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完全なる独り言


日記鯖システム管理者からのお知らせ

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空は青く、森は蒼く、海は藍。

頭の中を整理するために。

心を確認するために。

前を向いて歩くために。

溢れる思考と感情と想いをなるべく正直に。




※検索で訪問された人は右上「日記もくじ」より検索文字列(全文検索=100件)を試してみてください。


2006年11月21日(火) おやしみ

風邪引いた~~~~~((((((ノ゜⊿゜)ノあぁああ

週末久しぶりのデートなのに。

さすがに週末までには治ってるだろうけどむかつく(,,-∀-)

昨シーズンはインフルエンザにも罹ったんだよねえ。予防接種してたのにさ。

医者行ったら、ただの風邪らしいし、気合で治す(゜Д゜ )クワッ

私の中の予定では明日には落ち着いて、木・金で体力回復。
土曜日は元気満々( ̄ー☆キラリーン

まぁ…具合悪くても食べてるんだけどね(´゚ω゚):;*.':;ブッ
私は熱が上がる場合、平熱が低くて結構上がるんだ。

差がでかいからしんどぃけど、自分の中では「ちっ…またかよ」って感じw
でもこの間ひと月以上、咳が止まらなくて結核か肺炎かよ状態だったからあれよりいいやー(前向き♪


会いたくて、会いたくて。 「千の夜をこえて〜今あなたに会いに行こう♪」
絶対、治すから。あの子に会うために。会って抱きしめるために。

だから、今日は回顧録はお休みです┌○ペコ
(読んでる人いるのか?w)

あれ結構、時間かかるし心身ともに消費するから。
落ち着いたら続き書く。

2006年11月26日(日) 日記 感覚と想い。 そして回顧録 社会4

風邪治りました。
ちゃんと復活して、週末はゆっくりデートしてきました(。-_-。)ポッ
もっと早くに治っていたのだけれど、やっぱり体力使うし…精神的にもゆっくりしていたかったから。

それにしても、9度はしんどぃねー。
だいたいね、8度超えると私の場合、インフルエンザじゃなくても体中痛くなる(,,-∀-)
だから徐々に来る風邪の場合、とにかく熱が上がらないようにと最善を尽くすのだけれど、
急激に上がったらどうにもならんですw

なかなか会えないあの子との大切なデートですからもぅ…
治すためにやれることは全てしましたね。
心配してくれてたしね。
風邪を治すのにあんなに頑張ったのは初めてじゃないかねぇ。。


お陰様で良い時間を過ごすことができました。

誰といても感じたことがない。無の感覚。

          あのやさしい時間をなんと言えばいいのだろう。

誰にも言ったことがない。私には心から溢れるほどなければ口にできない言葉。

          「愛してるよ。」
                   溢れてやまないから何度でも言うよ。

誰にも感じたことがない。本当に初めての感情。

          「愛しい」



さて…続きを少しだけ?書いてみるよ。



・  <b> <font size="4" color="#483D8B"> 会社をクビになったと書いたが、これは実際あまりに不条理だった。 </font> </b>

例の女上司が仕組んだことだった。私の業績改ざんも含め、半数ぐらいの人員がしたことのあるミスもまるで私しかしていないかのように報告し、
挙句の果てには他人のミスまで私のせいに仕立て上げていた。

何故そこまで生理的に好かれなかったか。
そう、原因は今考えても、ただただ、1つ。

   「媚びなかったから。」


それが全てに影響していた。
もちろん、私の愛想がない事も一因だが、これは正直、凄い努力をしてきた。
けれど人見知りをする私は、知らない人や、苦手な人に対し意識してしまう。
この硬さが 感じ悪い。 になるようだ…。

丁寧な言葉を使っても、親しげに話してもダメらしい_| ̄|○
挙句の果てに、黙っていて無表情で何考えてるかわからない。そういわれる人はいるけれど、
私の場合、不満そうだったり、怒ってるように見えるらしい_| ̄|○

