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夢目記


日記鯖システム管理者からのお知らせ

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  • 日記鯖の仕様変更、不具合対応等については、こちらの記事もご覧ください。

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2007/06/21 まるごと☆リンダちゃん #46

転送・転載歓迎

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 まるごと☆リンダちゃん #46
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■ご挨拶

 梅雨入りと聞いてますが、雨は降らず、暑い毎日。こんな時
は、サイダーに林檎酢を混ぜて飲むと、冷たくて美味しいです
よ。
 電車の中でドゥルーズの哲学について考えて、後どのくらい
生が残されているのか分かりませんが、一生を掛けて読んでも
彼の主要著作、特に『意味の論理学』と『アンチ・オイディプ
ス』の一定部分は理解できないだろうな、と思い、少し寂しく
なりました。世界中に多数のドゥルージアンがいると思います
が、そして私もその一人ですが、その大多数はドゥルーズ思想
の或る部分を理解できずに一生を終えるのではないか、と思い
ます。ドゥルーズの思考の最も独創的な部分は、容易に理解で
きるものではなく、近づき難いものです。しかし、それでも私
は毎日、毎年ドゥルーズを読み続けるでしょう。死ぬまでにド
ゥルーズ研究書、入門書の一冊も上梓できないだろうと予感し
つつ、単純に、純粋に、好きだから読み続けるのです。その意
味で、私は哲学のアマチュアであり、そしてそのことを恥じて
はいません。愛故に読む、そしてテキストに寄り添って考える
、その喜びを恥じてはいません。私の考え方は偏向しているだ
ろうし、欠陥も多いでしょうが、自分自身の特異な思考を徹底
して突き詰めていこうと思いました。

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■プレカリアートの希望は戦争に非ず──赤木智弘批判

 皆さんは、『論座』 http://opendoors.asahi.com/ronza/
を騒がせている一人の男のことをご存知だろうか。彼の名前は
、赤木智弘 http://www7.vis.ne.jp/~t-job/ 。『論座』2007
年1月号掲載「「丸山眞男」をひっぱたきたい」で世間に衝撃
を与えた彼は、その後も様々なメディアに露出して発言を繰り
返している。彼は、深夜コンビニで働く自分の境遇がいかに辛
いものかを訴え、「31歳フリーター 希望は、戦争」と語る。
その意味は、今は不平等であるところの、「不利益」の分配を
するために、要するに日本国民皆に苦しんで貰うために、「戦
争」を求めるということだ。彼は、戦死は国家によって名誉を
与えられる死なのに対し、フリーターである自分が死んでもそ
の死には意味や価値が与えられないと語っている。が、その論
理は倒錯している。そもそも国家が、人の死を選別し等級づけ
ることそれ自体を批判すべきなのに、国家=公による死の意味
づけを求めることはおかしい。雨宮処凛は、『群像』の連載「
プレカリアートの憂鬱」で応答し、「三二歳不安定作家。希望
は、革命戦争」などと述べているが、これもおかしい。「革命
戦争」なる言葉で彼女はどのような具体的状況を思い描いてい
るのか。かつての左翼の問題性があるとしたら、帝国主義戦争
には反対だが革命戦争はいいのだとか、アメリカの軍備は批判
するがソ連や中国の軍備は容認するといった二重基準にこそあ
るのではないのか。日本国憲法9条のラディカルな平和主義は
、自衛軍創設を公言して憚らぬ保守政治家のみならず、「赤軍
」なら良いのだと語っていたかつての左翼も批判するものだ。
 全共闘に顕著だったように、「戦後民主主義」的平和の欺瞞
性ということは多くの人達によって語られてきた。そして、全
共闘の学生達は、文字通り、丸山眞男の研究室に突入し、蔵書
を破壊したのである。その事件について、批評家の吉本隆明が
『情況』という本の冒頭論文で論評しているが、自ら育てた学
生らに手を噛まれて、「諸君のやったことは、ナチスですらや
らなかったことだ」などと狼狽する丸山は確かに滑稽だと思う
し、批判されるべきだと思う。「68年革命」的エートスは、「
戦後民主主義」的秩序の転覆を目論んでいたのだから、そして
端的な破壊とナンセンスの力で社会を組み替えようとしていた
のだから、全共闘の過激派学生が研究室の秩序をぶっ壊すのも
当然である。
 或る意味では、丸山の研究室を襲撃した左翼学生は、丸山眞
男をひっぱたきたいという赤木らのメンタリティの先駆をなし
ているとも言える。赤木は運動の歴史に無知だから、既に丸山
をひっぱたいていた人々が過去にいたのに、あたかも新しい何
事かのように嬉々として丸山をひっぱたきたい云々と語ってい
るだけである。

 赤木智弘の心性は、真正の「怨恨(ルサンチマン)」である
。自らが恵まれないから、辛いから、他の自分よりほんの少し
幸福そうな連中に不幸になってもらいたい。苦しんでもらいた
い。怨恨は関係の絶対性(吉本)であるから、確かに乗り越え
難いものかもしれない。が、怨恨から他者の足を引っ張ろうと
する行為は無益そのものである。赤木は、2ちゃんねるをはじ
め社会に瀰漫する「なんとなくサヨ嫌い」の「気分」を実名で
書いたというだけで、何らオリジナリティも可能性も全く無い
。とはいえ、赤木的言説は、「ファシズム」を説く外山恒一の
過激な言説と違い、伝播・流布する可能性がある。というより
、現にそうなっている。だからこそ、(敢えて言うが)われわ
れ左派は彼の言説を全力で叩き潰さねばならない。彼に同情し
たり、共感してはならない。感情に訴える彼の議論そのものが
不当で不正なものなのだから、彼のようなタイプの言説には徹
頭徹尾「冷淡」であるべきなのだ。赤木は、既成左翼世代に自
分らに「謝罪」して欲しかったとか、謝罪の言葉が無いなどと
不平不満を漏らしているようだが、それは単に傲慢というほか
ないだろう。何故、特に彼に対して謝罪などせねばならないの
か。今のこの「生きづらい」社会を作り出しているのは、政府
・権力者や経団連など財界の側であり、彼が標的としている、
彼よりほんの少し余裕があるといった層の人達の責任ではない
はずである。一体何の資格があって、他者に謝罪などを求める
権利があると思い込んでいるのか。
 そして、当たり前のことを指摘する必要があるが、「戦争」
は自己内で完結する営為ではない。必ず相手があり、加害-被
害関係があるのである。戦争が自分以外の多くの人々を巻き込
み、傷つけ、不幸にするというその構造に無自覚なまま、戦争
によって「リセット」を願うなどといった言説は決して許され
ない。彼の言説を、その観点から徹底批判し続ける必要がある
のだ。

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■こころ系の時代を生き延びる 全国「精神病」者集団の闘い

