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夢目記


日記鯖システム管理者からのお知らせ

  • HTTPSに対応し、http://ds.sen-nin-do.nethttps://ds.sen-nin-do.net のどちらでも日記鯖にアクセスできるようになりました。 なお、当面はHTTPとHTTPSのどちらも利用可能としますが、将来的には http://ds.sen-nin-do.net へのアクセスは https://ds.sen-nin-do.net へ転送する予定です。
  • 都合により日記鯖のURLが http://ds.wa-mo.to/ から http://ds.sen-nin-do.net/ に変更となりました。 突然で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。(2019/01/27)
  • 日記鯖の仕様変更、不具合対応等については、こちらの記事もご覧ください。

元気です。

2005/07/01 赤飯

チラシ折りのバイトを終え帰宅後山下洋輔のCD(『プレイグラウンド』)を聴くもいまいちピンと来ず。月曜バイトを休んで坂田明ライヴに一緒に行くことになった、坂田明コミュの管理人タニケンさんと会い、坂田のCDを貸してぷーさん(http://www.lovemoka.net/poo/)等を借りる。今日は一日(ついたち)。家では母親が赤飯を炊いた。

一日(ついたち)の祝いに母が炊く赤飯を食して今日も終わっていくよ

体調メモ。昼頃まで抑鬱気味だったが今はそうでもない。食事の時に「怖くないぞー」と自己暗示を掛けて乗り切る。
仕事メモ。デス先生に引き続きこの世の果てカウンセリングルームの管理人男爵さま(ネットカウンセラー)からも相談の回答を得る。一年くらい現状のまま様子見が吉、転職は無謀とのこと。
爵位を持つ人に弱いダメ人間な私。

mixiをやめようかとも思うが、mixiをやめると友達も本当にいないし社会との接点も少なくなってしまう。(バイトとあかねだけに。)当面はmixiも続けようと思う。でも足あとが気になったり、弊害もあると思う。

今日の願い事。またピアノが弾けるようになりたい。良い文章が書きたい。解放されたい(何から?)。

2005/07/02 労働の喜びを知らない私

今日は仕事がお休み。昼まで寝て過ごし、今母親と近所のスーパー「てらお」に買い物に行って焼酎やらじゃがいもやらを買ってきたところです。
明日は市役所の試験です。どうなることやら。日大理工学部が試験会場なのですが場所が分からなくて父親に車で連れてってもらう予定です。
タニケンさんから借りたCD聴いています。ベニー・ゴルソンのはちょっとイマイチでした。今は菊地雅章のエディット・ピアフ集を聴いています。なんだかロマンティックな旋律ですが、ピアフの原曲をきちんと聴いたことがないので、よく分からないような気も。
抑鬱気分は中庸(?)。追い詰められてるというほどでもないけれど、将来に対する漠然とした不安が消えない、という感じでしょうか。
私はこれまでまともに労働したことがないんです。かつてのバイトも、今のバイトも、本当に軽いお仕事で、額に汗して働く世の中の皆さんには顔向けできないようなものなんです。
あかねに行っても私は料理を作れるわけでもなく、簡単な洗い物と伝票つけしかできないし、本当無能だなあ、適応障害だなあ、って思います。
あかねでやっていけなかったら、世の中のどこに行ったってやっていけないでしょう。そう思うとどうしていいか分からないです。もう履歴書を書くなんて二度としたくないっていうのが正直な気持ちです。できるものなら世の中から隠退して生きていきたいです。
でも両親は年を取るんです。衰えていきます。そしてそうなったら私は…。成長することができず親に頼りきりの私は独り立ちできず生きて行くこともできないでしょう。生活技術が何一つ身に付いていないのです。できるのは、寝ることと音楽を聴くことくらい。そんなんでもう三十路です。人生失敗したな〜って思います。それは「認知の歪み」じゃなくて「正確な真実の認識」だと思います。
「認知の歪み」はこんな「ゴミ」みたいな私を「宝物」のようにみなし扱ってくれる両親の側にあると思います。でもその誤解のお蔭で家から追い出されもせずのうのうと生きていけるのではありますが、、、

