから後は、堕ちる一方で。何をしても駄目だった。
今に至るも駄目で。ミシェル・カミロにせよ絲山秋子にせよライヴァルだと思っているし、彼・彼女らより良い文章なり音楽を創るぞと思っているが、意気込むだけ意気込んでも、現実の能力がついてこない。現実の僕は、ごく少数のファンをあてにして、細々と文章を書き綴ったり、演奏したり、動画をアップしたりするくらいがオチで、表現活動で生活できるようには決してならないだろうと思う。僕はメジャーではないのである。
馬鹿げた考えだと思うが、僕は大学院生の頃、博士論文でドゥルーズの「死の反復」について書き、その後自殺しようと思っていた。卒業論文で生命の反復、修士論文で記憶の反復、博士論文で死の反復なら形式感があるだろうと思っていたが、いやーそんな問題じゃねーだろーって。ここ笑うところでしょ。
幸い、博士課程には進めず、僕のプランは夢と消えた。
その後もくだらないことは山ほどやった。売春しようとしたり(買い手が現れなかった)、女装したり、ね。まっとうなことは何もしてこなかった。だから現在の僕があるのだ。時給で働く無能な僕がある。
会社は主婦パートが主力であり、今日気付いてみれば職場に生物学的男性は僕一人だった。僕はマリア・ミースのいう「労働の主婦化」を地でいっているなあ、と思う。おばさんらと肩を並べて同じ労働をし、それで自分を貶める気持には全くならない。むしろ男社会より、おばさんらと一緒に仕事するほうが気が楽である。僕はばりばり働くぞというタイプではない。仕事のために自分を犠牲にする気持は毛頭無い。仕事はあくまで金銭を得るためのもので、僕の生き甲斐は音楽である。音楽のために生きている。音楽を仕事にすることが生涯できないのだとしても、それでも音楽が好きだ。他に好きな物が無い。

鳴かぬなら

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。と歌ったのは織田信長だと、日本史では習ったが、本当なのだろうか。後世の偽作では? 信長、秀吉、家康のホトトギスの和歌の話は出来過ぎている。真実であるには、出来過ぎという感じがする。
a−29さんが、攝津正も歌曲を書き溜めればいいのに、とmixi日記で書いていたが、僕は歌曲を書いたことが一度も無いのである。譜面は読めるが書けない。鼻歌を歌うことはあるが、音痴なのかフリーなのか分からぬwww
自分が鳴かぬホトトギスや歌わぬカナリアのように思えた連想。

2009/08/19 十年一昔

十年一昔
二〇〇九年八月十九日(水曜日)
攝津正

十年一昔、と言う。
それだけの歳月を生きてきた。
或る意味では変り、或る意味では変らぬ。
音楽、哲学、文学を始め、政治、運動を止めた。活動家から労働者、生活者に変った。
二十代から三十代半ばになった。もう若くはない。そのことは、よく身に沁みて分かっている。

時間が解決する事柄があり、解決できぬ事柄がある。
Q-NAMは、自分にとっては、終った事柄である。思い出の断片はあるが、もう忘れたし忘れたい(しかし強迫的に回帰してくる)事柄である。
Q-NAMにおいて、自分は矛盾に苛まれていた。資本と国家を揚棄する共産主義運動という大言壮語と、実際にやっているQバザーという営みの小ささの乖離に。Qバザーを、何年続けようと資本主義が終るとは思えなかった。その直感は正しかったと思う。
自分は正確な認識が必要だと考えている。事実を論理的に分析し、答えを出していくことが必要だ。いつまでも夢物語に溺れていては、いつまでたっても「生きる」ことはできぬ。生きるとは現実の矛盾と格闘することだ。夢想に閉じ篭ることではない。自分はLETSよりも円を選ぶ。それは「今ここ」を選ぶということだ。円でなければ、住宅ローンも借金も返せぬ。だから自分には、円が必要なのである。否応なしに、資本主義の現実、お金がなければ生きていけないという残酷な現実に直面せざるを得ぬのである。自分の転向は、生き延びるためのやむを得ぬ態度変更であった。それを責める人があるならば責めれば良い。小林秀雄流に放言するなら、自分は馬鹿だから反省などしない。

思い出の一つは、NAMの副事務局長を務めていた頃のころだ。早稲田のCafe Sで大きなスクリーンでNAM会員がサッカー観戦をしている。全国大会の後だ。自分はそれを見ながら、事務局長に、今のままではまずい、ということを言い続けた。だらしがない、「何もしない」NAM。無為を誇るNAM。大言壮語と実践が釣り合わぬNAM。それが駄目だと思えた。どうにかしなければ、という焦りはあった。だが、実際に何をどうすることもできなかった。何もできぬままNAMは終った、崩壊したのである。

十年が経ち、自分は自分に共産主義は可能ではないと判断している。不可能なる共産主義。倫理的経済的、というのも皆が口にしたが、自分には出来ぬと思っている。フェアトレードや有機農業の商品を買う金がないし、それをどうにもできない。持続可能ではない。自分が立ち上げたCafe LETSというフェアトレードショップには、ただ一人の客もなかった。自分は落胆したが、落胆してばかりもいられないので、働きに出た。それからもうすぐ一年が経過する。自分は多くのことを学び、多くのことに堪えてきた。自分は或る意味鈍感になり、或る別な意味では強くなった。加齢が自分を変えた。自分はもう、「境界霊」ではない。不可能なるものの巫女ではない。自分はただ、現実に生きる労働者であり生活者である。単に生きることを肯定する。生きているから、生きる。生きるというのは義務でもなければ権利でもなく、現実である。

元気ですかー?