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完全なる独り言


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空は青く、森は蒼く、海は藍。

頭の中を整理するために。

心を確認するために。

前を向いて歩くために。

溢れる思考と感情と想いをなるべく正直に。




※検索で訪問された人は右上「日記もくじ」より検索文字列(全文検索=100件)を試してみてください。


2006年11月11日(土) 回顧録 高校〜大学

高校生のころ。
ずっと自分の話が出来なかったのに、ある場所に身を置いて変わった。という話を少し前にした。


その変わる一年ぐらい前、この寝ない私がものすごく眠かったときがある。
もともと小さな子供の頃から睡眠は少なく、眠れない子だった。
車の中などの移動中も寝なかったし、夜もあまり眠くないし、起きていられる子だった。

根底にあるのは 眠れない と 眠るのがもったいない

起きていれば良い事があると思っていたのかな。眠くないから余計に、眠る意義が見つけられなかったのだろう。

高校の時のその眠くてたまらない…は、授業中に寝るという形で出ていた(´゚ω゚):;*.':;ブッ
メガネ掛けていたんですよ。その頃。
ちゃんとね、メガネはずして寝てた。
あんな変な格好では本当に眠れる人間じゃないのに。毎日ねてたなぁ。
聞いてなくてもわかる授業なんて頑張って起きている気になれなかった。

私はまあ、成績も良く、取り立てて不良でもなく。坊ちゃん嬢ちゃん学校の中ではちょっと外れていたとは思うけれど先生からは真面目できちんとした子に映っていたのじゃないかな。
見た目も至って普通だったはず。

でも眠くてたまらなかったあの頃、眠るだけでは足らず、朝、ふらっと学校のある駅で降りずにそのまま乗って海に行ってしまったり、
冬なんかホカロン使って体温上げて早退して海に行ったりしてたなw
真面目で普通で成績優秀?だったから、誰も疑わないんですねー。
成績はクラスでトップだったし、学年でも昔のマンモス高だから500人ぐらいいたけどトップクラスだったよ。

人の見る目なんてそんなもんです。

当時、家の中はメチャメチャ。父は帰らず、別宅を作り、母はアル中。姉は家出をしていたというのに。
私個人の中でも恋愛や友人など色々な事で大きな大きな悩みがありました。
でも、そんな事誰も気がつきません。私自身が荒れていないから、見た目。
親に至っては、私がそんな事していることも、そんな事があることも、知りたくなかったから。
私を見ようとすらしませんでした。


しかしね、今思うと繁華街に行かず、制服のまま海でボーっとしている私ってかわいいもんだな(ぇ

勉強だけは自分のためだと思ってやっていた。あのくだらない奴らのようにならないために。
自分自身の将来に色んな可能性を持たせてあげるために。
そして見てもくれない親に認めてもらうために。

あの頃ね、中身は忘れたけどクラスで何か問題が起こり、先生が金八先生よろしく、生徒に何か訴え掛けた時があったんですよ。
それがうざくてね。一生懸命というより、そんな自分に酔っているような偽善者に感じて。
普段、そんな事で発言などしないのですが、名指しで聞かれて

「先生と生徒なんて所詮、分かり合えるものじゃないのだから何を言っても無駄ですよ。どれだけ言われても私は何もそれについて答えるつもりもないし変わるつもりもない。」

そんな事を言ったんですね。
先生ショックだったみたいですねー。先生の頭の中では味方してくれる方に分類されていたと思われる私。だからこそ指名したんでしょ。
でも事実だし。 あの偽善の塊みたいな話をそれ以上聞きたくなかったんだ。
それまでも誰も先生の言葉に反応する人なんかいなくて。みんな冷ややかだった。
そしてその後、ごにょごにょと何かを言った後、先生は話をやめた。

まぁ、客観的に言えば、そこで辞めたら偽善者と認めた事になってますます生徒は離れるのに。と思うけどね。

そう言えば真面目で問題なしの子供に見えていても、媚びないし服従は絶対しない私に気づいていた先生は徹底的に私を嫌い潰そうとしてたっけww

今思った…大人は誰一人として 「どうしたの?」とは言わなかったなぁ。別に言ってほしいとも思っていなかったけれど。


とにかくあの時は眠かったんだぁ。


大人は誰一人…そう、大人はって今、書いてて足したんだ。
思い出したよ。その頃唯一「どうしたの?」って私に聞いた子がいたんだ。

その子は凄い子でね。なんと言うこともない子だけれど、とにかくイジケても悔しくても意地を張っても、その張ってる事にも素直だった。
悲しければ悲しいといい、変と思えば変という。
好きな人の事で迷えばそれを素直にどうしようといい、だって好きなんだもん。って言うんだ。

あの子は私の当時の唯一の気を許せる相手になったけれど、先生の陰謀で(マジw クラスは分けられ、部活も違うし帰る方向も反対。あの子を慕う友達はいっぱいいたしね。
特に見た目がいいというわけじゃないけどよくもててたねー。
なかなか話す機会は減っていた。
自分から言えばいいんだろうけど、言えない人間に加えて短い時間で話すのは難しく。

私は自分に何かしてくれた人、好きな人にはそれと同じかそれ以上必ず返すやつ。
奴に対しても出来る事は何でもしてきたよ。
社会人になってあの子の恋愛にも散々付き合ったっけ。
いきなし夜中に電話掛けてきて「車出してー」言うんだよ?家が25㌔ぐらい離れてんのにw
下道しかないからそこまで行くのに一時間だよ( ̄ー ̄; ヒヤリ

でもそれだけなりふり構わず必死だったんだ。追い詰められた人の気持ちはわかる。
そして奴は決して私を利用する人間じゃない。
他に頼れないから来るんだ。そしていつかそれだけのものは返してくれる。

まぁ、今でも友達だけどね。もう何年も会っていないけれど、友達と胸を張って言える数少ない中の一人。


あの眠たかった時代、もう少しあの子が近くにいたら、一人で良いから大人が「どうしたの?」って言ってくれたら何か違ったのかなぁ。


結局、
偶然の「その他に身を置く」と言う行為
学校と恋愛に対して自分で結論を出す
と言う事でそのトンネルは抜けた。

家庭は勝手に動いていたけれど、
その自分の中の変化=自分を出し、自分を楽しもう=自分は自分の第一歩を踏み出した事で心がちょっと離れたからね。
彼らが泣こうがわめこうが、殴り合いをしようが、バイクで事故ろうが私の心は痛まなくなった。
自分に降りかかる事にはその後もずっと痛み続けるのだけれどw


最近、書きたい事が漠然としすぎていて書けないと言っていた私。


今を無理して書くことはやめにしてみようと思ったら、前に「もやっとした一日」で、高校時代の話をちょっと書いて「少し続きを書いてみたい」と思った事を思い出したんだ。

それでこんな話( -_-)フッ


けじめをつけた恋愛の話はまた別の機会に(ぉ

今日はもう少し先まで書いてみよう。

大学に入った私は猛烈に 勉強 バイトを始めました。
高校の終わりからバイトはしてましたけどね。バレたら停学だったけど。
とにかく金が欲しかった。週に6日。学校が終わるとすぐ、出なくてすむ授業(何) は、サボって。夜の23時ごろまで。
日曜日も正月ももちろん出勤。
大学の頃付き合っていた人たちは社会人で、何故か週末休みじゃない人々w
一応そこは休みを取っていた記憶。

当然扶養者から外れるぐらい稼いでました。どう切り抜けていたかは内緒@ボーナスも貰って正社員状態でしたw


稼いだお金は7割が車へ。残りはタバコに酒にパチンコ(´゚ω゚):;*.':;ブッ  後は本かなw
あの頃が一番裕福でしたね。
本は好きなだけ買えたし、税金抜いたら全部自分のものだったから。
物にあっても金に執着のない私は、使う事が惜しいと思わなかった。今でもだけどw
目的のある時は一気に貯めてない時は使う使う…。

 貧乏だったしねー。思いついた時に使える金があることが楽しかった。働いてるから翌月にはまたお金が入るし。
車と言う目的のために、一月、まったく休みなしで朝から夜中まで肉体労働をした事もある。
さすがに夏休みだったけどw


あの頃はとにかく精力的だった。ある意味初めて外の世界に出る自由を得た私。
その前の第一次〝変化〟後だったので何もかもが楽しくてね。
アホな仲間もその頃。
週に6も働いて、学校も一応?行って恋人とも毎日のように会って、友達と飲みにも行くし、夜中にドライブにも行ってた。

まさに何時寝てるんだ状態。 眠くなかったね、あの頃。
まぁ眠くないのが基本なんだけど。

もちろん、家庭には相変わらず私の居場所などなかったし、そのくせ顔色を伺うと言う…
変に家の中に長くいると、痛めつけられる事が多かったから夜中に寝に帰るだけだった。
そこは私の居場所じゃないから。

あの頃はその忙しさに加え、この毎日会っていた連れがやっかいでね(ぇ
毎日迎えに来るんですよ。40㌔ぐらい離れているところへ。
社会人なのに。
まぁ、あっちも若いから出来たんだろうけどね。
これがベッタリだったから友達とベッタリ深く…がなかなか出来なかったね。友達はさらに遠かったりし。
こんな風に言うと冷たい感じだけど、楽しい事が多すぎてもっと色々したいのに
どこに行っても一定の時間になると店の前に連れがいる…(,,-∀-)と言うのは嫌なもんですw
まぁ…そこら辺もそのうち。。(ぉ

私にいわゆる遊び仲間が出来たのはこの第一次変化後ですね。
まさに老若男女問わず、たくさんの人に出会い、刺激が多く得たものも多かったです。
性別年齢肩書きにこだわらない私は、こだわる人にとってかなり生意気だったでしょうw
こだわらない人々と遊び、話、「人はみな、幾つでも男でも女でも同じだな」と身をもって知った時です。

いい年をした大人が恋愛に悩み、仕事に悩み、無邪気に笑う。
人生に焦りを感じたり、迷ったり後悔したりしながら生きてる。
ゆとりがなければイライラするし、愛する人がいれば優しくて穏やかになる。
試行錯誤をしながら生きてる。

反面、挫折と痛みを知っている人は人の痛みがわかる。いたわれる。
仲間たちはみな、そんな人たちでした。


私は元々大人数も苦手だし、人に気を使ってしまうので、人との関係はシンプルが基本。
友情に恋愛は持ち込まない。友達と恋人は一緒に会わない。大学の仲間と職場の仲間も別。おっちゃんたちも別w 
いっぱしに行きつけの店もあったけど飲みに行く店も別。 もちろん家庭はもっと別。