まぁ、それはさておき…。この宣告をした時に連れてきたもう1つ上の上司(男)も滑稽だった。

滑稽と言って良いのかわからないけれど、二人して私が銃を持った犯人のように完全武装して身構えていた。
暴れ、わめき、脅し抵抗すると信じて疑っていなかった。

私はいったいなんだと思われているのだろう。。。
この人は、この上役に私の事をどれだけ悪口言ったのだろう。。。
想像は容易についたけれど、私の中には悲しさと虚しさそれだけだった。


私はあっさりと受け入れた。
もちろん抵抗するための知識は持っていたし、出来ない事はない。
けれど、その時のために万全を期して捏造してあるのだ。
そして何より、私自身がもうここで頑張る事に疲れていた。無意味に思えていた。
だから私からやめるのも もう時間の問題だったんだ。


彼らはとても拍子抜けしたようだった。
それでも直後から自分の机にすら戻ることを許されなかった。
同僚たちにある事ない事、言いふらすと思ったから。

私をどんな奴だと思っているのだ。。。

それをしているのは私の直属の上司のほうじゃないか。


二度と挫折したくない。そう思ってあの高校時代からやってきたというのに、

私はクビと言う傷よりも、もっともっと深いこの上ない侮辱を受けた。

公私共に例の長期付き合っていた男と連発で存在否定をされたんだ。
家にも居場所がないのに。


この時、例の親友が、駅で待ってろ。と言うので待って一緒に帰ったのだが、どうやってその連絡を取ったんだっけなぁ。。
携帯もその直後に買ったけどまだ持ってなかった。
覚えていないのはショックがでかかったからかな( ゚ ρ ゚ )ボーーーー

でね、とりあえず彼女と落ち合ったあと、母に電話したんですよ。
うちにすぐ帰りたい気分じゃないし、面と向かって話したくなかったから。
そしたら母は、

「えーー!なんでよっ!!そんなの困るわよ。あんたなんてことしたのよ!!パパや親戚になんていえばいいのよ!!(ノ_-;)ハア…困ったなぁ。。」

゜д゜)…責められちゃったよ…。

私のあの母親に期待なんか何もしていなかったけれど、、
クビになった人間に吐く台詞かね( ゚ ρ ゚ )ボーーー

自分の保身、見栄と世間体ばっかり。
大丈夫?とか期待してないから、せめて黙って聞いてくれよ。


それまで泣いていなかった私が、電話を切って泣いた。友達も一緒に泣いてたよ。



これ後日談があり、その後別の同業社に就職していた私に銀行屋さんから、

「あなたのいた会社大変だねー。あの上司かなり問題らしいね。」って

なんでも、その後一年間に採用した人は誰も続かず、それも含めて10人ぐらいやめたらしいw
まぁ…苦しくても…とか、筋を曲げてまでいる。とかそういう人の少ない世代になるからね。
そしてその中の一人、私の友達はその後私が就職した会社にきたよw
 

書いてて泣いちゃったよ( ̄ー ̄; ヒヤリ
やぱ、まだ消化しきれてないんだなぁ。

この話はその場にいた人と家族を除き、話したのはあの子にだけなんだ。
「声」で話した。「文字」で読みながら書くのはしんどぃと思ったから。
やっぱしんどぃねw

ここまで書いて逃げたくはないからと頑張ってみたけれど、
人に話すことはきっともうないだろうな。

あの子だから話したし、話せた事。

今日はここまでw

2006年11月27日(月) 回顧録 社会5

一応退職願を出し、「一身上の都合により」ってやつだねw 手が震えたよw

そして極力合法的にという事で、3ヶ月間の給料が出る形になっていたので、
私は3ヶ月( ゚ ρ ゚ )ボーーーーっとしていた。
人様の終業時間を待って活動。友達迎えに行って遊んでたー。
あの友達には本当に世話になった。例の新しい彼氏はいたけれど、彼よりはるかに私を気にかけ、私も気を許していた。
彼女にも恋人はいたけれど、これがバタバタずっとしててね、彼女も時間はあったw


