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遺言を書いてみた。
書く人多いというでしょう。
私もずっと書きたいと思っていた。
というか、婚家を出て独りで暮らし始めた時に一度ノートに書いたんだけど、
まとまりがなく長文で書きなぐりの様相になってしまったので半端で終わっていた(はず:家中探すと出てくると思われ)
何で書きたいかというと、
・何年か前に、死とか死して残される人とかを身近に考えるようになったから
・人の命は何時どうなるかわからないという事
・独りで生きていた時は独りだったから
・2人で生きている今は、けれど法的に何も守る術のない相手であり、
周囲の理解や認知が少ない状況から彼女を、私達の関係を守りたいから
・そして何より、最後に何も言えなかった場合、どうしても最後の言葉として言いたい事があるから。
お喋りだからね、大事な事はぜんぜん口から出ない奴だけど(笑
そしい財産があるから…とかではないところが、情けない(笑
定期的に書き換えていきたいと思っているから、
いつか財産についてもきちんと触れられるような人間になりたいものだ。
そもそもきちんとした遺言は全文自書じゃないとだからね。
私なんてPCでパチパチ打ってプリントアウトもしてないし(笑
ちょっとした覚書ってとこだ。
定期的に書き換えると言っても、基本的に内容は変わらないだろう。
彼女に対して。子供に対して。親兄弟に対して。
私は気が弱くて、人の対応に一喜一憂?右往左往し、
強くどっしりと常に元気で頼れる人間でありたいと思うけれど
全然ヘタレな奴だ。
挙句、小難しく心のストライクゾーンは狭く、
世の中好きと嫌いのどちらかだけに分けろと言われたら
彼女(と子供)以外はみんな嫌いという(笑)
そのくらい、合う人が少ない。
そのかわり、彼女・子供・親兄弟 この三つに対しての自分の気持ち、スタンス、伝えたい事 は 揺るがない。
だから、書き換えても目立った変化は財産くらいだと思うのよw
そして何かあった時に連絡して欲しい相手とかすべき相手も
連絡先をちゃんと書いておこうと思って書いたわけさ。
ワシ、友達すくねーーー(笑
まぁ、そうね。
上に書いたような奴なんだから。
懸命に誰かの事を考えて誰かのためを思って尽力しても
人は結局は自分の意思でしか動かない。変わらない。
懸命に理解して欲しいと訴え、相談し心を晒しても
他人の事は結局他人事でしかない。
本当の意味の親身とか、本当の意味の影響力なんて
この世にほんの僅かしかない。
誰かのために真剣に悩んで心痛めても、
誰かに理解してもらいたくて必死に話しても、
私には虚しさが残る事が大半だった。
だから私がこの世からいなくなっても、
伝えて欲しい人、知って欲しい人はこれだけ。
これで十分。それで充分だ。
心から愛する人、残して行きたくない人がいて
そんな時に私の意志を理解し私や残った人のためにそれを伝え、
尽力してくれると信じられる人がいる
十分すぎる人間関係だろう@
まぁ、実際問題、日々伝えたい事がたくさんあるのに
肝心な事は何一つまともに上手に的確に話す事が出来ない
なんちゃってお喋りの私には、メモ書き程度じゃ足りないし
残していきたくない人がいるわけだから
まだまだ生きていくので
当分人目に触れる事もないでしょう。
ただ、自分の最後を考えて想いを馳せる事は、
単調な日常に埋没しマヒした感覚を振り返るのに
良い刺激になるのでお勧め。
うん。定期的に書き換えよう。
財産分与も書けるようになりますように。。