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新潟県の地震の被害を受けた各地の(加えて今は雪)悲惨な現状を伝えるドキュメンタリーがあったり、なんとか農家を続けようと重機を駆るおっちゃんの姿が映っていたり、今日の日経の社説には生物の住む場所として棚田が重要な役割を果たしてきたとかナントカカントカ。もっともな話ばかりである。
・しかしながら自然生態系の観点から考えて棚田は果たして良い場所なのかどうかと聞かれると色々と条件が付随するんじゃないか。棚田はそもそも平野部の水田を山間に、木々を切り倒して新地にして水をためて作ったものである。元の自然を考えればそこは沼地ではなくて森ということか。本来の自然の姿と違う別の自然を作る事は、少なくとも耐えず人為的な管理が必要になるし、それによる本来の自然への影響は必ず出る。砂漠に木を植え、水を撒き、森を作ることは日本人感覚からすれば良い事に感じるが、乾燥した水のほとんど降らない砂漠という自然でしか生きられない生物がいることも事実である。
・一方で日本の生物多様性は、人間の自然への手入れによって維持されてきた部分が少なからずあって、その手入れが主に林業の衰退やエネルギー資源の変遷によってなされなくなってきた事も自然破壊の原因の一端。よって、そういう2次的な自然環境で生きる生物のためにも棚田は必要なのかもしれない。
・ただ、ここで視界を日本全土に広げれば、地方都市、主に公共交通が発達しておらず、一家に一台以上必ず車があって主な交通手段は自家用車というような街では、現在もそういった屋敷林や水田をぶち抜いて郊外に太い道路を通し、その周囲には田んぼを潰した大型のショッピングモールや遊楽施設がばんばん立っている筈である。ちょっと前までは電車の駅を作ってその周辺を都市開発、だったが。埼玉じゃ今でもやってるな。私の実家の石川では北陸新幹線に色めき立ってそれが続いている、いやもっとでかいことになりそうな気がする。そーゆー、「元・平野部で水田に相応しい」場所を潰し、「水田には向いていないはずの」棚田を保存しようというのは、全国レベルで見ればえっらいエネルギーの無駄遣いであり、生物多様性の観点から見てもよろしくはないんじゃないのかと思うのだが。
・もちろんこれは中越地震の被害を受けた被災地の方々の復興を真っ向否定しようというものではない。生活がある。明日の飯を食うために地球から資源をいただくのは地球上どの生物だってやっている。ただ、自分達の子供や子孫に同じ事をやらせることができるか。それがいつまで続くか。農業を続けられないのなら頂いていたものは自然に返した方がよかないだろうか。
・もう一つ付け加えるのなら、水田には生きものがたくさんいるという思想は戦前の話である。雑草や害虫を駆除するために農薬を撒けば他の生き物は死ぬし、用水路を三面護岸すれば魚が隠れる場所も植物が生える場所もない。水を効率よく切るために水田と用水路の落差をつければ、用水路に落ちた生物は田んぼに二度と上がれない。重機が入りやすいように冬に水を抜けば、冬鳥はほとんどやってこない。少なくとも戦後の農業は工業である。石油を使って農作物を作る。そういうものである。
・今考えているのは、被災地の棚田が復興したはいいが、そーゆー「工場」になってしまわないかと、そういう悪い考え。日経の社説が気になったので書いてみましたとさ。