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完全なる独り言


日記鯖システム管理者からのお知らせ

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  • 日記鯖の仕様変更、不具合対応等については、こちらの記事もご覧ください。

空は青く、森は蒼く、海は藍。

頭の中を整理するために。

心を確認するために。

前を向いて歩くために。

溢れる思考と感情と想いをなるべく正直に。




※検索で訪問された人は右上「日記もくじ」より検索文字列(全文検索=100件)を試してみてください。


2011年08月21日(日) セーフティ機能


人は望まれて生まれてくるべきだから

望まれて生まれてきて±0 からスタート

そこからの道のりでプラスやマイナスは変動する

最近、ある人が言っていた

「マイナスからのスタートはさせたくないから。」

子供の進学に使用した奨学金を

一般的には奨学金は卒業後自己で返すもの

けれど親である自分が払い続けると言う

その理由が上のもの。

それは親の思いとしては間違ってはいないけれど

正しいのかは分からない

自分の道を切り開けと

必要以上の学のための費用は自分でという考えも

間違っていないから。





では精神的なマイナススタートはどうだろう


『セーフティ機能』砦・還る場所

多くの人は必ず一つか二つ持っていると思う

何処かで傷ついたり、挫折したり、絶望に打ちひしがれたとき

存在を自分を否定されたときに


救いとなる存在

逃げ場所

親でも女でも男でも妻でも夫でも会社員でもなく

ただただ 人である自分を

そのまんまをOKと言ってくれる存在

仲間・兄弟・親・祖父母・パートナー

仲間は血縁ではないけれどそんな強い結びつきの仲間もある

『○○は~で~だからねー。でもそれが○○だし、私はどんな時もあんたの味方だ。』

そんな風に言い合えて、SOSを出せば自分の出来うる120%を出してくれるような




家族も日頃は煩かったり、血縁だからって気が合うばかりじゃない

身内だからこそ気の合わなさもあるだろうが

いざという時にどんな自分でも迎え入れてくれたり

信じてくれたりする



なんでもいいんだ

思い返せばそういうセーフティ機能が一つや二つ

大抵の人は思いつくだろう



それがあって外に踏み出すのが±0あるいはプラスからのスタート

あるいはマイナスだと思って踏み出したけど“いざ”が起きたりして

プラスだったんだと気づくこともあるかもしれない






ありのままをむしろ否定されて育ち

“いざ”という時にも受け入れてもらえず

それどころか迷惑だと言われる人間は

どうなの

帰りたくないのは帰ってこないで欲しいと思われているから



意地を張ってるんじゃない

張ってる顔をするしかないからだ

頼れないのは受け止めてもらえないからだ




セーフティがない人も沢山いるはずだ

そこに頑張ったりもがいたりしている人がたくさんいる

マイナスからのスタートでもプラスに変換してる人もいるはずだ



ずっとセーフティがなかったのは自分のせい

己の不出来さのせい

他者のせいにはしたくないからしない




セーフティ

自分を心から理解しててもしてなくても

全てを知ってても知らなくても


『そのままのあなたでいいよ

今、ここにいるあなたが大切で

その存在が必要で生きている事が、生まれてきてくれた事が嬉しい

私はあなたの味方だよ』


大人になってそれを欲した時

人は恋愛や結婚を求める

他人との一対一の関係は

互いにとって唯一の相手

だからこそそこには他のセーフティにはない

強さと自信があり

反面、不安と脆さが存在する




手に入れば無敵な強さを得て

仕事で上手くいかなかったとき

人間関係で傷ついたとき

私には○○がいるからいいんだもんと

立ち上がり踏み越える力は他のセーフティ以上だろう

心の底から笑えたりしゃーねー明日も頑張るかとかね

元気に笑える事もセーフティのお陰でもあるだろう



反面、なんの縛りもなく拘束できるわけでもなく

それでいて暗黙のルールに縛られ

元気よく飛び出せるけどセーブしなければならない事案も起きる

信頼・誠意・愛情という見えないもので結びつく関係は