この感じは今でもそうです。


それぞれ私の別の場所を知ってはいたけれど目にする事はほとんどない。
会社の顔と家庭の顔。みたいなのがあるように、多少それぞれで違う顔だったはず。


今、大好きな子に対しての私の顔は、他の誰に対してとも違う。 愛情も心の開き方も違うから。 そういう違い。


だから隠してなかったけどね。見せるのは気恥ずかしかったり話題の違うものを引き合わせて疲れるのも嫌で。


家庭に至っては完全に隠してた。
何処で何をしているのか、誰といるのか。恋人がいる事すら彼らは長い事知らなかった。
まぁ、私も頑張って私生活隠していたけど、あっちも自分らでいっぱいだったしね。


もちろんあの頃だって家庭以外にも悩みやトラブルもあったよ。
けど元気だったな。


卒業する頃、ちょっと付き合っていた年上の人がひたすら私が社会に出る事を心配していたっけ。
お前に合う会社を探せってね。お前をわかってくれる上司に出会わないとって。
そんなん配属とかあるし、入らないとわかんないじゃーん。と思いつつ…。
そう…確かにその後大変だったよ。。(==
素直に引き抜きで就職しとけば良かったかな。

 

 

今日はちょっと下界へお仕事

体調が優れないのでダルダルゥー。そして土砂降り。

しかもね、優れないのに出先で食べたら帰りに…以下略(,,-∀-)

それでもちょっと面白いものを目にしたりしてね。
とてもいじらしい女の子。
かわいいんすよ。顔もw

ああ、一定の年齢以下なら顔もかわいいと思うのかなw

好きな子にね、会って凄い目がきらきらしてるの。
何を話すでもなく、はにかんで。でもそこから離れず。

顔も元々かわいいんだけど、そのキラキラした目となんとも言えずうれしそうな顔がいいですねー。

老若男女問わず、恋愛はいいもの、凄いものなんだなと思いましたw


今日はね、私はまだあの子の声を聴いていないんだ。
だから゜+.(・∀・)゜+.゜尻尾フリフリはまだないけど、私もあの子の前であんな感じなのかなぁ。
あ…顔がぜんぜん違うんだけどね( ̄ー ̄; ヒヤリ


いっぱい書いたから今日の収穫書こうかな。。

今日の収穫
優しい笑顔に出会ったよ。
あとね、あの子に良い事あったみたいだからそれが嬉しいな。

いつかオムライス。そう思っているけれど、髪も洗って欲しいなぁ(何

2006年11月12日(日) 回顧録 出生

昨日、タイトルをつけるのを忘れていて。
さっきつけた。「回顧録」そう、あれは回顧録。
回顧録といえば、よくお迎えの迫る人生の終盤を迎えた時に、書くよね。

わじ、そこまで老いてない(,,-∀-)

でもずっと書いてみたいと思っていたんだぁ。整理したいと言うのかな。

過去は変わらないでしょ。だから何時でもいいじゃん(´・ω・`)?
むしろ今書きたいと書いてるんだからそれは 書くとき なんだと思う。

前後もするし、ぜんぜん違う話を書く日もあるだろうけど回顧録やってみよう。
一応これでも数十年生きてきたのだから、書きたい事全部書くには時間が掛かる。
途中でやめるかもしれない。書けない事もあるだろう。

それでも全部書いたら、何か得るものがあるんじゃないかなと思うんだ。
だからポロポロやってみるよ。

ちなみに中身は暗いものが多いですが、本人淡々と書いてます。そして登場人物全てに対して恨みはないですw

・ さて、早速前後して小さな子供の頃の話。

生まれた時は標準。まん丸な顔をした普通の赤ちゃんだった(らしい。)
私の家は核家族。親戚は近くに一人もおらず、郊外の住宅地の一軒家。
比較的若い両親が何故そんな家を持っていたかと言えばひたすら親パワーw
父親はなかなかのボンボン育ち。母親は田舎の貧乏育ち。

苦もなくマイホームを手に入れた父はなかなかのエリート。そして見栄っ張りで女好き。給料の大半を自分で使っていた。必要なら借金をしてでも。

だから家はあるけど中身は貧乏(´゚ω゚):;*.':;ブッ

母は彼を愛していたし、学のない貧乏育ちの彼女は、顔・家柄・社会的地位3拍子揃った彼の「妻の座」にステータスを感じ固執した。
貧乏と苦労を味わい続けて育った彼女はこの素敵な夫との幸福な家庭を自慢にしたかった。
そして身の丈で元気に明るく生きていたであろう彼女もまた、見栄っ張りになった。

そう、彼らの世間体第一主義はこの頃既に始まっていたのだろう。


でも中身は貧乏。美容院や新しい洋服はおろか、母は独身時代にコツコツ貯めた貯金を切り崩し、物を売り、洋服は作り直し、乳飲み子を抱え、明日の食事にも困っていた。
父は毎晩飲み歩き、どこかの女に貢いでいたけれど。


そんな母が妊娠した。私である。
母の最初の感想は「困ったなぁ(´△`) はぁ…」

そんなに困るなら作るなよ(-。-)ボソッ
できちゃった婚をする人は結構いるけど、二人目はみんな即できたりしないんだよねー。
最初無計画の癖に、次は計画的なんだw 学んだという事なんだろうけど。
この人たちにはなかったんだねb

生むより降ろすほうが安いからね。降ろす事に決めた。

でも当日どうしても病院の扉を入れなかったそうだ。
かわいそうと思ったんだって。

父は遊びをやめるわけでもなく、生むなら生めば(´・ω・`)?どうせなら男がいいな。
と、のん気だったらしいw

父はせっかく生むんだから男がいいな。男でありますように。そう願い続けていた。
母は愛する父の望む男でありますように。そう願い続けていた。


ものすごーーくガッカリしたそうだ。
そりゃそうだよね、生みたくなかったのに生んで、生活レベル的に最後の子供。
どうせなら男がいい。そう思っていたのだから。
今更、女の名前を考える気も失せたらしい。


どうしてそんな事を知っているかって?母がね全部教えてくれたんですよ。繰り返し繰り返し。


それでもかわいそうと思って生かしてくれて、育ててもらったんだから感謝だよね。

以前は、こんなに傷つけてきて、ただ生んで生かしてきただけで感謝なんかできるかよ。って思っていたけどねw

だからキレイ事のように「親なんだから…」という人が大嫌いだった。
でも今は例え歪んでいても、偏っていても彼らなりの愛情があると思えるようになった。
そして、ここまで生きていて良かったと思えるものに出逢えたから感謝してるよ。


けど、物心ついた時から私は「要らなかったんだ。」「男が良かったんだ」それが一生付きまとう事になった。

実際、色んな場面でそれが感じられたんだ。

母は兄弟対等にしようと心がけてくれた人だけど、私の写真には父と取った写真は一枚もない。
姉の写真はほとんど母が撮り、父が嬉しそうに写っている。
4人で撮った写真も姉の隣に父。

私はおとなしく、泣き虫で弱虫な子供だった。
姉はおてんばで気が強く、活発だった。

それでも父は私にキャッチボールをさせ、泣く事を嫌い、女の子らしい事をすると似合わないと笑った。
男の子のようであると喜んだ。
母は父が喜ぶと喜んだ。
私は両親が喜ぶ事が嬉しかった。

よく父に泣かされていたね。からかい、嫌がる事をしつこく繰り返し、泣きながら怒ると楽しそうだった。
これはいじめだねw

私は長い事、「男だったら良かったのに。男になりたい。」そう思っていた。女の子らしい事は似合わないんだ。そう思っていた。
コンプレックスに満ち満ちていた。


私が生まれる前から父の女癖に悩まされていた母は何故か私を愚痴の聞き役として選んだ。
自分が必要とされる事に私は素直に喜んだ。胸が痛く聞きたくない話もいっぱいだったけれど。
母はある時は「あんな男になったら嫌だからお前が女で良かったよ。」といい、
ある時は「お前が男だったら良かったのに。男の子は母親の味方になってくれるから。」と言った。
 
その頃には普通に生まれた私はガリガリで背も平均以下の子供になっていた。


男とか女とか年齢とか見た目とかってそんなに大事なの?これもまた以後、私の中にずっと残る疑問となった。

今日はちょっと変わったところにお出かけ

それは神社(ぁ

厳かな祝詞と口上を聴きながら、まったく違う事を考えていた私w

繰り返し繰り返し同じ事を執り行っているこの神主さんは、どのぐらい心をこめてやってるのかなー。

神教に仏教にキリスト教 こんなに色々やっていても聴いてくれるのかなー。とかとか…。

その場にまったく関係ないことも…w

清められ、榊を神様に渡し、鏡の向こうにいる神様にお願い事をすると聞き届けてくれるそうだ。

鏡をじっと覗き込んでみた。
(*・ω・)】ゝ もしもし?そしてそっと願い事を心でつぶやいてみた。


帰りにおみくじを買ってみた。中身は内緒(ぇ

色々あったし、思うところもあったのだけど、上が長すぎたので書くのはやめておこうw


空が高くてなかなかきれいだったよ。
そして鏡はピカピカだった。

 

2006年11月13日(月) 回顧録 小学校へ

私の幼少時代の記憶の中にやさしい思い出がひとつある。

母と二人で手遊びをした記憶。
「お寺のおしょさんがかぼちゃの種を蒔きました♪」ってやつ。
何度も繰り返してやった。母が優しい顔をして楽しそうだった。

後は何も楽しいことはなかった。とは、言わないけれど、強烈な印象のもの、繰り返されたもののほうが記憶には残るものである。

私の中に残る強烈な印象はあとは大体悲惨(´゚ω゚):;*.':;ブッ

当時は姉は優しかったよ。年の差はあまりないけれど体の小さくて弱虫の私を守ってあげなくちゃ。と思っていた。
彼女の思うとおりに私ができず、イライラさせることはあったけど、たいてい彼女は私をいたわり、
独りぼっちにならないようにどこに行くにも連れて行った。

当時既に母の精神状態はかなり怪しいものになっていた。
ベロベロに酔っ払って帰ってきて真冬にリビングで寝てしまったりして心配で私たちも眠れなかったりしたっけ。

姉もまた情緒不安定だったのだろう。夜中に眠れなかったり、金縛りにあったり、おねしょしたりしていた。

私はもうその頃から自分の感情を出すのが苦手だった。性質なのかな。
癇癪もちで、時々壊れたように手におえなくなる時があるけど、普段は楽しい以外の感情はほとんど出さなかった。

「姉は繊細で弱い。私は太くて大丈夫。」 そんな風にキャラは決定された。

だから母は「お前ならいい。お前になら言える。これでお前まで弱かったら困る。」そう言いながらたくさんの話をしたよ。

言う人いなくてね、辛かったんだと思う。周囲に知り合いも頼れる人もいなくて、
田舎から出てきて故郷に錦を飾った人。両親(私の祖父母)は悲しませたくない。 恋愛結婚だけれど父と母は従兄弟だった。
本来、頼れるはずの伴侶が自分を裏切り傷つける。暴力も振るう。
母は私を産んだ後、病気で子供の生めない体になった。生めても生まなかったはずだけど、
夫の浮気が女としての自尊心を傷つけるのに加え、女としての自分にコンプレックスを持つようになった。
 これらがさらに母を苦境に追いやった。


