ID: PASSWORD:

夢目記


日記鯖システム管理者からのお知らせ

  • HTTPSに対応し、http://ds.sen-nin-do.nethttps://ds.sen-nin-do.net のどちらでも日記鯖にアクセスできるようになりました。 なお、当面はHTTPとHTTPSのどちらも利用可能としますが、将来的には http://ds.sen-nin-do.net へのアクセスは https://ds.sen-nin-do.net へ転送する予定です。
  • 都合により日記鯖のURLが http://ds.wa-mo.to/ から http://ds.sen-nin-do.net/ に変更となりました。 突然で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。(2019/01/27)
  • 日記鯖の仕様変更、不具合対応等については、こちらの記事もご覧ください。

元気です。

2005/05/16 目醒めても醒めざる夢に覆われてまたしても医者にお世話になるかも

 昨日もそうだったが、今日も朝眼が醒めたときから具合が悪い。家族に負担を掛け、迷惑を掛ける。入院かというような話も出る。とりあえず、通院することに。
 なぜこうも毎日具合が悪いのだろう。ひとつには、失われてしまった諸能力のことを考えざるを得ないからだろう。たとえば、外国語能力を、私はほとんど完全に失ってしまった。大量にコピーしたフランス語文献も、死蔵している。
 私は数年来、陽気さというものを失ってしまった。笑うことができない。喋ることもままならない。これでは恋愛どころではないし、就職どころではないと思う。といって、今のままでは、どうにもならない。袋小路である。

++++++++++
 医者に行ってきた。主治医から「働けているので、入院などは無茶苦茶な選択だ。死にたくなる気持ち等には薬は効かないので薬は変えない」等々と言われた。私としては、もうどうにもならない、という気持ちだ。医者は何もしてくれない、という感じ。本当に転院しようかと考える。
 その後、バイト。集中できず、落ち着かない。インターネットで以前mixiにアップしたモンク、ファッツ・ウォーラー、テイタムをヘッドホンで聴きながら英単語帳作り。今日は15分遅刻したのでそのぶん給料が減ってしまうのは致し方がない。