明日はわからないとか人は変わるという不安



トキメキは一生続くものじゃないし

セックスは必ず飽きる

デートは生活になり日常となる

危機のない平穏は刺激がなく

つまらない、萎えたと感じられる


子供が出来たりすれば特に

愛だの恋だの言ってられなくなって

同士や相棒になり

セックスしなくなればキスもしないのが自然だが

スキンシップすらロクになくなり感覚的には

家族・親友に近くなっていくのだろう



恋人同士がトキメキと楽しさという恋なら

夫婦は恋からやがて労わりと信頼という愛情にかわる



それは目に見えず、長い道のりの中で

何が正しいのかすら時にわからなくなる脆さがある



共に生きる長い道のりの中で

例えば浮気したり喧嘩して顔を見るのも声を聞くのも嫌になったり

別居したり家出したり

稼ぎがなくて喧嘩したり姑問題で壊れたり

どこの家庭も皆、平穏に常に安定して安心した道のりではなく

何かしらあるだろう

ある程度の年になった既婚者に聞くと

仲の良い夫婦であっても

結構な確率で 一度は本気で離婚しようかと思った事がある

という。


それでもその向こう側に行く人たち

また手を取りあって山を登る人たち

その積み重ねが少しずつ絆というものを深めるのか


離婚したり仮面夫婦になったりする人との違いは

よくわからないけど





私はそうした労わりと信頼を築く過程を

絆を深めていく夫婦を

傍で見て育った事がない

見てないからわからない



だから人様に聞いたり見たりは一生懸命してきている


だってそういうの私も欲しいもの

躓いた時、疲れた時、わからなくなった時

それがどういう種類のものなのか

愛情は?これは普通?


乗り越えたい。手に手を取って。

すれ違いそうな直線を手と手が届く距離にしたい。

できるのかできないのか

知らないから簡単に自分の愛もわからなくなるし

不安になって安心したくて相手の愛も確かめたくなる



今は

自分の愛に私は自信がある

理由は言えないけど

相手の愛は信じる

信じきるしかないものだからね。見えないし。

そして感じてもいる。妄想じゃないよ




『そのままのあなたでいいよ

今、ここにいるあなたが大切で

その存在が必要で生きている事が生まれてきてくれた事が嬉しい

私はあなたの味方だよ』


私にとって彼女は唯一のセーフティ。




私は彼女にとっての一番のセーフティでありたい

唯一はないな。彼女には母や絶対的な味方の親友がいる



ただ、人の愛情、変わらぬ愛の存在を信じることができるように

安心できる絶対的な愛情、けっして変わらぬセーフティを感じて欲しい。

そうすればあの子はきっともっと心から笑える。



独り暮らしができず夜道が怖くて

傷つかないように他人と距離を取り

苦しみはシャッターを下ろすことで外に漏らさず

中に入れないようにしていた

「後ろから刺されてもいいやー」

「このまま事故って死んじゃえばいいのに」

そんな事を言っていたあの子の

虚しさを孤独を埋め尽くし、これまでの傷を癒し

これまでの幸せに目を向け、この先に心を開きもっと輝けるように。

絶対そうなるから。

それだけは想ってきたけどね。





私も彼女も夫婦の長い道のりを

病める時も健やかな寝る時も

共に手を取り労わり励まし支え合い

乗り越え生きていく姿を

間近で見て育っていない




私が一つしかセーフティを持っていない事は

私の弱点であり

彼女の思考を悩ませる、惑わせる

2人の関係を小難しくさせる



この二つが



我が家の家庭にとってはそれがいわゆる「何かしらある」の

何かしらに当たるものなのだろう




一つしか持たない私の愛情と複数持っている彼女の愛情は

同じ重みや大きさではないのが普通なんじゃないかと最近想った

もっと輝けるようにと望み、そうなったのだから

それにより外に目が向くのも当たり前で

そこに不満を持つのは筋違いだなとも想った



自分たちなりの

自分たちなりを

籍も入れず保障もなくより不安定な

2人と猫二匹

ささやかな暮らしを

セーフティが一個しかないからじゃない

迷い悩み進んで後退して

寄り道して道に迷って

それでも並んで歩んでいきたい

いきたいんだ

2011年08月22日(月)