昼間は家の中も私一人だったので気楽だった。

とにかく私は家に、家族といたくなかった。


この時私は学生時代のバイトを含めて、働き始めて8年。その前は勉強と日曜も休まず部活。
生まれて初めて “何もしていない” 状態を持った。

それまでずっと必死だった。そして自分は常に何かしていなければダメなんだと思っていた。
疲れていたのも確かにあるだろう。
でもこの時初めて 「何もしなくても結構いられる人間なんだ」 と思った。


次の就職先も自分で決めたものだが、結構安易だった。
同業他社なので内容は大差ない。通勤と収入だけで決めた(´゚ω゚):;*.':;ブッ
何しろ心が疲れすぎていた。眠れない日々が続いていた。夢にあの時が出てくるんだ。あの侮辱が。
自分で辞めるのとの決定的な違いだろう。

気分の切り替え、スキルアップ、新たな門出とは程遠い感覚だったのは確かだ。



その時、あの学生時代からの友達のおっちゃんがやさしくてね。
争うつもりなら全力でバックアップしてくれる言ってね、結構強いんだ、その人。
わざわざある人のコネを使って誰もが知る、花形大企業の仕事も探してきてくれてさ。


でも、自信がなかったんだぁ。自分に。これで就職して迷惑は掛けたくなかった。

彼は私の仕事振りを良く知っているんだ。クビになった人間に人づての紹介なんかして、
私がもし迷惑掛けたらその人にも、その政治家さんにも迷惑が掛かるのに。
断ってしまったけれど、本当に気持ちが暖かく、嬉しかった。
信じてくれてるんだなぁって。ありがたかった。


私は上手に甘えたり出来ないし、あの頃は今より遥かに
            「自分の事は自分でしなくちゃ。」
                             そう思っていた。
大事なこともわかっていなかったのに。
肩肘張って生きていた。
あの、就職した時に付き合っていた人の言ってたとおりだったよ。年の功だね(ぇ


周りにいっぱぃ支えてもらっていたのにね。
素直に甘えられなかったんだぁ。
でも掛けてもらった気持ちはちゃんと覚えているよ。
ありがとぉ。




2006年11月29日(水) 回顧録 社会6と結婚

 最近、メモ帳に書いてからUPしてるんだけどね。

中断しなくちゃいけない時もあるから、それならまとめてUP出来るからね。
けど貼り付けるとうまくいかない時があるのは何でだろう。。
「こりゃあ、いい♪」 と思ったんだけど、なかなかうまくいかないもんです。


熱も下がったからという事で、インフルエンザの注射してきました。
遅いぐらいです、はぃ。すんません。

そしてここに書いたか記憶が定かじゃないけど、治したばかりで取れた歯はまだ行ってません。
ほっといても見た目以外問題がないので後回しです、すんません。


そしてあの子と話しそびった~~~~~((((((ノ゜⊿゜)ノあぁああ

毎日なんらかの形で時間の長さの差はあれど話したりしてるし、会ったばかりだけど話したいんだよね。

声はもちろん聴きたいけど、なんでもない文字ですらワクワクしたり、ドキドキしたり。

めちゃくちゃ好きやっちゅーねんw

指を握ったら伝わればいいのにね。嬉しいとか、その感覚をまんま知って欲しいと思うよ。

「ほらほら、私は今こんな感じなんだよー。」みたいにさ♪


嘘をつかないから、そんな事考えられるのかな。
嘘があれば見られたら困るから浮かばない発想かな。
だとしたら、あの子に嘘をつかない自分が嬉しいね。

感覚をそのまま伝えてみたいと思うよ。「グリーンマイル」であったじゃん。
あれは苦痛だしちょっと違うんだけど( ̄ー ̄; ヒヤリ

言葉…一生懸命、言葉にして伝えているけれど。足らないんだぁ。
そう思うからこそ、言葉を大事にしてるんだけどね。



・ さて…こうして転職をしたわけだけれど

次の会社についてはあまり書くこともないw

新卒の呪縛みたいなものってあるじゃない。初めての就職先はなかなか辞められない。
入る時に仕事場としては骨をうずめる覚悟。みたいなものがどっかにあるからね。
最近はないのかなw