病気して労働の喜び知らぬ吾性格歪み正されもせず

スガ秀実さんが『JUNKの逆襲』のなかで、「労働のエートス」が崩壊しつつあるみたいなことをお書きでしたが、私にはそれはよく分かります。
でも私には、喰い潰せる金融資産なんてないんです。持ち家があるけれど多額のローンに脅かされ続けあと20年は支払い続けなければならない(そして恐らく支払い続けることはできない)状態です。
今の状態で行けるところまで行って後は生活保護という手も毎日考えていますが、それも惨めなような気がしています。そこまでして単なる「生存」を続ける意味があるのでしょうか。
といって自殺には自殺のコストが掛かり…。最後の手段としても何を選択しようもない行き詰まり状態です。

日記を書くうちに憂鬱になってきました。幾ら軽いバイトといっても、今2、000枚のチラシ折りをしており、それが終わるとまたポスティングが待っています。ポスティングだけはちょっと遠慮したいのだけれど拒否することもできずにいます。(選り好みしてるとクビになりそうで怖い。)
どこかの田舎に引っ込もうかとかいろいろ考えることはあるんですけれど…。
どうにも決断できずにいます。

2005/07/03 試験は当然のように玉砕に終わり。

市役所の試験終わりました。
玉砕でした。
理系の問題が一問も解けないのはまだしも、文系の問題も、解けたのはカントについて問われた問いだけで、後は歴史も地理も英語もまるでダメでした。
あと「判断推理」ってヤツもまた難しかったです。
こんなのできるわけないって感じで二時間を北習志野で過ごして帰ってきました。
市役所の職員になるのがこんなに難しいなんて思いもよりませんでした。
判断ミス。

試験開始を待つ間はジャンゴ・ラインハルトを、試験が終わって帰る時はモンクの60年代のビッグバンドアルバム「モンクス・ブルース」を聴きながらでした。

最初から諦めモードに入っていたからか挫折感もあまりないです。
でもこれからどうやってシノいでいこうかという問題は…。
会社受ける時も試験とかあるのかなーって思うと憂鬱です。
今入っている塾のバイトは事務(っていうより単純作業)なためか面接だけで試験はありませんでした。

試験を受けてみて、「教養試験」で理系の問題も多数出題されていたので、中学の時から理系科目が嫌いで捨てていた私などには解けるはずもないと思いました。
将来公務員で安定した生活をとか思ったら子どもの時から五教科どれも捨てずにしっかりやり、国立大学に入って入ってからも勉強し、ゼミに入って将来に備え…というくらいの準備をしておかなければいけないのかな〜と思いました。
私はまずもって大学に入れたのがまぐれ。大学院に入れたのも温情。
いい加減な場当たり人生をやってきたので、今この行き詰まり状況にいるのだと思います。

判断推理
http://homepage1.nifty.com/king-of-license/koumuin-suteki.html

試験終え緊張解けてでも落ちて行くところなくバイト続ける 試験行き「判断推理」に苦闘してお役所には勤められぬかも


菊地雅章(プーさん)のエディット・ピアフ集繰り返し聴いています。
山下洋輔「センチメンタル」には無い叙情、素晴らしいと思います。
タニケンさん、貸してくれてありがとう。
そして明日もよろしくね。
坂田明ライヴのためにお仕事を休むなんて、怠け者。
でもUAのライヴとかにも一回行ってみたいんですよね。
ライヴってほとんど行かない。
こないだタニケンさんに連れてってもらった花祭りでの坂田明ライヴが十年ぶりくらいではないかと思う。
高校時代は市川ジャズクラブというのに入っていていろいろライヴを聴きに行ったりしていたのだけど大学時代は生はピットインで山下洋輔を一回聴いただけ。
もっぱらCDで聴くばかりで。

高校時代、ライヴで聴いた思い出のなかでは、板橋文夫と本田竹曠が凄かったなあという印象。
勿論クリヤ・マコトさんも良かったです。
大学の頃聴いた山下洋輔も凄かった。
でもライヴ通いを習慣化しなかったのが後悔されるところ。
あと大学でもジャズ研に入ってれば良かった。
入学した頃行ったんですけど、何か入りがたい雰囲気で、ついに大学時代音楽とは縁がなく過ごすことになってしまいました。