そう思うのは

ダメかな


とりあえず

実態のない何かが目の前にいるような感じで。



まぁ明日へ

2011年08月24日(水) 生き物を育み愛でるということ

二度と育成は無理だと思ってた



子供の時から生き物が好きだった

ホームセンターでタダで配って?いたひよこはニワトリになった
毎日、大根の葉などを切って米ぬかと混ぜたりした餌をあげてた

保健所の差し上げますで連れてきた子犬は私が見てこの子と決めた犬
毎日散歩に行ってた
ドックフードは飽きるし高い
残飯でもドックフードでも味噌汁をかけてあげるとよく食べた
ちゃんと薄めて薄味にしてあげないとね
高校に入ったらさすがに朝も帰りも遅く、散歩は母に交代したけど。

花も大好きだった
似合わないこと甚だしいけどw
道端の花に話しかけるような(心でねw

クラスにあって枯れかけていたシクラメンを毎日世話していたら
新しい葉が生え、花が咲いた
クラス替えの時、先生があなたがずっと世話して元気になったのだから。
と、私にくれた

祭りの金魚すくいでとれず、おまけで貰った出目金も
かわいくて大事にしたかったけど
ある日学校から帰ったら水槽が片付けられていて
ゴミ箱に捨てられていたのにはキレたけどw
死んじゃったからなんだけどね・・
拾って埋めました






結婚してからも庭に花を植えたり野菜を作ったり
リベンジのようにした金魚すくいから始まって
綺麗な金魚をいろいろ飼った
野菜の土にはこれを。花はこうして。
金魚の水を作ること。温度管理してPH測って。

子供は置いて働くことなんかとてもできなくて
仕事は辞めた



全部できなくなった時
それはある意味挫折で。

完全なる自己否定

今が幸せじゃなければ過去も未来も全て否定される
そんな具体的な事象





猫を飼うことになった時

自分がちょっと怖かった

純粋に飼いたかった

彼女との共有する絆であり
家庭を持つ、ひとつのかすがいになる存在だから
欲しかったのもある

彼女がそれを望んだこともまた
とても嬉しかった

ただ自分がそうして生き物を育み愛でていけるのか
ちょっと不安だった

ただ、猫はマイペースというから楽かなとか





私の生き物好きはいわゆる猫っ可愛がりみたいな
溺愛とは少し違うと思う

好きだけど面倒だったり
好きだけど汚いものは汚いし
子供に対しても比較的客観的なくらいだから
生き物を擬人化するタイプではない
溺愛は彼女に対してくらいというか、まさに例外



心配だったけど
飼ってみたらそれはもうかわいくて
猫にも表情があり、感情が見え
猫バカの友人の気持ちがちょっとわかった

ご飯が欲しい時の動き
嫉妬や寂しいと訴える態度
甘えたい時の動きや
「今は触らないで。ほっといて欲しいの」とかね

泣いていれば寄ってきたり
具合の悪い時に傍にいてくれる猫もいるらしい



擬人化なんか私も彼女もするタイプではないけれど
猫は共通の育む存在となり癒しやかすがいになった



私個人とってもああ、生き物飼えるんだ。と安心できた


別に私は心がきれいなわけでもなく
それどころか物事を斜めに見るような捻くれたところもある
たぶん本来は熱いんだろうけど、覚めた目で見るみたいな


それでも
生き物はすべからく生きているもので
脳があるとか思考できるとか知性があるのかとか喋るのかとか
そんなことじゃなく
全ての命は尊重すべきものであり
食物連鎖の理由であれ
その存在に理由はあると思うから



