香山リカの本が不快(抑鬱を催させる)なのはどこかこちらの機制を見抜かれ分析されているかのような錯覚に陥るからでしょう。確かに私も香山がいうような不全感を抱えているからです。
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しかし、これだけは確実に言えます。
若者が抱える問題は、変わったのです。そしてそれを、従来の精神医学の概念やことばだけで説明し、治療することはむずかしくなりました。それどころか、精神医療の基本である「病」「異常」と「健康」「正常」の区別は、今やほとんど意味がなくなったのです。
そこをまず認めなければ、「生きづらい」「苦しい」と訴える若者の問題を理解することはできません。
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(p8-9)
と述べて香山が新たに提示する新しい「三つの柱」なるものが「満たされない私、傷つきやすい私」「いくつもの私、本当の私」「最後の砦としてのからだ」だというのだけれど…。
私にはどうも納得がいきません。大まかにいえば最初の柱は境界性人格障害(を薄めたようなもの)、二つ目の柱は解離性人格障害、三つ目の柱はリスカ、OD、自殺を扱ったものなのですが。
ただ香山が「精神科医が病人だけ見ていればいい時代は終わった」(p139)というのは確かにそうかもしれないと思いました。しかしそれに対する有効な処方箋はなく、認知療法の紹介でお茶を濁し、最終章でも「やはり、超越性のほうには行かずに、この現実の中であえぎながら問題に取り組んで行こうよ、と言いたいのです」といいながら、美や死(現実界)にも宗教的超越にも行かず、「人類の英知ともいえるキリスト教的な超越性とは無縁のところで、「死の次元」と隣りあわせのラカン的な超越的世界、現実界からの誘惑に抵抗しながら、苦しみとつき合って行くしかない。これは確かなのではないでしょうか。」と述べる辺りは出口なしと両手を挙げているようなものではないでしょうか。最後に「鴻上尚史のごあいさつ」に触れたあたりは出口なしの状況を端的に示していると思います。
「だましだまし「偶然」を生きる
演出家であり劇作家である鴻上尚史さんは、公演のために手書きの「ごあいさつ」文をコピーして観客に配ります。二〇〇四年の舞台『ハルシオン・デイズ』の際の「ごあいさつ」は、いつも穏やかな鴻上さんしか知らない私にとっては、衝撃的な内容でした。そこにはこんなことばが書いてあります。
「僕は今、四十歳代で、ここまで生き延びたのは、まったくの偶然だと思っています。二十歳までは、本当に二十歳になったら死のうと決めていました。根拠なんてありません。ただ、この世に、そんなに長く存在してはいけないと、バクゼンと思っていました。」
それ以後も、「二十五歳になったら」「三十歳になったらいくらなんでも」と鴻上さんの心から自殺衝動が消えることはありませんでした。『完全自殺マニュアル』(太田出版)に出会い、「自分が想像の中で、一度、死ぬことができ、そして生きてみようという気持ちになれ」てからはずいぶんラクになったと言いますが、それからも高層マンションに住まないようにする、など自殺衝動との戦いは続きます。四十歳代になって「ずいぶん落ち着いた」と言う鴻上さんですが、それでも「これも偶然かも」として味のある丸文字で書かれた「ごあいさつ」の中でこう続けるのです。
「偶然盛り上がる自殺衝動をとめるのは、ただひとつの必然を想像することだけかもしれないとも思います。それは、自分より先に偶然を選んでしまった存在のことです。その人のことを思った時に感じる絶望と悲しみの感覚だけは必然で、この必然が偶然をとめるんじゃないかと思うのです。」
とはいっても、その「偶然」はいつも心の中にわき起こったり外から降りかかってきたりするのに対し、「必然」はこちらが強く想像しなければ生まれない感覚です。いつもつきまとう「偶然」を追い払うために、力をふり絞って悲しみや絶望とともに「必然」を思い出すというのは、なんとたいへんで面倒くさいことなのでしょう。それよりも、超越的な次元に身をゆだね、何かの宗教を信じることにするか、それとも死を選ぶかするほうが、ずっとわかりやすく簡単だと思います。
しかし、何度も言うように、私たちの多くは宗教になじみがなく、また宗教そのものにも今は問題が多い教団もあることがわかっていますし、鴻上さんでさえそうであったように「じゃ、死という超越性に自分の苦しみごと回収されるしかないね」という結論とは、どうしても戦わなければならないのです。
フロイトは、人間には「死の本能」があると言い、その流れを汲むラカン派の学者たちも、先に紹介したような人間に内在する「死の欲動」の存在を認めています。しかし、だれもがいつかは死という絶対的な世界に回収されるのですから、それまでの間はせめて、「死」を身近に感じながらもそことは距離を置きながら──いつかは崩れることがわかっている家を、”つっぱり棒”でなんとかもたせているような感じですが──、寿命が尽きるまではせいいっぱい生きていこうとします。鴻上さんが自分をだましだまし四十代までたどり着いた間、彼の作るお芝居はたくさんの人に笑いと感動と勇気とそして「生きる力」を期せずして与えてくれました。