CDが欲しい
けど我慢しなきゃ。給料日はまだまだ先。

Amazonで「1点在庫あり。ご注文はお早めに。」って表示されると焦るんだよね。なくなっちゃったらどうしよう、って思わずカートに入れちゃう。でも後悔して「今は買わない」をクリックする。その繰り返し。
図書館で本を予約するのはお金が掛からないからいいな。CDもお金が掛からずに聴けるようにならないかな。貧乏人の夢想。後、漫画も。CDに掛ける何万円ものお金があるのなら漫画を少々買うくらい節約すれば出来るはず。漫画からもご無沙汰しているけど、また読みたいな。
したいことはたくさんあるけど、どれもできないんだな。

買い物に行ってきます。

あれこれの欲望を今は自制して日々の日常凌いでいるよ

2005/07/05 漠然トシタ不安

漠然トシタ不安ニ囚ワレテ 日記ヲ書イタリ消シタリ 繰リ返シテイル
私の不安は必要な時に死ぬことができないんじゃないか、っていうことかな。要するに死にたいと言いつつ死ぬのが怖いというよくあるパターンだな。手首切るにも痛そうで怖くて出来ない。想像するだに怖いです。

吾が病いも詐病に思える何故ならば我儘一杯生きているから


一昨日の晩から調子悪い。リーゼ、ソラナックス、ドグマチールに加えコントミンを投入するも状況は改善されず。
考えが纏まらないので書いては消しした日記をアップすることにします。いつものことではあるが。何やってんだろ、自分。


一方では自分を始末しちまいたい自分がいる。他方、そんなことは怖くてできない。結局、元の生活をだらだら続ける。贅沢三昧我儘一杯の生活を変えたくないだけじゃないか。詐病じゃないのって自分でも思う。
これまでの失敗の数々を思い返すと堪えられなくなる。恥ずかしくて、惨めで。


昨日外出しながらも夢見ていたのですが、私は相当に反社会的動機を持ち合わせているようです。普段は意識しないか隠していますが、今のこの社会そのものに敵対したい気持ちがかなりあるようです。いつの日か両親が亡くなって私一人になってそれでもまだ生きていたら、戦えるだけ戦って死んでやろうと思います。でも私の器量では、大事件も起こせないでしょうけど。

なんだか最近自分が詐病じゃないかっていう気がします。
贅沢三昧我儘一杯の今の生活を変えたくないだけじゃないか、って。
水が低きに流れるように現状維持に流れて、それでそのままなんじゃないかって、そう思うんです。
昨日も外出して、ずっと自分は「社会人」になんかなるものか社会に適応なんかするものか、って思っていました。
将来のことを思い描くのですが、絶対働かないぞ、とか、そんな気持ちになってきて。
死んでも働かないぞ、とか、死ぬまで抵抗するぞ、とか。
履歴書なんて書くものか、とか、いろいろと思っていました。

この社会に適応なんかするものか、っていうのは十代の頃から思っていました。
普通、そこから成熟して社会人になったりするのが普通のコースなのでしょうが、私は進歩がありませんでした。

でも結局全部強がりに過ぎないんですけれどもね。


ナンダカ訳ワカンナイ デスヨネ ゴメンナサイ(恥

バイト先でモンクを聴きながら、単純作業。
バイトから帰ってきました。
バイト先ではCD-R作りやチラシ折りなどの単純作業をしながらモンクを掛けていました。
(コントミンを飲んだせいか体がだるくて、眠くて仕方なかった。)
公式には最初の録音ではないかと思われるブルーノート盤から公式には最後の録音ではないかと思われる72年の『サムシング・イン・ブルー』まで、モンクって変わらないなあと思いました。
(若い時のほうがやっぱり元気かな。それと、やはりアート・ブレイキーとすごく相性がいい。)
あまり聴かない『アローン・イン・サンフランシスコ』や大ファンの『モンクス・ドリーム』も掛けました。
今は帰宅してコルトレーンの『マイ・フェイヴァリット・シングス』を聴いています。
インパルス時代のコルトレーンに入門したいと思っています。
電化マイルスの次はフリーのトレーンに入門。
『東京大学のアルバート・アイラー』にも目を通した(読んだ、と言えるほどの理解レヴェルではありません)ところでもあるし、ジャズの本流に挑戦してみたいと思うようになりました。
とはいえインパルスの盤ってアマゾンで見るとほとんど無いのですが、もしかして廃盤になってしまったのでしょうか?
タワー・レコードなど大きなCD屋さんに行けば手に入るのでしょうか?