信じてきた今が間違っていた
あるいは
ダメだった
となると

人は何がいけなかったのか
どこがいけなかったのか
となる
足元の床がなくなるような感覚

それを後悔という


今がそこそこでもいい
幸せなこと
笑えることは本当にとても大切だ

赤毛のアンの良いこと探しはとても大切だ
小さな幸せ
ささやかな喜び
クスリと笑ってしまう出来事

なんということのない日常を意識し
感謝をする


先の保証はないけれど

今、大切と思える人がいること
誰かに頼られたり、必要とされたり、好きだと言ってもらえること
いつ病に倒れるかわからないけれど今が健康なこと
生きるだけで精一杯でも働く場があること
一人でも友がいたり、年に一度でも旅行に行けたり
ご飯がおいしいと感じること
孤独ではないこと
帰る場所があること

遊びの予定の日に晴れる事
落し物が届けられてみつかった
買い物で欲しかったものが最後の一つ残っていた
電車の中で面白い人を発見した
職場にかわいい子が入ってきた
凄く気にいる洋服を見つけた

例えばそんなことに。

そうは言っても、たいていの人はそこに価値を見出せなかったり
当たり前は当たり前と思い、自然に通り過ぎる事柄だと思う

それは意識せずとも幸せな場合もあるし
意識できずに不幸せを感じている場合もあるけれど
まぁ、ふつうだと思う



よく、癌などの病に侵された人がそれに気づいた
なんて言っているのを耳にする


一度は全てを捨てた

失った

一度終わった人生

大きなリセットをした私の今は


ある意味余生であり

ある意味、生まれかわり
1からスタートして人生をおくっている状態

生きるためにリセットした


だからそういう人と同じ目で生きているのかもしれない



猫にとっての飼い主は

いてほしい時だけいればいい
甘えたい時は甘えさせて。
遊びたい時は遊んで。

でもこちらが構いたくて構えば困った顔をし
遊んであげようと思ってもその気がなければ乗ってこない

でもいないと淋しいし、ご飯なくなったらちょうだい



その程度の存在でいい



共有するもの
共通する事柄
共有するこれまでの道とこれからの道


愛じゃなくても
恋じゃなくても
けして負けない強い力を一つだけ持っている
私の唯一の誰にも負けない自信


泣いて笑って喧嘩して
呆れて困って飽きて面倒になって

大切だけどめんどくさい
大事だけどちょっと負担
そのうち大切かどうかすらわからなくなったり


疲れても道に迷っても
時にすれ違い見失っても
最後に戻ってきてくれればいい
それが人生のパートナー



生き物も花が枯れると思えば長期の旅行もできず
動物は飼い始めれば寿命まで10年から20年もある
面倒であり時々癒し


生き物を育み愛でることと
人と人が生きていくことは似ているのかもしれない


明日が当たり前にくると思える
明日も嫌々だけど仕事がんばろう


そんな風に思えるように

笑えるように。
笑わせられるように。
笑いあえるように。

2011年08月26日(金) 信じるということ

平静なつもりでも、申し込み手続きをしていたらプチ発狂気分


大丈夫。

そう信じることと、不安を感じる事は別もの

信じているし、信じてなければたまらない。

けれど、時間は止められないし、彼女いわく

私に悪いところがあるわけじゃないわけで。

何ができるわけでもない不安は否めない




彼女と私の仔

私と彼女と可愛い猫2匹が暮らす1LDK

それが私の帰る場所

それが彼女の帰る場所


失う事は恐ろしすぎる





時々家出したり

時々帰るのが惜しいような楽しい出会いをしたり

たまに辛くて悲しい事があって逃げ帰ったり

たまにつまらなくなったり

たまに喧嘩したり

たまに面倒になったり

たまに別居したり。




人生は終りにしたい時があっても思うように行かず

このまま生きればまだ長い。

長ければ長いほど色々ある。

そうした事も今もこの先もあるだろう



そんな感じでいい


何処か支えで

何処か当たり前の空気で

くだらない事で居て便利と感じたり

よーく考えたら居ないと困る

この世に居なくなって何処へ行っても何処を探しても

もう二度と会う事が出来ない

そうならない限りわからない

そんな風であったとしても




たまに感謝して

たまにうっとおしくて


時々幻滅して

たまに時々さすが私が選んだ人!とか思ったりして

稀にむかついて

たまに足かせ

時々癒し



仔たちと同じ



片割れと生きることは

派手さもなく

けれど穏やかばかりでもなく