まぁ、経歴や資格などで手放しで歓迎されて入ったけど、何処にでもあるように、
特殊な世界感もあり、何もかも順調とは言えなかったけどね。
前の会社がクビだもん。それより悪くなることもないので気を楽になったかな。

車で通勤してたから、もーーー真っ直ぐなんかぜんぜん帰らなかったよw

収入は100万ぐらい上がっていたしね。まあ収入だけは転職でアップしたよ。


その頃、会社で出会った友達は彼氏が転勤するとかしたとかそんな時期で。
それ以外にもいろいろあってね。その男はいろいろ悩んだりしていても、しまい込んで。
出すのが苦手だから挙動不審になるんだ(´゚ω゚):;*.':;ブッ

私はよく夜中にとんぼ返りで150キロぐらい走ってたよ。

友達はよく、「あんたが男だったら良かったのに。」言ってたっけw
そしたらあんな男( ̄  ̄ )ノ ⌒* ポイッ!だったらしい。
でもね、彼女はちゃんとその男を愛していたよ。

私はそれまでたくさん彼女にしてもらっていたし、基本的に人が喜ぶのが自分の喜び。
だから苦はなかった。楽しかったよ。


高校の友達にも同じような事をしたことがあるし、他の友達にもちょっと違うけど手伝いやった事があるなぁ。。
頑張ってる人の手伝いが出来るというのかな…うまく言えないけど。

恋愛は本当に本人の意思よりも感情や本能が支配するものだから。
そしてそれはとても素敵なことで。
意思の鎧をはずした本物の人のぶつかりあいだから、楽しいことばかりじゃない。
だけどやっぱりその懸命な求める姿はとても素敵だと思う。



人様の恋愛に頑張っていた私ですが、自分の事は…

例の居場所を作ると決めて付き合った人とは順調?に続いてましたよ。

これさ、その友達にも何度もいいのか?って言われたんですよ。。

いい人なんだけどね、、、私が納得していたり、私の感情や本能が求めていない事がわかったんだろうな。

私はといえば、正直、「この人とずっと一緒にいたい。」と思っていなかった。
「一緒にいられるかな。」と、推し量っていた。冷静だね。
私にとっての条件を満たしているか。それが大事だった。 

その条件の中に 「愛」がなかったね…そーいえば

…(,,-∀-)

そして「違う」がいっぱいあったのに、条件でカバーするつもりでいた。
なんと言うか、先に次で結婚しようと決めてしまっていた私は、

「結婚しなくちゃ。できるように…」と、頭を持っていっていたんだと思う。
好きなんじゃなくて、好こうとしていたんだな。条件は満たしていたし、もう空気がなくなるのは嫌だから。

相手は…相手も大差ないと思うね。愛はなかったと思う。感じたことはないから。
彼自身の中で、恋愛や結婚に対しての欲があったしね。
そりゃあ、誰でもいいじゃなかったのはわかってるけどw

「いい子だし(私のことねw)、結婚と言うものはまぁまぁ好きな人としてなんとなくなんとかなるもの。」
 そんな感覚だったと思う。


そう、それで私は結婚したんだ。


マジでギリギリまで友達はいいのか?って言ってたよ。あれなんでだろうなぁ。。
彼女も仲良かったし、嫌いとかじゃないんだよ。。。顔(´・ω・`)?
その前がどうやら世間的になかなかのみてくれのいい男だったからそれもあんのかな。
これは私の周りはみんな意外だったみたいだw私としては顔は別にほんとどうでも良かったんだけどw