 1974年東京において催された「第1回全国精神障害者交流集
会」の場で全国「精神病」者集団は結成された。その際の決議
は、「保安処分新設反対、精神外科を禁止せよ、電気ショック
療法に対する患者の拒否権を与えよ、自由入院を拡大せよ、今
日の精神衛生法体制に反対する、優生保護法に見られる精神障
害者差別に反対する、通信・面会の自由権を承認せよ」等であ
った。
 今からみれば考えられないことだが、かつては「精神外科」
手術、つまりロボトミーが精神病への治療としてかなり広汎に
実施されていた。有名なところでいえば、詩人アレン・ギンズ
バーグの母親もロボトミー手術を受けている。また、ベイトソ
ンの著書にも、ロボトミーを受けさせられる患者が示した最後
の抵抗(ユーモア)が記されている。全国「精神病」者集団で
精力的に活動している山本眞理が長野英子名義で出した『精神
医療』(現代書館)にもロボトミーを受けさせられる患者の最
後の訴えが生々しく描写されている。
 ロボトミーほど野蛮ではないにせよ、現在でも電気ショック
(電気痙攣)療法は難治性のうつ病などに対して実施されてい
る。現在では全身麻酔の上施術するのが常識となっているが、
かつては無麻酔であり、且つ懲罰的に用いられる場合があった
。電気療法の是非については現在でも論争が続いている。例え
ば、先日破産した精神障害者の親の会ぜんかれんが出している
通信に、神田橋條治が電気療法に肯定的な発言をしたのに対し
、ばびっち佐野が抗議し、謝罪・訂正文が掲載されるという出
来事があった。(神田橋條治の新刊は、抗議文も収録している
とのことである。)電気療法が全身麻酔の上で行われるならば
、少なくとも苦痛はないにせよ、記憶障害が残るケースが多々
あるというのもまた事実である。電気療法の是非に関して、当
事者や専門家を含めた討論が行われることが望ましい。

 全国「精神病」者集団は、犯罪を犯した当事者の救援や、予
防拘禁=まだ犯罪を犯していないのに再犯の惧れがあるからと
の理由で拘禁することへの反対・抗議活動を主に行っている。
そして当事者団体であり、精神病者、神経症者、人格障害等と
レッテルを貼られたことがある人や自分で自分を病者だと自認
する人で組織が構成されている。代表は置かず、メンバーの民
主的な討論で意思決定を行っている。
 精神病、神経症、人格障害(この範疇には問題があるが)と
診断されて精神科の治療を受ける人の数は1990年代以降、激増
している。それは精神科への偏見が弱まった、敷居が低くなっ
たという肯定的な変化からもきているだろうが、社会そのもの
の構造的変化も大きく作用していると思われる。自ら命を絶っ
た有名な精神病者には南条あや、山田花子、二階堂奥歯などが
いるが、こうした人達、特に南条あやは、かつてのサブカルチ
ャーのエートスの中で自己形成し、結果的に死を選んだといえ
る。それは彼女の遺した日記などを読むとよく分かる。
 或る人は、かつてのサブカルチャーのブームが残したのは、
結局は膨大な数のメンヘラー(精神科に通院している人を指す
、2ちゃんねる由来と言われている表現)だったと述べている
。サブカルチャーと或る特定の人間類型の生成の相関関係につ
いては慎重に見定めなければならないが、服薬への抵抗感が減
り、何か悩み事があれば抗不安剤・抗うつ剤を飲めばいいとい
った或る意味プラグマティックな態度が主流になってきている
というのはいえると思う。そんな中で、薬物の副作用も考慮し
、十全な自己決定をもって薬物と付き合わねばならないという
のは当然のことだろう。肯定的な意見もあれば否定的な意見も
あるが、薬物と自殺との相関関係も報じられたことがある。そ
れが実証されるかどうかは別にして、薬と自分の心身との相性
をよく吟味しつつ医者なり薬と付き合うというのは絶対に必要
なことであろう。
 精神科の薬も日々進化し、かつてのような副作用が強かった
り依存度の強い薬ではなくなってきていると言われるが、よく
知られているように、覚醒剤とほとんど変わらないリタリンと
いう危険な薬も出回っている。また、ハルシオンのような普通
の睡眠薬であっても、健忘を起こすこともある。
 適切な服薬により、症状の悪化や再発を防ぐことができる、
というのは事実だろうし、自らの健康にプラスの選択をすべき
であることも言うまでもないだろう。だが、精神科領域は、自
らの脳なり心という最も内奥のもの、最も重要なものを巡る政
治の場でもあるのだ。サバイバルのために薬を飲むとしても、
薬に依存したり、薬のせいで破滅したりしないようにする必要
がある。

 私は暫定的に「こころ系」と呼ぶが、近年増大しつつある膨
大な数の精神医療ユーザーには、精神病者なり精神障害者とし
てのアイデンティティがない人が多い。そして、そういう人達
に無理にアイデンティティ獲得を強要することはできないであ
ろう。このことは、木村敏も指摘した、精神病の軽症化傾向な
どとも関係している。かつてのような「典型的」な精神病者(
例えば、人格が荒廃し一生を静かに病院で過ごすというような
)は少なくなってきているのだ。だが、だからといって自立支
援法のような悪法の精神を肯定するようなことは、決してあっ
てはならない。精神障害は、かなりの部分社会環境の問題でも
あるのだから、社会が責任をもってケアすべきなのは当然だ。
ハンディキャップを負って生きるのは、日本社会はまだまだ厳
しい社会である。そういう条件のもとで、医療としても経済的
にも当事者を支援し助けるような制度が必要である。また、個
々の病者自身の力=潜勢力を最大限発揮していく方向も必要で
あろう。つまり、それが養生(神田橋條治)ということである
。養生は、ほとんどスピノザ〜ニーチェ流の倫理、「良い」「
悪い」の倫理(自分の体に合ったものが良いものであり、不適
合なのが悪いものである、という、良し悪しをアレルギーのモ
デルで考える考え)と言える。われわれは、自己の本性=自然
に従って十全に力を発揮して生きるべきなのである。それは端
的にいって、自己の創造性や生きる力を最大限高める、表現す
る、ということである。

 私は、「こころ系」の時代である現代、全国「精神病」者集
団のような相互扶助的で闘争的なグループの役割はますます重
要になると考えている。心ないし脳の病いなり機能失調がこれ
だけ広汎にある以上、サバイバルのために当事者同士何を為し
得るか話し合える場が必要なのは当然だ。が、例えば共謀罪法
案などは、そうしたピアサポートの場すら犯罪化するものであ
り(例えば、ピアカウンセリングの場で、「あの医者、気に入
らないな。殴ってやろうか?」と誰かが言い、別の人が「そう
だ、それがいい」などと応答すると、それだけで「共謀」が成
立してしまう)、絶対に許されるものではない。また、われわ
れは自己の生存権を勝ち取らなければならない。具体的にいえ
ば精神障害者年金や生活保護、さらに最終的には、ベーシック
・インカム(基本所得)を勝ち取らねばならないのだ。経験が
ある人には分かってもらえるだろうが、現在の制度の下で精神
障害者年金を取得するのは、実際に生活が困窮していても、か
なり難しいことである。国の基準は、統合失調症を一級、躁鬱
病を二級と定めている。だから、人格障害や神経症では、多く
の場合年金は取れないのである。が、軽症であるとしても、生
活や就労に支障をきたしているという現実もあるのだ。軽症例
にまで年金を出すと、国家財政が破綻するという言い方をする
人がよくいるが、それは事実なのか? むしろ、軍事費など不
要なものを削減し、所得税の累進課税や法人税率アップなどで
、福祉のための財源を捻出すべきだろう。そうしたことは拒否
しつつ金がない、予算が破綻する、などと言うのは結局現状追
認でしかない。われわれは、そうした反動的な意見に負けずに
、断固要求を貫徹する必要がある。われわれは、精神障害者で
ある以前に、先ず人間であり、生きているのであって、生の無
条件肯定こそ最初になければならないのだ。