凸凹な二人が丸になり

凸凹な道を躓きながらも

右へ左へと時に流れつつ



まだ見ぬ未来へ進むには




独りでは心細い道のり

独りでは凸や凹で進めない道のりを

淋しくないように

心強いように

信じて前に進んでいけるように



時に友達のように

時に同僚のように

時に親子のように


親友であり同士であり家族

それがきっと伴侶。





そう信じている



信じている事

信じる心

それはとても大切なもの。


猫たちと離れたくない

彼女と離れたくない

猫と彼女と生きる事

大切なものは離さない離したくない離せない失くすわけにはいかない




受け入れ、認め、許し、寛容、達観、納得、容認

全ては何度でも繰り返す

それを未熟者同士すったもんだで乗り越えることで

完成していく

伴侶との長い長い道のり



修復するために

心機一転2人で道をゴロゴロ進んでいくために

乗り越えるために

申込みの手続きをしたんだから

発狂はしない、の。



2011年08月28日(日) 人生何十年?

本当にごく普通のおばさん

子供3人、うち二人はもう結婚し、今は同居の孫もいて7人家族

上手く言えないけど、変な癖もなく本当に普通のおばさんなんだ

いい意味で。


こんな人が母親だったらいいなと思うような


昨日その人に昨日「離婚しようと思った事はないんですか」と聞いたら

「あるよー。2回くらい」という具体的な答えが。


なんででも離婚しなかったんですか
今はそう思わないんですか


「しなかった一番の理由は自分が何かできるわけじゃなかったから
子供がいて育てていけないと思ったから」

「今は思わないねー。
やっぱり楽というか、お互い一番わかっていて遠慮もいらないし
気楽で気が許せる感じだからね」



凄いなぁ。いいなぁ。

母と変わらないくらいの年齢の人です。

絶対にそれまでの歴史に色んな事があったはず

60を過ぎて今

まぁいろいろあったけど、これが私の人生で

そこそこ満足。いいんじゃないかな。

そんな風に思えること


背伸びもせず、上からでもなければ年寄りくさくもなく

若者ぶってるわけでもない

見た目も年相応で自然な感じ


とても良い年の取り方をしていると思うその人は

本当に普通のおばさんで。

そんな風に年を取りたいと思う憧れでもある。


そこにいたもう一人の人

なんというか凛として強く。

筋の通ってない事は許さず

言いかたもキツク、強く。人によっては怖いと思う人

けれど筋が通っていれば間違いは間違いと認め

私のようなガキに対しても

対、人として丁寧に接してくれる



「20で結婚して25年で離婚

離婚して1人で生きて25年

私の人生はこれでチャラ!!」

って言ってた。

思わず「カッコイイーーー」と言ったら

「なんでぇ?」なんて言って笑ってたけど。

つまりはもう70なわけで。


私の私生活の秘密を1つ披露 なんて言って教えてくれた

ある歌手が好きでファンクラブに入っていて

今年はもう2回もコンサートに行ったとか。

一度は最前列だったそう。


チャラと言えるまでにやっぱりいろいろあっただろう

けれどチャラと言えるように生きてきたはずで

「何ひとつ後悔していない」

そう言いきっていた

そう言い切るまでに言い切るために

いろいろあったであろう

私の勝手な想像だけど

あの人はきっと、自分の中の大切な何かを守るために離婚したんだと思う


理想の母のようなおばさんも大切な何かを守るために

そして信じるものがあったから乗り越え伴侶と生きてきたんだろう

チャラの話を一緒にきいていて

『私はそんなたいしたものはないからねー』

と言っていたけど

そこには確かに、独りじゃないことからくる自信

乗り越えてきた大きさを感じた



2人とも

威張れるようなものは何もないけれど

自分自身に胸を張れる

という




私は何時死ぬのかなぁ

「先に死んだらダメだからね。1人にしないでよ。」

と言ってくれた彼女が生きがい


来年も5年後も10年後もそう言ってくれると

信じることが

健康に気をつけなければならない

確実に後に死ぬためには長生きしなければならない

長生きするなら今だけじゃなくて

年食って病気になったりしても

迷惑を掛けたりしなくて済むように預金したり保険に入ったりしよう




一瞬の幸せ、一瞬の楽しさなら簡単

簡単に作れる

けれど長く笑っていられるために

ずっと幸せと言えるように

何ができる?どうすればいい?




