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夢目記


日記鯖システム管理者からのお知らせ

  • HTTPSに対応し、http://ds.sen-nin-do.nethttps://ds.sen-nin-do.net のどちらでも日記鯖にアクセスできるようになりました。 なお、当面はHTTPとHTTPSのどちらも利用可能としますが、将来的には http://ds.sen-nin-do.net へのアクセスは https://ds.sen-nin-do.net へ転送する予定です。
  • 都合により日記鯖のURLが http://ds.wa-mo.to/ から http://ds.sen-nin-do.net/ に変更となりました。 突然で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。(2019/01/27)
  • 日記鯖の仕様変更、不具合対応等については、こちらの記事もご覧ください。

元気です。

2005/05/22 三十路にて初めて歌うピアノでは満足できぬファンキー・シーズ

 今日のファンキー・シーズ練習会はギターの元氏さんが出張で欠席のためピアノ・トリオでの練習になった。練習曲は以下。
 ブラック・マジック・ウーマン
 ライムライト
 城ヶ島の雨
 純愛のブルース
 太陽がいっぱい
 フィーリング
 夢は夜開く
 ナイト・トレイン
 モーニン
 ガラスの部屋
 ジプシー・マンボ
 私は練習不足が崇りまともにピアノが弾けない。新曲でアドリブが入るところなど特にそうだった。アドリブで華麗にアルペジオを入れたくても、指がいうことを聞いてくれない。基礎訓練ができていない。

 三十路に突入したが、昨日今日と調子が悪い日が続いた。毎日、コントミン50mgのお世話になっている。明日はどうなるのだろう。イベントに出掛ける予定にはしているが、行けないかもしれない。読書も作文もピアノも、うまくいかない。

2005/05/24 あかねでファンキー・シーズのヴィデオを上映

今朝方はまたしても具合が悪く、高根台メンタルクリニックに行く。薬が効かないと訴えるが、処方は変えて貰えない。以前の処方のまま、さらに1ヶ月分が処方される。がよく見ると、頓服のコントミンが倍量処方されていた。コントミンを飲んで我慢しろということだろうか。(どうでしょうね!? 昏倒眠倶楽部の皆さん。)

その後、バイト。バイトを終えて、あかねへ。前回お休みしたので、1ヶ月ぶりの当番である。

お客さん、もとい利用者は2人しかいない。渡辺さんと西尾さんである。この現状をみるに、あかねは店であるかフリースペースであるかという定義の問題も重要だが、赤字も出していることだし、いかにして利用者を増やしていくかということこそ優先課題として考えられるべきではないかと思えてくる。常連の質を問うとか言って、敷居を高くすると、少ない利用者がなお少なくなるのではないか。或いは、逆に、敷居を高くしない姿勢が一部の常連問題を生んでいるのか。

昨日のあかねシンポの話を渡辺さん、さんだーさんとしながら、今日のあかねではファンキー・シーズのビデオを上映した。観てくれたのはたった3人だったが、嬉しかった。今度ホームページで告知してもう一度上映会をすることにする。

ビデオにて上映したら嬉しくてあかねに慣れるかファンキー・シーズ
 
さんだーさんからは、医者からもう通院・服薬の必要がないと告げられた旨を伺った。こころ系卒業である。何だか先輩がいなくなるような、ちと寂しい気持ちに。でも、目出度いことには変わりない。

あかねシンポの主題は、もちろん場問題であり、あかねを店と捉えるのかフリースペースと捉えるのかという問題だったが、シンポジウムの参加者でフリースペースと捉えることに異論がある人はいなかったと思う。しかし、それだけでは済まない。対・行政や一見さん等に説明責任を負うとか、トラブルがあって責任が生じているのに場に責任を負う能力がないとか、いろいろな問題がある。だから或る人などはあかねをもう畳んだほうがいいのではとまで言うのである。確かに、究極さん、ぺぺさん等に過剰に負担が行くのは問題である。しかし、それを解消するのは難しい。私などは当番といっても月2回それも短時間入るだけの者である。責任を分け持ちたいと思っても、現実問題としてできない。では、どうすればいいのか。シンポジウムで結論が出たのかどうか、私は終電があるので途中退席したため分からない。しかし、話して解決する問題なのかという気もする。

行き帰りにはCDウォークマンで菊地成孔の『DEGUSTATION A JAZZ』を聴き、UAの歌声に痺れる。電車内では啄木の歌集を読んでいたが、気になったのは次の歌。