深刻めいた日記の後におバカな音楽日記なんて私も二重人格だな。ってなわけじゃなくて、いつも昼より夜のほうが少し具合が良いのです。
それで晩の日記は「事務的」になりお昼頃の日記は深刻風になっちゃうのかな。

おバカな音楽日記だけど、悩みが消えたワケでもないです。モンクみたいなピアニストになれない、って思うと悲しいです。ほんと、「モンクになりたい」。でも常人にはムリですね。



2005/07/06 こころ系の本

さんだーさんからこころ系の本を何冊か送っていただく。
早速何冊かに目を通してみた。
(精読ということができなくて、ざっと目を通すというくらいのことしかできないのだが。)

香山リカ『生きづらい<私>たち 心に穴があいている』(講談社現代新書)は、南条あやhttp://www.nanjouaya.com/hogoshitsu/、擬態うつ病http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/gitaiqa1.html、「鴻上尚史のごあいさつ」等々に触れながら、従来の精神医学の枠組みでは捉えきれなくなった現代の若者たちの病理を語る。
私は基本的に若者論というのは信用していないんだが、この本で挙げられている特徴というのは私にもかなり当て嵌まるようで、私の呈している症状というのも、現代によくありがちな凡庸なものかもしれないという感慨を持った。
とはいえ、この本を読んでも、回復への見通しが開けるわけでもなく、認知療法の薄い奨励があるくらい。

大原広軌著、藤臣柊子マンガ『精神科に行こう!』(文春文庫 PLUS)では、ソラナックスで劇的に症状が改善した体験談が挙げられているけれど、私もソラナックスを飲んでいるが全く効いている感じがしない。それは私の場合「病気」ではないからなのか。

その他いろいろ、笹野みちるの本や『美術手帖』追悼フランシス・ベーコンなどを送っていただきましたがそれらはまだ読めていません。
何はともあれ、ありがとうございました。

2005/07/07 香山リカの本

香山リカの本が不快(抑鬱を催させる)なのはどこかこちらの機制を見抜かれ分析されているかのような錯覚に陥るからでしょう。確かに私も香山がいうような不全感を抱えているからです。

+++++
 しかし、これだけは確実に言えます。
 若者が抱える問題は、変わったのです。そしてそれを、従来の精神医学の概念やことばだけで説明し、治療することはむずかしくなりました。それどころか、精神医療の基本である「病」「異常」と「健康」「正常」の区別は、今やほとんど意味がなくなったのです。
 そこをまず認めなければ、「生きづらい」「苦しい」と訴える若者の問題を理解することはできません。
+++++
(p8-9)

と述べて香山が新たに提示する新しい「三つの柱」なるものが「満たされない私、傷つきやすい私」「いくつもの私、本当の私」「最後の砦としてのからだ」だというのだけれど…。
私にはどうも納得がいきません。大まかにいえば最初の柱は境界性人格障害(を薄めたようなもの)、二つ目の柱は解離性人格障害、三つ目の柱はリスカ、OD、自殺を扱ったものなのですが。

ただ香山が「精神科医が病人だけ見ていればいい時代は終わった」(p139)というのは確かにそうかもしれないと思いました。しかしそれに対する有効な処方箋はなく、認知療法の紹介でお茶を濁し、最終章でも「やはり、超越性のほうには行かずに、この現実の中であえぎながら問題に取り組んで行こうよ、と言いたいのです」といいながら、美や死(現実界)にも宗教的超越にも行かず、「人類の英知ともいえるキリスト教的な超越性とは無縁のところで、「死の次元」と隣りあわせのラカン的な超越的世界、現実界からの誘惑に抵抗しながら、苦しみとつき合って行くしかない。これは確かなのではないでしょうか。」と述べる辺りは出口なしと両手を挙げているようなものではないでしょうか。最後に「鴻上尚史のごあいさつ」に触れたあたりは出口なしの状況を端的に示していると思います。

