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夢目記


日記鯖システム管理者からのお知らせ

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  • 日記鯖の仕様変更、不具合対応等については、こちらの記事もご覧ください。

元気です。

2003/12/21 どういうわけか今日は調子がすぐれなかった

件名のとおり今日は体調がすぐれなかった
『あかね』の仕事のときもきつくてぼーっとしていた

どうしたのかしら
良くなったり悪くなったりするのが病気
と割り切るよりほかないのかしら

年末は憂鬱
新しい年なんか来ないで欲しい

具合が悪くなったのはNAMとQのことをまた思い出したからかもしれない
こうしたことはいつまでも憑いてくる

死者からの声
 箱の中に閉じてゆくのではなく、箱を巨大化させるのでもなく、またその存在を否定してしまうのでもなく、その外へ出るのだ。茫漠と広がる混沌の中に人間の居場所を定めるために必要であった空間の区切りとしての箱は、いまや記憶で充満している。おぞましいと同時に懐かしい記憶の箱。ガラスの羊たちは、そこから元気に外へ出てゆく。
 最後に指摘しなければならないのは、箱の外へ出ることは、どこか夢の世界へ逃れることではないという点である。この点に関しての記述は後に譲らねばならない。

矢崎由布「ヨーゼフ・ボイス論序説−大きな箱としての<ブロック・ボイス>」『京都美学美術史学』より


明日カフェスローではQ誕生2周年おめでとうを祝うのだとのこと
わたしは到底そんな気分になれない

わたしが正しいのか、Qのみなさんが正しいのか、白黒つけるために現地に出向くことも今日ずっと考えていたけれど、体力もお金も無い

わたしは頑固に、これまでの主張を撤回するつもりはない
さらなる自爆攻撃は消耗するのでしないというだけ
誰ひとりとして許していない
わたしは人を許すということをしない

宮地剛さんはNAMを解体するのだという

http://after-that.net/

結構なことだと思う
どうぞ 気が済むまで
しかし、わたしがこのサイトで行おうとしていることは、そういった政治的なものではない。要約すれば「NAMとはなんであったか」ということを、自分なりに考えていくということに尽きる。無論、その思考は、NAMが発揮した政治的力を対象とすることにもなるだろう。また言説とは本来中立でありえず自ずからフーコーの言うような「権力」として働くということも理解しているから、わたしの思考が純粋な思考や中立的な思考であると言い募るつもりはない。したがって、現在のわたしの立場、そして今後の課題を述べておくならば、わたしは「NAMとはなんであったか」と思考することによって、「NAMの解体」を目指すというものである。


NAMの原理の無謬性に固執するつもりはわたしにはない
資本と国家への対抗、という動機だけが残った

籤引きにもLETSにももはや固執しない
旧左翼規定(例:「赤軍的」「非NAM的」)されても構わない

こういうことには人柱が必要になる
誰かが古い人として犠牲になってはじめて新しい人が生まれうるのだと思う
わたしは自分が新しい人ではないという考えではNAM参加時から一貫してきた
新しい人を待ち望み、準備する巫女のようなものだと自分自身のことを考えてきた

けっきょく今日は一日具合が良くないままだった
抜粋をするのにも手が疲れて、中止せざるを得なくなった

本を読み、抜粋する──それだけの日々

家にいると濃密な希死念慮になやまされる
希死念慮になやまされたわたしは家族を、親をなやませる

絶望の連鎖

一日一日が過ぎ去っていくことが奇蹟のようにおもえる

どうして人間には「消滅」することができないのか

2003/12/22 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ

「……負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ……敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ再生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」(吉田満『戦艦大和ノ最期』一九五二年)

以下 より
改憲論を封じこめてきたもの  三島由紀夫『英霊の声』(一九六九年)

++++++++++
「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」
「陛下がただ人間と仰せ出されしとき
神のために死したる霊は名を剥脱せられ
祭らるべき社もなく
今なおうつろなる胸より血潮を流し
神界にありながら安らひはあらず」
「……
されど、ただ一つ、ただ一つ
いかなる強制、いかなる弾圧
いかなる死の脅迫ありとても
陛下は人間なりと仰せらるべからざりし」
++++++++++

