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夢目記


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2007/02/22 まるごと☆リンダちゃん #30


転送・転載歓迎

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 まるごと☆リンダちゃん #30
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■ご挨拶
こんにちは。攝津正 Tadashi SETTSU a.k.a. Lindaです。風
邪と花粉症のダブルパンチに苦しむ日々を送っていますが、今
日は、福岡から小野さんの力強い論考をお届けします。雑誌に
掲載された後には配信しますが、私も同じテーマで『アナキズ
ム』誌に長い論考を執筆し、今編集部で校正しています。非正
規・不安定化する労働と生というテーマは、政治的たらんとす
る全ての者が向き合わねばならないもののようです。

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■「力関係」についての雑感

小野俊彦(フリーターユニオン福岡)


「力関係」…それは労働組合関係者の口から、あるいはより一
般的に言って「権力」と向き合ってきた人々の口からよく聞か
れる言葉である。この言葉の意味をえぐってみたい。

僕たちが知っている「法」というものは基本的にブルジョア法
である。ブルジョア法は「財産を所有する/所有できる主体」
「複数の主体間の対等性」というウソッパチに依拠している。
そこには集団的・協働的労働によって世界ははじめて豊かにな
りうるという思想などないし、ましてや、ある集団が力によっ
て別の集団を抑圧し、搾取しているという前提など全くない。
そこには「力」をめぐる認識がない。後述するように実際には
国家暴力が背後に控えていることが隠蔽されているだけだ。

「持てるもの」と「持たざるもの」、「働くもの」と「働かざ
るもの(働いているフリをしているもの)」との不平等性、そ
れ故に生じる両者の対立(階級対立)を歴史の原動力としたマ
ルクスの天才的直感は本質的な部分でいまでも有効だ。このマ
ルクスの考えは、深いレベルで現実をえぐってはじめて得られ
る世界観であるから、僕たちが自分の貧しい直感だけで「自分
は労働者(プロレタリアート)とは言えないから…」などと断
定するのは無意味であり、非歴史的なナンセンスである。まし
てや「労働者であるかどうか」を差別的な扱いの指標にするよ
うな「本工労働者主義」は最悪の誤りである。「労働者」とは
、ある定義を満たす個人個人の集合ではない。それは歴史的な
力関係の中である場を占める集団の名前である。その意味では
「プレカリアート」なり「マルチチュード」なりという名称が
、変容する歴史的な力とともにある集団を捉え直そうとして新
たに発明されていることは重要である。「納税者」「有権者」
などという「非歴史的」な自己規定には大した力はない。「納
税者」とは、経営者から労働力を搾取され、さらに国家から税
金を略奪される労働者である、と認識してはじめて僕たちは「
力にまみれた自己認識」とともに歴史的次元に立てる。

所詮貧しい労働者でも、たまたま株を持っている(したがって
資本の側に一時的に参加している)ことなどもあるかもしれな
い、「雇用契約」ではなく「請負契約」で生計を立てている(
フリーランスなど)ということもあるかもしれない。しかし、
そんなブルジョア社会の表層を越えて、深い次元で歴史を動か
している力を感じ取り、そしてその歴史的な力のレベルで「自
分は何ものなのか」を理論的に考えるべきだ。その時に僕たち
に理論的な力がなければ、実際にはどんなに貧しい労働者であ
っても、単なるブルジョア社会の一員として自分のことを認識
させられてしまい、「頑張れば報われる」が、「頑張らなけれ
ば飢え死にしても自己責任」というような「自明/アタリマエ
」に通用しているイデオロギーに足下をすくわれる。逆に言え
ば理論的な力によって現実をえぐることができれば、会社の経
営者であっても、このブルジョア社会を変えることに歩みを進
める可能性はある。そういう意味で「理論的であること」をバ
カにしてはいけない。

この「自己規定」をめぐる論点は、発展しつつあるフリーター
労働運動にとって極めて本質的である。「フリーター」とは何
ものなのか。やはり歴史的に深いレベルで把握すれば「労働者
」であるし、本来全ての労働者は分断されるべきではないが、
僕たちは、(リクルートが発明したという)マーケット言語・
行政言語として押し付けられつつあるこの「フリーター」とい
う言葉の意味を、自分たちの側(すなわち労働者の側)に奪い
返すたたかいを担っているのだ。僕自身が「プレカリアート」
という言葉を積極的に使わないのは、そういう言葉の力関係の
土俵に敢えて乗ってたたかいたいからだ。また、「請負」的な
契約関係が「雇用」を凌駕しつつあり、いわゆる「一人親方」
であることがネオリベ的なキャリアモデルとしてもてはやされ
ている現状に対しても、実際には端的に不安定な労働・生存状
況にある多くの者(フリーランス的労働者を含む)が、資本制
に抗ってたたかうための歴史的な自己規定を獲得することが枢
要である。しかし単に集団的アイデンティティを増殖させてい
くことは、かえって資本主義・消費社会ないし福祉国家的構造
に回収される危険性と裏腹であると思うので、やはり歴史的な
力の場を見逃さないことが大事なのだ。