「だましだまし「偶然」を生きる
 演出家であり劇作家である鴻上尚史さんは、公演のために手書きの「ごあいさつ」文をコピーして観客に配ります。二〇〇四年の舞台『ハルシオン・デイズ』の際の「ごあいさつ」は、いつも穏やかな鴻上さんしか知らない私にとっては、衝撃的な内容でした。そこにはこんなことばが書いてあります。
 「僕は今、四十歳代で、ここまで生き延びたのは、まったくの偶然だと思っています。二十歳までは、本当に二十歳になったら死のうと決めていました。根拠なんてありません。ただ、この世に、そんなに長く存在してはいけないと、バクゼンと思っていました。」
 それ以後も、「二十五歳になったら」「三十歳になったらいくらなんでも」と鴻上さんの心から自殺衝動が消えることはありませんでした。『完全自殺マニュアル』(太田出版)に出会い、「自分が想像の中で、一度、死ぬことができ、そして生きてみようという気持ちになれ」てからはずいぶんラクになったと言いますが、それからも高層マンションに住まないようにする、など自殺衝動との戦いは続きます。四十歳代になって「ずいぶん落ち着いた」と言う鴻上さんですが、それでも「これも偶然かも」として味のある丸文字で書かれた「ごあいさつ」の中でこう続けるのです。
 「偶然盛り上がる自殺衝動をとめるのは、ただひとつの必然を想像することだけかもしれないとも思います。それは、自分より先に偶然を選んでしまった存在のことです。その人のことを思った時に感じる絶望と悲しみの感覚だけは必然で、この必然が偶然をとめるんじゃないかと思うのです。」
 とはいっても、その「偶然」はいつも心の中にわき起こったり外から降りかかってきたりするのに対し、「必然」はこちらが強く想像しなければ生まれない感覚です。いつもつきまとう「偶然」を追い払うために、力をふり絞って悲しみや絶望とともに「必然」を思い出すというのは、なんとたいへんで面倒くさいことなのでしょう。それよりも、超越的な次元に身をゆだね、何かの宗教を信じることにするか、それとも死を選ぶかするほうが、ずっとわかりやすく簡単だと思います。
 しかし、何度も言うように、私たちの多くは宗教になじみがなく、また宗教そのものにも今は問題が多い教団もあることがわかっていますし、鴻上さんでさえそうであったように「じゃ、死という超越性に自分の苦しみごと回収されるしかないね」という結論とは、どうしても戦わなければならないのです。
 フロイトは、人間には「死の本能」があると言い、その流れを汲むラカン派の学者たちも、先に紹介したような人間に内在する「死の欲動」の存在を認めています。しかし、だれもがいつかは死という絶対的な世界に回収されるのですから、それまでの間はせめて、「死」を身近に感じながらもそことは距離を置きながら──いつかは崩れることがわかっている家を、”つっぱり棒”でなんとかもたせているような感じですが──、寿命が尽きるまではせいいっぱい生きていこうとします。鴻上さんが自分をだましだまし四十代までたどり着いた間、彼の作るお芝居はたくさんの人に笑いと感動と勇気とそして「生きる力」を期せずして与えてくれました。
 自分の苦しみが、そうやって思わぬところで他人を救済することもあるのです。「人を助けるために苦しい人生を生きているわけじゃない」と怒る人もいるでしょうが、そういう「偶然」が生まれるのも人生のおもしろさと言えると思います。カンディンスキーの見た絶対的美に圧倒されるばかりが、人生の意義ではありません。「心の穴」を抱えているからこそ出くわす「偶然」や「必然」を楽しみに、しばらくは前の章で紹介したような「認知のゆがみをなおすトレーニング」などを地道に行いながら、少しずつ気持ちを修正していくのも悪いことではないのではないか。私はそう思っています。」(p192-195)

これが香山リカの結論なのですが、私はどうにも納得がいきません。確か漱石の『行人』だったと思いますが、死ぬか、気が狂うか、宗教に入るか、しかない、みたいなことが言われていたと思います。香山リカが言っているのは死ぬのでも気が狂うのでも宗教に入るのでもなく、(「「認知のゆがみをなおすトレーニング」などを地道に行いながら」)日常を生きろということでしょう。結局それしかないのでしょうか。精神科医という専門家はそんなアドヴァイスしかしてくれないのでしょうか。だったら意味ないじゃないと私などは思ってしまいます。

