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ここら辺を書くのは非常に難しぃ…。
感情的にならず、それでいて整理して書くのがとても難しい。
何故ならそれは、事実であるけれど目に見えない感情が大半を占めるものあり、、、愚痴を訴えたいわけでもなく。。
懺悔に近いのかなぁ。。自分の中の嫌な部分とでも言えばいいのかな。私の欠陥部分だなw
そして一時的な感情以外で、この話をまともに話した事はないから。
だからよくわからんのですよ。
人が見て説明なしでわかる話でもなく、でも説明ってどうしたらいいの?状態(´゚ω゚):;*.':;ブッ
基本的に口下手なんでw
さらに私の中で過去になっていないから。
思い出は言える。あの時は大変だったー。って。
けれど進行形は難しい。。
あんま考えたくない部分だなw
いっそ軽く流して今に飛んでしまおうかと思いつつ…w
誰に理解して欲しいとかではなく…。
ただ一度、自分の中できちんと系列だてて、自分の成長過程、変化を見たいと思ったんだ。
そして、自分の“今”をはっきりとここに書きたいと思ったんだ。
だから今の私が何故、あるのか。それをきちんと出したいと思ったんだ。自分に目を背けず。。
背けないで全てを見て、今の自分がきちんと自分と向き合っている事を確かめたかった。
これまで書いてきて、自分の中で新しくわかった事、実感できた事がある。
だからあと少しだ。続けてみよう。。
読んでくれている人ありがとう。 前も書いたと思うけど、見て嫌だと思う部分は適当にスルーしてください┌○ペコ
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頼めばなんでもしてくれた。
でも自分からは決まったこと以外、何もしなかった。
声も掛けてくれなかった。
そして頼めば文句も言わずにやるけれど不満そうだった。
私は頼む事が苦痛になっていった。
子供がいたら違うのか…むしろ、子供がいる事で完全にゆとりをなくした。
とにかく手のかかる子供だった。本人は悪くない。何も。
けれど赤ん坊なんだから当たり前。なんて一般論を振りかざす人も、その実態を見ると眉をひそめた。
とにかく最初から 普通って何?って感じだった。
私がずっとそんな顔で他人に見られてきた。
同じ顔で他人に見られる子供。
助けて欲しい、理解して欲しいと思う気持ちと、そんな顔でこの子を見ないで欲しいという気持ち。
交錯した気持ちの中で、気が狂いそうだった。
子供を見た事だってある。何も考えずに産んだわけでもない。
けれど、全てが当たり前なら当たり前が出来ない自分がいた。
当たり前じゃないなら、当たり前じゃない事が何で?何で?だった。
世間体を気にする親と兄弟によって私は産むまで帰らなかった実家に、退院後帰ったが…予想通り、苦痛が待っていた。
恩着せがましく自己満足に浸りつつ、感謝を強要する両親。
そのくせ何してくれるわけじゃないんですよ。夜はどうせ酔っ払いだしねw
ただ、食事だの水道代が幾らかかった(それだけやってやってる)とかばっかりだった。
悲しいぐらい、人の気持ちがわからねぇんだな。。。
人並みにしたくて必死に頑張ったのにあそこに行ったら母乳が出なくなった。
そして子供はミルクを飲まない子供だった。。
私は予定より遥かに早く、自宅に戻った。
こっからが地獄だった。
気の休まるときがなかった。
でもね、きっと母性溢れる大人の人ならそんな中でも笑えたり、慈しめたりするんだと思うんだ。
私にはなかった。
愛情がないわけじゃない。けれど母性は絶対的に不足していると思う。
人を対等に人としてしか見ない私には、そういう形の愛情はなかったんだ。
自分が旦那に愛されていれば違ったのかもしれない。愛していれば違ったかもしれない。
けれど私は独立した人間としてはあまりに未熟だった。
未熟な私には手に余った。
毎日が辛くてね。。細かい事を書くつもりはないけれど。
母性がないなどと言えばそれだけで引く人もいるし、産まなきゃわからないどころか、それでも自然に持っている人からしたらどうしてもわからないわけで。
100人いたらみな私のようになるかと言えば違うし。わからない人がいけないとかそんなんじゃなく…
ここら辺は難しいからね。
ただ友人がね、「自分の親みたいになりたくない。したくない。と思ってきたけれど、反対をしよう。そう思っても、反対を見たこともしてもらったこともないから、いざしようするとどうしたらいいのかわからない。」
そう言ってた事がある。私もそんな感じだった。
旦那ももちろん協力してくれたよ。ひたすら義務感って感じだったけどね。
そして二人して余裕をなくし、疲れきっていった。