 人間のつかはぬ言葉
 ひよつとして
 われのみ知れるごとく思ふ日

ところで今日はマイミクがふたり増えた。嬉しいかぎりである。ひとりは、お誕生日のメッセージを送ったら、マイミク申請してくださったかたで、中谷美紀コミュつながりである。私はDVDを持っていないこともあり、ドラマをDVDで再視聴する習慣がなく、テレビ・ドラマとは一期一会なのだが、一時期中谷美紀がテレビ・ドラマに頻繁に出ていた頃には彼女が主演するドラマを必ず観ていたので、その記憶もうっすらとある。私に中谷美紀を最初に良いと言って勧めていただいたのは、大学時代の文学研究会の先輩だったと思うから、もう10年も前の話である。

もうひとりは新宿でホストをされているかたである。セクシュアル・マイノリティ関係のコミュのトピックで見つけて、私のほうからマイミク申請して受け入れていただいた。私の日記は、セックス関係は以前一回書いたきりで、それ以来メンヘラー系の暗い日記が続いているので、少し申し訳ない気持ちになる。

マイミクのひとりのかたが入院するようである。日記にもお互い頻繁にコメントを付け合っていた仲だけに、その人が数ヶ月にわたっていなくなるのは寂しいが、入院によって少しでもその人の病状がよくなるのであれば喜ぶべきだろう。

2005/05/25 毎日がドグマチールにコントミン薬漬けにて減薬できず

さんだー杉山さんがmixiに参加した〜さんだーさんはあかねで隔週月曜に当番に入るときの相方〜いつもお世話になってます〜mixiもあかね界隈の人脈増えたなあ〜これから楽しみ

最初は土曜深夜(12:00〜朝まで)究極さんと担当だったのが究極さんが土曜深夜を辞めることになってシフト変更になり土曜夜(7:00〜終電)さんだーさんと組むことになった〜最初の頃はイベントで酒飲みすぎてあかねの床にごろりと横になって当番の役目をまるで果たせずアイラーのCDをDJに差し出したりもしていたっけ〜そんな私も次第に普通の当番になっていったのはさんだーさんとの交流があったからだと思う

今はさんだーさんはこころ系を卒業されたけれども当初はこころ系の代表格としていろいろ相談したりしていた〜病院のこと、お医者のこと、お薬のこと、年金のこと、仕事のこと、お金のこと、その他いろいろ〜さんだーさんは不安定な私のことを気にかけてくれて仕事を紹介してくれたり公務員試験の倍率を調べてくれたり転院可能な病院を紹介してくれたりしたけれどそれをうまく生かせなかったのは私が怠惰だったから〜私は結局現状から脱け出せないまま無駄に歳月を費やした

話を変えると早稲田にあるあかねから家に帰るまでに電車で1時間半以上掛かっていつもあかねから帰る電車内では不安発作、パニック発作を起こして知覚過敏になっている〜音や光が何だか強く体の中に入ってくる感じ〜最近は酒を控えお薬を飲むようにしてパニック発作がなるべく起きないようにしている〜でも1時間半は長い〜家がもう少し早稲田に近かったらいいのにな〜大学・大学院時代には毎日毎晩早稲田まで往復していたと思うと今ではもう信じられない〜あの頃は毎日面白いことがあったな〜雑誌も作っていたし(芸術ウピョピョン会『狼』会誌「金狼の遠吠え」、文学研究会会誌)、社会哲学研究会の大田君という小噺の達人と毎日終電まで話していたし〜私は私なりに二〇代の貴重な時間を空費していたわけだ

今は私は単調な日々を過ごしている〜毎日バイトに行って帰るだけ〜この日々から抜け出すことは難しそうだ〜何も面白いこと、刺激的なことがない〜たまに冒険してみようとしても失敗してばかりで〜mixiをいじりながら時間の過ぎるのを待つ〜トミーさんが作った暇人くらぶというコミュに入ったが本当に私は暇人なのだと思う〜受験勉強もしないで(できないで)毎日mixiばかりして〜それなのに市役所の受験書類の準備はしているという矛盾〜家族の圧力に負けて受験するだけはすることになるのだろう〜受かるはずもないのに無駄なことを〜どうしてこんなに主体性がないのかしら

家族といえば鬱病の薬の治験に参加するように母親から勧められたが人体実験のようであまり乗り気になれないでいる〜今の薬に満足しているわけではないが〜ドグマチール、リーゼ、ソラナックス、コントミン、ハルシオン、ホーリット〜今の医者を変えてみようかと思わないこともないのだが〜佐々木病院(斉藤環がいるがかれは新患を取らない)などどうだろうかと思っている〜http://www.sofu.or.jp/〜予約制というのがちょっと不安なところだが入院施設もあるし万一のとき安全かも

