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件名のとおり今日は体調がすぐれなかった
『あかね』の仕事のときもきつくてぼーっとしていた
どうしたのかしら
良くなったり悪くなったりするのが病気
と割り切るよりほかないのかしら
年末は憂鬱
新しい年なんか来ないで欲しい
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具合が悪くなったのはNAMとQのことをまた思い出したからかもしれない
こうしたことはいつまでも憑いてくる
死者からの声
箱の中に閉じてゆくのではなく、箱を巨大化させるのでもなく、またその存在を否定してしまうのでもなく、その外へ出るのだ。茫漠と広がる混沌の中に人間の居場所を定めるために必要であった空間の区切りとしての箱は、いまや記憶で充満している。おぞましいと同時に懐かしい記憶の箱。ガラスの羊たちは、そこから元気に外へ出てゆく。
最後に指摘しなければならないのは、箱の外へ出ることは、どこか夢の世界へ逃れることではないという点である。この点に関しての記述は後に譲らねばならない。
矢崎由布「ヨーゼフ・ボイス論序説−大きな箱としての<ブロック・ボイス>」『京都美学美術史学』より
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明日カフェスローではQ誕生2周年おめでとうを祝うのだとのこと
わたしは到底そんな気分になれない
わたしが正しいのか、Qのみなさんが正しいのか、白黒つけるために現地に出向くことも今日ずっと考えていたけれど、体力もお金も無い
わたしは頑固に、これまでの主張を撤回するつもりはない
さらなる自爆攻撃は消耗するのでしないというだけ
誰ひとりとして許していない
わたしは人を許すということをしない
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宮地剛さんはNAMを解体するのだという
http://after-that.net/
結構なことだと思う
どうぞ 気が済むまで
しかし、わたしがこのサイトで行おうとしていることは、そういった政治的なものではない。要約すれば「NAMとはなんであったか」ということを、自分なりに考えていくということに尽きる。無論、その思考は、NAMが発揮した政治的力を対象とすることにもなるだろう。また言説とは本来中立でありえず自ずからフーコーの言うような「権力」として働くということも理解しているから、わたしの思考が純粋な思考や中立的な思考であると言い募るつもりはない。したがって、現在のわたしの立場、そして今後の課題を述べておくならば、わたしは「NAMとはなんであったか」と思考することによって、「NAMの解体」を目指すというものである。
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NAMの原理の無謬性に固執するつもりはわたしにはない
資本と国家への対抗、という動機だけが残った
籤引きにもLETSにももはや固執しない
旧左翼規定(例:「赤軍的」「非NAM的」)されても構わない
こういうことには人柱が必要になる
誰かが古い人として犠牲になってはじめて新しい人が生まれうるのだと思う
わたしは自分が新しい人ではないという考えではNAM参加時から一貫してきた
新しい人を待ち望み、準備する巫女のようなものだと自分自身のことを考えてきた
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けっきょく今日は一日具合が良くないままだった
抜粋をするのにも手が疲れて、中止せざるを得なくなった
本を読み、抜粋する──それだけの日々
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家にいると濃密な希死念慮になやまされる
希死念慮になやまされたわたしは家族を、親をなやませる
絶望の連鎖
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一日一日が過ぎ去っていくことが奇蹟のようにおもえる
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晴れない不安の日々が続く
薬でごまかそうとしてもうまくいかない
午前中も日中も夜も晴れない
不安と絶望の雲のようなものに包まれている
自分がすっかり変わってしまったという感覚
十数年の歳月の重み
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漠然とした痒いような苦しさ
息苦しさ
生きる苦しさ
希望がみえない
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もっと別の人生もあったはずだと思う
十数年前から「手遅れ」の感覚をもっていた
今も持ち続けている
どこかで歯車が噛み合わなくなった
最初の破綻は十四歳の頃の憤りの発作だった
それ以後あり得ない出口を求めて四苦八苦
じたばた見苦しい支離滅裂な人生を歩んできた
いつの日か終わりにしたいと思いながら
死ぬ勇気もないままに
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幸せそのもののなかにある不安
それがいつ壊れるかもしれない脆いものだということへの不安
正直いってわたしは地震もテロも怖い
その後にくるかもしれない「国民保護」なるものも怖い
(
参考1、
参考2)
上からの統制も怖いけどもっと怖いのは草の根レベルでの相互監視・統制
(
参考3)
読んでいて正直怖くて堪らない
こういうことを考え公表する人がいるというだけで恐ろしい
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社民党か共産党に入党することも考える
しかし集団にぞくしてみたところで不安が解消されないだろうことも容易に予測できる
わたしは破綻に向けて近づく
防御策もとらないまま
成り行きに身を任せて
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今年は本当に症状が重かった年だと思う
イラク攻撃開始前後などほとんど発狂していた
発作を起こした状態で眠れぬ頭で徹夜状態でピースウォークに出かけていた
今年見せつけられたのはアメリカによる予告大量殺戮だった
「鬼畜米英」という言葉の本当の意味が分かった気がした
わたしは自分が左翼か右翼かわからなくなった
所詮ひとりのきちがいにすぎないのか
イランの地震にアメリカは救援隊を送るのだという
しかし地震の死者と同じかそれ以上のイラク人がアメリカの大義のないイラク攻撃で死んでいることはどう考えるのか
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RAM DEMO SITEの『なんたる忠誠』より
不可抗力の自然現象である地震がなぜ起こったのかは問うくせに、責任能力がある人間が行った行為を問おうとしないで許容してしまう不可解さ。
中東地域の住民には最悪の一年だったと思う
イランでは地震が置き、数万単位で人が死に、なんと国交のないアメリカまでも救援隊を送るといっている
しかし大義のない鬼畜米英のイラク攻撃で地震での死者と同じかそれ以上の数のイラク人が殺されたことについてはどう考えるのか
今年イラク攻撃で見せつけられたのは予告大量殺人でした
3月〜4月は本当に頭がおかしくなるかと思うほど予告大量殺人を止められない、どうにもできないことが悔しかった
来年は自衛隊派兵への報復として日本への(自爆)攻撃が起き
国民保護法令なるものが発動され、それへの服従か抵抗かが問われるかもしれないと思います
(自爆)攻撃がなくても自衛隊員の戦死などがあれば
愛国世論が煽られ、一気に改憲の流れも進むかもしれない
そういうことを考えれば考えるほどに恐ろしい
地震もテロも怖い
その後にくるものも怖い