小学校にあがる前、父が単身赴任をしていた事があるんです。
今考えてもそれは、通勤できる範囲なんだけれど。
母が私を連れてそこに掃除をしに行ったぐらいですから。
別宅欲しかったんでしょうねぇw

凄かったですよー。そこら中に女の匂いがぷんぷん。
ペアのカップに女物の化粧道具。かわいらしいブリキのテーブル。
冷蔵庫には私には滅多に飲めないジュース。

母がね、壊れました。もともと壊れてたけどw

家中のもの全てについて私に解説しながら破壊した。
落ちてる長い髪の毛まで解説しながら。ブリキのテーブルなんて真っ二つ(´゚ω゚):;*.':;ブッ

怯えながら母を見ていたよ。顔は無表情で止めもせず、泣きもしなかったけれど。

西日の当たるその部屋は窓のすぐ下には隣の部屋が見えてたな。
初めて上るあのアパートの〝下の見える〟階段は怖かった。

父とその女はそこで周囲の人に夫婦ですと言っていたらしい。
父はね、おろかな人なんですよ。母もそうだけど。
彼は顔もよく、もてる男だけど遊びが下手。
女を口説くのに家庭使うから、女はみな、母が最低の女だと思い、そして妻の座を明け渡せと迫る。
これ以後の女もずーーっとそんな感じw


それでも小学校に入学した頃、私は楽しかった。伸び伸びしていた。
友達もたくさんいたし、学校が楽しくてね。男の子とばかり遊んでいたけど。
近所の人も子供に優しく一人でいたら声をかけ、うちに入れてお菓子を食べさせてくれるような環境だった。

でもここは、1年生までで去ることになった。
単身赴任は家計をさらに圧迫したし、その女と別れたのかな。
赴任先の近くに家を買い換えた。


ここで以後の大半を過ごす事になるのだけれど、この転居は私に大きな影響を与えることになる。


一応友達はできた。クラス全員に無視されたりもしなかった。
でもイジメられた。
何か違うことを言うだけで、「転校生の癖に生意気だ」そう言われた。
仲間はずれにされ、物を隠された。楽しそうだった。原因は生意気なお前にある。悔い改めろと言われた。
私の大事なものを取り上げ、「返してっ!」と取り返そうとすると、仲間同士でそれをキャッチしあい、走り回る私を楽しそうに見ていた。

わからなかった。  
何故、転校生は自分の嫌な事を嫌といってはいけないのか。
他の子たちも同じ事をして、言ってるのに。
癖にってなんだ? 生意気の基準もどうしてもわからなかった。


ああ…納得の行かない事には動けないのはこの頃からのようだw


とにかく基準がわからないから、直しようもなかった。
周囲を見ても〝転校生〟ということ以外私のしてる事と違いはなかった。
まぁ、郷に入れば…みたいな社会性はなかったんだろうねw
悲しい時に悲しい顔、困った時に困った顔もできなかったし。

「どうしたらいいの?」とは、聞けなかったなぁ。。

お前はしっかりしていると言われ続けていた自尊心、そして納得の行かない感情。戸惑い。
助けは求められても求めることがあまりなかったから。
だから先生にも親にも言えなかった。

姉もまた同じようにされていた。
姉は両親に隠さないし、隠せない子だった。私より遥かに両親に甘えていた。
だから親は姉にかかりきり。父は気まぐれで子供にも手を上げる人だけれど、
それでも姉を宝物のように誇って大事にしていたし、母も我が子だからね、そんな姉を心配していた。

そして私に言ったよ。
「お前は大丈夫だよね?ねーちゃんが心配だよ。困ったなぁ。お前は心配ないから助かるよ。」

「お前も何かあるかぃ?」とは絶対聞かなかった。念を押すように「大丈夫だもんね。」としか。

両親も姉も私を大丈夫な奴。と決めて、一人前の大人に対してのように、時には頼り、意見も求め、甘えてきたけれど、
気に入らない意見を言うと生意気だと言った。小さい癖にと。


 『男って女って、見た目って何?』 と言う疑問に加え、
『生意気って何?ほんの少し後で生まれた(参加した)だけで服従しなければならないの?先の人は偉いの?』
この疑問も以後付きまとうことになった。

見た目で判断する世界、いわゆる世間体的ものの基準に対し反骨心を持ち、
外側に捕らわれず中身を徹底的に重視する

これはそうだね、ここら辺で確立したものなんだと思う。


 

 昨日は徹夜(´゚ω゚):;*.':;ブッ
まぁ、その前も大差はないんだけどw

あの子と久しぶりに話をした。
内容は軽く楽しいものではなく、この先のいろんな課題や可能性など、即結論の出るものではない事だけれど
確かに互いに愛していて、大事な存在なのだから、急がず丁寧にゆっくり方向性を決めていければなと思う。

話せた事は素直に嬉しかった。声が聴けた事、向き合える事。
向き合わなければ何も進まないから。

好きだってわかっていても何も言われなければそのうち確信が持てなくなる。
自分の好きだって、確認しなければ、傍にいなければわからなくなる。

「この人は私が好き。」 から 「この人は私を好きなはず。」 になる。不安になる。

愛情と言うものは目に見えなくて感情で成り立っているから。

だから相手を不安にさせないように、安心して伸び伸びしていられるように。そして自分の溢れる思いを伝えるたいから、私は全てを駆使して伝え続ける。
一時の感情・状況で大事なものを見失わないように大切に確認していく。
向き合う事でしかわからない事がある。


だから向き合えた事、向き合う約束ができた事が嬉しかった。

徹夜明け、なかなか眠れなかったけれど、それでも久しぶりに熟睡できたよ。


今日の収穫なんだろうなぁ。
やっぱし、気持ちかな。うん。

2006年11月14日(火) 回顧録 小学校

小学校は全部で3校。延べ4校行った。一度出戻ってる(´゚ω゚):;*.':;ブッ

 あの2番目の学校では、その後も学年が変わってもまだ「転校生の癖に」を言う奴がいた。
よーするに難癖付けてただけなんだけど、聞いていてこっちが呆れるぐらいだった。

そうだ、あの頃一度だけ家庭で訴えた事がある。
私をからかう「ある言葉」を私はどういう意味なのか良くわからないけど、どうしても嫌で泣きじゃくって訴えたんだ。

そしたらね、母と姉が大爆笑してさ。意味がわからない私を笑い、そしてそんな事言う奴はほっとけばいい。
そう言って意味のわからない癖に嫌だと泣いてる私が面白い。と言う話にずれ( ゚ ρ ゚ )ボーーーー
父にも報告して笑ってたっけ。
あれが最初で最後じゃないか?とにかく私は訴える事は以後二度としなかった。


母は家計を助けるためにパートを始めた。
姉に「ねーちゃんなんだから、しっかりしてね。妹をちゃんと見るんだよ」と念を押し。
あの人はどうしていつもそういう言い方をするのだろう。
相手に選択の余地は与えない。自分で答えは決めてる。

そして「こんなはずじゃなかった。惨めだ。」と泣きながら働きに出た。
別に惨めじゃないと思うけどなあ。周りの家が専業主婦なのに情けなくてみっともない。そう言ってた。
そして仕事のストレスが彼女に加わる事になる。

母は父にかわいがられ、父に似ている姉に父への愛憎を重ねて些細な事でなじり、殴り始めた。
私にも手は上げたけど、それより私には仕事の愚痴を聞く役目をひとつ増やした。

そしてある時は「お前を生んでよかったよ。」といい、
ある時は「お前なんか生まなきゃ良かった、お前たちさえいなければ離婚できるのに。」そう言った。


姉は私の「親の代わり」にならなければと思うようになった。1つしか違わないのに。
そして母からの虐待ストレスを抱えた。
姉が私を殴るようになった。感情を止められなかった。
そして最後に「お前が悪い、お前のためだ」と言った。彼らがそういうように。

姉は優しかったんだよ。私を思い通りにしようとしたけれど。
私が独りぼっちにならないように、家の中が好きな私を友達と遊ぶのに連れて行こうとした。
自分が心が痛むから。
私は独りでいたかった。姉の気持ちは嬉しいけど一緒にいたら私の望む事はできなかった。
姉もまた「これでいいよね。お前にはこれがいいよ。」そういう言い方をする人だった。
友達と遊ぶのだって好きだったけど、独りも好きだった。
だって誰にも干渉されないんだもん。孤独の中の開放感。


本をがむしゃらに読み始めたのもこの頃。歩き読みして電柱にぶつかったりしてねw
本の中の世界が大好きだった。そこにはたくさんの夢があった。

でも家の中で1人で読書に夢中になっててふと我に返ると、異空間にいるような錯覚を覚えた。
1階にいれば2階の気配が気になり、2階にいれば下の気配に怯えた。
孤独が怖くて玄関を飛び出した事が何度もある。
人の声、姿を見て安心。


姉が死のうとしたのはこの頃かな。家族中いっぱぃいっぱぃで生きていた。


父は母より私を殴ったね。母の事もよく殴っていた。姉には本当に手を出さなかった。
何だろう。。服従させたくてたまらない生意気なオーラでもあるのかな。
そもそも私は〝舐められる〟タイプなんだろう。だから見下しているのにそうじゃなかった時にむかつく。

まぁ、勉強はできたよ。でも俺様に良く似た姉はどんどん落ちこぼれていった。
よく「俺の子なのにおかしい。」そう言ってた。生活が苦しいのに姉に家庭教師をつけできる様に必死だった。
勉強ができないのはプライドが許せないようだった。
姉ができないのは母のせいだと言ってたよ。

父は私が勉強ができる事を褒めはしなかった。決して。
98点なら100じゃないのか。といい、100点を取ればたまたまじゃないの?次も取れるのかねーと言った。
叱咤激励を間違えてる見本のような人だねb
でも人には自慢してたよ。

馬鹿と言われ続けていた母がかわいそうだった。
母に似ていると言われていた私が勉強ができると母は嬉しそうだった。

私は両親に受け入れられるために勉強するようになった。



3個目の学校は田舎町の学校。楽しかったよ。この転校は私に大事な事を教えてくれた。

「転校生の癖に」と言うのは当たり前じゃないんだ。

世界は広いし、1つの場所の常識が全ての常識じゃないんだ。

新しいもの、知らない世界に素直に興味を持つ子達だった。
そしてわからない事に親切だった。

私ね、ここの子達にだけ名前で呼ばれていたんだよ。「○○○ちゃん」ってねw
自己紹介の後、かわいい名前だね。そう言って、そう呼ぶとみんなが決めた。

そこで仲良くなった子に母子家庭の一人っ子でちょっと大人びた子がいた。ませていたし、冷めていた。
そのうち不良になるのね。そんな子だった。
でもいい子だったよ。やさしくて寂しがり屋だった。
両親は彼女と遊ぶ事にいい顔をしなかった。母子家庭の水商売の子供だから影響悪いって。
確かに色々な影響はあったよw 性に関する知識を与えてくれたのは彼女…と両親なんだけどww

たまに思い出す。あの子はどうしているんだろうって。
幸せになってるといいな。

でもここは一年しかいられなかった。
そしてあの学校に出戻ったw


中学に上がる前、ちょっとしたきっかけで父に将来の夢を話した。
父は鼻で笑った。
「なれると思ってるの??子供のうちはそんな事いってられる。俺だっていろいろ思っていたけどできなかったんだから。まぁ今のうちに夢を見ておくんだね。」
年齢的にエリートの父にも職場の悩みの多い時だったのだろう。

でも彼は子供過ぎた。
そして私は本物の子供だった。
聞き流せなかった。傷ついた。そして意地になった。

 

昨日も5時ごろ寝た(。-_-。)ポッ
別にね、そんな事は私にとって大きな問題じゃないんだ。
起きてられるし。そして寝つき悪(´゚ω゚):;*.':;ブッ

それよりも、まったりとあの子にメル。
ここもね、そうだけれど、なるべくシンプルに要点を抑えて、伝えたい事、言いたい事を的確に。

そう思って書いてるんだけど…( ̄ー ̄; ヒヤリ

だからね、私はいつも書いた後に繰り返し読む。
書き漏らしはないか。誤解されるような言葉の使い方をしていないか。省けるものがあったのではないか。

削れない_| ̄|○

何でそんなに私の中には感情が、言葉が溢れているんだ(・ε・?