長い割に面白くない文章になったがつまらない文章しか書けないのだ〜書いては消し、書いては消しで時間を費やしている〜次はもっと別なことを書こうと思う〜音楽のことや恋愛、セックスのこと〜初恋の思い出のことはもう書いたから最初(で最後!?)の恋人はなちゃんのことでも書こうかな





2005/05/26 はなちゃんと別れた頃は十九にて我の一番奢れるときかな

はなちゃんは高校の一年後輩の図書委員だった、何か精神的に悩んでいてなぜか私のところに相談にきたのだった、それが私が十九歳早稲田大学に入って天狗になっていた(無敵感ばりばりオール)丁度その頃のことだった、私ははなちゃんが私に恋をしていると錯覚し誘惑したのだった、誘惑は簡単に成功=性交した、はなちゃんはにきびの多い不美人にみえたが眼鏡を取ってキスするために間近で見ると結構可愛い子だった

私ははなちゃんの家庭教師ということになって毎日会うことになった、あのころは毎日が幸せだった、最初私ははなちゃんとキスをしたのだった、その次の日から不器用で独り善がりな性交渉をもつようになったのだがそのことを詳しく述べるのは差し控えよう

ともかく私とはなちゃんは毎日会っては勉強もせずに(少しはしたが)恋愛遊戯に耽っていた、はなちゃんのマンションに行ってはなちゃんの家族たちの前でピアノを弾いては喜ばれたりもしていた、その頃が音楽的にも技術的にも私の頂点だった

高校の文芸部周辺には部長の智に付き纏ったボーダーかヒステリーのあやさんがおり私はあやさんにも恋をしていた、私はそのこともはなちゃんに率直に話していた、はなちゃんは嫉妬するそぶりをみせ私ははなちゃんに嫉妬深いはなちゃんなのね!と言った

別れは不意に訪れた、はなちゃんが私の男根の先端を鋏で切る夢を見、夢解釈をしていた私がそれを私と別れたいという欲望の表れと解釈したのだが、はなちゃんは同年代の別の男の子から告白され気持ちが揺れ動いていたのだった、私は自分が選ばれるという自信を持ち花束を買って津田沼駅ではなちゃんを待ったりそういうよくありがちな通俗的行為にも及んだのだがはなちゃんを私の側に繋ぎとめることはできなかった、はなちゃんの父が私に家庭教師対価として十万円を支払ったのだが当時大学で一緒に雑誌を作っていたアナーキストの友人の大久保さんは私にそれは手切れ金だろうと言った、実際その通りなのだった

はなちゃんは私が出した手紙類のすべてを庭に埋め私に別れを告げた、付き合いだしてから五ヵ月ほどが経っていた、私は二度と連絡を取らないと決意し連絡先を書いたメモなどを廃棄してしまったのだがそのことを何度悔いたことだろう、はなちゃんとは別れてから二度と会うことがなかった、ネットで検索してもmixiで検索してもはなちゃんには再会できなかった、私はすっかり落魄した、はなちゃんと再会しても掛ける言葉もないほどに

私はオカマだと言いバイだと言っているが愛情のあるセックスを経験したのは十年前はなちゃんとの性交渉が唯一の経験である、性交渉を継続したのもはなちゃんとの体験が今まで唯一のものであり男性との性交渉は愛もなく長続きしないものに終わった、私は少女漫画や栗本薫の小説の世界の同性愛を夢見ていたのだが実際の同性愛はそういうものではなかったのである、とはいえそのなかでも夢の男の子といえる可愛い子と一回会って性交渉を持ったことがある、しかし彼は私に暗に金を要求したのだった、金のない大学院生だった当時の私は彼に金を渡すことはなく二度と会うこともなかった

言い忘れたがベッドのなかでははなちゃんは男言葉を話し自分のことを「僕」と言うのだった、それに対して私は女言葉になるのだった、いつもはなちゃんが上になり私が下になりして覆い被さられるのが最高の悦楽だった、はなちゃんの体重を感じるのが私の喜びだった、あの喜びを取り戻せる日は二度とこないだろう

2005/05/27 日記書き消しては書いて時が経ち意味なく笑い独り堕ちるか

 最近過眠気味で、朝も昼も寝ている。バイトにだけは行けているが、バイトから帰ると寝る。晩飯をようやく食べて、mixiして寝る。このところその繰り返し。何ら生産的行為ができない。UAの『breath』をこのところ聴きかえしているくらい。

 以下、5/25の日記。一旦書き込んで消したもの。

 *ちょっとでも長い文章が書けないので短い文章です。*

 市役所受験の書類を作ったり、芸音の元会員さんにご飯を奢ってもらいに母親と船橋に出たりする。ステーキ定食を食べてしまった。その後、地域生活支援センター・オアシスへ行って相談をするが、どうもうまく話せない。
 30分遅れでバイトに行き、30分遅れで帰ってきて、mixiをやりながらUAの『breath』を聴く。