全国「精神病」者集団のウェブサイト(私設)
http://www.geocities.jp/bshudan/

長野英子のページ
http://nagano.dee.cc/

Wikipedia内の項目「精神外科」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%B

南条あやの保護室
http://www.nanjouaya.com/hogoshitsu

二階堂奥歯 八本脚の蝶
http://homepage2.nifty.com/waterways/oquba/index.html

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まるごと☆リンダちゃん
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2007/06/22 まるごと☆リンダちゃん #47

転送・転載歓迎

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 まるごと☆リンダちゃん #47
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■ご挨拶

 ドゥルーズ関連の本を読み込んでいますが、本当に面白いで
すね。ドゥルーズが本当に文学や映画を愛していたこと、そし
て苛酷なまでの「思考」をそこに注ぎ込んでいたことがよく分
かります。それには敬意を表するほかありません。私も、ドゥ
ルーズ=ガタリには及ばないまでも、自分なりに一所懸命考え
、書き、表現していきたいです。

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■私にできること・もろもろ

1)毎週金曜日はのりぴの日! Cafe LETSにみんなもGO GO!
毎週金曜日は、加藤宣子さんがCafe LETS
http://cafelets.free100.tv/
にやってきます。ピアカウンセリングやじゅごんマスコット販
売などをするので、お気軽に遊びに来てくださいね。

書評Pacific Review:
http://www.review-japan.com/folder/p343.html
blog「じゅごん&PEACE」http://sak2-2.tok2.com/home/DugongPeace/
ウーマン・イニシアチブ2006-2007!http://blog.livedoor.jp/woman_initiative/
GREENPEACE
アウトリーチキャンペイナー始めました http://www.greenpeace.or.jp/
インターネット新聞 日刊ベリタ 記者になりました http://www.nikkanberita.com/

2)オーマイニュースに拙稿掲載
プレカリアートの希望は戦争に非ず
http://www.ohmynews.co.jp/draft/20070619/12314

憲法9条 改憲反対の集会とデモ行進に参加
http://www.ohmynews.co.jp/news/20070619/12305

年金よりも、ベーシック・インカムはいかが?
http://www.ohmynews.co.jp/news/20070613/12095

原稿料は一本300円、しかも「ニュースのたね」扱いだと一銭
にもなりません。もし記事を読んで、気に入っていただければ
、100円でも50円でもいいし、また地域通貨でもいいので、投
げ銭をお願いいたします。

千葉銀行 二和向台支店 普通 口座番号:2194468 攝津正
レインボーリング ID:265(←のはずなのですが、レインボー
スクエアにログインできないのですが…)
CCSP:口座番号10000075(meta、setsなどに参加。)
WAT(←iWATの使い方がよく分かっていないのですが…。)

3)6/24(日)13:00〜芸音音楽祭
千葉県船橋市の二和公民館にて。入場無料です。私はジャズバ
ンドファンキー・シーズ、津軽三味線ソロ、ムード歌謡弾き語
りなどで出演します。

http://geion.free100.tv/
http://www.city.funabashi.chiba.jp/k-futawa/

4)出張演奏・レッスンいたします。
ジャズピアノ、津軽三味線の出張演奏やレッスンいたします。
関東圏内くらいで、交通費別途支給でお願いいたします。1時
間1.500円+1,000地域通貨くらいが希望です。が、事情があれ
ば、ボランティアでもOKです。

5)家庭教師します。
中学生・高校生の家庭教師します。1時間1,000円+1,000地域通
貨くらいでお願いします。

6)ピアカウンセリング、スキゾ分析いたします。
精神病・神経症・人格障害の方もそうでない方も。1時間1,000
円+1,000地域通貨くらいでお願いいたします。哲学楽しいです
よ。好きな本を取り上げて一緒に読んでいきましょう。

7)その他、何でもします。お気軽に声を掛けてください。

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2007/06/24 まるごと☆リンダちゃん #48

転送・転載歓迎

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 まるごと☆リンダちゃん #48
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■NAMで過ごした一季節 Carl Cassegardに/攝津正(元NAM副
事務局長)

はじめに
 NAM New Associationist Movementとは、21世紀初頭の日本
に存在した、文芸批評家の柄谷行人が創設した左翼集団である
。それは2000年に結成され、2003年に解散した。今回、社会学
者のCarl Cassegardが私にNAMのいきさつを説明して欲しいと
求めたことをきっかけに、ごく簡単にではあるが、NAM体験を
振り返ることにした。
 私は、NAMが「NAM」と名乗る前、即ち「アソシエK」と称し
て活動していた時期のことを直接は知らない。だから、その時
期のことは盛り込んでいない。が、アソシエから分裂してNAM
を創設した柄谷行人には、ヘゲモニー掌握という強い政治的動
機があったことは明白である。
 また、『重力』編集会議の鎌田哲哉と森谷めぐみは、Q-NAM
問題に関する詳細な資料と論文を準備しており、近々『重力0
3』として刊行される予定である。これは、NAMという特殊ケ
ースから、社会運動一般に通用する普遍的な原則なり理念を抽
出しようとする貴重な試みであり、是非一読を勧めたい。