「ご飯がおいしい。」これを、何故おいしいのか。 米がいいから。 新米だから。 甘いな。 でも同じ米でもおいしいと思えない時があるぞ。 何で? 気持ちが食べる事に喜びを感じないから。 今美味いならそれはいいことだ。 米の味がわかる事が嬉しい。 でも米が古米でも美味いときもあるぞ。 何で? 場が楽しいから。 食べてる事が楽しいから。 そうか、あの子と食えばそれが何であれ、美味かったり楽しかったりするもんな。 
そんなことを考えてる。゜д゜)・・・お前の頭の中っていったい…。

さすがにここまで書かないけど( ̄ー ̄; ヒヤリ

でも長いんだぁ。

私はあの子にメルを書くこと大好き。書いてる時間が好き。想ってる時間が好きだから。

そしていっぱぃいっぱぃあの子に対しては気持ちが溢れていて、どれだけ言葉を尽くしても足らないと感じるから。

ぶっちゃけ、読むほうは大変だと思うw
私だったら…読むのは得意だからね。好きだし。その気持ちも嬉しいから、まだましかもしれないけど。
でもやっぱり携帯でビッチリ数千字は大変だと思う(>▽<;; アセアセ

しかも、あの子は、そんな かったるい事〝好き〟なんて言う変わり者じゃないし、徹夜明けで目がしょぼしょぼしてる時に…読んでくれる事が有難いと思う。
あの子が本など一切読まないタイプじゃなくて良かったよε-(´▽`) ホッ
じゃなきゃ苦痛だろうなぁ…と思うねぇ。


私は最近、書きまくってる。ここも。プログも。メルも。
自分に感情があること。それが素直に嬉しくて。そして出したい。出せる事が嬉しい。
こんなに感情、感覚人間なのに、「心が死んでる」時があったから。
だから、返事なんかなくても読んでくれる事が嬉しい。聞いてくれる事。知ろうとしてくれる事が嬉しい。
読みたくなければ開かなければいい事だから。

でも…なげぇよなぁ…(,,-∀-)

ここも読んでくれる人ありがとう。回顧録は私を知らなければどうでも良い事甚だしいと思うww

人はみな平等だと思ってる。形が違ってもみな苦労もしてる。誰が一番なんてものはない。
そして幸せもみんな平等に得られるものだと思ってる。
どんな形でもその人にとって幸せだと感じられるものならばそれでいい。
他人と比べる必要はない。同じ必要もない。

ただ自分の幸せに 気がつく〝目〟だけは開いていたい。敏感さだけは養っておけば。それだけでいい。

みんなちがってみんないい。

人の数だけ人生がある。私を知らずにこれを読んでいる人はただああ、こんな奴もいるんだ。と思ってください。
そして都合のいいように利用してください。
自分より不幸な人がいるとε-(´▽`) ホッとしてもよし。
共感してもよし。アホじゃんと笑ってもよし。
何か得られるものがあれば…無駄な事は1つもない。


最近寒いでしょ。今日は割りと暖かかったのだけれど。

寒いなぁって布団に包まってちょっとだけ寝たつもりが爆睡(´゚ω゚):;*.':;ブッ
短い時間だったんだけどねw
せっかく出かける時に声かけてくれたのに(´・ω・`)音がちっちゃかったのよ~~~~~((((((ノ゜⊿゜)ノあぁああ

寝坊しないかな。なんて心配してたくせに、自分が爆睡(#´ο`#)いやん♪
゜д゜)・・・似合わねぇ…。

今度は時間気にしなくていいから。よく寝てね。気持ちよく眠れますように。


今日の収穫 
いっぱい書けた事(ぁ 
読んでくれた事・声を掛けてくれる事
ゲムで勝った( -_-)フッ

2006年11月15日(水) 右と左 白と黒 0か10 

メルを書くのはどうしてこんなに面倒なんだろう( ゚ ρ ゚ )ボーーーー

私は無精者。そしてマメ。どっちが基本なのかわからない。
どっちも私。 でも 普通の私、本当の私(´・ω・`)?

今日も回顧録の続きを書くかもしれないけど、とりあえずは別の話w


メルが面倒で電話掛けたら繋がらなかったんだな。。
んで、仕方がないから書こうとして一行書いてやめちゃった(。-_-。)ポッ

昨日、長いメルを書くという話をしていたのに、今日は面倒でたまらないと言ってる。
相手が違うからと言えばもちろんそうなんだけれどね。

用事と言うか話したい事があるから書こう、電話しようとしたわけで…。


私は凄く短気。根気がない。熱しやすく冷めやすいし、ムラが激しい。

凄く一生懸命でも突然どうでもいいや。になったりする。
別になくても困らないし。とか、これができたからって何かが大きく変わるわけでもない。とか。
 任されると頑張るし、責任感だって人一倍ある。期待されたり頼られてる事に喜びを感じる。
でも、どれだけ責任があっても、どれだけ頼むぞと言われても、
突然、確かに多少は困るかもしれないけれど自分ひとりいなくなっても変わりは幾らでも探せる。とか思う。

わからない事があれば気持ち悪く、せっせと調べる自分。すっきりしたいから。
でも、手間のかかる作業をしながら、頭の中で「わかんなくても死ぬわけじゃなし。何でこんな事に一生懸命になってんの?やめれば?」ってもう一人の自分が言ってる。

そんな風だからどこか冷めていて、人と話せる時にもムラがあったり、疲れる。
物凄く楽しく話してまたねー。みたいに別れても、次がまったく違うテンションだったりする。
 同じテンションで行かなくちゃと思えば話せる時と話せない時が出てくる。


根底にあるものは何だろう…。その原因と言うのかな。
そんなものも考えながら回顧録なんか書いちゃって何度目かの自分探しをしているわけだけれど。

回顧録もね、書いてると猛烈に書きたいのさ。自分にとって必要だと思う。
でも、突然書いたからって何が変わるわけでもないんじゃね?とか思ったりもするんだ。

でも書いていてw そして精神的に書けない内容と書けなくならない限り、これは書くのだろう。


そして短気だけどそれをあまり出さなくなったし、ない根気は意識して続けるようにしてる。
 責任のあるものなど、一定期間冷めたら困るものなどは冷めないように意識したり、
持続するようにと熱を小出ししたりする。


こっちの根底にあるものはなんとなくわかる。
思い切りの悪さと諦めの悪さ(´゚ω゚):;*.':;ブッ
 そして1つ切れて、1つ冷めて、1つ捨てるたびに、自分の中の何かを失ったり、
捨ててるくせに自分の中にゴミがたまるような感じがするから。

そしてもう1つ。自分を突き動かしたり、無意識で感じた欲。
 そういう感情が「起きる事」を大事にしたいから。



そこそこが苦手なんだぁ。ほっんと 要領よく。とか、社交性とか社交辞令みたいなものが皆無だねw
 人は好きだけど苦手。
けど社交性があって物怖じしなくて人付き合いが得意な気さくな奴だと他人は思ってる。

゜д゜)・・・二重人格かよ(違


先日友達に「好き嫌い激しいよねぇw ○○(私)の厳しいメガネにかなう人はなかなかいないねw」 って言われたプ
そして「○○が、良いと言ったり、好きと言う人は本当に凄いねー」ってププ

うん、凄いんだ(ぁ

お世辞も言えないし、冷静で公平でちょっとひねくれてて、自分の言葉に責任を持ちたいから慎重。
私が褒めたり、好きと言う人は本当に凄い人。

それはだから決して多くはなく。

「褒める事」 他人に理想を押し付けない。自分と違っても個人を尊重し認めてる。けど
人をあまりかわいいと思わない事でもわかるように( ̄ー ̄; ヒヤリ、
 私の中の〝凄い〟と思う基準はとても高い位置なのかもしれない。
人を優しい目で見てるつもり、良いと思えば素直に言う。
でも結構毒舌なのはそのせいかもなww


「好き」  この〝凄い〟に何かが加わらなければ好きはない。
まぁ、この人のここが好きー。みたいな部分的に好きは結構あるけどね。

長短良し悪し、総評してこの人が好き。
これがもの凄く少ない。  たぶん他の人より。
総評して、嫌い。
これが多い。  たぶん他の人より。

長短、良し悪し、全部好き。
こんなのは大変な事さねw


だから私をある程度「知っている」人は私が誰かを好きだと言えば俄然興味を示す(´゚ω゚):;*.':;ブッ
 私に惚れた人がいると聞いても同じ。

どんな奴がこいつの中身を見る事が許されたのか。見たのか。そして見て惚れたのかw
 どんな奴が私のこの複雑で高くて狭いストライクゾーンに入って好かれたのか。


私は不器用で人付き合いが苦手。そこそこができないから疲れる。 
だから大事な人とそうじゃない人との差は激しい。
その差本当に凄いよね。って昔も友達に言われたっけww