なおこの本では「衝撃的」という形容詞が四回出てきます。一回目は「二〇〇三年十一月、大阪府で大学生が実の家族を殺傷する、という衝撃的なできごとが起きました。」二回目は「ところが近年になって、そうやって思い出されたトラウマが、どうも事実とは違う場合がある、といういわゆる「偽りの記憶症候群」についての衝撃的なレポートが相次ぎました。」三回目は、「『文藝春秋』二〇〇四年八月号がうつ病の小特集を組んでいましたが、「まじめでいい人ほどうつ病になりやすい」「周囲の理解と十分な休養が必要」といったおなじみの解説が並んだあとに、精神科医・林公一さんの「あなたは『擬態うつ病』だ」という衝撃的な論文が載っていました。」四回目が「二〇〇四年の舞台『ハルシオン・デイズ』の際の「ごあいさつ」は、いつも穏やかな鴻上さんしか知らない私にとっては、衝撃的な内容でした。」

私がどうして香山リカに不満があるのか、うまく説明できていませんね。香山リカの本を読むたびに、この世俗を、この日常を生きろというメッセージを発せられているように思い、それが不満なのですね。精神科医としてはそう発言するしかないのかもしれませんが、私は日常性の次元にしか解決がないとは思いたくないのです。

讃えられてあれ、誰でもないものよ。
あなたのためにわたしたちは
花咲こうと思うのだ。
あなたに
向って。

一つの無
であった
わたしたちは。今わたしたちは無であり、これからも
無でありつづけるだろう、花咲きながら、──
無の─、だれでもないもののばら。

(パウル・ツェラン「讃歌」生野幸吉『闇の子午線』岩波書店より)

もう一箇所「衝撃的」という形容がありました。「このまま増加が続けば、もうまもなく「働く人の三人に一人はフリーター」という時代がやって来て、十年あとには「正社員よりフリーターのほうが多い」という事態にさえなりかねない、という衝撃的な調査結果も出ています。」自分がフリーターだからこそこの記述を見落とした視野暗転化現象かしら。

「香山リカ問題」自分のなかで整理できていません。香山リカの一連の論考のなかで自己愛に関する部分については、痛いところを突かれたという気がしています。『就職がこわい』のなかの、いつくるともしれない呼び掛けを待ち続けている若者の話もそうですし、今日読んだ本のなかでは以下の部分がそうでした。
_____
しかも、この本がベストセラーになっていたのは、すでにバブルがはじけていたとはいえ、「私って特別な存在かも」と多くの若者が肥大した自己愛や根拠のない特権意識を持ち、一方で「それが社会で実現しなかったらどうしよう」という一抹の不安を抱えていた頃でした(それが悪い形で結実したのが、九五年に地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教です)。クリニックにも「私は女優になりたい」「本当は小説家になりたいんです」と自己愛的な願望をなかなか実現することができず、いらだつ若者が多く受診に来ていました。
そういう若者の多くは、本当に演技が好きなわけでも売れなくてもいいから小説を書きたいわけでもなく、ただ「特別なだれか」になりたいだけであることがほとんどなので、地道な努力や修行はほとんどせずに、ただ「どうしてなれないんだろう?」と思い続けるだけなのです。(p74-75)
_____
実際私も、ジャズピアニストになれればと一方で思いながら、一切練習をしないなど自己矛盾しています。香山の指摘に、私もそういう若者のひとりだとイタイ気持ちにならざるを得ません。

・まわりからどう見えるかは別として、本人はとにかくつらく苦しく悲しい。
・居場所がない感じ、心の中に大事なものが足りない感じが強いが、具体的にはそれが何かわからない。
・自分の価値に対して、極端に自信がない。
・強い罪悪感があり、自分はひどい目にあって当然、という思いがある一方、実際にひどい目にあうと、その相手に対して強い怒りを感じる。その怒りはいつまでも消えずに残る。
・自分を愛してくれる人、理解してくれる人がいないか、いても去ってしまうという孤独感、不安感にいつもおびえている。
・他人のことばに敏感で、やさしくされたと喜んだり、冷たくされたと落ち込んだりしがち。
・まわりの人に気をつかう気持ち、周囲に自分を合わせたい気持ちはひといちばい強く、それが逆に疲れやイライラの原因になっている。
・いつか何かの方法でこの苦しみが消えるのではないか、という期待や、なんとか自分を救ってくれる人をさがしたい、という願望はあり、それが裏切られてはいっそう失望してしまう。
・ときどき「消えてなくなりたい」「自分なんかいないほうがいい」という絶望感から、死にたくなってしまうことがある。
(p23-24)

