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人は望まれて生まれてくるべきだから
望まれて生まれてきて±0 からスタート
そこからの道のりでプラスやマイナスは変動する
最近、ある人が言っていた
「マイナスからのスタートはさせたくないから。」
子供の進学に使用した奨学金を
一般的には奨学金は卒業後自己で返すもの
けれど親である自分が払い続けると言う
その理由が上のもの。
それは親の思いとしては間違ってはいないけれど
正しいのかは分からない
自分の道を切り開けと
必要以上の学のための費用は自分でという考えも
間違っていないから。
では精神的なマイナススタートはどうだろう
『セーフティ機能』砦・還る場所
多くの人は必ず一つか二つ持っていると思う
何処かで傷ついたり、挫折したり、絶望に打ちひしがれたとき
存在を自分を否定されたときに
救いとなる存在
逃げ場所
親でも女でも男でも妻でも夫でも会社員でもなく
ただただ 人である自分を
そのまんまをOKと言ってくれる存在
仲間・兄弟・親・祖父母・パートナー
仲間は血縁ではないけれどそんな強い結びつきの仲間もある
『○○は~で~だからねー。でもそれが○○だし、私はどんな時もあんたの味方だ。』
そんな風に言い合えて、SOSを出せば自分の出来うる120%を出してくれるような
家族も日頃は煩かったり、血縁だからって気が合うばかりじゃない
身内だからこそ気の合わなさもあるだろうが
いざという時にどんな自分でも迎え入れてくれたり
信じてくれたりする
なんでもいいんだ
思い返せばそういうセーフティ機能が一つや二つ
大抵の人は思いつくだろう
それがあって外に踏み出すのが±0あるいはプラスからのスタート
あるいはマイナスだと思って踏み出したけど“いざ”が起きたりして
プラスだったんだと気づくこともあるかもしれない
ありのままをむしろ否定されて育ち
“いざ”という時にも受け入れてもらえず
それどころか迷惑だと言われる人間は
どうなの
帰りたくないのは帰ってこないで欲しいと思われているから
意地を張ってるんじゃない
張ってる顔をするしかないからだ
頼れないのは受け止めてもらえないからだ
セーフティがない人も沢山いるはずだ
そこに頑張ったりもがいたりしている人がたくさんいる
マイナスからのスタートでもプラスに変換してる人もいるはずだ
ずっとセーフティがなかったのは自分のせい
己の不出来さのせい
他者のせいにはしたくないからしない
セーフティ
自分を心から理解しててもしてなくても
全てを知ってても知らなくても
『そのままのあなたでいいよ
今、ここにいるあなたが大切で
その存在が必要で生きている事が、生まれてきてくれた事が嬉しい
私はあなたの味方だよ』
大人になってそれを欲した時
人は恋愛や結婚を求める
他人との一対一の関係は
互いにとって唯一の相手
だからこそそこには他のセーフティにはない
強さと自信があり
反面、不安と脆さが存在する
手に入れば無敵な強さを得て
仕事で上手くいかなかったとき
人間関係で傷ついたとき
私には○○がいるからいいんだもんと
立ち上がり踏み越える力は他のセーフティ以上だろう
心の底から笑えたりしゃーねー明日も頑張るかとかね
元気に笑える事もセーフティのお陰でもあるだろう
反面、なんの縛りもなく拘束できるわけでもなく
それでいて暗黙のルールに縛られ
元気よく飛び出せるけどセーブしなければならない事案も起きる
信頼・誠意・愛情という見えないもので結びつく関係は
明日はわからないとか人は変わるという不安
トキメキは一生続くものじゃないし
セックスは必ず飽きる
デートは生活になり日常となる
危機のない平穏は刺激がなく
つまらない、萎えたと感じられる
子供が出来たりすれば特に
愛だの恋だの言ってられなくなって
同士や相棒になり
セックスしなくなればキスもしないのが自然だが
スキンシップすらロクになくなり感覚的には
家族・親友に近くなっていくのだろう
恋人同士がトキメキと楽しさという恋なら
夫婦は恋からやがて労わりと信頼という愛情にかわる
それは目に見えず、長い道のりの中で
何が正しいのかすら時にわからなくなる脆さがある
共に生きる長い道のりの中で
例えば浮気したり喧嘩して顔を見るのも声を聞くのも嫌になったり
別居したり家出したり
稼ぎがなくて喧嘩したり姑問題で壊れたり
どこの家庭も皆、平穏に常に安定して安心した道のりではなく
何かしらあるだろう
ある程度の年になった既婚者に聞くと
仲の良い夫婦であっても
結構な確率で 一度は本気で離婚しようかと思った事がある
という。
それでもその向こう側に行く人たち
また手を取りあって山を登る人たち
その積み重ねが少しずつ絆というものを深めるのか
離婚したり仮面夫婦になったりする人との違いは
よくわからないけど
私はそうした労わりと信頼を築く過程を
絆を深めていく夫婦を
傍で見て育った事がない
見てないからわからない
だから人様に聞いたり見たりは一生懸命してきている
だってそういうの私も欲しいもの
躓いた時、疲れた時、わからなくなった時
それがどういう種類のものなのか
愛情は?これは普通?
乗り越えたい。手に手を取って。
すれ違いそうな直線を手と手が届く距離にしたい。
できるのかできないのか
知らないから簡単に自分の愛もわからなくなるし
不安になって安心したくて相手の愛も確かめたくなる
今は
自分の愛に私は自信がある
理由は言えないけど
相手の愛は信じる
信じきるしかないものだからね。見えないし。
そして感じてもいる。妄想じゃないよ
『そのままのあなたでいいよ
今、ここにいるあなたが大切で
その存在が必要で生きている事が生まれてきてくれた事が嬉しい
私はあなたの味方だよ』
私にとって彼女は唯一のセーフティ。
私は彼女にとっての一番のセーフティでありたい
唯一はないな。彼女には母や絶対的な味方の親友がいる
ただ、人の愛情、変わらぬ愛の存在を信じることができるように
安心できる絶対的な愛情、けっして変わらぬセーフティを感じて欲しい。
そうすればあの子はきっともっと心から笑える。
独り暮らしができず夜道が怖くて
傷つかないように他人と距離を取り
苦しみはシャッターを下ろすことで外に漏らさず
中に入れないようにしていた
「後ろから刺されてもいいやー」
「このまま事故って死んじゃえばいいのに」
そんな事を言っていたあの子の
虚しさを孤独を埋め尽くし、これまでの傷を癒し
これまでの幸せに目を向け、この先に心を開きもっと輝けるように。
絶対そうなるから。
それだけは想ってきたけどね。
私も彼女も夫婦の長い道のりを
病める時も健やかな寝る時も
共に手を取り労わり励まし支え合い
乗り越え生きていく姿を
間近で見て育っていない
私が一つしかセーフティを持っていない事は
私の弱点であり
彼女の思考を悩ませる、惑わせる
2人の関係を小難しくさせる
この二つが
我が家の家庭にとってはそれがいわゆる「何かしらある」の
何かしらに当たるものなのだろう
一つしか持たない私の愛情と複数持っている彼女の愛情は
同じ重みや大きさではないのが普通なんじゃないかと最近想った
もっと輝けるようにと望み、そうなったのだから
それにより外に目が向くのも当たり前で
そこに不満を持つのは筋違いだなとも想った
自分たちなりの
自分たちなりを
籍も入れず保障もなくより不安定な
2人と猫二匹
ささやかな暮らしを
セーフティが一個しかないからじゃない
迷い悩み進んで後退して
寄り道して道に迷って
それでも並んで歩んでいきたい
いきたいんだ