2005/05/17 生まれても楽しからずや音楽の調べに乗りつつネットを滑れど

 原因不明だが、今日は昨日に比べると気分が良かった。午後には、幸運にもマイミクのかたとMSNメッセンジャーでチャットをしたりもした。それで思ったこと。
 私は幾ら調子が悪くても、自殺未遂や自傷行為などの経験はなく、入院したこともない。心(脳)に問題があるとはいえ、私の病状は比較的軽いのではないか、ということ。とはいえ、症状がひどいときには何も手につかないしどうにもならない気持ちがするものだが、実際に死のうとしたりリスカしたりしたことはない。
 むしろ、ひきこもり青年の心理に近いものがあるのかもしれないと思った。斉藤環は『ひきこもり救出マニュアル』で、ひきこもりの人が健康な自己愛を保持していると述べている。
「自殺したい」という息子を説得したい
 現在二八歳の息子は、ひきこもって七年になります。このところしきりに「三〇歳になったら自殺する」と言い張って、反対すると怒ります。なんとか思いとどまらせる方法はないでしょうか。
 ひきこもっている人はしばしば、自分はもはや生きている価値のない、むしろ死んだほうがいい人間であるという思いに取りつかれてしまいがちです。ただ、非常に幸いなことには、実際に死に至る方はごく稀で、例外的と言ってもいいほどです。あえてこのことを強調するのは、親御さんがパニックに陥るのを防ぐためです。わが子に「自殺する」と宣告されて冷静でいられる親はいません。
 しかし、パニックのあまり本人のいいなりになったり、逆に本人を追いつめるような対応になってしまっては困ります。できるだけ冷静さを失わずに、適切な対応を考えていただくためにも、「社会的ひきこもり」状態の人が自殺に至る可能性がけっして高くはないことを、もう一度強調しておきましょう。
 私はこの理由として、ひきこもりの人がある意味で健康度が高いせいではないかと考えています。もう少し詳しく言うと、自己愛が健康なのです。
 人間は誰しも自己愛を持っていますが、一般に人間が自殺する時というのは、この自己愛が破壊された場合にとりわけ多いと考えられます。
 具体的には、うつ病や統合失調症などの精神病によって壊される場合や、強いトラウマ的な体験で壊される場合など、いろいろあります。
 しかし幸いなことに、ひきこもりの人の自己愛というのはかなりしっかりしているので、それだけでも死に至る可能性はきわめて低いと言ってよいでしょう。
 ましてひきこもっている人が自殺を思うのは、何よりも自己愛ゆえなのです。自分の理想がかなえられなかった、自尊心が保たれなかった、だから生きていても仕方がないということになるわけです。自己愛が健全であるがゆえに死を思い、しかし自己愛ゆえに行動に至ることができないというジレンマに陥っています。
 それゆえ「死にたい」と訴えている人に大しては、「とにかく死んでほしくない」ということを何度も気持ちを込めて繰り返し伝える、この対応に尽きると思います。もちろんご本人は反発するでしょう。しかしそれでも「親のわがままかもしれないが、あなたには生きていてほしい」という単純素朴な言葉を伝えつづけていただきたいと思います。
 「なぜ生きる必要があるのか」といった議論には巻き込まれないようにしてください。強いて答えるなら「理屈抜きにそう思うから」ということで十分でしょう。理詰めの説得は逆に促進効果があるので、あまり感心しません。
 理屈は言わずに情緒的に引きとめるのがベストな対応だと、私は経験からそう思います。
 「もう自分は死にたい」とか「死ぬしかない」とか言う人に対して、「どうせ死ねないだろう、死ねるものなら死んでみろ」「あなたはしょっちゅう『死ぬ』と言うわりにはちっとも死なない」的な対応を、挑発や励ましのつもりでやってしまう方がまだときどきいますが、それは単純な間違いですから、けっして考えないでいただきたいと思います。「はずみ自殺」を誘発する可能性があるからです。「はずみ自殺」というのは、本当は死ぬ気はなかったのに、はずみで死んでしまうケースのことです。具体的には薬の量を少し間違えてしまった、あるいは飛び降りるビルの階を間違えてしまった、などの場合がこれに当たります。そういうことで亡くなってしまう方がいるのは、ことのほか残念なことです。
 挑発的な態度は、自殺を考えている人の背中を押しやる効果がありますから、こうした「はずみ自殺」を誘発しやすい。ですから、けっして挑発やそそのかしはしないでいただきたいのです。 (p352-354)
 《ましてひきこもっている人が自殺を思うのは、何よりも自己愛ゆえなのです。自分の理想がかなえられなかった、自尊心が保たれなかった、だから生きていても仕方がないということになるわけです。自己愛が健全であるがゆえに死を思い、しかし自己愛ゆえに行動に至ることができないというジレンマに陥っています。》というのは、まさに私自身の状況であるかのようだ。
 私は今はバイトをしており、純然たるひきこもりではない。しかし、最初のバイトを社長と対立して辞めてから1年半くらいは無職だった。ひきこもりではなくデモなどには頻繁に参加していたが、職がないことに引け目があった。知人と究極Q太郎さんにインタビューに行き、あかねの当番に入ってみたらと勧めていただいたのはその頃だった。
 私はリンダちゃんと名乗り、女性の友人知人から貰った服や母親の服を着て女装してあかねスタッフをしていた。それが半年ほど続いただろうか、パートナー(さんだー杉山さん)があかね当番を辞めて少しして自分も神経が持たなくなって、一旦辞めてしまった。さんだーさんの復帰とともに私も復帰したが、バイトを始めていたので、女装で店に出るというわけにもいかなくなってしまった。
 話がずれたが、半分ひきこもりに近かった私にとってあかねが人間関係のリハビリの場でもあったことを言いたかったのである。あかねにはこれからもそのようなことが可能な場であり続けてほしいと思っているし、自分もまたそこに関わっていければと思っている。