 市役所は、倍率が去年は17倍、一昨年は16倍だったらしい。今年はさらに倍率が上がることが予想される。問題集みてもさっぱり分からないし、もう諦めたほうがいいのか。

 それにつけたコメント。

 UAを今日何度か聴きかえしているけれど、やはり相当好きなんだなと思った。『breath』も最初聴いたときは印象があまり強くなかったけれど、今聴いてみるといい感じ。

 サイゲンジの良さはまだ分からないまま。でも初めて聴くブラジル音楽だからしょうがないかな。音楽の良さってなかなか分からないことも多い。クラシックではルービンシュタインの良さとかなかなか分からなかった(私はホロヴィッツ派)。ジャズもパウエルにせよパーカーにせよ、オーネット・コールマンにせよアート・テイタムにせよ、或いはオスカー・ピーターソンにせよ、良いと思えるようになるまでには時間がかかった。

 以下は5/26の日記。一旦書き込んで消したもの。

 病院に行ってどうにもならなくて苦し紛れに捻り出した五七五七七の歌も毎日作れるわけではないし、良いものが作れるわけでもない。これまで作ったものを列挙してみよう。

 目醒めても醒めざる夢に覆われてまたしても医者にお世話になるかも
 生まれても楽しからずや音楽の調べに乗りつつネットを滑れど
 音楽が救いであれば人生も過ぎ行くうちに生き易くなれ
 夢は本読めば読むほど謎めいて震える指もてめくるページよ
 音楽は救いになるかピアノ捨て薬飲みつつ三十路迎える
 三十路にて初めて歌うピアノでは満足できぬファンキー・シーズ
 あかねにて花咲かすのを夢見てたnutty queer associationism
 ビデオにて上映したら嬉しくてあかねに慣れるかファンキー・シーズ
 あかねにて出会えることの嬉しさよ互いの無事を確かめつつも
 あかねにて猫耳つけて戯れるこころ系でもおかまなんだよ
 市役所に応募しようと思い立ち書類作れど準備ができず

 やはり振り返ってみるに相当なヘボである。いやはや、歌人同盟のコミュにも参加してみたが、恥ずかしくて投稿できないや。

 追加。

 日記売り凌ぎし日々も懐かしく思える今は我はジャンク化
 日記売る日々も終わりて今は壊れつつ生きても虚し我はフリーター
 毎日がドグマチールにコントミン薬漬けにて減薬できず
 はなちゃんと別れた頃は十九にて我の一番奢れるときかな
 日記書き消しては書いて時が経ち意味なく笑い独り堕ちるか
 今日もまた文章書けず深夜までmixi繋いで我は抑鬱

2005/05/28 眠り姫朝から昼まで眠っても憂鬱去らずmixiに逃げる

今日の日記はランダムに幾つか話が飛びます。読みにくくてすいません。

 今日はイベントに行こうと思っていたのに、過眠と鬱で行けなかった。家で朝も昼も眠り続ける。幾つか鮮明な夢を見た。そのなかのひとつは大西巨人と鎌田哲哉が出てきた。

 あかねの利用者で何度かお会いしたことがあるえびすさんが癌で亡くなったことを先日当番に入ったときさんだーさんから伺って知った。癌で入院していたのは知っていた。えびすさんのご両親から連絡があってお見舞いに行った究極さんから「彼は今は生きたいと言っている」と伺い、何とも言えない気持ちになる。私も毎日、死にたい死にたいと言っていても、いざ死が目の前に迫ってくると「生きたい」と思うようになるのだろうか。何の価値もないむなしい人生だと思うのだが、やはり貴重なものがたくさんあるのだろう。それに気付いていないだけなのだろう。えびすさんにはあかねで数度会っただけでそれほど濃密な交流があったわけでもなく、生前お見舞いにも行かなかった。とはいえ知っているかたが亡くなるというのは特別な感慨があるものである。
 以前、Yさんという精神病のかたが発作を起こして亡くなったことがあった。そのときも私は相当ショックを受けていた。自分が殺したようなものだと思った。当時私はと或る団体・個人(NAM、Q)に対してヒステリックな抗議行動をしていた。Yさんはそれに情動的に巻き込まれて亡くなったのではと推測したのである。私は罪悪感を抱いた。しかしどうすることもできなかった。