なんだか全部あてはまってしまうのですが。どうしよう。

2005/07/08 やった! 8万円を突破!/ロンドンの事件

今日は日中から鬱がひどくて、薬を飲んでも治らないが、仕事中眠くなるのでコントミンの投入は控えて、まず図書館に。飼育係さんがシナリオを書いている『稲生モノノケ大全〈陽之巻〉』(毎日新聞社刊)を借りてくる。そのまま仕事場へ。
今日は「Art Tatum Live, Vol. 1 1934-1944」「PACHA MAMA」「ギル・エヴァンスの個性と発展」「STUDY IN BROWN」をBGMにする。テイタム以外は聴いていて快楽を覚えない。名演名盤といわれるCDであっても相性というのはあるものだ。
今日の仕事はチラシ折り(これが単調で苦痛)とCD-R作り。なんとなく体調がよくなくて途中で帰ろうかと何度も思うが、どうにか凌いで4時間を過ごす。帰りに自分のタイムカードを見ると給与明細が挟んであって、ふと手にしてみると、先月分の給料81,000円だった。ポスティングの対価込みだからであるが、この塾に勤めて一年以上、初めて月収8万円を突破した。この程度の月給であれば生活はしていけないのは自明ではあるが、やはり少々嬉しい。帰宅して給与明細を両親に渡す。

タニケンさんと会い、マイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」とスティーヴ・レイシー「リフレクションズ」「サンズ」「森と動物園」「ウィ・シー」「ザ・ストレイト・ホーン・オブ・スティーヴ・レイシー」「ソプラノ・サックス」「パリス・ブルース」を貸し、マイルスの「アガルタ」とコルトレーンの「ライヴ・イン・ジャパン」を借りる。タニケンさんと車でレンタルCD屋までドライヴ。車中で菊地成孔を掛ける。UAの歌声が響き渡る。素晴らしいと思う。

ロンドンで同時多発爆破事件が起きたことを知る。詳細は不明だが、日本もイラクに軍隊を送っていることだし、他人事でないのではないかと心配になる。反戦運動・平和運動の関係のサイトやMLをチェックしてみるが、まだロンドンの事件についてのコメントや何らかの行動の提起などはない模様。左翼運動(?)を再開できればと少し思う。

ファンキー・シーズを視聴しながら、チラシ折り。
今日も塾のバイトです。上司が芸音ファンキー・シーズのヴィデオを持ってこいと言うので持参して、私と上司と不登校の女の子バイトNさんと一緒にそれをテレビデオで視聴しながらチラシ折りの作業をしました。
Nさんはジャズが聴きたいがどのCDが良いか分からないと言っていたので何枚かチョイスして月曜に貸すことにしました。(Nさんは月曜日と金曜日に塾に働きに来るのです。)
今日は小論文指導の仕事と老人相手の音楽(童謡を弾く等)の仕事を上司から新たに言いつかりました。実際にすることになるかどうかは不明ですが、どうなるのでしょうか。
また来週からポスティング2,000枚が待っています。これもお金のためと割り切って頑張ろうと思います。

塾内でバンドのヴィデオ流しつつ今日も仕事に励んでいたよ

今日も昼頃具合が悪くて起き上がれなかったのですが、薬も効かず、本当に困ります。症状は憂鬱になり胸の奥や右肩が痛くなるというものです。自分自身で便宜上ヒステリーとか鬱病とか呼んでいますが、実際は違うのでしょう。公式の(?)診断は不安神経症ですが、それとも違う気がします。境界例? それとも違う気がします。香山リカが分析していたような、病気であるともないともつかない、曖昧な形態を自分も呈しているのかもしれません。
でも仕事帰りはいつもハッピーです。解放感があります。今はタニケンさんから借りたマイルスの『アガルタ』を聴いています。

2005/07/10 バンドにも参加したけど落ち込んで認知療法適用できず

朝から抑鬱がひどく、起き上がれない。薬を飲むも改善されず。ようやくに3時頃、食事を摂ることができた。軽く入浴し、図書館に行って認知療法の本を借りてきた。母親とその後買い物。
今日はファンキー・シーズの練習日であるが、抑鬱のためにピアノに向かうのが苦痛でならない。拷問のような3時間を過ごして自室に退散する。
認知療法の本を読んでみるが、自分には合わないとしか考えられない。これこそが認知の歪みなのかもしれないが、自分自身に適用するのは無理だと感じた。

元気ですかー?