あらゆるところに、そもそも「力の関係」があるのだ。私たち
が立っているのはそういう形のない場所なのだ。例えば「(売
る)立場」と「(買う)立場」の理論的な関係を強調する柄谷
行人の理論体系に何かが欠けていると感じられるとすれば、「
階級闘争」したがって「力の関係」に対するセンスかもしれな
い。もっと必要なのはアジビラのような力にまみれた文書なの
だ。

ところで「雇用契約」というのは民法、したがってブルジョア
的な法に基づく契約関係である。契約は本来的に二者間の合意
があればその内容は自由である。しかしそのような「自由」「
対等」のウソッパチを攻撃し続けた階級闘争の力にまみれた成
果が、労働者に団結権を与え、あるいは労働組合法その他の労
働諸法をもたらした。アルチュセールはこのことを、ブルジョ
ア的な国家に対して階級闘争がそれらを「押し付けた」のだ、
という力にまみれた言い方で表現している。この階級闘争がブ
ルジョア国家に押し付けた諸制度を使い倒し、労働協約を結べ
ば、僕たちはそれこそどんな労働条件でも獲得できる。労働者
と会社・経営者との「力関係」によって、ブルジョア法の欺瞞
を暴く手段が僕らにはまだ残っているのだ。いま政府レベルで
進んでいる労働契約法制の改悪審議は、そのような手段を労働
者から奪おうとするものに他ならない。それはフランス革命の
頃から醜い素顔をチラチラと見せ続けるのブルジョアの本能に
「自由」を保証しようとしている。団結権を否定して事業主に
契約の自由を与えるという、実際にフランス革命後に制定され
た「ル・シャプリエ法」と同様の発想が、現在の日本の労働契
約法制審議にも貫かれているのだ。いまでもすでに、労働者と
の力関係、労働者と向き合うことを恐れる経営者が、団体交渉
などから逃げ続け、労働裁判所などでもノラリクラリとやって
おけば、最終的にはブルジョア国家の諸制度や法律は経営者を
保護するだろう。そもそも民法が「対等性」や「自由」に依拠
しているフリをできるのは、その背後に刑法という国家暴力が
控えているからである(この点もアルチュセールが明確に指摘
している〜『再生産について』)。契約という約束を守らなけ
れば処罰される。警察はいつでもどこでもやってくる。そして
刑法を含む国家暴力が、あくまでも最終的にはブルジョアのウ
ソッパチを守るために機能することは言うまでもない。その意
味では「民主主義」というさしあたりブルジョア的な理念のた
めにイラク侵略が行われたことに何の驚くべき要素もないのだ


そのようなウソッパッチの次元で話が進むことを拒否する労働
者が勇気を出して経営者と向かい合い、力関係を築き上げれば
、その力関係はいつかはブルジョア法を、したがってブルジョ
ア国家を凌駕するはずなのだ!「力関係」とは歴史を動かす階
級闘争のことだ。労働組合関係者であっても、もはや自分たち
のやっている誇るべき闘いを、そういうレベルで認識している
人は極めて少ないが、これはなぜ既存の大手労働組合が国家を
補完する存在に成り下がってしまったのかを考えるとき、重要
な問題である。組合員に対する処分を避ける事なかれ主義のた
めに日の丸・君が代の強制に抵抗の一つもしないで、教育基本
法改悪直前になってアリバイ的に「緊急事態」を宣言する愚劣
な日教組が、右翼的な人間から「日本の教育の左翼偏向」の根
源として攻撃されているという余りにも馬鹿げた構図など、全
く見ていられない!…このような話になると、「共産党」とい
う「歴史的階級政党」の存在の是非をどう考えるかという議論
にもなるが、その話はいまは置いておこう。

小さな小さな「力関係」を切り開き、一人の労働者が会社と向
き合うことがいかに困難なことであるかを見つめつつ、僕たち
はあくまでも深い歴史認識と展望を抱き続けなければならない
。そして歴史的な力関係を継続的にブルジョア社会に対して「
押し付け」続けなければならない。

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■批評

スタン・ゲッツ『アーリー・オータム』
ゲッツのサックスがいいと初めて感じた。粋な即興が楽しめる


ビル・エヴァンス『サンディ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガ
ード』
定番中の定番。スコット・ラファロとのインタープレイの妙が
素晴らしい。

高瀬アキ『セント・ルイス・ブルース』
高度な批評精神とセンスがある。タイトル曲の代表的名演は、
作曲者ハンディも涙したという、ルイ・アームストロングのも
のだが、高瀬アキの演奏もそれに劣らぬ出来。