2005/05/18 音楽が救いであれば人生も過ぎ行くうちに生き易くなれ

 私は今日の日記で自分が軽い症例かもしれないと書いたが、神経症であることは確かだと思う。「精神病」でないとしても、こじれた神経症はそれはそれで厄介なものだ。なかなか治らない。
 性格の一部にさえなっていると思う。こうなると、取り除くのは難しい。
 友人知人がお金を出してくれて(「攝津基金」といってお金を振り込んでくれていたのである)、整体にも通ったことがあるが、整体で神経症を治すのもむずかしかった。カウンセリングよりは安く1回5、000円だったが、今度また行ってみようかとも思っている。整体にもカウンセリング的な要素があり、整体を受けながらいろいろお話しさせていただいたりもしていた。
 感情のぶれには薬も効かないからと医者にいわれたこともあるし、整体にまた通うのもまたひとつの選択かなと思っている。



2005/05/19 音楽も救いにならずピアノ捨て薬飲みつつ三十路迎える

 バイトを終えて帰ってきた。朝目ざめた瞬間は今日こそ抑鬱から解放されるのではという期待を一瞬抱いたが、終わってみれば今日もいつも通りの日常。残念なような、そうでないような。
 あかねにこころ系の短歌を沢山読んで持ってくる人がいるのだけれど、その人のことを少しだけ思い出した。分量が凄くて、内容もネガティヴ道を極めており、私は読んで驚いた覚えがあるが、今の私も同じようなことをしている。尤も、短歌の技術についてはかれのほうが上だろうが。
 アヤジーニャさんお勧めのsaigenjiのCD2枚が届いたので聴いてみるが、私には今ひとつ良さが分からない。音楽を味わう感受能力も退化してきたのだろうか。
 今日ピアノに向かっても、充実感は得られなかったし、5月21日(土)の誕生日は「ファンキー・シーズ」の練習会で迎えるものの、音楽の喜びに充たされてというわけにもいかないようである。
 本も読めない。自宅から徒歩10分のところにある船橋市北図書館で啄木、伯爵さまお勧めの短歌論(土屋文明著「新短歌入門」)、関組長お勧めの本2冊(『鴻上尚史のごあいさつ』と『ブッダに会ったらブッダを殺せ』)、遠山啓の数学教育論、民法・行政法の本、それにカフカの『城』を借りてきたのだが、またしても積ん読に終わりそうな予感。
 今日は『ごあいさつ』を読んだが、第三舞台の演劇を一度も観たことがないゆえ、今いちよく分からない。自殺念慮と偶然の関係について触れた箇所、別れについて触れた箇所などが少し印象に残る。
 『ブッダに〜』は読み始めたばかり。精神療法と悟りの関係のような内容の本らしい。分析哲学の方面の人(野矢茂樹)が訳していたが、訳者あとがきをみるとウィトゲンシュタインにひきつけて解釈しているようである。興味ぶかそうな、そうでもなさそうな。よくわからない。翻訳特有の文体がいらついて、頭に入ってこない。とはいえ先日借りたスガ秀実さんの本(『革命的な、あまりに革命的な』)も頭に入らなかったから、翻訳の問題とは違い、鬱により言語野の働きが阻害された結果かもしれない。鬱で一番やられるのが言語野だという。確かに、言語面での衰えが著しい。(まともな文章が)読めない、書けない。ジャンク化。
 毎日日記を書くことは回復につながるのだろうか。私は去年建築関係の自主メディアを立ち上げている人に日記を一日333円で売っていた。それもろくな内容ではなかったのだが、仕事をくださいという私のメールに対し、では日記を書くという仕事を与えるといわれて飛びついたものである。最初の提示額は2万円/月。嬉しさのあまり飛び上がって応じたが、直後に1万円に値切られた。さらに一日当たり333円の出来高払いになり、日記の内容がつまらなくなって、それも打ち切られた。
 その後は、偉人伝(アート・テイタム研究等)を書けばお金がもらえることになっていたが、そんな纏まったものを書く態勢にはなく、書きもので金銭をという目論見も脆くも崩れ去ろうとしつつ半年ほどが過ぎようとしている。

 日記売り凌ぎし日々も懐かしく思える今は我はジャンク化
 日記売る日々も終わりて今は壊れつつ生きても虚し我はフリーター

mixiで過去日記を限定公開しています。閲覧希望のかたは招待しますので、メールで連絡をください。

元気ですかー?