でもなんか納得いかなかったんだろうな。
確かにいい人だけどもっと他にいるんじゃないかみたいな事言ってたな。 いつか聞いてみようっと。

ああいう時の友達の言うことって聞くもんだねw

私だって友達が結婚する時、(いいのか?大丈夫かよ)って思った子はみんなダメになってるもん(´゚ω゚):;*.':;ブッ


結婚してもまだ仕事は続けていたよ。そのぐらいの距離でずっといたら、騙し騙しいられたかなぁなんて思うけどね。


彼は 『父のような人ではない』
と言う条件で選んだだけあって、世間一般で言ういい旦那をしてくれた。

彼もまたそこに愛がないのに無理をしていた。

しなければならない。とやっていた。

私は親の価値観を否定しつつも、親の価値観に沿う人間と結婚したんだ。

自分の感覚がとても鋭く細かくて複雑な私が。
その感覚から目を背け、しかし、散々考えて結婚したんだ。


事実を見つめる勇気もなく、目を背けたままで幾ら考えても正しい答えなど出ないと言う事に気が付くのはずっとずっと後だった。

自分にとって大事なものを。必要なものを見極めていなかった。


家庭があれば、子供がいれば、それで安らげる居場所は手に入ると思っていた。
家の事だってちゃんとできる。
結婚に夢なんか描いていなかったけれど、何もなくてもいい。ただ安らぎと笑顔が手に入る暖かい居場所が欲しかった。

そこには愛が必要だった。


愛とは思いやり、労わり。尊敬と支えあう気持ち。

上手に出せない人はたくさんいる。でもそんな事問題じゃない。

そこにそれがあるなら。私には必ず見える。

自分に愛情があれば、出せない人にも自分の思いは掛けられる。

そして、いつもいつもなんかじゃなくてもいいんだ。

何かの時に、「してあげたい」と思ったり、「こいつのためにこれをしよう。」そう思えるんだ



もちろん「しなくちゃいけなぃ」からする。これだって人と人が寄り添い生きていくには必要。
こういう思いやりの形もある。


でも仮に最初はあったとしても、何時の間にか彼の中には「しなくちゃいけない」から。
それだけになっていた。



2006年11月30日(木) 回顧録 家庭

 ここら辺を書くのは非常に難しぃ…。

感情的にならず、それでいて整理して書くのがとても難しい。

何故ならそれは、事実であるけれど目に見えない感情が大半を占めるものあり、、、愚痴を訴えたいわけでもなく。。
懺悔に近いのかなぁ。。自分の中の嫌な部分とでも言えばいいのかな。私の欠陥部分だなw


そして一時的な感情以外で、この話をまともに話した事はないから。
だからよくわからんのですよ。
人が見て説明なしでわかる話でもなく、でも説明ってどうしたらいいの?状態(´゚ω゚):;*.':;ブッ
基本的に口下手なんでw

さらに私の中で過去になっていないから。
思い出は言える。あの時は大変だったー。って。
けれど進行形は難しい。。

あんま考えたくない部分だなw 
いっそ軽く流して今に飛んでしまおうかと思いつつ…w


誰に理解して欲しいとかではなく…。
ただ一度、自分の中できちんと系列だてて、自分の成長過程、変化を見たいと思ったんだ。

そして、自分の“今”をはっきりとここに書きたいと思ったんだ。

だから今の私が何故、あるのか。それをきちんと出したいと思ったんだ。自分に目を背けず。。
背けないで全てを見て、今の自分がきちんと自分と向き合っている事を確かめたかった。

これまで書いてきて、自分の中で新しくわかった事、実感できた事がある。
だからあと少しだ。続けてみよう。。


読んでくれている人ありがとう。 前も書いたと思うけど、見て嫌だと思う部分は適当にスルーしてください┌○ペコ



 頼めばなんでもしてくれた。

でも自分からは決まったこと以外、何もしなかった。
声も掛けてくれなかった。

そして頼めば文句も言わずにやるけれど不満そうだった。
私は頼む事が苦痛になっていった。

子供がいたら違うのか…むしろ、子供がいる事で完全にゆとりをなくした。

とにかく手のかかる子供だった。本人は悪くない。何も。
けれど赤ん坊なんだから当たり前。なんて一般論を振りかざす人も、その実態を見ると眉をひそめた。
とにかく最初から 普通って何?って感じだった。