チャーリー・パーカー『ノーマン・グランツ・ジャム・セッシ
ョン』
バードが登場すると、短い間であれ、「空気」が変わる。彼の
吹奏だけ突出して過激なのだ。それが颯爽として格好良い。ま
た、オスカー・ピーターソンのピアノも錚々たる面々に引けを
取らず躍動している。

テディ・ウィルソン『Mr.ウィルソン』
私はテディ・ウィルソンの洗練されたピアニズムはちと苦手。
何回も聴き返しているが、どうもすっと入ってこない。

クリフォード・ブラウン『ジャム・セッション』
ブラウニーはじめ参加者皆が素晴らしい。ジャズの精髄のよう
な演奏。

ソニー・ロリンズ『コンテンポラリー・リーダーズ』
ロリンズのユーモア溢れる吹奏を楽しめる。コルトレーンのよ
うな真面目人間と違い、ロリンズには遊び心がある。それを随
所に感じ取れる。

『チャーリー・パーカーの伝説』
よくできたドキュメンタリー。バードの生涯と音楽への簡単な
案内。

土屋豊監督・雨宮処凛主演『新しい神様』
右翼であれ左翼であれ、「政治的」主張を持つ者らは今の日本
社会では少数派たらざるを得ないのではないか、ということを
考えた。それと単純に、画面の中の雨宮さんが魅力的だ。この
映画は青春映画であり、恋愛映画でもある。政治活動から、映
画制作から愛が芽生える現場を記録したのがこの作品なのだ。

私はこの映画を観て、雨宮さんが「プレカリアート」という言
葉に共感し触発されて右翼から左翼に転向したことに疑問を抱
いた。雨宮さんは右翼のままのほうが生き生きしていたのでは
ないか? この映画の中の雨宮さんは、自分が依存できる偉大
な存在(天皇など)を希求するが、ダメな自分と向き合わざる
を得ず苦闘している。その若々しい、そして青臭い苦闘こそが
価値があると感じる。左翼になった雨宮さんはどこか、「正義
」を代弁しているように思う。その身振りに無理があるように
もみえる。

雨宮さんにとっては迷惑な話かもしれないが、私は雨宮さんが
私自身の分身(ダブル)のように感じた。似たテーマでものを
書き、キャラもかぶっている雨宮さんと私は、路線が似ている
にも関わらず、一方は売れっ子、他方はまるで売れないという
対照を見せている。ライプニッツ流にいえば、それぞれの述語
が主語に含まれているのだ。そこから、最低のものも肯定する
ということ、運命愛というテーマが導き出される。まるで売れ
ず、冴えないダメな私の取り替え不可能な特異性を肯定するこ
とはどのようにして可能か。私と私自身が表現しているひとつ
の世界の存在を信じることはどのようにして可能か。無神論者
の信仰=この世界があるということの信仰の問いが生じる。そ
れは存在のみならず、価値に関わっている。私が私として生き
、表現し、活動しているその当の世界は在るに値するものなの
か、という問いが含まれているのだ。

このテーマに関して、私には10年以上前から基本的な直観、中
世の神学者らが論じた「至福直観」に近いものがある。私が生
きる世界はクズのようで最低最悪だが、しかしその世界をこそ
肯定の対象にしなければならない、というもので、ヘラクレイ
トスからニーチェ、ヘンリー・ミラーから中上健次に至る(反
)哲学や文学の系譜に属する至上命令だ。それは幻視 Vision
に近い神秘的で宗教的?な直観である。神も(普遍的)人間も
信じぬ不信仰者が、最低最悪のもの、特異性を肯定することで
、一般的哲学の伝統に叛旗を翻すのだ。主流の哲学は、一者、
普遍、神を肯定し讃える。しかし私は、最も特異なものをこそ
肯定する。多数多様をこそ直観する。多としての多を思考し実
践する(想像/創造する)ということは、優れて現代的な課題
だと思う。

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■今日のお言葉

Il suffit que nous nous dissipions un peu, que nous
sachions etre a la surface, que nous tendions notre peau
comme un tambour, pour que la grande politique commence.
Une case vide qui n'est pour l'homme ni pour Dieu ; des
singularites qui ne sont ni du general ni de l'individuel,
ni personnelles ni universelles ; tout cela traverse par
des circulations, des echos, des evenements qui font plus
de sens et de liberte, l'effectivites que l'homme n'en a
jamais reve, ni Dieu concu. Faire circuler la case vide,
et faire parler les singularites pre-individuelles et non
personnelles, bref produire le sens, est la tache
aujourd'hui.

Gilles Deleuze, Logique du sens, les editions de Minuit.


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まるごと☆リンダちゃん
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