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週末、彼女に会う時に、サプライズがあーーーる!!!!!
・・・つもりだけど・・・・・・・・・
ぜんぜんビックリしないかもしれない~~~~~((((((ノ゜⊿゜)ノあぁああ
上手くいかないかも(||| ̄△ ̄;)どよ~ん
まぁ…・その時はその時で(;-0-)y-~~
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今日は、ちょっとショックな話。
最近読み始めた闘病ブログがある。
結婚直前に病が発覚して必死に結婚式を挙げ
まだ2カ月くらいなのかな。
もちろんまだ若い。
旦那さんが亡くなったそうだ。
それまで元気な話が出てきていたから自死か事故でしょう。
「自分の病気がわかった時も凄く辛かったけど
そんなのたいしたことないと思うくらいどうしようもなく悲しい」
「自分の半分がなくなってしまった」
というようなことを書いていた。
自分の身の半分がなくなる事
理由が何であれ辛い
「がんばれ」「がんばろうね」と言ってくれていた人
もしも自死ならとても言葉にできない辛さだろう
こんな言い方、適切な言葉ではない気がするが
どうか事故であって欲しいと思う
『病は気から』というがそんなことばかりじゃない。
けれど闘うにはやはり『気』が必要だ
勝つという気力もそうだし、辛い治療を受ける選択をすることだって『気』が必要で。
欲しいもの、したい事が、支えてくれる人、居て欲しいと願う人がいること
一度もコメントを書いた事もないし、書くつもりもないが
まだ私よりも若いその人がどうか気を持つことができますように。と
思う。
もし自分が死が身近に感じる病になったら彼女に
「傍にいるのは辛いから離れていいよ。」というと思う。
そりゃーもう、きっと気持ちはむしろ
「片時も離れず目の前にいてーーーー(・_・`)―――――C<(≧∇≦;))))))」
かもと思うけど(´゚ω゚):;*.':;ブッ
でもやっぱ
代わりの効かない人、身近であればある程、自分の半身であれば尚の事
辛いだろうと思うから。
昔、彼女がブログに書いていた
「自分は延命に否定的だが、もし自分の母親がその場になったら
ただ寝ているだけでも生きていて欲しいと思うのかもしれない」 と。
また、以前、知人にこうも話したと言っていた
「自分は辛く苦しいのも嫌だし
抗がん療法を受けてまで長生きしたいと思っていないけど
もし彼女(私)がもう少し生きて欲しい。闘って欲しいと言ったら
頑張ってみるかもしれない」 と。
そんなこと言ったっていざとなれば
「《《o(≧◇≦)o》》イヤァァァァ!!!辛いから辞めるーーー」
とか言うかもしれないしw
私は私で一分一秒長く生きていて欲しいと思っても
「そんなに辛いならもういいよぅ」
とかいうかもしれないがw
「今から死ぬ」とか言って、あっさーい傷手首に作って
騒がれている芸能人が今いるけど…
どうなの??と思うものの
当人なりに苦しんだり、必死に生きているのでしょう…
誰にでも等しくいつか訪れるものだけど
それが何時、どのようにかは、誰にもわからない
いつ、どのように であっても
そこに納得できなかったとしても
生きてきた道に対しては納得できますように
笑えますように と思う
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さて。
今夜は(も)ゲームオタにでもなってから寝ますかね。
明日も頑張って起きよう(`・ω・´)シャキーン