 私がNAM(の原理)の存在を知ったのは2000年9月17日のこと
である。私は地元の図書館で何気なく手にした文芸誌で柄谷行
人の講演録を読み、帰宅して「NAM」で検索したらNAMの原理の
ホームページが出てきたというわけだ。私は、NAMの原理とい
う言説を熟読吟味し、興奮と多大なる期待をもってNAMに入会
した。が、私は、最初の会合に出ただけで、すぐにNAMを辞め
ようと考えた。その理由は、当時、スペースAKを経営する空閑
明大や当時のNAM事務局長・乾口達司らNAM大阪と、小森陽や太
田出版社長(当時)の高瀬幸途、著作権を専門とする弁護士・
柳原敏夫=朽木水(朽木水はNAMでのペンネーム)、飛弾五郎
、蛭田葵、文学研究者の倉数茂、穴山順子らNAM東京が対立し
ていることを知ったからだった。そして当時、理不尽にも柄谷
行人はNAM大阪を支持していた。柄谷行人は、情から、空閑明
大に数百万円も出資し、スペースAK開設を実現させた(彼の意
には沿わない展開であったとしても)。そして、乾口達司の献
身的な貢献、実働に言及し、NAM東京の民主的な要求を抑圧し
たのである。ここでの問題は、NAM会員登録を巡る瑣末なもの
だったが、空閑・乾口らはNAMを「党」的なもの、中央集権的
で民主集中的?なものと看做していたのに対し(だからこそ彼
・彼女らは自分らが「センター」であることをあんなにも強調
したのである)、それに対しNAM東京のほうは、市民運動型の
開かれたネットワークを志向していた。ここにおいて既に、柄
谷行人があんなにも強調していたコミュニズム/アナーキズム
の二律背反が生じており、且つそれは実際上解決不能だったの
である。
 私はNAM東京のメンバー、特に、柳原敏夫=朽木水を人間的
に信頼したことから、NAMに留まった。そして、千葉啓太らと
共に、「読み書きパソコン」と称して、初歩的なパソコン講座
を催し、飛弾五郎や山城むつみらと共に『NAM原理』連続読書
会を催した。読書会では、NAM原理に問題性があることが露呈
された。端的に言えば、「general boycott」などは可能なの
か? 可能だとして、それが戦争を抑止するほどの力があるの
か? 結局911同時自爆事件とその後のアメリカの「報復戦争
」は、反戦運動としてのNAMの根本的な無力を露わにした。
 2001年正月、柄谷行人は強硬策に出た。それまで支持してい
た空閑明大らをNAMから排除したのである。具体的には、NAMセ
ンター事務局の大阪から東京への移転を「輪番制」(それはNAM
原理には書き込まれていなかった)を根拠に実行し、反対する
者らをMLから排除したのである。これは、NAM内部の抗争にお
けるNAM東京=民主主義的市民主義派の勝利であった。が、こ
れは禍根を残した。つまり、組織正常化のプロセスそのものが
民主的に行われず、暫定代表としての柄谷行人の独断と強権を
もって為されたことが、NAM総体に柄谷行人への依存を深めた
のである。NAM原理の恣意的な解釈やその暴力的な適用は、後
のQ義務化、Q-NAM紛争などにおいても繰り返されたが、これはNAM
に本質的な病いであったといえる。
 関西ブントや赤軍などと繋がりがあった空閑明大一派を排除
したことで、NAMは既存左翼から分離され、純粋化された。NAM
原理を聖書とするプロテスタンティズムのような或る種の信仰
が生まれたのである。それを担ったのが、京都の杉原正浩ら「
理論」好きのNAM会員であった。しかし、実践的にはNAMは無で
あった。そして、「NAMは行動しない」などといってその無為
を正当化したのである。
 NAMにとって唯一の「行動」、それは地域通貨LETS-Qの実現
と普及であった。NAM原理の左翼的言説としての新しさは、何
よりも、オルタナティブな経済圏の構築による漸進的で非暴力
的な革命の実現を訴えたことにあるのだから、それは当然だっ
た。が、NAM会員は任意で自由意思でQに加入するのではなく、
義務化され、強制的に加入せねばならないことになったのは、
やはり柄谷行人の強い介入があったからだった。NAMとQとは別
組織である、という建前を貫くなら、Qには自由参加にすべき
であったが、当時の雰囲気はそれを許さなかったのである。
 そして最後に、Q創出からおよそ1年後のQ-NAM紛争がくる。
これは、Q-hive(Q管理運営委員会)内部の紛争、つまり代表
団(西部忠、宮地剛、穂積一平)と登記班(茨木彩、後藤学、
西原ミミ)の対立に端を発するが、それが全面化したのは、京
都の南無庵で催されたオフライン会議に、予想外に柄谷行人が
出席し、徹夜で西部忠を問い詰め、宮地・穂積を排除するよう
執拗に説き、西部がそれを拒んだためである。柄谷行人は、近
畿大学への西部忠の招聘をキャンセルし、それを北海道大学に
通知した。西部忠はNAMを退会した。その後に起きたのは、幾
重にも及ぶ泥試合である。先ず私は、「NAMの原理の原理主義
者」として西部忠を糾弾し続けた。が、柄谷行人が急に態度を
変え、Qは理論的に駄目なので放置し解体すべきだとの意見に
変わったので、私や柳原敏夫=朽木水らが中心になっていたQ
改革グループ=amour-qの存在は宙に浮いてしまった。その後
、柄谷行人は、倉数茂、生井勲、私にQを直ちに辞めよ、さも
なくば「絶交」するとの脅迫メールを送り、実際に倉数とは絶
交した。また、これはNAM解体後のことだが、山城むつみとも
絶交したということを、柄谷行人本人がさも自慢げに語ってい
たので、私は腹を立てた。人間をここまで愚弄することが、ど
んなに偉い人であれ、許されないと思ったのである。また、柄
谷行人は、私に向かって、NAMは「お手並み拝見」だったとも
言い放ち、私は激昂した(註)。かくも多数の人の献身的な善
意なり努力を無にするそういう傲慢な態度が私には許せなかっ
たのである。
 以上が簡単に振り返ったNAM私史である。NAMは多くの異例で
特異な出会いをもたらした。そのこと自体は評価すべきだろう
が、社会運動、革命運動としては極めて脆弱だったと言うほか
ないだろう。今、元NAM会員らは、それぞれの持ち場で、反戦
なり環境運動なり農なりに取り組んでいる。NAMの再建は成ら
なかったが、NAMに参加した当初の志はまだ、各人の裡で生き
続け、燃え続けているはずである。私もまた、その例外ではな
い。

 (註)柄谷行人は、会話中何度も執拗に繰り返し、「俺みた
いな偉い人が」と口走っており、それはいささか滑稽な姿では
あったが、「ユーモア」だなどとはいささかも思えず、単に醜
悪なだけだとしか感じられなかった。「フレデリック・ジェー
ムソンですら俺が1分怒鳴ればハハーとなるのに、西部は…」
と彼は怒っていたが、それは端的に権威主義的で夜郎自大な傲
慢な態度である。作品においては鋭く輝かしい人が、実際の生
活においては人格的に破綻しているという場合が多いと言われ
るが、柄谷行人の場合もそのような例の一つであると評するこ
とができよう。

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2007/06/25 まるごと☆リンダちゃん #49

転送・転載歓迎

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 まるごと☆リンダちゃん #49
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■ご挨拶

 こんばんは、リンダです。今日の芸音音楽祭、50名余の参加
を得、大成功の裡に終わりました。年に1回しかない行事です
が、演奏も充実していたし、収入も或る程度あったし、とにか
く良かったと感じています。次は地域のお祭りに出演する予定
です。今日は、福岡の運動団体から依頼された原稿を、許可を
いただいたうえで送信いたします。プレカリアートとベーシッ
ク・インカム、難しい問いですが、考えていく必要を感じます


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■プレカリアート運動の現状と課題/攝津正(PAFF)

