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性質と性格
性質は持って生まれた気質であり、環境その他の影響を受けることなく変わらないもの。
性格は環境その他によって形成され、変化するもの。
こんな違いを聞いたのは心理学だったろうか。
この言葉の違いを意識して使い分ける人はあまりいないだろう。
つまり、「ボクはこういう性格だから…」と言う人がいるが、それがここで言う性格ならば、
環境や本人の努力などによって変わるものという事になる。
環境の変化によって、「あの人は変わった。」なんて言うものも性格だろう。
そもそもどれが性質でどれが性格かの区別は難しい。
昨日私は、より良くなりたいとは思うけれど、変わりたいとは思わない。と書いた。
これは自分の根っこの部分に近い話しだし、実際変わりたいと強く願っても変わらないかもしれない。
物事に対する価値観とかは性格なんだろうな。変化するから。
どういう人間に惹かれるか。とかも変わるでしょう。
それでも振り返ってみたら、何か共通点があったりして。
その好みが性質と言うより、そこが自分の性質に合うから。なのかな。
兄弟が5人いたら、5人とも違いますよね。同じ環境、同じ遺伝子なのに。
もちろん、似ているものもあるのだけれど、それはまさに、環境による価値観とか、短気な親から受け継いだ気質とか。
子供は親の遺伝子を双方からちょうど半分ずつ貰っているそうです。
だから父親にそっくりーとかいう人でも、体の中の半分は確実に母の遺伝子なんです。
遺伝子のどこをどんな風にどっちから貰ったかで、見た目はもちろん、性質や声なども決まるのでしょう。
専門的なことはわかりませんが、確か全ての部分についてそれぞれ半分ずつ貰っていたと思います。
つまり、鼻が父親にそっくりでも、表に出てないだけで母の鼻も半分受け継いでるわけです。
だからばーちゃんにそっくり。とかが出てくるのでしょうね。
性質は目に見えないです。しかしこちらも半分ずつ貰い、もしかしたら遺伝子に関係なく、
神様が一人ずつに何か加えているのかもしれませんが。
信仰心が厚い奴ではないですが、目に見えない部分ですから、そんな風に思うのも味があっていいかな。
さて、その性質に環境その他が影響して出てくるのが性格ならば兄弟でも違うというのも納得できるものです。
やはり、兄弟だからと言って必ずしも理解できるわけでも愛せるわけでもないのも仕方のないことでしょう。
自分にも兄弟はいます。これが顔も性格もかなり違います。
私は二人兄弟の下の子です。一人っ子、第一子、末の子、真中にありがちな性格。
なんてものもありますから、ここら辺思い切り環境が影響してそうですね。
ちなみに私はこの兄弟とまったく合いません。時折、同じ家庭で育ったものらしく、
価値観の相似が認められますが根本が合わない気がします。
面白い事にこの兄弟に私は虐待されて育っています
虐待と言えば親のイメージですが親には言葉で虐待され、兄弟には肉体的に虐待されていたと言うところでしょうか。
まぁ、当然親にも暴力を受けたことが多数ありますが。
「父さんにも殴られたことないのに!」と叫んだのはガンダムのアムロですが、実際にそういう人に出会った時はびっくりしましたねー。いるんだね。
話が飛んだ(ぁ
兄弟のこれは、いじめとは違いますね。
嫌いでしている、楽しいからしている。のではなく、自分のストレス発散場であったり、しつけと称した暴力だったので。
だからいいとかそんなんじゃないですけど。
当然のことながら、どこで叱るか、どこで暴力を正当化するか、などは親の価値観そっくりでした。性格ですね。
そして攻撃的なものは親から受け継いだ遺伝子でしょう。性質でしょうね。
子供同士とは言え、一方的ですから、痣や軽い出血はもちろん、髪の毛なんかも掴んで振り回されたのでごっそり抜けたりしましたね。
私に対する愛情は兄弟に対してのそれとしては異常なほど持っていましたので、
かわいがり気に掛ける量も多かったし、私が誰かに泣かされたりしようものなら飛んでいってやり返してくれたものです。
一方でその子より遥かに激しく私に暴力を振るう。
干渉も激しく、過保護で所有物のように扱われていました。
私が望んだ事でも、自分の価値観と合わなかったり、幾つになっても未熟扱いをしていたので、