気分転換しようにも、一時間とて見てくれる人はいない。
連れて出かければ出なきゃ良かった…と必ずなった。
だから出かけなくなった。。
彼は手伝ってはくれていたけれど、思いやりは 「しなくちゃ」 すらなくなっていた。
たぶん実際の手伝いがなくても、思いやりと労わりが感じられればそれで良かったんだと思う。
相手に対する気持ちの大きさ。これがたぶん全てなんだ。
私はこんな奴だから、向き合う努力だっていっぱいしたし、話す事を惜しんだりもしなかったけれど
聞く事、考える事すら嫌な様子な彼に、理解など無理だった。
彼もまた彼なりに頑張っていたから、私が何を言っても「俺だって(俺のほうが)大変」がまず出てきてしまう。
愛情がそこにないから、労わりや支える、守る。そういう感覚がなかった。
私たちにとって、そこは家庭と言うよりも、職場であり、戦場。そんな感じだった。
彼は家に帰るのが苦痛だっただろう。
私は24時間戦場にいるようだった。
あの友達が近くにいたんだ。
あの子はすったもんだの挙句、ちゃんと愛して愛されて、前から付き合っていた彼氏と結婚していた。
彼らは互いに本当にバランスよく支え合い、思いやっていたよ。
不満や愚痴だってあった。けれど根っこの自分の愛と相手の愛に疑いが微塵もなかった。
あの子が壊れそうな私を必死に助けてくれていた。
育児が一番大変なとき、あの子がいなかったら私はノイローゼになっていただろう。
実際完全に育児ノイローゼってやつだった気がするw
何をしていたかわからない。。
唯一私の心を気に掛け、理解して欲しい 伴侶に拒絶されている虚しさや淋しさはあったけれど、
一人でもそれをしてくれる人がいる事が救いだった。
とにかく苦しくて、でも本当に出来る精一杯はしてきた。
なんと言っても、これが失敗したら洒落にならんからね。
だんだん近くなっているからあんましうまく書けないねw
そんなこんなで、心身ともに疲れていたのに、孤独も感じていたのに、
ここでもまた私は、「ちゃんとやらなくちゃ。」みたいなもので、
自分の心から目を背けてそれでも幸せだと思い込もうとしていた。
本当に疲れていたんだと思う。そうして何年かが過ぎたあと、
私は本当に突然、何の前触れもなく、猛烈な頭痛と吐き気が起きた。
髄膜炎だった。
原因はまったく不明だった。腰椎穿刺した際、検査に回す前に思い切り濁っていてはっきり発病してる事がわかったらしいから細菌性ってのだったのかな。よくわからんけど。医者も不思議そうだった。
不思議すぎて診断が遅れたw
私は検査後そのまま絶対安静+無音・光の遮断という事になった。
そんな事どうでもいいからとにかく痛みだけ止めてくれえええええええええ!!無理なら殺せええええええええ!!
状態だったけどw
しんどかったぁ…診断がついてとにかくこれで楽になれる。そう思ったときにホッとしたよ。
そして一ヶ月ほとんど寝たきりで入院する事になった。
この生活はとても苦しかった…と言いたいところだけれど、とても快適だったw
私は点滴が苦手だ。血管痛がある。一日に10本以上点滴をしてた。そして漏れるんだ。。
しかも絶食www 最初のうちなんて暗闇だし。
トイレにいけないとかそんな問題じゃない。寝返りすら出来なかった。
だいぶ元気になって痛みが取れたあとも、数値が下がらないからウロウロできないし、もちろんタバコも吸えない。
そして腕じゅう針の跡がいっぱいあるのに、最後のほうはもう下手すると一本分も血管が持たなかった。
漏れる…痛い…刺しなおし…漏れる…繰り返し。
誰のせいでもなく、だから看護師さんにも申し訳なくてね。。
我慢してんだけど、そうすると漏れてるから落ちるの遅いし、役に立ってんのか?になるしねぇ。。
「言ってね(´・ω・`)?」って言ってくれて気にしてちょこちょこ見に来てくれたり、パンパンに腫れた私の腕を冷やしてくれたりしてくれた看護師さんもいて有難かったけどね。。
私は痛みに体が弱くて?衰弱して眠くなるし、血管もこれじゃあ大病は無理ねw なんて思いつつ…。
普通、早く帰りたいと思う状態で快適だった。
ここにずっといたいとすら思った。
食べられなくても、好きな事も何も出来なくても、淋しいとも思わなかった。帰りたいと思わなかったんだ。
そんな自分を見て、私は自分がとても無理をしていた事に気が付いてしまった。
旦那に対して精神的に頼る気持ちなど微塵もなかった。
子供に会いたいとすら思わなかった。
どうしてるかな。とか思わなかったわけじゃないけれど、健康でご飯も食べられる状態なのはわかっていたしね。
家庭の事を思い浮かべる事すらしたくなかった。
自分の心がとても疲れきっていて、そして家庭から離れている事をはっきりと感じた。
ずっと気付かない振りをしていた事実を見せ付けられた瞬間だった。