 大日本帝国が絶望的な戦況に直面しても「一億玉砕」の旗をおろすことができなかったのは、「国体護持」が至上命題とされていたからです。一九四五年二月一四日の近衛文麿公爵による奏上は、「最悪ナル事態ハ遺憾ナガラ最早必至ナリト存ゼラル。……英米ノ輿論ハ今日迄ノ所未ダ国体ノ変更ト迄ハ進ミ居ラズ……。随(したが)ッテ最悪ナル事態丈(だけ)ナレバ国体上ハサマデ憂フル要ナシト存ズ。……最モ憂フベキハ、最悪ナル事態ヨリモ之ニ伴フテ起コルコトアルベキ共産革命ナリ……」としていました。このあと、三月の東京大空襲、沖縄地上戦とつづき、ポツダム宣言を「黙殺」(首相声明)したまま、広島、長崎への原爆投下とソ連参戦によって、ついに文字どおり「最悪ナル事態」を迎えることになったのも、「国体」への不安からでした。
 敗戦のあと、日本国憲法の成立で「万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総攬」(大審院判決)するという、法的意味での国体は、国民主権によって否定されました。「天皇を中心とする神の国」という、精神的意味での国体は、天皇みずからの人間宣言(一九四六年一月一日)によって、「架空ナル観念」とされました。
 裏切られた「英霊」の痛切な声が「ただ一つ、ただ一つ」許すことができないと訴えるのは、あまりにスマートだった、天皇制の変身でした。文中「……」の部分で、「英霊」は、こう語りかけています。……
 「日本の破れたるはよし/農地の改革せられたるはよし/社会主義的改革を行なわるるがよし/わが祖国は破れたれば/破れたる負目を悉く肩に荷うはよし……」、そして、「されど、ただ一つ……」なのです。
 近年、「これまでタブーとされてきた改憲主張」という言い方を好んでする人びとがいます。それは事実に反します。改憲論議が鳩山一郎政権により提起されるなかで、一九五五−五六年に参院選・衆院選があり、改憲に反対する勢力がはじめて両院で議席の三分の一に届く数を獲得したのです。憲法の規定で、憲法改正の国民投票に持ちこむためには、両議院それぞれで総議員の三分の二以上の多数決で発議されることが必要です。こうして、それ以後、歴代首相が「自分の内閣では改憲に着手しない」としてきたのは、有権者の票を逃がすことを警戒してのことでした。これは、タブーのはなしではなく、議会制民主主義の当然の効果というべき事柄です。
 もっと深い意味で改憲主張が封じ込められてきたことの方が、重要です。神が人間(ひと)に変身したあと「神界」に置き去りにされた「英霊」たちは、そのままで国軍の栄光が復活することを許しはしないだろうからです。そこの所を曖昧にしたままの改憲主張は、三島由紀夫にとって本質的だったはずの倫理性をすっぽり脱落させたものに見えたはずです。そこに、彼の深い絶望があったはずです。
 この混迷を、過去への回帰によってでなく、将来にむけてのり越えてゆけるかどうか。道義の源泉として位置づけられていた、神としての天皇が不在となったあと、公共社会を支えるエートスを、どうやって編みあげてゆくか。三島の「英霊」と反対むきのよびかけを、ひとりの青年士官・白渕大尉が、こう言いのこしています。──「……負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ……敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ再生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」(吉田満『戦艦大和ノ最期』一九五二年)。半世紀を費やして、日本社会はまだ、この、さわやかなまでにも悲痛な声に、答えていません。

(樋口陽一『先人たちの「憲法」観──”個人”と”国体”の間──』岩波ブックレットNO.518、2000年、ISBN4-00-009218-9、p43-45)


2003/12/24 下村健一の「眼のツケドコロ」

下村健一の「眼のツケドコロ」
知人から知らされたけどこれだけ詳しくやられると政府も反論できないのでは
ラジオってあまり聞かないんだけれど、煽情的な報道姿勢が目立つテレビよりもかえって冷静な分析ができるメディアなのかもしれないと思った

2003/12/26 ここ3、4日

不安障害の症状がひどい
水曜のデモ帰りのときとか死ぬかと思った

思い当たる原因はないこともない
けど秘密

昨晩、気付いたら睡眠薬を6日分飲んでた
飲んでも効かないから追加で飲んで飲みすぎる
これってオーバードーズに近づいてるってことかしら?