無理だと判断すれば、お前のためだと言って強引にやめさせようとしました。
ゆがんだ愛情ですね。でもゆがんでいてもそこに愛があるから厄介です。
憎みきれないまま、随分と休日の行動にいたるまで長い間拘束、干渉されていました。
さて、そのような環境と遺伝子を持って育った私ですが、同じような攻撃性を持っているのかと言えば少し違います。
私の中にも攻撃性はあります。癇癪もちだし。だから必要なら暴力だって振るえます。慣れてるし。遺伝し貰ってるし。
むかついた時に「殴ってやろうか。」と言う発想は、暴力に慣れていなければ起きないようです。
でも暴力は嫌いだし、何より思わず手が出る。みたいな事がないですね。基本的にw
そしてどんな理由であれ、手を出した時に自分を正当化もできなくて悪いと思ってしまいます。嫌な感情が残ります。
この兄弟にやり返したことがあるのですよ。
相手は凄いショックだったようですね。激昂して100倍返されました(ぁ
その前に既にボコボコにされていて、私は悔しくて悔しくて、どうしようもなく悔しくて叩き返したのに、
罪悪感と後悔が瞬時に起こり、たった一発叩いただけであとはされるがままでした。
殴ったことに興奮してエスカレート。とかないんですねぇ。
私の攻撃性とストレスは物にあたるとかで発散…しようと思っても、
人形がかわいそうだったり、壊したら後片付けが大変…とかでやっぱりあまりできなくて。
何処で解消したり消化していたのか自分でも良くわからないですが、それが私です。
暴力を振るえないのが性質なのではなく、振るおうとした時、振るった後にそう感じてしまうところが性質なのでしょう。
私の兄弟にしてもどれだけ環境が暴力的でも、どれだけ攻撃的な遺伝子を受け継いでいても、
性質が平然と暴力を振るえたり、カッとなると見境がつかなくなる人間でなければ、ああはならなかったでしょう。
性質の話を書こう。そう思って漠然と書き出したら、何故か攻撃性が例え話になってしまいましたが、
環境がどれだけ変わっても努力しても変えられないものが性質です。
とは言ってもその場になってみないとわからない。
そういう事もありますよね。それから、その場になって自分の感覚言動に驚くとか。
新しい自分を発見する事は結構楽しいけどね。
環境だけではなく、人は生きていくために色々な装備を身に付けたりもするのでどれが気質・本質・性質かわからなくなりなりがちだけど、
もっとも影響の少ない、心の経験値の少ない幼少のころの性格(性質)が性質に近いと思います。
まさに根っこの部分。
自分の変わらないその性質はできれば好きでいたいですね。
自分大好きな人って素敵だと思いますよ。
嫌いでは自信も持てないし、人に優しくしたりもできないと思うから。
まず自分自身を知り、認めて愛してあげることが、他者を認め、前に進ませてくれると思うから。
性質の欠点は性格で補おう。
ダラダラっと生きてるけどこれでも一応努力してます(ぉ
ちなみに私を好いてくれる、私と合う人は、私を深く知っていればいるほど、私の兄弟とは合わないようです。
まあ、当然だけどねw
あちらも好かれたり、合う人がいるのですから否定する気はないですが。
今日は徹夜で歌っていたので(アホ?
午前中に数時間睡眠。
睡眠時間が短いのはいつもの事。若い時から仕事量、運動量に関わらず、平日でも平均4時間睡眠の私。
起きるのが苦手だけれど起きてしまえば意外といけます。
徹夜するなんてアホやなーとも思いますが、お陰で朝良いことがありました。
早起きは三文の得 といいますが、徹夜でも得しちゃった@
嬉しいな。声が聴けたよ。
不特定多数の人々の声を聴き、きれいな声も上手い歌も沢山聴いたれど、聴きたい人の声と言うものは、
何よりもきれいでかわいくて心地よくダイレクトに心に響いてきます。
何時間歌っても、何時間聴いていても、たった数分ささやかな内容のほんの一言二言の会話がくれる楽しさや喜びが勝るとは。
凄いねー。
もっとと思う。聴く時間も聴く内容も聴く距離も。
今日だってあなたを思いながら歌うたいは唄ったよ。
もっと傍で、もっとたくさん、もっと色んな声が言葉が聴ける時を楽しみに想いながら…爆睡したよ(*ノノ)
って事で今日の収穫
朝の電話。徹夜しなければ絶対言えないし聴けなかったもんね。
徹夜もお得@