そこそこができるようになりたい。
世の中で生きるには是非欲しいアイテム。

でも…出来ないならば、激しくてもいいと思ってる。
大事な人に掛けるエネルギーは失いたくないから。
広く浅くより、深く狭くのほうが好き。

無精者でマメ。大事な人(もの)仕様とそうじゃない人(もの)仕様
そんなバランスの取り方。


長くなっちゃったから、今日はやっぱり回顧録は休み…かなw

まぁ、何事も焦らずゆっくり…努力は怠らずでもゆらゆらと。

 
メルどうしよっかなぁ。。w



私はその男に 泣きじゃくって訴えた事があるそうだ。
その人の事を責めたのではなく。その人に対してのことではなく。

泣きじゃくって訴えたそうだ。

衝撃的だった。
この記憶力の良い私が覚えていない。

その男はその時の私も、自分がそれに対して答えた言葉も覚えていた。


その男は他のある事も覚えていた。
そっちは私も覚えている。
場所も中身も。その時の相手の顔も。

私は記憶力が良い。
でももしかしたら奴はもっといいのかもしれない。



私は泣きじゃくって訴えたそうだ。

2006年11月16日(木) 回顧録 中学〜恋愛他 雑記の雑記

さて…そうして中学校に入るわけだけれど
私の住んでいた場所は、区画整理された大きな高級住宅街であり、それはひとつの社会だった。
中学は小学校一校のみ学区内であり、私は単に通う場所が変わっただけで
面子はそっくりそのままの中学に通う事になる。


中学時代についてあまり特出して書くことはない。

家庭は相変わらず。
 母は毎晩のように泣きながら酒を飲み、愚痴を言った。
 父は時折相手が変わるものの、女遊びとその癖の悪さは同じ。
  本当に不思議なぐらい毎度同じ。女が嫌がらせ電話を掛けてきたり、自分の持ち物を車に忍ばせてみたり…。
 そーゆー女が好きなのか、父がそーゆー女にさせるのか。まぁ、両方だなw 



小学時代から中学までの間に数回、母にもう見たくないから離婚してくれと頼み込んだ事がある。
何も要らない。もっと貧乏でもかまわないと。

そもそも、おのれがかわいそうだと泣き続け、父に対する語彙を尽くしたその憎悪の言葉をはく母を純粋にかわいそうだと思っていたから。
救ってあげたかった。
しかし「憎い、最低で非道な男」の父と母は決して別れる事はなかった。
謎だった。  この謎はもう少しあとになってわかる事になる。


 
 母は姉に徐々に暴力を振るえなくなっていた。体が大きくなってくるからね。姉はやり返すようになっていったし。
家庭内暴力の始まり(´゚ω゚):;*.':;ブッ

 私は相変わらずそんな中で、姉に暴力を振るわれ、母の愚痴を聞き続け、
時折父に生意気だと蹴られたりしながらも心は閉ざし続けていた。

私は決してやり返さなかったし、聞きたくないとも言わなかった。〝かわいそうだから〟

姉の私に対する私物化は激しさを増していた。
 依存と支配。


しかし、外から見れば我が家は、いたって普通だった。
家族旅行をし、ドライブに出かけ、習い事をさせる。門限は5時、繁華街外出禁止。映画を見に行くなどもってのほか。週末は家族と過ごすべし(父は自由w)


学校生活も小学時代と大差なかった。

しかし私はここでひとつ学んだ事がある。
  「人と自分の感覚が違う。」
いわゆる周りが引くような怪しい子供ではないけれど、私の中の感覚と他の人の感覚にはっきり違う部分がある。

人との関係、距離のとり方、言葉の重さと軽さの場所の違い。
心の開き方と開く場所。喜怒哀楽の位置と出し方。

私はどこかずれている。そう感じた。
イジメとかの問題の前に、仲良くても上手に人間関係が築けない。


物心ついた頃から私の中にはたくさんの「どうして?」があった。
それは時には知識として糧になり、ある時は疎まれ、そしてある時は心を閉ざした。

この「どうして?」に、他者との違いが加わる。
自分の中面を見つめる作業が始まった。



 塾に通い始めた私は、そこで他校の子達と知りあった。

学校が違うだけでずいぶん雰囲気が違った。井戸の中のような中学に通う蛙のような私たちとは違ってた。

そこで私は1人の男の子と出逢う。

この出逢いは大きかった。以後彼は、長年にわたり私に大きな影響を与え続けた。


私は学校や職場の同じ人と付き合った事はない。厳密に言えば1人だけいるのだけれどw
いつもと違う場所に身をおく事で、自分自身が普段より心を開くのだろうか。
相手も先入観がないからだろうか。


彼は凄く衝撃的な人だった。 私が初めて出逢ったタイプの人だった。
そして彼のようなタイプとは以後付き合った事がない(´゚ω゚):;*.':;ブッ

よく喋り、いつも精力的で、責任感と正義感に溢れ、誰にでも優しく、人を守る力を持っている人だった。
そして彼は、普通なら照れて言えないような思いやりの言葉や感情をストレートに恥ずかしげもなく言える人だった。

それが物凄く自然で、正義に酔った偽善者のそれとは違い「爽やか」でもなくw 嫌味でもなかった。

私のどうしてもできない事を彼は出来る人だった。


彼ときちんと付き合った期間はとても短いものだったが、私は男としての前に人として彼を尊敬していたし、好きだった。

何故別れたかって?私の依存度が高すぎたんですよ。
当時私は心を閉ざす事でバランスを取っていた。

でもね、心を閉ざし嫌な事に蓋をするなんてのは所詮、応急処置にしかならないもんです。
幾ら上手に閉ざせるようになっても、無意識の心の奥は助けを求めている。

初めて「心を開いてもいいよ。」と言われた(許されそう)な関係の人ができて私は依存した。

そして彼は「誰にでも優しい」人だった。
彼の中の私と他者に対する違いが私にはわからなかった。
違いがあるんだと言う彼の言葉だけを素直に信じれば良かったのに。あの頃はそれができなかった。


別れた時はまさに絶望w 子供だったしね、あらゆることに未熟だった。
ただただ、彼とはこれきりになりたくなかった。

 「未練」 確かにそうだと思う。 でもそれだけではなくて、彼を人間として尊敬していた。友達としても十分に魅力的だった。
 彼と気まずくなってこれきりになるのだけは嫌だった。
私は彼と友達になった。

と言ってももちろん、最初はちょっと気まずくてw そしてそのまま高校も別々だからいつも一緒ではないけど。
だから良かったのかな。わかんないけど。

とにかく彼と私の普通の友達とは違う友達が始まった。
友達以上、恋人未満。 まさにそんな感じ。

どういう関係かと聞かれればもちろん友達と答えた。
でも異性なのに一対一の友達だったし、彼を好きかと聞かれれば私は迷わず好きと答えられた。
でも決して言わなかった。そして異性としての好きは封印した。

彼のようになりたいと思った。彼を見ていたいと思った。それだけだった。


この人とはその後もいろんな事があり、そして以後10年付き合う事になる。ある意味一生と言えるのかもしれない。

このままその話を書こうかと思ったけど、時代の前後や何より長くなったので一旦止めww


 回顧録の順番から言って、今日この話を書くのは数日前から決まっていた。

けど、本当に直近の先日、「それはおかしいね。何かが欠けているね。」ってある人に言われたんだぁ。
その人に悪意はなく、責めたり、引いていたわけじゃなく、とても不思議なものとして素直に言っただけ。

私自身今もずっと自分の中の課題としてある部分。
普通は考えるのではなく、本能として出す自然にあるものらしいw


それでいて立て続けに先日3人の人に「ストレートだからねぇ」って言われた(ぁ

でもこっちはね、ちょっと嬉しいもの。
不器用は相変わらずだけれど、何もかもストレートに出せなかった時代、ずっとそうなりたいと思っていたから。

「好き」「ありがとう」「ごめん」「悲しい」「嬉しい」「悔しい」「苦しい」「大丈夫?」「大切」「愛してる」
そう言うものが思うままに言える人になりたかった。
出すほうは相変わらずできなくてわからないんだけどwww

あ…でも、みんなそんないい意味で言ったのではないのかも( ̄ー ̄; ヒヤリ

2006年11月17日(金) 回顧録 高校その2とちょこちょこっと

どっから書こう。

回顧録の続きを書こうとして、手が止まった。
他にも書きたいことがある。
そして、だんだん現在に近づいている事に対しての気持ち。

最初何気なく書き始めた高校まで戻ってきた。
今から少し補足のような形で高校から先を書くわけだけれど、
大学を卒業するところまで書いたくせに、出生に戻ったのはその先が書くにはしんどぃことが多すぎるから。

逆に言えば一気に書けた、出生からここまでと言うのは私の中で見事に消化し、完全なる過去になっているからだろう。
そんなことに気づく。

第一次家庭に対する自分の中の納得。
人は生まれる場所を選べない。
親も子も一生縛られるその関係。一生愛が付きまとうその存在相手を選べない。

それもまた運命だから。
運命の中でもがき、苦しみ、悩み、あがき、あがき…。
恨みはないです。過去の彼らに。ただそうであったと言う事実だけ。 
 物凄い影響力だったと思う。 でも今の私を親のせいにするには私は努力して生きてきすぎている。

私の中の「私らしい。」は私だけのもの。

親兄弟からのたくさんの影響力の中で変わらなかったもの。培ってきたもの。
私の人生の中で出逢ったたくさんの他人から与えられたもの。
それらで出来上がった私。
その避けられない環境の中で努力し続けてきた事で得た良い事まで親のおかげとは思いたくないから(ぇ

 影響なくして人間関係なんてない。
でも、影響を受けたときに何を感じ、どう動くのかを決めてきたのは自分。
例えその決断が間違いだったとしても。
だから今の私は私自身が作ったもの。



高校への進路を決める時

私は父に土下座した。 あの3年前父に語って鼻で笑われた夢を叶える為に。
今思えば、私は本当になりたかったのか、適正があったのかわからない。
単に、執着していただけかもしれない。父が小ばかにせず、「なれるといいね。」 
そう言ってくれていれば少なくとも他の選択肢を考える事ができただろう。

悔しいから、見返してやりたいから意地になる。こんな奴らみたいになりたくないから…ここから逃れたいから…

これが結局、親の掌から逃れられない呪縛だった事に、私はずっとずっと後になって気づく。


私は夢を持ち続けたかったのかもしれない。未来はきっと明るいはずだと。

そうして父に土下座して、さらに進学可能なレベルを下げてまでその夢のために私はある私立高校に進学した。

それこそ例の男の子とだって同じ学校に行けたのに。


高校生にもなると、学校での人間関係も複雑化し、さらに年頃なので恋愛問題も増え、人生を模索する。
まさに思春期。悩み事は増える一方だった。
なのに私はまだ家庭の問題を引きずっていた。


姉はちゃんと荒れていたし、父は女に入れあげていたし、みんな絶好調。
母は包丁持ったり、姉に火傷させられたり、女のところへ乗り込もうとして、酔っ払って運転し事故を起こしたりしてたし、
家の壁にも穴があいたりしてた@


