バイトを終えて帰ってきた。朝目ざめた瞬間は今日こそ抑鬱から解放されるのではという期待を一瞬抱いたが、終わってみれば今日もいつも通りの日常。残念なような、そうでないような。
あかねにこころ系の短歌を沢山読んで持ってくる人がいるのだけれど、その人のことを少しだけ思い出した。分量が凄くて、内容もネガティヴ道を極めており、私は読んで驚いた覚えがあるが、今の私も同じようなことをしている。尤も、短歌の技術についてはかれのほうが上だろうが。
アヤジーニャさんお勧めの
saigenjiのCD2枚が届いたので聴いてみるが、私には今ひとつ良さが分からない。音楽を味わう感受能力も退化してきたのだろうか。
今日ピアノに向かっても、充実感は得られなかったし、5月21日(土)の誕生日は「ファンキー・シーズ」の練習会で迎えるものの、音楽の喜びに充たされてというわけにもいかないようである。
本も読めない。自宅から徒歩10分のところにある
船橋市北図書館で啄木、伯爵さまお勧めの短歌論(土屋文明著「新短歌入門」)、関組長お勧めの本2冊(『鴻上尚史のごあいさつ』と『ブッダに会ったらブッダを殺せ』)、遠山啓の数学教育論、民法・行政法の本、それにカフカの『城』を借りてきたのだが、またしても積ん読に終わりそうな予感。
今日は『ごあいさつ』を読んだが、第三舞台の演劇を一度も観たことがないゆえ、今いちよく分からない。自殺念慮と偶然の関係について触れた箇所、別れについて触れた箇所などが少し印象に残る。
『ブッダに〜』は読み始めたばかり。精神療法と悟りの関係のような内容の本らしい。分析哲学の方面の人(野矢茂樹)が訳していたが、訳者あとがきをみるとウィトゲンシュタインにひきつけて解釈しているようである。興味ぶかそうな、そうでもなさそうな。よくわからない。翻訳特有の文体がいらついて、頭に入ってこない。とはいえ先日借りたスガ秀実さんの本(『革命的な、あまりに革命的な』)も頭に入らなかったから、翻訳の問題とは違い、鬱により言語野の働きが阻害された結果かもしれない。鬱で一番やられるのが言語野だという。確かに、言語面での衰えが著しい。(まともな文章が)読めない、書けない。ジャンク化。
毎日日記を書くことは回復につながるのだろうか。私は去年建築関係の自主メディアを立ち上げている人に日記を一日333円で売っていた。それもろくな内容ではなかったのだが、仕事をくださいという私のメールに対し、では日記を書くという仕事を与えるといわれて飛びついたものである。最初の提示額は2万円/月。嬉しさのあまり飛び上がって応じたが、直後に1万円に値切られた。さらに一日当たり333円の出来高払いになり、日記の内容がつまらなくなって、それも打ち切られた。
その後は、偉人伝(アート・テイタム研究等)を書けばお金がもらえることになっていたが、そんな纏まったものを書く態勢にはなく、書きもので金銭をという目論見も脆くも崩れ去ろうとしつつ半年ほどが過ぎようとしている。
日記売り凌ぎし日々も懐かしく思える今は我はジャンク化
日記売る日々も終わりて今は壊れつつ生きても虚し我はフリーター