※ フリーターユニオン福岡の機関紙に掲載予定

 運動圏では「プレカリアート」という言葉は、昨年の「自由
と生存のメーデー06」から自覚的に用いられてきたと言える。
そのような用語を採用した背景としては、フリーターを含むが
より広い概念が求められていたこと(例えば零細自営や年齢が35
歳以上など行政定義の「フリーター」から零れ落ちる層をも表
象する必要がある)、企業が作った言葉ではなく──「フリー
ター」はリクルートが作った言葉だったし、「ニート」はイギ
リス起源の概念をあたかも由々しき「問題」であるかの如くに
語る政策屋が輸入したものだった──、自らを自己表象し自己
定義する言葉が求められていたことなどが挙げられる。「プレ
カリアート」という横文字が分からない(何故日本語で語らな
いのか)と不服を述べる人々には、私は、日本には10年前から
固有の運動があったじゃないですか、「だめ連」という運動が
、と答えることにしている。「プレカリアート=だめ」ではな
いにせよ、だめ連は、「正規=典型的」な生き方を選択しない
人々の自己表象と相互扶助の重要な運動であった。だめ連はわ
れわれの先駆者であり、われわれはだめ連の経験から多くを学
ぶべきなのである。一例を挙げると、だめ連なりあかね界隈は
、「精神病」者や野宿者らとの関わりで何度か危機に陥ってき
たが、それは例えば全国「精神病」者集団や「もやい」など専
門機関と連携して取り組むべき課題である。
 プレカリアートが問題にされるのは、われわれは程度の差こ
そあれ、皆「貧しい」のだという共通認識が獲得されたからで
ある。フリーター、フリーランス、アーティスト、農民、自営
業…そのいずれの立場も経済不況の影響を蒙っている。正社員
にしても、労働強化とリストラの脅威に怯えて暮らしているの
が現実だ。われわれが経験しているこの貧困は、かつての貧困
とは異質であることに注意する必要がある。例えばパソコンや
携帯電話など、技術的で文化的な環境は向上しているし、即餓
死というような事例も少ないだろうが、だからといってわれわ
れが「贅沢病」だとか、貧困でないということは言えないので
ある。われわれが経験しているのは、一度高度資本主義を実現
したいわゆる「先進諸国」における新たな貧困であり、社会的
排除なのだ。そこでは福祉国家の理念の破綻が語られ、かつて
のフォーディズム型の体制の維持の不可能が説かれる。いわゆ
るネオリベラリズムが前景化した状況をわれわれは目の当たり
にしているのだ。それはかつてのサッチャー・レーガン・中曽
根政権以来あったものだとしても、われわれの生活自体が質的
に変容しつつあることが肌で感じられるようになったのは近年
のことである。
 無産者、貧民、不安定な生を強いられた人達の自立=自律運
動がもろもろ立ち上げられ、「労働運動バブル」といった観を
呈するまでに至っているが、しかしうかうかと喜んでばかりも
いられない。実質的な何かを獲得せずに、バブルがバブルのま
ま終わってしまう危機もあるからだ。われわれは、労働なり生
存なりという現場で、既存の制度、例えば労働者保護法制や生
活保護制度などは最大限活用しつつ、そしてその切り崩しに断
固反対しつつ、新たな何かも模索せねばならない。その「何か
」として今盛んに議論されているのが、山森亮らが提案してい
る「ベーシック・インカム」(基本所得)である。それは、基
本的には、一切の生の選別を許さず、全ての市民に生活に必要
なお金を給付すべきだというラディカルな主張である。
 ベーシック・インカムが、われわれが直面している問題の「
解」であるかのように語られる傾向は、確かにいささか軽薄だ
としても、根拠がないわけではない。先ず、われわれが直面し
ているのが、旧来の抑圧なり搾取でなく、「社会的排除」(酒
井隆史『自由論』)だという現実がある。われわれの問題は、
権力者なり資本家なりがその生を無用、無価値であり、廃棄し
ても構わないものだと看做している一定の層の人々がいかにし
てサバイバルするか、といったものだ。だからこそ、一切の生
の選別に反対するベーシック・インカムの発想が重要なのだ。
つまり、われわれの生に価値があるかないか、それはおまえら
(権力者、資本家)が決めることではなく、われわれ自身が自
己決定=自己価値化すべきことだ、というのがわれわれの第一
の主張なのである。生の無条件肯定(一切の選別に反対する)
の理念こそ第一に来るべきものであり、「生きることは善い」
という思想から出発して政治を思考し実践すべきなのだ。その
観点からすれば、完全なベーシック・インカムの施行という極
大理念を無限遠点に先送りして、それをただ待ち望むといった
受動的な仕方でなく、例えば生活保護を稼動年齢層にまで拡大
適用すべきだとか、障害年金を弾力的・柔軟に運用すべきだと
かいう現実的な議論なり運動が可能である。われわれの運動は
政治-経済-文化的である。それはあらゆる生を無条件肯定し、
差別・選別・遺棄を許さないという意味で政治的であり、「生
きさせろ(生きることを可能にする経済的条件を与えよ)」と
いう意味で経済的であり、各人の特異な潜勢力の十全な表現を
求めるという点で文化的である。われわれは「生きる」ことを
望んでいる。が、奴隷のような生を望んではいない。桎梏から
解放された者として、自己表象-自己決定-自己価値化する者と
して生きたいと願っているのだ。われわれの運動は、だから生
の全般的解放を求めるものである。それはかつてフェリックス
・ガタリが与えたコミュニズムの定義に従えば、ありとあらゆ
る特異性の肯定である。われわれは〈共〉(common ネグリ=
ハートの用語)を求めるが、この〈共〉は「みんな同じ、同質
」ということを意味するものではない。むしろ差異、多様性、
発散する特異性の全面肯定なのであり、その意味で生きること
の肯定なのである。この肯定は、闘争である。何故ならば、特
定の層の人々は死んでも構わない、文化的生活が送れなくても
構わない、と考える権力者や資本家がいるからである。彼・彼
女らとの緊張関係なり政治的闘争抜きには、プレカリアートの
運動はあり得ない。だからわれわれの運動は階級闘争なのであ
り、21世紀の歴史創出的運動なのである。

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2007/06/29 まるごと☆リンダちゃん #50 51 52 53

転送・転載歓迎

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 まるごと☆リンダちゃん #50
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■ご挨拶

 こんばんは、リンダです。今日は関東は少し涼しく、過ごし
易い陽気ですね。私は今日、10日以上続く左脇腹の痛みのため
、二和向台駅近くの東邦二和クリニックに行ってきました。尿
検査、血液検査をしましたが、内臓の病気ではなく筋肉痛のよ
うで、湿布を出していただいて帰りました。が、実は癌だった
らどうしよう、余命幾ばくも無かったら…などと不安になって
いました。馬鹿ですねぇ(笑)。
 病気や事故、災害で死ぬかもしれない可能性は排除できない
し、それはそれでしょうがないと思っています。が、歴史に名
を残せなかったというか、或るレベル以上の表現の記録を残せ
なかった点で悔いが残る、とも感じています。人は永生という
執着を捨て切れないものなのでしょうか。
 子どもの頃、漫画家或いはSF作家になるのが夢でした。小学
生の頃は習作も書いていました。私にとって人生の転機だった
のが14歳の時で、「本物の」芸術作品(バックハウスの弾くベ
ートーヴェン、ホロヴィッツの弾くショパン)に出会い衝撃を
受け、文字通り自我そのものが揺らぐ経験をしました。以来、
私はすっかり変わってしまい、神経症的に歪んだ仕方で芸術的
達成を追い求めては挫折するといったことを繰り返すようにな
りました。私は思春期に、真の「天才」達と出会ったのです。
そして、彼・彼女らと自分の違いも冷静に認識しました。私は
「天才」ではない。このことの苦い自己認識は、私に断念を強
いるものでしたが、しかし、私は「断念」し切ることができま
せんでした。これが今も続く神経症の一つの原因ではあるのだ
ろう、と自己認識しています。つまり、あまりに高い自我理想
と現実の自分の落差に悩み苦しむということです。「分かっち
ゃいるけど、やめられない」とはこういうことを言うのでしょ
う。

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■もうすぐ通院日!