その頃には私は気まぐれで飼われたペットのようだった。

機嫌がいい時は、皆私を連れて何処かに行こうとし、誉めそやし、機嫌の悪い時は些細な事で殴ったり、なじったり。

そして私は私自身の悩みで帰宅時にまっすぐ部屋に入ろうものなら大変だった。
母は「私の話を聞かないで(聞いてくれないで)部屋に篭るなんて態度が悪い」と罵った。

私にだって生活も問題もあるなんて事は誰一人考えようともしなかった。
私は玄関の前で涙をぬぐい、笑い顔を作る練習をしてから扉を開けたことが何度もあった。


夜中が大好きだった。
みんなが寝るのが嬉しかった。
勉強したりぼーっとしたり。誰にも話せない沢山の事をこんな風に綴ったりしていた。
高校生活も後半に入るといそいそと水と氷を持ち込み、水割りを飲みながら勉強したりもしてたな。
酒は強かったね。 両親とも酒飲みだから。

でも酒に飲まれるのが嫌だった。母のようになりたくなかった。
後に知り合った「その他の場所の仲間たち」と飲んだりしても
酒を敵のように飲み、けれどどれだけ酔っても誰の世話にもならないようにだけはしていた。
吐く前に自分で吐き、頭が痛ければ薬を飲み、そしてそれでも飲み続けていた。


目的のある進学だったけれど、私は一年でその夢を諦める事になった。
文系か理系か。ここで反対側の選択をしたから。
した理由は幾つかあるけれど、もちろん私には苦渋の選択だった。

子供の時の夢が破れる事。 父の鼻を明かせなかった事。自分との約束を破る事。
父は案の定、私をさらに馬鹿にし、あざけった。
「根性なしと。浅はかであると。」
もうその頃には私は家庭に胸を痛めつつも、一時の感情で皆殺しにしたいと思う時もあった。
苦しくて苦しくて。そして猛烈に憎かった。存在の否定が悔しかった。悔しかった。

実際には何をされても未だ誰に対してもやり返していなかったけれど。


そうして私は、初めての挫折を経験した。
 もっとも、人間関係においては失敗の連続だったけれど。
それは高校でも同じだったけれど。


そして文系を選択した私は今度は、その挫折を克服して父への恨みを晴らすため、
そして奴らとは違う人生を生きるために猛烈に勉強をした。


息苦しかったんだろうな。当たり前だけどw

例の男の子とは相変わらずだった。
けれど彼を見ていたい、彼のようになりたい。以外の部分、「未練」が、この苦しみの中でムクムクと(ぁ

すっきりしなければ前に進めないと思ったんですね。
普通に恋愛したかったし、ちょっと良いなぐらいはあっても、他の人を好きにならない自分も嫌だった。

それでまぁ…やっぱりやり直したいみたいな事を半分ぐらい言ったんですよ。
何故半分だったかは、説明が難しいなぁ。。
だんだんやっぱ書けなくなってるよw

ともかく、きちんと言おうとその目的で彼にあったその瞬間に、「もういいや。」って思ったんだぁ。

告白されてもしたことはない私。これ、今までずっとなんだけど。
理由は自分から好きにならないから。 この話はまたそのうちw

でも、もしも好きになったとしても言えるような奴じゃないです。
だから凄い勇気だったのに。あった瞬間「もういいや」って思ったんだぁ。
くじけたわけではなく。諦めたわけでもなく。


以後も相変わらず友達以上…だったけれど、私の中の何かが変わりましたね。
相変わらず好きだったし、彼の事は今でも好きだし、認めているというか、尊敬していると言うか…あるけれど。
なんだろう。。

彼と私の人生は、何処まで行っても交わる事がない。 交わるべきではない相手。交われば悲しみが起きる。
そんな感じ。


そして私は彼の事にけじめをつけた後、適当にとりあえず近寄ってきた男と付き合ってみた(´゚ω゚):;*.':;ブッ

まぁ…適当はたまにはいいけど、所詮愛がないですから。好きもなかったかも(´゚ω゚):;*.':;ブッ

他の人に目を向ける。その練習台みたいな。そんな感じでしたねw

ま…相手もそんなに重いノリではなかったから、そんな非道な事ではないですよ汗

適当の報いなのか、適当であったとしても恋愛は…と言うべきか、
私にとっても嫌な事はあったし、傷つけられる事もありましたが、あれはあれでありかな。
何事も勉強(ぇ


そして私は、大学進学の際、見事?父を見返す事ができ、文系では最も上とされる学部に進学した。

この選択が間違っていたとは思っていない。
けれど、自分のため、自分のしたい事。そういう目的で選んだわけではなかった。
だからやっぱり私はここでも

親の掌の上で親の顔色がどうなるかで人生の選択していた

この事実に気がつくのはもっとずっとずっと先だった。

私はこの時、自分の手で挫折を克服し、何処でも行ける状態でその学部を選んだ事で、自分の意思(希望)で選んだと思っていた。

 自分の人生の目的が親に認めてもらうためになっている事には気がつかなかった。

 私の人生の目的は彼らの呪縛から抜け出すためですらなかった事にも気がついていなかった

 自分の人生の目的は自分の幸せのため。幸せとは何か。そのためにはどうすべきか。
いっぱぃ考えて歩んできたつもりが、自分だけの視点で考えるという大切なものができていなかった。
自分の人生は自分だけのものなのに。幸せは自分で決めるものなのに。
自分のための人生が欲しかったのに。



こんな私がちょっとだけ教師になりたいと思った時があったんですよ。
しかし、教師を将来の選択肢に入れるにはその学部は不向きだった。



何になりたいか。何が向いているか。何が得意か。どういうことがしたいのか。

そういう事で将来は選ぶものなんだと。
私は本当に最近、教えてもらった。
そうやって選んだ職業を、苦しくても続けてきたことに誇りを持ち、
キラキラと語ったあの子に。



2006年11月18日(土) 自分の話と回顧録 社会1

 何時からだろう。
自分の気持ちを人に出す事ができない。
「嬉しい」「悲しい」「悔しい」そして自分の欲「甘えたい」「会いたい」そういう感情。
さらに、「弱い」「ずるい」「ダメな」自分。

どうしても人に出せないのなら、せめて「自分にだけは正直でいよう。」
そう思った。自分の心の中のどれだけ見たくないものでも目をそらさずに。
誰にも言えなくても、口にするものが反対であったとしても。

反対を言っている自分を。その事実を認めよう。 そう思った。

口に出す勇気がなくても、直視する勇気だけは持ちたかった。


そこそこ苦労をしてきた私は人に対して厳しかった。
そして自分と違う人間を納得できなかった。
相手に同じ感覚を求め、そうでなければ淋しいと感じ、同じ人を探していた。
人に期待をしていた。だから厳しかった。

「自分に厳しければ人にも厳しくてもいいと思ってる人が多いけれど、本当に自分に厳しい人は人にやさしい。」

倫理の先生が言ったんだ。授業中。
頭を殴られたようだった。

私は自分に厳しいと思っていた。そしてだから人にも厳しくてもいいんだ。と思っていた。
人に優しくなりたいけれど、人に優しくして欲しいのほうが強かった。


だけど優しくして欲しければ、優しくなければしてもらえない。
自分の弱さを認めなれば、人の弱さもいたわれない。
無意識で自己と重ね、自分の中の見たくないものを見せられる事に嫌悪する。
人に優しくなりたかった。優しい人間関係が欲しかった。
自分をまず受け止めなければ人を受け止める事なんかできない。

そのために見たくない自分を見る強さを持とう。
そして自分をもっとかわいがってあげよう。
そう思った。 卑怯な人間になりたくないから。
他人と自分を公平に見たかった。



相変わらず弱虫でナキムシで小心者の私だけれど。
その勇気だけは持っている。
そしたらぐるっと回って、「人にやさしく出来るようになった」
「いろんな人がいて当たり前」それを素直に受け入れられるようになった。
ほんの少しずつでも、いろんな人が沢山の何かをくれている事に気がついた。

1人で生きるしかないと思っていた。内面の意味ねw

それが、いろんな人に助けられている事に気がついた。
人に感謝できるようになった。
人を許せるようになった。

少しずつだけどねw

後はそんなありのままの自分を出せる人を探すだけ。
孤独を癒してくれる人に出逢えれば。


人より多く、世代や環境の違う人間と多く触れ合えた事で
私の中の子供の時からの疑問。
「男って女って何?外側の価値観。目に見える肩書き、親・子・役職・年齢そういうものは関係ないんじゃないか」
それらに身を持って納得できるようになった。


 人生はなんでもあり。みんな違ってみんないい。人と人は突き詰めれば人と人。ただそれだけ。

若くても人の痛みがわかる奴はいる。幾つになっても自分の保身しか考えられない奴がいる。
男でも人だもの。弱いところもある。
女でも人だもの。

人間は人間。だから完璧な人なんかいない。
もしもいても、そんな奴に魅力は感じない。
弱くて当たり前。できないことがあって当たり前。
そういう人間らしい人間が私は好きです。

性別肩書き年齢。そんなもの関係なく、人をただ人として見るようになった。
その人間としてのその人をどう感じるか。それだけ。

自分にはまだまだ完璧を求めていたけれど(´゚ω゚):;*.':;ブッ
世間レベルの完璧を求めていたけれど。
そう、親の掌の中であがいていたから。

親の基準の世間に認めてもらうために。

幼稚だね。大事なものがわからない。
それこそ普通当たり前に持っているものが欠けていて。


「自分がこうなら人もこう。」 そう言う物差しは持たない人間には育ったけれど。

「人がこうなら自分もこう。こうであっていいんだ。」こういう風に自分を見ることができなかった。
だから大切な最も大切な事に気がつかずにいた。

親からの独立は親に認めてもらえなければできないと思っていた。
だから大事な自分の人生を決定する時に私はいつもこれをしたら彼らが何と言うか。それを基準に決めていた。
大事な人でもないのに。
「自分がしたいからする。」 この当たり前の感覚が欠けていた。




さぁ、どうしたもんかなw
もちろん、上に書いた事は書きたいことだったけれど、先を書くのにグズグズしている自分がいる事も認めるよ。

なんかね、その先の部分について系統立てて頭の中であまり考えた事がないんだ。
整理して引き出しにしまう作業をせずにただ引き出しに放りこんだような。
だからまとめて書くのが難しいんだな。


そして上が長かったので今日はちょっとだけ。

私はあの高校時代の挫折の後、2度と同じような挫折はしたくない。そう思っていた。

自分の未来を信じるために。今を生きるために。

けれど、社会に出てからの私は挫折の連続だった。

そう、就職する頃付き合っていた人に心配されていたように。
この〝難しい〟私を理解するどころか頭から拒絶するような人々の中に身を置く就職になった。

何故そこを選んだのかは説明が難しいけれど、相変わらず私の人生を決める判断基準が「親から見て…」であった以上、
見るべき部分が間違っていたのは確かだった。

そこは外側を判断基準にする人々の集団だった。ある意味とても私の基礎社会 家庭 とよく似た環境だった。
もちろんそんな事わかんなくて就職したんだけどねw

私は人を学歴などで判断しない。
当時付き合っていた人は中卒だったし、仲のよい友達だっていろんな人がいた。
あ…この付き合っていた人と、就職を心配していた人は別ですw
同じ時期だけどそんな事は気にしない方向で(ぁ