自分の苦しみが、そうやって思わぬところで他人を救済することもあるのです。「人を助けるために苦しい人生を生きているわけじゃない」と怒る人もいるでしょうが、そういう「偶然」が生まれるのも人生のおもしろさと言えると思います。カンディンスキーの見た絶対的美に圧倒されるばかりが、人生の意義ではありません。「心の穴」を抱えているからこそ出くわす「偶然」や「必然」を楽しみに、しばらくは前の章で紹介したような「認知のゆがみをなおすトレーニング」などを地道に行いながら、少しずつ気持ちを修正していくのも悪いことではないのではないか。私はそう思っています。」(p192-195)
これが香山リカの結論なのですが、私はどうにも納得がいきません。確か漱石の『行人』だったと思いますが、死ぬか、気が狂うか、宗教に入るか、しかない、みたいなことが言われていたと思います。香山リカが言っているのは死ぬのでも気が狂うのでも宗教に入るのでもなく、(「「認知のゆがみをなおすトレーニング」などを地道に行いながら」)日常を生きろということでしょう。結局それしかないのでしょうか。精神科医という専門家はそんなアドヴァイスしかしてくれないのでしょうか。だったら意味ないじゃないと私などは思ってしまいます。
なおこの本では「衝撃的」という形容詞が四回出てきます。一回目は「二〇〇三年十一月、大阪府で大学生が実の家族を殺傷する、という衝撃的なできごとが起きました。」二回目は「ところが近年になって、そうやって思い出されたトラウマが、どうも事実とは違う場合がある、といういわゆる「偽りの記憶症候群」についての衝撃的なレポートが相次ぎました。」三回目は、「『文藝春秋』二〇〇四年八月号がうつ病の小特集を組んでいましたが、「まじめでいい人ほどうつ病になりやすい」「周囲の理解と十分な休養が必要」といったおなじみの解説が並んだあとに、精神科医・林公一さんの「あなたは『擬態うつ病』だ」という衝撃的な論文が載っていました。」四回目が「二〇〇四年の舞台『ハルシオン・デイズ』の際の「ごあいさつ」は、いつも穏やかな鴻上さんしか知らない私にとっては、衝撃的な内容でした。」
「香山リカ問題」自分のなかで整理できていません。香山リカの一連の論考のなかで自己愛に関する部分については、痛いところを突かれたという気がしています。『就職がこわい』のなかの、いつくるともしれない呼び掛けを待ち続けている若者の話もそうですし、今日読んだ本のなかでは以下の部分がそうでした。
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しかも、この本がベストセラーになっていたのは、すでにバブルがはじけていたとはいえ、「私って特別な存在かも」と多くの若者が肥大した自己愛や根拠のない特権意識を持ち、一方で「それが社会で実現しなかったらどうしよう」という一抹の不安を抱えていた頃でした(それが悪い形で結実したのが、九五年に地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教です)。クリニックにも「私は女優になりたい」「本当は小説家になりたいんです」と自己愛的な願望をなかなか実現することができず、いらだつ若者が多く受診に来ていました。
そういう若者の多くは、本当に演技が好きなわけでも売れなくてもいいから小説を書きたいわけでもなく、ただ「特別なだれか」になりたいだけであることがほとんどなので、地道な努力や修行はほとんどせずに、ただ「どうしてなれないんだろう?」と思い続けるだけなのです。(p74-75)
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実際私も、ジャズピアニストになれればと一方で思いながら、一切練習をしないなど自己矛盾しています。香山の指摘に、私もそういう若者のひとりだとイタイ気持ちにならざるを得ません。
・まわりからどう見えるかは別として、本人はとにかくつらく苦しく悲しい。
・居場所がない感じ、心の中に大事なものが足りない感じが強いが、具体的にはそれが何かわからない。
・自分の価値に対して、極端に自信がない。
・強い罪悪感があり、自分はひどい目にあって当然、という思いがある一方、実際にひどい目にあうと、その相手に対して強い怒りを感じる。その怒りはいつまでも消えずに残る。
・自分を愛してくれる人、理解してくれる人がいないか、いても去ってしまうという孤独感、不安感にいつもおびえている。
・他人のことばに敏感で、やさしくされたと喜んだり、冷たくされたと落ち込んだりしがち。
・まわりの人に気をつかう気持ち、周囲に自分を合わせたい気持ちはひといちばい強く、それが逆に疲れやイライラの原因になっている。
・いつか何かの方法でこの苦しみが消えるのではないか、という期待や、なんとか自分を救ってくれる人をさがしたい、という願望はあり、それが裏切られてはいっそう失望してしまう。
・ときどき「消えてなくなりたい」「自分なんかいないほうがいい」という絶望感から、死にたくなってしまうことがある。
(p23-24)
なんだか全部あてはまってしまうのですが。どうしよう。