 私は1年程前から、爽風会佐々木病院という病院に通ってい
ます。佐々木病院は高名なラカニアン斎藤環がいることで知ら
れていますが、斎藤環は新患をとらないので、私の主治医は別
の人です。私の主治医はH先生と言い、パキシルをメインドラ
ッグとして用い、認知療法を専門にしている方です。結構若い
先生です。
 はじめは重篤な希死念慮が症状で、一家3人で揃って受診し
ていましたが、症状の軽快化に伴い私一人で通院するようにな
りました。また、はじめは毎週通院していたのが、二週に1回
になり、月に1回になりました。
 私ははじめ、新京成線の高根公団駅近くにある、高根台メン
タルクリニックというところに通っていました。そこでも診断
は今と同じ、不安障害だったのですが、どういうわけか環境を
変えたくなり転院しました。
 結果的に、環境を変えたのは正解だったと思います。重い希
死念慮、激しい欝、強い不安などは確かに軽減してきているし
、家族間のトラブルも減少しているからです。何が良かったの
か、パキシルなのか、認知療法なのか、というのは正直よく分
かりません。個人的には、某個別指導塾でのバイトを辞めたの
が大きな転機だったと感じています。バイトを辞めて、貧しく
なりましたが、精神的にはかなり楽になりました。私は、早稲
田のあかねや、もろもろの社会運動への参加に生き甲斐を見出
すようになりました。
 しかし、問題は勿論、お金です。私は去年、フェアトレード
商品などを扱う「芸音ホール」というお店を出して大失敗、貯
金を使い果たして0円になっただけで商品はまるで売れないと
いう結果に終わりました。自分には商才は無いんだなあと痛感
しました。今では、芸音音楽アカデミーを地道に続けながら、
出来る範囲で無理なく「Cafe LETS」を続ける、という仕方で
やっていこうと思っています。
 バイトを辞めたお陰で、収入は減りましたが、音楽に集中で
き、津軽三味線やピアノの腕前はめきめきと上がりました。そ
れでもプロとしてやっていけるほどには巧くなっていないとい
うのが実情でしょうが、しかしできるだけのことをやれるとい
うのは幸せなことだと感じています。それを許してくれる環境
にも感謝しています。

爽風会佐々木病院
http://www.sofu.or.jp/

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転送・転載歓迎

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 まるごと☆リンダちゃん #51
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■ご挨拶

 リンダです。今晩は前置きなしに、いきなり内容に入ります


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■32歳不安定活動家 希望は、アソシエーション!

 メルマガ仲間の文芸批評家・青木純一さんの「ハトポッポ批
評通信」に「政治(家)嫌い」の話が出てきました。某文筆家か
ら批判的な応答があり、メルマガ間の楽しい議論が続いている
ようです。で、本メルマガも議論に参加したいと思います。
 基本的に私は、政治が好きだし、政治家=他者を「代表」す
ると称する人間は嫌いですが、活動家=自らの名前と権利と責
任において語り行動する人間は好きです。そして自分自身も活
動家たらんとしているものです。議会政治も直接行動も私は支
持し肯定します。例えば戦争反対のために発言したり行動する
のは当然だと思っているし、その意味で「プロ市民」「サヨ」
呼ばわりされようと全然気にしません。青木さんの発想は吉本
隆明からきていますが、吉本は、プロ市民や活動家が嫌いなの
です。吉本は大衆の原像とかマス・イメージなどと称するもの
を根拠に、敢えて特異な政治活動をしようという人達を批判し
ています。(或いは批判した気になっています。)彼は反核運
動に対して反・反核というような、市民運動嫌い、左翼運動嫌
いのエートスを正当化する言説を生産し続けてきました。かつ
て吉本派の人達が、活動家達から「自立豚」と罵られていたと
いう事実がありますが、そう罵る側も党派なりへの依存に陥っ
ているとしても、罵られる吉本派の側にも問題はあったと思い
ます。アメリカ大使館前にデモをかけるより、家で寝転がって
いたほうが、<想像力>でベトナムの状況を把握することがで
きる、などという言説は単に愚かだと思います。「思想」なり
観念なりを「重く」すればするほど、フットワークが効かなく
なり、現実の外的行動は矮小化していきます。「書を捨てよ、
街に出よう!」と言いたくなる気持ちもよく分かります。
 政治が好きというのは、「代表するのではなく構成する」(
ネグリ=ハート)参加的民主主義を実現すべく活動したいとい
う意味です。誰かが他者を代表・代理するというのが、近代の
資本制国民国家の基本的なありようであったとするならば、来
るべきコミュニズムにおいては、各人が自分の名において、或
いは異様な固有名=署名(ドゥルーズ=ガタリが言及する「狼
男」のような)において語るということが原則であるべきでし
ょう。20世紀の基本的な構えは、資本主義体制であれ社会主義
体制であれ、変革を求めることは難しい政治的窒息にあったの
で、無関心が広まったということだと思います。しかし21世紀
においては、自らの潜勢力とその表現がラディカルに社会を変
容させ得る可能性を根拠に、政治というものを考え実践するこ
とが可能な状況が生まれるのではないか、と思います。

 19世紀末の最も重要な思想家であるニーチェとキルケゴール
は、大衆と民主主義を何より嫌っていました(『現代の批判』
など)。またフロイトは、大衆の集団的な欲動を、集団神経症
的なものと把握していました。20世紀のハイデガーには、匿名
の人(世人)に対する道徳的非難(頽落)がありますが、それ
と彼自身のナチス関与の関係は不明なままです。20世紀後半の
思想、フーコーとドゥルーズ=ガタリは彼らとは別の民衆概念
を練り上げたと思います。それは潜勢力における民衆、特異性
の表現としての民衆という概念です。フーコーは、民衆の持つ
過剰な力を、その危険性や暴力と<共に>全面肯定します(『
ミシェル・フーコー思考集成』)。それには凄まじい暴力や殺
戮といった多数者=マルチチュードの負の側面をどう考慮する
のかといった論点への回答がなく、それ自体単に持ち上げるこ
とはできませんが、彼において、人民裁判という<形式>すら
拒否する端的な力の顕れが顕揚されているという事実は熟考に
値します。ドゥルーズ=ガタリも、マスメディアが幼稚化する
主観性の手前に、四方八方に逃走=漏出する特異な集団的主観
性=マイナーなものへの生成変化を見て取ります。それは20世
紀のフォーディズムと呼ばれる体制がもたらした、知をも含め
た全面的な消費社会化、大衆社会化に対する彼ら自身の真剣な
、しかし批判的な応答なのです。「菓子パンのように売れるフ
ーコー」と呼ばれたフーコーは、自らの知なり言説の編み方の
権力性を自問し、自己-襞の主体化の思索に到達します。『ア
ンチ・オイディプス』で空前のヒットを放ったドゥルーズ=ガ
タリは、柔軟なものや生成に潜む危険性について警告し続けま
す。それは平たくいえば、人間の自由というものが持つ危険性
と言って良いでしょう。非人間的で匿名のものにまでなること
ができるという、無限の自由が孕み持つ、自壊なりファッショ
化の危険。エリート主義が終焉し(その一方で格差社会は際限
もなく広がっているわけですが)、権利上誰でも知にアクセス
できるようになった状況で、何を語り、思考し、行為すべきな
のか、ということを真剣に問うたのがいわゆる68年の思想家達
であった、と言えるでしょう。

http://blog.mag2.com/m/log/0000206311/108677655.html?c=art

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 まるごと☆リンダちゃん #52
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■ご挨拶