その会社は外側を判断基準にした挙句、自分より上を疎ましく思う人々の集まりだった。

人の欠点を探し、見下す事で自分を上げる。まさに私の家族と同じ人種だった。


私は自分の学歴を自慢するために築いたわけじゃない。誰かを見下すためでもない。
そんなものどうでもいい。
ただただ、ないより自分の選択肢が広がると思って築いてきた。

といっても別にたいしたものじゃない。
それのせいで自分が疎まれるなんて思ってもみなかった。
広がるはずが狭めていた。目的を見つけられないまま生きてきた敗因だった。


彼らはまず、私が「できないこと」を望んだ。
そして「自分より学歴がいいくせにできないのか。」「お前なんか、たいした奴じゃない。」
そう言うために常に機会をうかがっていた。

人より頭が出て足を引っ張られる。ならわかる。
蹴落とされる心配をした人々は、出させるものかと出る前にもっと下に下げようとした。

被害妄想ではなく。それが事実。
わからない事を訊いても教えてくれない。わからない事を笑った。
そして二言目には「そんな学校でてるくせに、」だった。
誰だって最初はあるのに。誰でも知ってる事と知らない事があるのに。
そして私が知っている事を見ると「私の事バカだと思ってるでしょう」と言われた。


不思議だった。驚いた。自分にはない発想だったから。
そして私は相変わらず〝郷に入れば…〟ができない人間だった。
感情は表面に出なかったし、愛想笑いとか、媚びおだてる事とかもできなかったしね。

私を徹底的に嫌った直属の上司は女性だったのだけれど、てかその部署は女ばっかりだったんだけど。
そもそもそんな女ばっかりのところに身を置ける奴じゃなかったんだけど私(´゚ω゚):;*.':;ブッ
そしてそこで四大卒は私1人だった。 私は学歴なんか気にしないので、就職する時にそんな事気にも留めていなかったんだ。


その上司は私を負かそうと潰そう必死だった。
彼女は「お山の大将」だった。そしてその座にしがみついて生きていた。
本当に他に何も楽しみも幸せもない人だった。

私に難題な仕事を与え、教えずあざけり。そして次は、子供の使いのような事しかできない奴だからと言って
雑用の雑用のような仕事を渡した。
成績が上がるはずのない仕事しか担当を与えず、上がらない事を望んだ。
挙句の果てには書類を改ざんしてまで私の業績を会社に隠していたよ。

そして彼女は何度も言ったよ。
「いい仕事が欲しければ、給料を上げてもらいたければ、私に媚びなさい。」
「本当に白か黒かなんかどうでもいい。私が白と言ったものを白と言いなさい。ここで生きていきたければ。」


実際、彼女に媚びる人々は楽に成果の出るよい仕事を与えられ、会社にもよい報告をしてもらえて、待遇も給料も抜群によかった。


2006年11月19日(日) 回顧録 社会2  言葉の話。

 私は子供の時から口達者で、口で負ける事はまずなかった。
 もっとも、負かしてやろう。なんて思って戦った事はたぶん一度もないのだけれどw

 口達者な挙句、曲がった事が大嫌いだった。
 そして自分が正しければ言い方などどうでもいいと思っていた。
正しいことを言っているのに受け入れられない。それが謎だった。
そして、相手の間違いを責めたいのではなく、「自分の気持ちを理解して欲しい」だけなのに、
その事で傷つき、悲しい事を訴えたいだけなのに、言えば言うほど相手が頑なになった。

「お前は人を追い詰める。」そう言われた事がある。
逃げ場を作らず、塞ぐんだそうだ。

凄いショックだった。 だって私は「何でそんな事言うの?悲しいよ」って伝えたいだけだったのに。
「ごめんね」の一言が欲しかっただけなのに。

今ならそのまんま伝えりゃいいじゃん。って思うんだけどねw

傷ついた事に夢中になっていて、相手に理解や反省、「ごめんね。」を言えるようにしてあげる…と言うと語弊があるけどw
相手の気持ちに思い至らなかった。

たいていの人はどれだけ自分が悪くても、正面から指摘されたら、なかなか素直に認められない。
言い訳を始める。

それがいい訳だと指摘する。
その繰り返しをする事で最終的に相手は「じゃあどうしたらいいって言うのさ!!」になる。
何人もの人が、謝ってもいないし非を認めてすらいないのに、
「謝ってもダメならこれ以上どうしろって言うんだ!」と言ったねw

いぁぁ…あんた一度も謝ってないけど(,,-∀-)
もちろん、そんな開き直りいいと思わないよ。今だって。

けど、「心の中で悪いと思ってるんだな。」ってそれを認めてあげられるようになったよ。許せるようになった。
そしてそれが言えるよう、逃げ道を塞がない話し方をしようと出来るようになった…と思うw

追い詰めるのが目的ではないから。理解しあい付き合っていきたいから。
物凄くどうでもいい人にはそんな話最初からしないけどw

誰かとそんな話になる時、私はいつも「追い詰めていないか」を頭において話すようになった。
まぁ…それでも話し方も感情の出し方も下手だからいつも自分にダメ出ししまくりなんだけどww




さて、続き続き。

あの会社はとにかく最悪だった。だけど財産となるような出逢いがあった。

どっかで書いた泣かせちゃった友達だ(ぁ

その子は、奇妙な私に興味津々だった(´゚ω゚):;*.':;ブッ
人が大好きで、私みたいな閉じこもった奴を見ると突きたくなるらしいw
彼女にもその数年前にとても苦しいことがあったりして心を開かない時期があったらしいけれど
私に出会った時は彼女は自分を出すし、友達にとても親身で、人との付き合いにとても精力的な子だった。

もちろん最初は「なんだこいつ?」だったw
見た目が派手でねぇw 確かにめちゃめちゃ遊んでいたしw
でも人当たりも良くて、そして言動は真面目なんですよ。
ちなみに私は見た目は真面目だけど普通に?遊んでました。

お互い、帰りに誰か迎えに着たりしてね、窓から覗いてあの車は誰だなんて言ってたっけw


その子が毎日、帰りにお茶して行こうって誘うんですよ。
人に好かれる事は嬉しい。仲良くなれれば嬉しい。
職場と言うのは協調性が大事で、ベッタリしたいなんて思わないけれど、
いわゆる同期みたいなものにも憧れていたしね。

でも普通は、誘われたら、今度は誘い返す。とかあるじゃないですか。
それが人との関係で必要なバランス。 欲がある時ももちろんだしね。
私は一度も本当に一度も誘った事がないw
そんな事出来る人間じゃなかった。

でも毎日彼女は私を誘うんです。用がない限り。

私は断るのが苦手だから、断った事は用がある時と、あとは理由があって数回。

後に言ってましたね、「誘っても嬉しそうじゃないし、誘ってこない。だけど誘うとついて来る。面白かった」って(,,-∀-)

その子に私「社会適応能力がないね」って言われた事があるんです。
物凄く何気なく言ったらしく、後で蒸し返すと謝ってくるんだけどw
刺さりましたねぇ。あまりにも事実過ぎて言い返すことも出来ず、腹もたたなかった。


私はあの子に職場でたくさん助けてもらった。
私のわからない、当たり前の社会適応方法もたくさん教えてくれた。
わかるけど今は黙っとけ。とか、我慢しろとかもよく言われましたねw 
後でどれだけ自分に言ってもいいからって。

ガンガン前に出て盾になるタイプじゃないです。
でも時には先回りして、時には後ろから、私の足らない部分を補おうとしてくれました。
私がどれだけ切れても、一緒になって切れるようなことはなかった。
むかつくぐらい(ぁ

あそこで耐えられたのは彼女のおかげです。

人の有り難味を教えられましたね。


 当時付き合っていたのは、例の学生時代毎日迎えに来ていた彼氏w
働くようになってさすがにそれは時間的に無理なのでなくなったけど、まあ普通に会ってましたよ。
だけど仕事の愚痴とか言わなかったなぁ。
我侭は言いたい放題だったし、好き放題にしていたけれど。あ…結構思いやりだって掛けてましたよ?w

絶対にいなくならない、いるのが当たり前の安心感があったけど、
心を許す、自分を理解してもらいたいみたいな…相手を求めメル気持ちがあんまりなかったな。
よーするに私の中に本当の愛はなかったんだと思う(´゚ω゚):;*.':;ブッ

でもいなくならない安心感が私の力になっていたよ。

そして私はその彼氏に足らない部分を補うように色んな人と遊んでた。もちろん例の友達以上の男の子とも会ってた。たまーにね。
そういうものでバランスとってたんだね。(客観的(´゚ω゚):;*.':;ブッ


 家族…私はもう、家にはほとんど寝に帰るだけになっていた。
母は酔ってはいても毎日丁寧に食事を作り、帰らぬ父にも胃が痛いと聞けばお粥と煮魚を作って待ってるような女だった。
どうせ帰らないからと好物を全部食べようとすると必ず母は
「パパが好きなんだから残しておいて。」といった。
母は帰るかわからぬ父の〝ため〟に食事を作り続けていた。

その頃には、離婚しなかったのも、憎い憎いと言っている事も、所詮、誰のためでもなく母のためだったと気がついたよ。
父も母も親である前に男と女だった。そんな事はまぁ当たり前なんだけどねw
真に受けて心を痛め続けていて損したわー。

父の事など人の男と思うようになった。
人として、男女としての彼らしか見ないようになった。
結果はもちろん、「嫌い」
それでも親なのに…って思う嫌いより良かったね。客観的だから。

けれど「受け入れられたい。」は、続いていたし、食べない食事を作る母が気の毒で、私は帰れる時は早く帰り、どけだけ遅くても母の作った夕飯は食べていた。


 姉はこの頃もう結婚していた。
彼女の結婚は当時から「大丈夫か?」と言うものだった。
家をね、出たかったんですよ。
そして他の場所で自分の欲しい温かい家庭、居場所を作りたかった。
彼女は私より家庭に固執していた。
男に期待し、依存していた。そしてあんな奴らとは違う凄いものが欲しくて、
結婚後、夢を実現させるように自分にも夫にも家の雰囲気も全て、自分の中の完璧を求めた。
まぁ…私も彼女と大差ないのだけれどw

その姉は、結婚して私から離れたかと言うとむしろ逆だった。
離れたからこそ、縛ろうとした。依存した。

私の休みにてぐすね引いて待ってるんすよ。
今度は何時休み?来週はこれるよね?何処何処行くから一緒に行こうって。
海や山みたいないつもと違う場所に彼氏と出かけようとすると、自分たち夫婦も参加しようとした。

私、彼女嫌いじゃなかったけれど、一緒に出かけたりしても必ず嫌な事があった。
彼女のペース、感覚が私とはまるで違っていたし、それに合わせる事を強要したから。
だから結構な苦痛だった。
でもやっぱりここでも私は断ることはまずなかった。