私がずっとそんな顔で他人に見られてきた。
同じ顔で他人に見られる子供。
助けて欲しい、理解して欲しいと思う気持ちと、そんな顔でこの子を見ないで欲しいという気持ち。

交錯した気持ちの中で、気が狂いそうだった。

子供を見た事だってある。何も考えずに産んだわけでもない。
けれど、全てが当たり前なら当たり前が出来ない自分がいた。
当たり前じゃないなら、当たり前じゃない事が何で?何で?だった。


世間体を気にする親と兄弟によって私は産むまで帰らなかった実家に、退院後帰ったが…予想通り、苦痛が待っていた。

恩着せがましく自己満足に浸りつつ、感謝を強要する両親。
そのくせ何してくれるわけじゃないんですよ。夜はどうせ酔っ払いだしねw
ただ、食事だの水道代が幾らかかった(それだけやってやってる)とかばっかりだった。
悲しいぐらい、人の気持ちがわからねぇんだな。。。
人並みにしたくて必死に頑張ったのにあそこに行ったら母乳が出なくなった。
そして子供はミルクを飲まない子供だった。。


私は予定より遥かに早く、自宅に戻った。

こっからが地獄だった。
気の休まるときがなかった。
でもね、きっと母性溢れる大人の人ならそんな中でも笑えたり、慈しめたりするんだと思うんだ。
私にはなかった。
愛情がないわけじゃない。けれど母性は絶対的に不足していると思う。

人を対等に人としてしか見ない私には、そういう形の愛情はなかったんだ。
自分が旦那に愛されていれば違ったのかもしれない。愛していれば違ったかもしれない。
けれど私は独立した人間としてはあまりに未熟だった。
未熟な私には手に余った。


毎日が辛くてね。。細かい事を書くつもりはないけれど。
母性がないなどと言えばそれだけで引く人もいるし、産まなきゃわからないどころか、それでも自然に持っている人からしたらどうしてもわからないわけで。
100人いたらみな私のようになるかと言えば違うし。わからない人がいけないとかそんなんじゃなく…
ここら辺は難しいからね。


ただ友人がね、「自分の親みたいになりたくない。したくない。と思ってきたけれど、反対をしよう。そう思っても、反対を見たこともしてもらったこともないから、いざしようするとどうしたらいいのかわからない。」
そう言ってた事がある。私もそんな感じだった。


旦那ももちろん協力してくれたよ。ひたすら義務感って感じだったけどね。
そして二人して余裕をなくし、疲れきっていった。


気分転換しようにも、一時間とて見てくれる人はいない。
連れて出かければ出なきゃ良かった…と必ずなった。
だから出かけなくなった。。

彼は手伝ってはくれていたけれど、思いやりは 「しなくちゃ」 すらなくなっていた。
たぶん実際の手伝いがなくても、思いやりと労わりが感じられればそれで良かったんだと思う。

相手に対する気持ちの大きさ。これがたぶん全てなんだ。



私はこんな奴だから、向き合う努力だっていっぱいしたし、話す事を惜しんだりもしなかったけれど
聞く事、考える事すら嫌な様子な彼に、理解など無理だった。

彼もまた彼なりに頑張っていたから、私が何を言っても「俺だって(俺のほうが)大変」がまず出てきてしまう。

愛情がそこにないから、労わりや支える、守る。そういう感覚がなかった。

私たちにとって、そこは家庭と言うよりも、職場であり、戦場。そんな感じだった。

彼は家に帰るのが苦痛だっただろう。
私は24時間戦場にいるようだった。


あの友達が近くにいたんだ。
あの子はすったもんだの挙句、ちゃんと愛して愛されて、前から付き合っていた彼氏と結婚していた。
彼らは互いに本当にバランスよく支え合い、思いやっていたよ。
不満や愚痴だってあった。けれど根っこの自分の愛と相手の愛に疑いが微塵もなかった。

