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何時死んでも、急に死んでもなるべく後悔が少ないように。
最後がわかっていないからこそ
「さよなら」が怖くて嫌い。
最後が何時かわからないからこそ
できる時になるべく触れようと思う。
離れ際には気持ちよく、楽しくやさしくと思う。
ある日突然それがきたら、どうしても未練や悔いは起きると思う。
悔いが少しでも少なくて済むように。
笑っていたい。やさしい人でいたい。
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じいさんが死んだ。
齢97。
ばあさんが死んでから33年。
33年独りって…長いなあ。。。
早く死にたい、何時死んでもいい。と言っていた。
もちろん、日頃は明るく、元気な頃はずっと敷地内の息子夫婦にも頼らず
全て自分でやっていた。
漬物が上手いじいちゃんだった。
若い頃は生活にゆとりがなく、手をあげた事もあるらしい。
怖い人だったという。
けど、孫ができるほどの年になり、ゆとりが出てきてからは
2人で旅行に行ったりしてた。
私はそのじいちゃんに
『おじいさんの頭、赤ちゃんの毛みたいにふわふわ~♪』と
言って、撫でた事がある。
だって、薄くなった髪が赤ちゃんみたいでかわいかったんだもん。。
じいちゃんの子供たち(母と母の姉妹)は恐怖に凍りついていたけど
じいちゃんは怒らないで笑っていたもんね@
自宅が良いというばーちゃんの寝たきり闘病生活も1人でずっと面倒見てた。
体拭いて、下の世話して、ご飯作って。
普通が食べられなくなると潰したり工夫して。
死んだ時、焼き場に連れて行かないと駄々をこねていたそうだ。
そうして、何時死んでもいい。と言いながらばーちゃんの気配とともに
生きて、33年。
ばーちゃんの分まで生きろと言われているんだと周囲は笑っていたけど
ばーちゃんの33回忌の年、ばーちゃんの命日と10日違いくらいで
逝った。
人の幸せってなんだろうなと思う。
ばーちゃんは、若い時は苦労をし、旅行一つ行った事もなく
田舎の昔の人だから、文字もあまり書けない人だった。
せっかく、ゆとりができてこれから。という時に発病。
ジワジワとできる事が減っていき、死期がそう遠くないのもわかる生活。
そうして、平均寿命よりだいぶ早くに死んだ。
病気した事も、自分の時間とか楽しみとかロクに持てずに死んだのは不幸
なのかもしれない。
けれど、すったもんだあろうとも、当時珍しい恋愛結婚をし
旦那は出征せずにいて
そして、最後は夫に献身的に介護されて、居たい場所で過ごし、逝った。
それはとても幸せな事なんじゃないか。
どちらも疑問形なのは、当事者ではないから。
幸せか幸せじゃないかは、本人が決める事。
何処を見て、何を感じ、何が嬉しいと感じるか、悲しいと感じるか、は
その人次第。
例え金がなくても、親がいなくても、誰かに愛されてなくても
その人が幸せだと感じる何かがあって、幸せだと決めたら幸せ。
逆もまた同じ。
長生きもすればいいってもんじゃないし
長い事独りはやっぱり淋しいだろうとも思うから
じいさんがどう感じていたのかもまた、わからない。
ただ、人は皆、終わりが良ければすべてよし。じゃないけど
幸せって結局、終わりにどう感じるかで決まるような気がする。
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どう生きたか。
どれだけ笑い、涙を流し、怒り、
何を得て、何を手に入れられず
何を成し遂げ、何に挫折したか
どれだけ愛されて、愛したか
小さな小さな自分。
仕事をしていても己の未熟さにゲンナリする時もある
彼女に対しても同じ
達成感、満足感、充足感を得られる時もある
私にとっての幸せは
大切な人がいてそれが生きる力となり
笑って過ごせる事。
金も名誉も、仲間も頼れる先輩も、慕ってくれる後輩も親の愛情も
あればあったに越した事ないけど(笑
それがなければ、これらがたとえどれほどあろうとも
私が満たされる事はないだろう。
彼女が先に死ぬ時に「逢えて良かった。幸せだった。」
そう言ってもらえたら
私もその先が30年あったとしても、それが孤独でも
笑って死ねるね。
あぁ、目指すところはそこかな。うん。
さすがにじいちゃんほど生きない自信があるが(笑
何時、どんな風に訪れるかわからない。
あちらでばーちゃんに逢えますように。と
じいちゃんの冥福を祈りつつ。
最後が何処であろうとも、笑えますように。
私もがんばろー。