 本日22:00-23:00にネットラジオ試験放送を行います。イン
ターネットエクスプローラーで見てください。また、Flashの
最新バージョンをインストールしてください。

http://tds.radilog.net/

 津軽三味線ライブも入れる予定ですのでよろしく。

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■RAMの位置づけとその歴史

 雨宮処凛──プレカリアートのマリア(笑)──と社民党党
首の福島みずほの対談イベントがあり、フリーター全般労働組
合の一員として参加し発言してきた。イベント自身は可もなく
不可もなくというか、一般的な非正規・不安定状況の拡大とい
う現状が確認されたに留まったと思う。が、この集会に、6-7
年前 NAMで知り合った美術作家の北川裕二が『マガジン9条』
をやっているパートナーや友達と参加してきていて、久々の再
会を祝い、少しお喋りした。
 それでこの機会に、Q-NAM問題におけるRAMカタログ、または
岡崎乾二郎とその仲間達の果たした役割とその意味を再考して
おきたい。そもそもRAMカタログは、NAM芸術系のML議論(「NAM
的芸術とは何か?」を延々と問うような非生産的なもの)に飽
き足らぬ者らが、横断的にもろもろの「関心」を超えて結集し
たプロジェクトだった。それは、Whole Earth Catalogを参照
し、地域通貨LETS-Qの「商品カタログ」を作ることを目指した
、極めて実験的で面白いプロジェクトだった。
 今は「カフェ・コモンズ」で頑張っている福井哲也が、北川
裕二や田口卓臣、菅原正樹、岡崎乾二郎と論争したことがあっ
たが、福井の問いは正鵠を得ていたといえる。つまり、何故Q
商品カタログという慎ましい要求を掲げて出発したはずのRAM
カタログが、オルタナティブな百科全書という誇大妄想的な企
てに変貌したのか? という問いである。その問いは、実際に
は簡単に答えることができる。『百科全書』の編集者であるデ
ィドロを研究している田口卓臣がRAMに参加し、長く密度の濃
いメールを何通も送ったため、RAM自体のコンセプトが変貌し
たから、というのがその答えだ。RAMの実質的な主導者が、北
川から田口に交替したことで、カタログという世俗的なものか
ら、百科全書という途轍もないものへと創作の対象が変貌した
のである。
 そして勿論、RAMカタログ・プロジェクトはその目的を達成
できなかった。Q商品カタログを作ることも、対抗的百科全書
を作ることも頓挫した。

 岡崎乾二郎は、NAM会員へのQ加入義務化に関し、極めて論理
的且つ強力に反対している。その尤もな議論を「独走的」など
と揶揄し批判したのは柄谷行人である。彼は強引にQ義務化を
推進し、その結果、岡崎乾二郎と北川裕二はNAMを退会し賛助
会員になった。後に柄谷行人は、岡崎乾二郎や湯本裕和がNAM
を辞めたのは西部忠とQのせいだと論難するが、それは滅茶苦
茶だ。文脈を辿るなら、柄谷行人の強引な意思決定、そしてそ
れに伴うNAM会員の「個」としての自立的意識の喪失=官僚化
が彼らをNAMから離れさせた原因だったのであって、西部に責
任を負わせるのはおかしい。
 Q-NAM紛争において、岡崎乾二郎は、NAM抜本的改革委員に就
任した。そして、そこでの言動に関し、彼には一定の責任があ
ると思う。某氏から聞いた話では、当時浅田彰が柄谷行人の荒
れた言動を止めようと必死に説得を試みていたが、浅田が諦め
た後は誰も止める人がいなくなったのだという。そのような状
況においては、柄谷行人の文字通りの「独走」を止められる人
物が誰かいるとすれば、それは岡崎乾二郎を措いて他にいなか
ったのではないか。が、岡崎乾二郎は柄谷行人を強く制止した
り戒めることはなかった。むしろ、大学人同士、インテリ同士
の馴れ合いといった態度だったのである。岡崎乾二郎は、もし
地域通貨Qをオモチャだなどというのなら、市民通貨Lと呼ばれ
ていたものも同様にオモチャだ、といった認識を持っていた。
が、それを公の場で発言することはなかったのである。公の場
で真意を語らないということは、本音と建前の二重化という典
型的に日本的な構造に屈服するということでしかない。その意
味で、岡崎乾二郎には一定の責任があると思うし、NAM解散後
『文学界』の鼎談でNAM総括?をした時の発言なども単に軽薄
である。NAM、そしてQ- NAMの一連の問題性をその深部から抉
る総括では決してなく、柄谷行人の偉大さ?を称えるといった
タイコモチ的な身振りに終始したのである。

 私は、岡崎乾二郎のことを知らなかった。RAMプロジェクト
のため、北川に呼ばれて会議に参加して初めて会い、岡崎乾二
郎のことを知ったのだが、その頭の良さとスマートさには驚嘆
した。Kも言っていたように、岡崎乾二郎は典型的な「天才」
である。私は生まれて初めて、本物の芸術家と会った、と感じ
た。岡崎乾二郎は、汲めど尽きぬアイデアを惜しげもなく次々
に繰り出す驚異の人であった。私は、人間がこれほどに生産的
且つ能動的であり得るという事実に単に驚いた。だが、私自身
のことも含めて、RAMには岡崎乾二郎というカリスマ、固有名
に依存し過ぎる傾向、スノッブ的或いはディレッタント的な傾
向があったとも思う。RAMでの最良の発言者である田口卓臣も
また、そうした傾向を免れていなかった。私は、NAMが顕教的
だとしたら、RAMは密教的だと考えたことがある。そこには、
「表」で語られない何かがあからさまに語られる自由な場があ
った。NAM芸術系などで披瀝されることの決してなかった批評
なりがそこにはあったのである。岡崎乾二郎は「RAMはNAMより
大きい」と自慢していたというが、それにも一理あると頷ける
。RAMには、福井哲也など関西の一部を除くNAMの主要メンバー
が全員入っていたからである。NAMでアクティブな活動をして
いる者はほぼ全員がRAMだった。RAMは、 NAMの最深部にある、
或るサロンだったのである。そこでは社交が行われ、挨拶や交
流などが為されていた。NAMの主要なML──関心系・地域系・
階層系 ──の大部分では、型に嵌った発言や形式主義が罷り
通り、事大主義的であって、創造的な息吹がほとんど感じられ
なかった。その点、RAMには自由と創造の契機が豊富にあった
。何一つ実現しなかったとしても、RAMは何事かであった。一
言でいえば、それは出会いだった。ほとんど不可能な出会い。
 が、RAMの人達はみんな紳士的で、理性的で、慎み深く、心
優しかった。だから、Q-NAM紛争のような深刻なトラブルに際
しては、何か積極的に介入することが全くできなかったのであ
る。のみならず、そうした紛争を積極的に忘却したり、抹消し
たりしようとした。例えば、私が旧RAMカタログ MLで、紛争を
公に語ることを呼び掛けたことがあるが、その時岡崎乾二郎は
即座にMLの設定を変え「投稿不可」にした。泥沼のような非難
合戦を恐れたのかもしれない。が、そこで何か有意義な対話が
始まる可能性もあったのであって、岡崎乾二郎の対応は臆病過
ぎたと私は思う。ともあれ、RAMのメンバーは、Q -NAMの一連
のごたごたに関して、一切責任を取ってこなかったというのは
事実である。私は最近、RAMを批判し脱退したのも、基本的に
はそのことが原因といえる。