来年も5年後も10年後も

先に死なないで傍にいてと言って貰えるように

そうやって“今日”を生きることが

張り合いであり、生きている喜びで。


稼ぎたいと思うのは、いっぱい色々旅行に行ったりしたいから

たくさん美味しいものを食べたいから

安心できる蓄えが欲しいから

仕事頑張ったり、親に蹴られ罵倒され侮辱されても

誰かに嫌われたり苛められたとしても

また頑張ろう。まだ大丈夫。味方がいるもんと思える



それでも時に思うようにならなくて疲れてしまったりして

生きるのはしんどいなぁ…と思う事がある

顔をあげるのが辛くて眠れなくてそんな時もある


そんな時にこの人がいるから

大丈夫

一番理解してくれて一番気楽で素を出せる

一人ぼっちじゃないもん

しゃーねーな、一緒にいてやるか。もう腐れ縁みたいなもんさー

とか軽口叩いて





そのままちょっとした恋愛談議になった

×なし独身者と×独身者数名、×あり再婚者、×なし既婚者の場。


「どういう人が好きなの?」

「大切な人はいるんでしょ」

「結婚って。ずっと一緒。って難しいよね」

独り者の気楽さと不自由さ

若い人の恋愛の悩みを聞いたり。



そんな時に意識するとわかる。

自分がこんな時に笑いながら話したり

真剣に一緒に悩んだり

微笑ましいなと応援し、生暖かい目で見れるのも

独りじゃないからだと。

瞼の裏にあなたがいる事で

どれほど強くなれるのでしょう

あなたにとって私もそうではないでしょうか



彼女が何のために生きていると感じているのか

わからないけれど

私のようなめんどくさい奴じゃないので

そんなこといちいち考えたりしてないのかもしれないしね


でも意識してなくても

それがあるかないかは絶対に違う



少なくとも彼女が生きている事は

私の“ため”になっていて。

別に私のために(せいで)仕事頑張ってるわけでも

健康に気をつけているわけでもないのかもしれないけれど。

そんなことはどーでもよくて。



それだけで彼女の存在意義は確実に一つあるんだよ

生まれてきてくれて

生きてきてくれて

あの時声を掛けてくれて

好きになってくれて

ありがとう

そう心から思うから。


2011年08月29日(月) 1人でも独りじゃない感じってそんな感じ

今日は1人です。

少し遅くなって帰ったら

真っ暗な部屋から猫が一匹飛び出してきた。

何故かビックリ風に…w


小狭く入らなくていいのにこじんまりと入浴。

自分の分だけの料理はめんどくさく

あまり食欲もないので出来合いのダイエット食?w


そんな日自体は仕事の都合でよくあるのに

何故かやっぱりちょっと淋しい


こんなんで1カ月1人暮らしとかできるのかしら…( ̄ー ̄; ヒヤリ 



とか、思うけどそれはより良くなりたいと思って決めた

長い人生の中のインターバルだから

大丈夫ナノダ





そういえば今日は仕事中にバッタリ逢うサプライズが。

携帯見てなくて

本当になんとなく“逢うかも”と思って。


思って当たって?嬉しくて

彼女もびっくらしてたけど

お互いなんか可笑しくて

短いひと駅が楽しかった@


驚かせようとも、笑わせようとも思ってなくて

無計画で起きた楽しさに彼女も笑ってて。

当たった事とかなんかいろいろちょっと興奮♪

嬉しかった(*'‐'*)ウフフフ♪


上手く言えないけど

そういう

柔らかくて日向ぼっこしたらじんわり暖かくて

ぽかぽか芯が温まって

あぁ、幸せ~♪ 

みたいな。




なので今日は

楽しいサプライズのあった日に

感謝でかんぱーいで

寝ましょうね。