あの子が壊れそうな私を必死に助けてくれていた。
育児が一番大変なとき、あの子がいなかったら私はノイローゼになっていただろう。
実際完全に育児ノイローゼってやつだった気がするw
何をしていたかわからない。。

唯一私の心を気に掛け、理解して欲しい 伴侶に拒絶されている虚しさや淋しさはあったけれど、
一人でもそれをしてくれる人がいる事が救いだった。


とにかく苦しくて、でも本当に出来る精一杯はしてきた。
なんと言っても、これが失敗したら洒落にならんからね。



だんだん近くなっているからあんましうまく書けないねw


そんなこんなで、心身ともに疲れていたのに、孤独も感じていたのに、
ここでもまた私は、「ちゃんとやらなくちゃ。」みたいなもので、
自分の心から目を背けてそれでも幸せだと思い込もうとしていた。


本当に疲れていたんだと思う。そうして何年かが過ぎたあと、
私は本当に突然、何の前触れもなく、猛烈な頭痛と吐き気が起きた。
髄膜炎だった。

原因はまったく不明だった。腰椎穿刺した際、検査に回す前に思い切り濁っていてはっきり発病してる事がわかったらしいから細菌性ってのだったのかな。よくわからんけど。医者も不思議そうだった。
不思議すぎて診断が遅れたw

私は検査後そのまま絶対安静+無音・光の遮断という事になった。

そんな事どうでもいいからとにかく痛みだけ止めてくれえええええええええ!!無理なら殺せええええええええ!!
状態だったけどw
しんどかったぁ…診断がついてとにかくこれで楽になれる。そう思ったときにホッとしたよ。

そして一ヶ月ほとんど寝たきりで入院する事になった。

この生活はとても苦しかった…と言いたいところだけれど、とても快適だったw


私は点滴が苦手だ。血管痛がある。一日に10本以上点滴をしてた。そして漏れるんだ。。
しかも絶食www 最初のうちなんて暗闇だし。
トイレにいけないとかそんな問題じゃない。寝返りすら出来なかった。
だいぶ元気になって痛みが取れたあとも、数値が下がらないからウロウロできないし、もちろんタバコも吸えない。
そして腕じゅう針の跡がいっぱいあるのに、最後のほうはもう下手すると一本分も血管が持たなかった。
漏れる…痛い…刺しなおし…漏れる…繰り返し。

誰のせいでもなく、だから看護師さんにも申し訳なくてね。。
我慢してんだけど、そうすると漏れてるから落ちるの遅いし、役に立ってんのか?になるしねぇ。。
「言ってね(´・ω・`)?」って言ってくれて気にしてちょこちょこ見に来てくれたり、パンパンに腫れた私の腕を冷やしてくれたりしてくれた看護師さんもいて有難かったけどね。。
私は痛みに体が弱くて?衰弱して眠くなるし、血管もこれじゃあ大病は無理ねw なんて思いつつ…。


普通、早く帰りたいと思う状態で快適だった。
ここにずっといたいとすら思った。
食べられなくても、好きな事も何も出来なくても、淋しいとも思わなかった。帰りたいと思わなかったんだ。


そんな自分を見て、私は自分がとても無理をしていた事に気が付いてしまった。
旦那に対して精神的に頼る気持ちなど微塵もなかった。
子供に会いたいとすら思わなかった。
どうしてるかな。とか思わなかったわけじゃないけれど、健康でご飯も食べられる状態なのはわかっていたしね。
家庭の事を思い浮かべる事すらしたくなかった。


自分の心がとても疲れきっていて、そして家庭から離れている事をはっきりと感じた。
ずっと気付かない振りをしていた事実を見せ付けられた瞬間だった。