 別の話だが以前仕事を探して見つからなかったとき、究極さんから「攝津君は働かなくていい人です。文章を書いてください」と言われたのだが、これは私に書く才能があるという意味ではなく、普通に働くのはキビシいという判断からのことだろう。事実普通に働くのはキビシい。今のバイトにしたって、世間一般の標準からすれば極めて楽なものに入るのだと思う。それすらうまくこなせない私に、駄目出しである。

 小学生の頃には毎日SFもどきや暴力小説を書いていた。
 中学・高校の頃は書くことに執着があり毎日原稿用紙に向かっていた。その頃のアイドルは坂口安吾。『堕落論』、「不良少年とキリスト」とかエッセイに特に惹かれた記憶がある。
 大学に入ってからは短い自伝小説を書いた。『起きたことと起きなかったこと』である。mixiで連載していたが、内容の稚拙さに自分でげんなりして2回で連載を中断した。mixiで連載するのは恥ずかしいからどこかブログを借りて連載を続けようかなと思っている。
 大学院に入ってからは論文書きで精一杯だった。大学院を辞めてから夢日記をつけ始めた。フロイト郵便というホームページ(http://homepage3.nifty.com/freud/)に足繁く通っては夢解釈に没頭していた。
 その後、NAMでは毎日eメールを書き、Qプロジェクトに関わっていたころにはグループ全体で月に1,000通を越えたりもしていたものである。
 こうしてみると、小学生の頃のSF創作挑戦はともかく、それ以後は虚構を書こうという意欲が見られないのが顕著である。30歳も過ぎてまともな短篇ひとつもないのだから、どうしようもない。KさんやTさん(RAMカタログhttp://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/demo/での仲間)からかれらの書いた短篇小説を読ませていただいたことがあるが、完成度が高いもので、私などには及びもつかないものだった。かれらは文芸誌などに投稿したり、批評家(渡辺直己さん)に作品を見て貰ったりと、真面目な文学青年である。
 それにひきかえ私のほうは、何もしていない。40歳で『裸のランチ』を書いたバロウズを目標に、と以前は一応は思っていたものの、バロウズのような古典文学の教養もなし、このままなし崩し的にフリーターで一生を終わりそうである。

 また話が飛ぶが津田沼高校での文芸部の恩師・姫野玲子先生をネットで検索したら今年から県立千葉高等学校に転勤になっていた。ひさびさに会いに行ってみようかとも思うが、向こうはこちらのことを覚えていないかもしれず、意味ないかもしれないと思う。

2005/05/29 性欲が蘇りつつもひきこもりだって相手のあることだからね

 今日も抑鬱で出掛けられない。家でだらだらと過ごす。昨日もそうだった。なんだか習慣になってしまいそうだ。
 ところで鬱がひどいときには死んだようになっていた性欲が最近少し復活してきたようだ。それで、自分は男が好きなのか女が好きなのか、とかいろいろ考えてみる。
 同性に関しては、オカマっぽい感じの男の子が好き、ということになるかな。でも向こうからは好かれないという悲しさ。なんかキモイと思われるみたい。実際、キモイかもしれない。
 異性に関しては、よく分からない。最近一緒に働いている不登校の女の子はいいなと思う。でもこれも気持ちを伝えられないままに終わりそう。
 病気が少しはましになってきたのか性欲が多少復活したとはいえ実際の恋愛や性行為にいたるまでにはまだ道のりは遠そうである。(ていうかBoy's Japan私が何度投稿しても管理者権限で消されてるし。最初にバイだと名乗ったのがいけなかったのかしら。だってそうなんだからしょうがないじゃん。)

 恋しても恋されなくて歳取っていつのまにやら三十になる
 オカマだと言い張り続け三十路まででも恋人はまだできないの

2005/05/30 マイミクは作家批評家ピアニスト詩人に院生無職フリーター

 マイミクだからといって濃密な交流があるわけでもないのだが、マイミクになっていただいているかたがたには、小説家から批評家、詩人から歌人、ピアニストから日本近代文学研究者、院生からウリセン、会社員、フリーターから無職までといろいろな職業=社会的立場のひとがいて驚く。たまたま私は今こうだけれど、そうなりたいと思ってなれなかったいろいろな職業のひとたちとmixiを通じて薄い関係性を保持することができている。それは嬉しいことだと思った。
 とはいえいろいろなかたがたの日常を薄く覗き見させていただくうちに、自分自身がからっぽなことを強く意識せざるを得ず、そのことは少し寂しいかなと思う。

 あたしにもできることはと探しても見つかるものは夢の夢のみ
 歌うたい文を綴って過ごしても変わらぬ日常壊れた心
 病み疲れ日記向かいて時過ごし捻り出せるは過去ばかりかな

元気ですかー?