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■RAM断想続き

 爽風会佐々木病院に行き、H先生の診察を受ける。元気だと
伝え、私のメルマガを渡す。帰宅時、コジマデンキに寄り、一
番安いCD-Rを買う。待ち時間、ドゥルーズ『狂人の二つの体制
』を読了。妄想型/情念型といったクレランボーの区別を再び
取り上げることに何の意味があるのか、疑問に思う。
 RAMカタログについてさらに批判的な考えを進める。私が違
和感を感じたのは、RAMカタログの一部の人達が、象徴天皇=
憲法1-8条をそのまま受け入れつつ、天皇の意向と結びつけて
反戦平和を語ろうとしたことだ。私は、9条改憲阻止、ないし9
条の理念の一層のラディカル化(ひびのまことが提案している
ような)に賛成なのであって、天皇条項も含めた「護憲」には
賛同しない。天皇制批判抜きに9条だけ称えるといった仕方に
は激しく疑問を持つ。また、中国の反日デモに関しても、RAM
のメンバーは反発を表明していたが、私は、確かに反日デモに
体制批判に向かえぬゆえの屈折があるとしても、日本帝国主義
には批判されるべき多々の問題があるのだから、反日デモを支
持するのは当然だと考えていた。
 また、RAMの人達は、ラムズフェルドらアメリカのネオコン
が元トロツキストであって、世界同時革命とか永久革命といっ
た夢想を転向後、アメリカの世界制覇戦略に向け変えたのだと
解釈しているが、左翼とネオコンのそうした恣意的な結び付け
にはイデオロギー的な偏向ないし偏見しか見出せず、私は全く
同意できない。
 簡単にいえば、私は典型的な或いは普通の左翼であったのに
対し、RAMのメンバーは左翼批判を望んでいたということだ。

 田口卓臣や木原進が、日本には「楽しいデモ」がない、フラ
ンスなら道一杯に広がってデモがやれるのに、と不平をこぼす
時、私は違和感と不満を覚える。フランスなりがどうであろう
と、われわれが今生きているのは日本なのだから、日本の現実
的諸条件下で闘争せねばならないのは当然のことではないか?
 としか思えない。また、日本でも「楽しいデモ」は可能であ
り、サウンドデモとして各地で実現されている。が、彼らがサ
ウンドデモの新しさに注目したというような話は聞かない。要
するに、彼らは日本の「現に存在する」左翼運動や社会運動を
知らないし、知る気もないのだ。それは根本的な欠陥だと思え
る。

 はまぞう(はてな)やおすすめレビュー(mixi)はRAMカタ
ログがやろうとした「商品カタログ」を部分的にであれ実現し
ていると思う。勿論それは資本主義批判ではなく、資本主義的
な仕方でなされているわけだが。

 今の根本的な問題は、新自由主義(ネオリベ)と呼ばれる勢
力の世界大の支配である。それに対抗する言説と実践を構築し
なければならない。体制側が「新」自由主義を言うなら、われ
われ対抗運動の側は、新たな「経済学批判」、新たなマルクス
を必要とする。資本のシニシズムが極地に達したこの地点にお
いて、資本主義を無際限に肯定することを拒否するわれわれ活
動家には、何ができるのか。例えば、G8に対して、グローバル
資本に対して、どんな抗議なり表現行為ができるのか、を問う
必要があると思う。
 新自由主義はサッチャー・レーガン・中曽根政権の時期から
実行されていたが、われわれの生活が根本的に破壊されつつあ
るのは近年のことである。或いは、根本的な破壊に気付いたの
は最近のことだと言ってもいい。ソ連崩壊以後、オルタナティ
ブを想像する能力が、われわれ草の根の民衆なり活動家から奪
われてきた。左派を侮蔑する者らは、中国や北朝鮮の人権侵害
を声高に言い立て、これが君らの望む体制だと嘲る。が、われ
われはそんな政府を支持しないし、それが社会主義だとも思わ
ない。

 脱線。ドゥルーズ=ガタリに一点だけ疑義を呈する。彼らに
あっては、「生の無条件肯定」ではなく、ニーチェ主義的な「
選別」がある。つまり、永遠回帰に堪え得ないものは回帰しな
いのである。この或る種の哲学的エリート主義をどう捉えるか
。キルケゴールやハイデガーの非人称で匿名の人(世人)への
非難に抗い、ドゥルーズは『意味の論理学』で匿名の人 onを
称えた。が、それは、日常生活を生きる凡庸な人の生の肯定で
はなかった。ドゥルーズが肯定したのは、文学テキストにおけ
る非人称の呟きであって、日常会話の生き生きした声ではなか
ったのだ。日常なり凡庸に定位し、それをまるごと肯定する思
想が必要だと私は思う。

 話を戻せば、私は天皇制に肯定的に言及しつつ、9条の平和
主義を擁護するといった欺瞞的なやり方に絶対に反対だ。天皇
制は端的に廃棄すべきものであり、個別の人格としての明仁が
たとえ平和主義的な意見を持っていたとしてもそんなことは全
く関係ないのであって、無名の草の根の民衆、活動家の平和意
志こそが重要なのだ。
 小泉-安倍自民党にも反対、天皇制にも反対というのが私の
揺ぎないスタンスである。天皇のような偽の超越を持ち出して
、世俗政権を批判したところで意味がない。天皇制を含め日本
の支配体制総体を批判しつつ、世界大の権力との闘争を構築す
べきなのだ。

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転送・転載歓迎

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 まるごと☆リンダちゃん #53
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■ご挨拶

 本日22:00-23:00にネットラジオ試験放送を行います。イン
ターネットエクスプローラーで見てください。また、Flashの
最新バージョンをインストールしてください。

http://tds.radilog.net/

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■絶望と楽天主義

 昨晩ネットラジオで話したことから。私は基本的に物凄く楽
天的で、希望を抱いている。が、それは冷徹な認識が欠けてい
るという意味ではない。むしろ、最悪の事態も予測してしまう
ところがあり、かつては「絶望の教室」と呼ばれていた。その
私が今は何故、かくも楽天的であり、気力充実し、前向きなの
か。一つには、ガタリからの影響がある。また、他方、私なり
の「生の哲学」がある。最低限生きてさえいれば、どんな形で
あれ抵抗は可能だ、というのがそれである。権力はわれわれの
生/死を操作しようとするが、われわれは自由と生存を求めて
闘い、何らかの領土、或いは「自分の」と言える何がしかを得
る。われわれは生きている限り、それが奴隷の生でないならば
、幾らかは自由であり、抵抗なり創造、逃走=漏出の余地が残
されている。
 選挙の話も出た。私は基本的にアナーキストだが、議会政治
に対して軽蔑的ではない。大いなる関心を抱いている。7月の
参議院選挙に関していえば、どの程度かは分からないが、自民
党は議席を減らすのではないかと思う。多くの国民は「憲法」
でははなく、「社会保険庁」などを念頭に投票行動をおこなう
のだろうが、動機は何であれ構わない。自民党が負けるという
ことが大切である。が、仮に自民党が負けたとして、それ以降
の政局がどうなるかまでは私には見通せない。相変わらず衆議
院では自公与党の優位があるわけだし、急に現実が変わるとい
ったことは期待できまい。が、決して諦めずに行動していくこ
とが大切だと考える。

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