MAKIな話。
なにげなく2chのSF/FT板を覗いていたら、指輪物語の瀬田訳について論争をして
いる。訳の是非と言っても深い話ではなく、様々なものの名前が日本語化している
ことが問題になっているのである。
確かに、瀬田訳を読む時、モノの名前については誰もが感じることだと思う。
僕個人の感想を言えば、違和感があったのは馳夫だった。
宿屋の亭主は蔑んでその名で呼んでいる様だったのだが、フロド達が馳夫さん、と
呼ぶので、僕には結構良い名前に思えたものだ。
ただ、これを原語通り「ストライダー」と言われても、それが蔑まれる呼び方なの
かどうかは、僕にはわからない。
読者にとっては、その言葉を登場人物達がどう捉えているかが重要だと思う。それ
をカタカナ英語にされてしまったら、読み手は英語の知識がない限り、それ以上
踏み込めなくなってしまう。
しかし、自分たちにわかり易い言葉に置き換えられてしまうと、まったくの異世界
である中つ国に感じる異国情緒が、どうも減ってしまう気もするのだ。
この事を説明するのに良い例がないなーと思ってたら、ふと思い当たった。
南アでのシーフード系レストランには、MAKIと言うメニューがある。
…なに、巻き寿司のことである。
俺には4.pcs MAKIとか書かれたメニューは違和感があるのだが、彼らにしてみれば
なんたらかんたらロールと呼ばずに、MAKIと言う謎の言葉がSUSHIをより演出する
のである。
では、日本に目を移すと「カルフォルニア=ロール」と言う寿司がある。
日本のカルフォルニア=ロールはだいぶ日本人向けにアレンジされているが…俺たち
にとって、巻をロールと呼ぶ違和感が、あの寿司を演出していると思う。
この違和感はとても面白い。
へぇ、日本ではMAKIと言うんだ、へぇ、アメリカではロールなのか、と言う言葉の
遊びをどちらの国でもやっている訳である。
そしてこの違和感は指輪物語ではエルフ語で味わう様にと決められているのである。
実際に原作でもエルフ語はわざわざ書体を変えたりしている。だからこの違和感は
エルフ語だけの特権にする為に、それ以外の言葉は多少の違和感があっても、読者
がわかる言葉でなくてはならない。
その為の馳夫であり、つらぬき丸であり、じゅうである。
瀬田訳の言葉は確かに変な言葉に思えるが、一つ一つがよく考えられており、雰囲気
を作り上げる事に成功していると思うのだが、どうだろうか?
それとも、カタカナ言葉を増やして、エルフ語も英語も区別もつかなくなった訳の方
が、よりあの世界を再現出来るのだろうか?