(↑ っていうか既にオーバードーズなのでは)

音楽がこの世に引き戻してくれる

将来のことを考えると不安になる
いまだってじゅうぶんに不安だけれど

必死になって何かしてるときには不思議に不安はない
不安が生じるのは立ち止まるとき
小休止のとき

2003/12/29 晴れない不安

晴れない不安の日々が続く
薬でごまかそうとしてもうまくいかない

午前中も日中も夜も晴れない
不安と絶望の雲のようなものに包まれている

自分がすっかり変わってしまったという感覚
十数年の歳月の重み

漠然とした痒いような苦しさ
息苦しさ
生きる苦しさ

希望がみえない

もっと別の人生もあったはずだと思う
十数年前から「手遅れ」の感覚をもっていた
今も持ち続けている

どこかで歯車が噛み合わなくなった
最初の破綻は十四歳の頃の憤りの発作だった

それ以後あり得ない出口を求めて四苦八苦
じたばた見苦しい支離滅裂な人生を歩んできた

いつの日か終わりにしたいと思いながら
死ぬ勇気もないままに

失うものは多いことに気付いた

いまのわたしは自分が誰かも知らない

幸せそのもののなかにある不安
それがいつ壊れるかもしれない脆いものだということへの不安

正直いってわたしは地震もテロも怖い
その後にくるかもしれない「国民保護」なるものも怖い

参考1参考2

上からの統制も怖いけどもっと怖いのは草の根レベルでの相互監視・統制

参考3

読んでいて正直怖くて堪らない
こういうことを考え公表する人がいるというだけで恐ろしい

社民党か共産党に入党することも考える
しかし集団にぞくしてみたところで不安が解消されないだろうことも容易に予測できる

わたしは破綻に向けて近づく
防御策もとらないまま
成り行きに身を任せて

今年は本当に症状が重かった年だと思う
イラク攻撃開始前後などほとんど発狂していた

発作を起こした状態で眠れぬ頭で徹夜状態でピースウォークに出かけていた

今年見せつけられたのはアメリカによる予告大量殺戮だった
「鬼畜米英」という言葉の本当の意味が分かった気がした

わたしは自分が左翼か右翼かわからなくなった
所詮ひとりのきちがいにすぎないのか

イランの地震にアメリカは救援隊を送るのだという
しかし地震の死者と同じかそれ以上のイラク人がアメリカの大義のないイラク攻撃で死んでいることはどう考えるのか

RAM DEMO SITEの『なんたる忠誠』より
不可抗力の自然現象である地震がなぜ起こったのかは問うくせに、責任能力がある人間が行った行為を問おうとしないで許容してしまう不可解さ。
中東地域の住民には最悪の一年だったと思う

イランでは地震が置き、数万単位で人が死に、なんと国交のないアメリカまでも救援隊を送るといっている

しかし大義のない鬼畜米英のイラク攻撃で地震での死者と同じかそれ以上の数のイラク人が殺されたことについてはどう考えるのか

今年イラク攻撃で見せつけられたのは予告大量殺人でした
3月〜4月は本当に頭がおかしくなるかと思うほど予告大量殺人を止められない、どうにもできないことが悔しかった

来年は自衛隊派兵への報復として日本への(自爆)攻撃が起き
国民保護法令なるものが発動され、それへの服従か抵抗かが問われるかもしれないと思います

(自爆)攻撃がなくても自衛隊員の戦死などがあれば
愛国世論が煽られ、一気に改憲の流れも進むかもしれない
そういうことを考えれば考えるほどに恐ろしい

地震もテロも怖い
その後にくるものも怖い

2003/12/31 いろんなことがあった一年

なんといっても一番大きかったのはイラク攻撃
心底恐ろしかった

個人的なこととしてはQ紛争
どう決着をつければいいのか分からなくなってしまった

思うにNAMの活動がQを含めて実際には国家と資本に何ら対抗していなかったという自覚が問題
だからささやかであれ国家と資本に対抗するアクションに参加することが必要なのだと思う

けど どうなのかな

単に死んだほうがいいのかもしれない
いましていることが国家と資本に対抗しているのかといえばそんなことはないような気もする
単に破綻を先延ばししているだけ
待っているだけ

元気ですかー?