だって断ると拗ねるんだぜ?w 下手したら逆切れよ?w


それでも毎日のように友達とお茶して、休みに彼氏と会ったり姉のところに行き、さらに他の友達や男とも遊び、飲みに行き、ドライブに行き、資格取得の勉強をし、会社でなじられ。母の食事は食べ。
精力的だね、まったく。若いねーーw

今日出かけたら今日中に帰れ!と大学の時に言われてね、
「高校の時は高校生だから。」
大学生になったら「未成年だから」
成人したら「学生だから」
社会人になったら…「子供だから」だって(,,-∀-)
思いやらないけど、干渉はするんだw


まぁ、もうね、一度帰って夜中に出たり、言われるのが嫌だから家に入らないで車に乗り込んでそのまま出かけたりしてたけどw


そうそう、母は娘の恋愛に嫉妬する人だった。自分の男が自分に冷たいからw
だからその手の事で明るい会話をしたことがない。
男から電話がかかってきたりしたらもー…名前メモって、嫌な態度で出て、後でねちねちと絡んできた。
今はいいよね、携帯あっからw
父も母もいやらしい発想しかできない人たちだった。
人を好きになるとか好かれる歓びに思い至らない人たちだった。

姉なんて、父に「妊娠しないように」言われてショック受けてましたよ。まだ恋愛はしても処女の頃にw
母は人の生理をチェックしてアドレス帳を調べるような人だった。
だから働き始めても相変わらず外泊禁止だった。
やること一緒なのに(*´・д・)(・д・`*)ネー(ぇ

まぁ朝帰りだって何度かしたけど無断は一回だけじゃないかな。
外泊は95パー本当に友達とだったしね。飲み歩いたり騒いだりのほうが楽しかったしね。
うるさいんだもん。ねちねちと。
体が大事でも、事故が心配でもなく、ただただ嫉妬で。


しかもね、彼らは職業差別や学歴差別などが激しかった。
父は選民意識の強い人で、平気で障害のある人を差別用語で差別したり、人を馬鹿にするのが得意だった。
色んな事を俺様のものさしで計り、とても世界の狭い人だった。
母に至っては、自分だって田舎の農家出身の中卒なのに、自分の子供だって1人道を外れたりしていたのに。夫は高給取りでも家にロクに入れないのに。
他人の子供の学校や素行を醜くさげすんだ。人の夫の職業を馬鹿にした。

私はそういうあの人たちを軽蔑した。嫌いだ。



 会社は相変わらずだった。
私がその仕事で使うある資格を取った時も周りの反応は冷ややかだった。

同僚は妬み、上司は嫌そうだった。本当に嫌そうだった。笑ってしまうぐらい。
私は自分のスキルアップのため、そして、やはりここでも認めてもらいたくて取れば何かが変わるかもと思ったんだ。
相変わらず私は幼稚だったね。

上司の望むものは出来る私。ではなくて、従う私だったんだから、そんな事で変わるわけないじゃんw

家庭から少しだけ逃れた分、職場が私のストレスになっていた。
そして数年が経ち、私の中でも上司との確執がもう限界だという頃、私は足掛け7年近く付き合っていた男と別れた。


続きを書くと切れ目が悪そうなのでここまでw

 

2006年11月20日(月) 回顧録 社会3 恋愛の話?

 長々付き合っていた男と別れた時はショックだったねぇ

正直言って、惰性とそのくせ「何か別れてはいけない」みたいな感覚でずるずるとそこまで来た。って感じだった。

だって私は彼がいても、自分の悩みなどその人にほとんど話さなかったし、
他の人とも付き合ったり、遊んでいたもん。
付き合い始めて一年か二年か…わからないけど割合早い段階で、自分の中が冷めてきていたような気もする。


「違う」 がいっぱいだった。この 「違う」 は、うまく言葉で説明が出来ないのだけれど、性格なんかじゃなくて、一緒にいて、話していて、感じる違和感というのかな。
これが多いと私は違うと感じた部分を相手に見せなくなる。相手のそれを見ないようにする。



この人は、とにかく私の事が好きだった。かわぃくて仕方がないようだった( ̄ー ̄; ヒヤリ
彼はたぶん、私を愛する自分が好きだったのだろう。結構ナルシストだったし(´゚ω゚):;*.':;ブッ

本当に自分のできる事は何でもしてくれた。私は彼に好かれている事が楽しかったんだと思う。
「違う」はたくさんあったし、心の中をさらけ出したり、甘える事もなかったけれど、
自分を想ってくれる人がいると言う安心感があった。
人を信用する事ができなかった私は、「こんな私が嫌なら別れればいい。」 
そんな感じで奔放で我侭だった。

もちろん、私はしてくれたものは忘れないし、それと同じかそれ以上相手に返す奴なので、ちゃんと大事にもしていた。
実際、あらゆる面で甘えていたのは彼だった。私は甘えられなかった。


私は付き合った当時、彼の擦れていない純朴なところ、少年の心とでも言えばいいのかね?w
それが新鮮で好きだった。
ところが彼はいつの間にかそれを履き違えていた。「幼稚な人」になっていった。



私には母性本能がない(´゚ω゚):;*.':;ブッ   そしてガキで甘えん坊だ。誰も甘えさせてくれなかっただけで。
愛するより愛されたかった。
支えるのはいい。けれど、全身寄りかかられるのは嫌だった。少なくとも彼にそれをされるのは嫌だった。
支えあうのバランスが悪かったのだろう。

そして私はそれを補うように他の人から少しずつ貰うようになったし、「会いたい」がなくなっていた。
いないと嫌だけれど会いたくない。って変だよね。声が聴きたいとかもなしw
就職しても休日など月に2回ぐらい会っていたけど、最後の2年ぐらいなど、会えば喧嘩になったり、
彼のその甘えにイライラした。
私はここでもしっかり者になっていた。私の中に甘えなどありえないかのようだった。

素直に甘えられる人々が羨ましかった。彼との間に愛の有無はともかく、
私自身が望まない、彼の100の甘えを許したのも、自分がまったく出せなかったのも全て自分のせいだ。


とっとと別れれば良かったのだろうけどね…自分の中の人に対する好きがわからなくて。
恋愛の意味というのかな…ここでも私は、仕事と同じで、自分の欲しいもの、自分の意思、が欠けていた。


進路も人付き合いも全て自分で決めてきた。だから自立しているつもりでいたけれど、
決める理由が他人にあったんだな。うん。
書いててわかったよ。


親兄弟・友人・恋人  
私は人との距離、自分がその人に対して持っている感情がどういうものなのか。
まるでわかっていなかったんだな。 

あの頃だって人の痛みや気持ちには今ほどじゃなくても敏感だった。
だけど私はその事についてまさに『普通』がわからなかった。 

これが恋愛感情なのか、これは友情なのか、好きの違い。好きとは何か。
相手の求めるものと自分の感覚の違い。自分の求めるものと相手の感覚の違い。

そうだ…まるきりわかっていなかったんだ。 すっげ書いてて発見w 
 


愛するより愛されたい。与えられる愛情に飢えていた私はそこに執着していたんだと思う。



前に自分から好きにならない。と書いたけれど、それはそのせいなんだ。
まず与えてもらわなければ、まず心を開いててもらわなければ、自分の心が開かない。
裏切られるのが怖いから、拒絶されるのが怖いから。愛される事にあまりに無知だった。
そして飢えている私は、与えてくれた人をとても大事にする。
そして自分の好きがそこにあると勘違いをした。


この人とは突然終わった。
彼が仕事が忙しくてしばらく会えなかった。
その間に彼もまた、自分がもう私を必要としていない事に気がついたのだろう。
当然だ。何しろ会って楽しい時などないに等しくなっていたのだから。

別れる時が大変だった。
恋愛の他の人間関係との違いは、一対一である事。

だからそこに他者との関係とは違う〝特別〟が存在する。
私には、いて当たり前。そこに愛がなくとも。空気のような存在だった。
空気がなくなった。7年はでかかった。しかも彼は最後に卑怯だった。とても卑怯だった。

別れた時、私には彼に対する未練はなかった。当然だね。
ずっと前から好きではなかったのだから。
それでも空気がなくなった事。

絶対にいなくならないと思っていた、ある意味とても信用していた人間が、人がとても卑怯な裏切りをした事。
これが痛かった。


裏切りって自分が散々他の男と遊んだりしてて、しかも好きじゃなくなったのだって自分が先のくせに。
確かにそうなんだけれどw
彼の気持ちが冷めた事が裏切りなのではなく、絶対にしないと信じていた事をされたんだ。
最後に彼は本当に不誠実だった。7年全ての私の存在否定されたようなものだった。


私は空気がなくなって、息が出来なくなった。
彼の不足を補うように付き合っていた人とは、補うべき本体がなくなったのだから、付き合う意味がなかった。

『 戻れる場所 』を失った私は、遊べなくなった。戻れる場所があったから、空気があったから遊べたんだ。

残ったのは、完全なる自己否定。 7年返せよo┤*´Д`*├o あぁーーっっ!?
勿体無い…自分がとっとと「普通」に気づいて別れりゃ良かったんだけどねw


そして私は、2度となくならない『場所』が欲しくて、次に付き合う奴と結婚しようと決めた(´゚ω゚):;*.':;ブッ
その割りに思い切り安易に、彼と別れて一ヶ月で結婚するのに良さそうな男と付き合った。


親に愛されて育った人は、親が心配するからと、大事にされているからと、自分を大事にする。
自分を見失わない。
(誤解のないように補足:親に愛されなくても、それがちゃんとある人間は沢山いますwきちんと自立できていればいい事ですから。)

結婚して離れるのを淋しいと感じたり、上手くいかなくなっても、親が心配するからと頑張る。

親に愛されてきた事で自分に自信があるから、パートナーに大事にされなかった時にも強い。
そして、どうしようもない時は帰る場所(精神的にだけでも)があるから、それが強くする。
根っこの支えになる。

他人との愛が育める。親子よりももっと脆くて、もっと強烈で。
もっと自分を強くし、支えあえるもっと素晴らしい他者との愛を。


私には根っこの支えがなかった。愛すらロクにわからなかった。



だからここでもまた、自分が愛せるのか、愛しているのか相手が自分をどれだけ愛しているか。
『普通』の基準で相手を選べなかった。選ばなかった。
欲しいものは愛のある居場所なのに。
『違う』がいっぱいあったのに。
結婚の条件に合う人であれば、補える、あるいは目をつむれると思っていた。


しかーも、この条件、と言うのがまさに親の影響だった。
自分の欲しいもの、最も欲しいもの。 今はわかるよ。
けどそれを勘違いしていた。
私は 父 のような人じゃなければ、それで幸せになれると思っていた。
自分が幸せな居場所を手に入れられると。


そして、この大打撃の別れの直後、私は会社をクビになった。