物質の有る・無いはすっげーわかりやすいと思うんだけど、
事象の有る・無いは人によって解釈が違うので非常に難しいなと思う。
人によって捉え方が違うから。
悪くとらえると損するから、いいように解釈しましょう。
そうすればあなたも私もハッピー。
うんそうかもしれない。
でも悪く捉えた事もひとつの事象でしょうと思う。
少なくとも私はそう感じた。
それ自体を否定する権利は第三者にも自分自身にもないはずだ。
と思うのよ。
日常を生きていて、私は「はっきりしてるよね」と言われる事が多い。
はっきりしているは結構湾曲した言い方で
本当のところは「見切りはやいね」ってことなんだけど(笑)
ん?とか、はあ?という対応をされたときが顕著だ。
一回では判別しないよ。
少なくとも同様の事象を短いスパンで最低三回、あえて試す。
繰り返された場合、シャットダウンする。
先方にもよくわかって親切だと私は思ってる。
それに三回は様子見るんだよ?見切り早くないと思うんですが(笑)
なんていうか。
ポジティブとかも大事なのはわかるし
日常的に張るアンテナの向きの良し悪しは多少一定のルールはあると思う。
でも、自分が感じた不快感は無視しないであげたほうが自分のため。
自分の軸がおかしいからそう感じるのか、
相手がキティちゃんだからなのか、
検証は後でもいい、それよりも不快の根絶を先に(笑)
でないと、その事象が続くか悪くなると思う。
経験則的にそう思う。
いりません、あっちいってくださいという意思表示大切。
というわけでね、今絶賛「はあ?なんですかお前」案件が発生しているので
距離をワンストロークずつ入れて離しているところ。
びっくりなことにその人物に関して周囲の人々は
そうなのよね、許してあげてと思ってるそうな。
あ、私は妥協してまで付き合いたくないのでごめんなさいね(笑)
成人したらその佇まいの悪さはご本人の自己責任です。
周囲の愛にご本人が気がつくのはいつのことかな。
そして自制心のなさを利用されていると気がつくのもいつなのか。
ああ、聞かれたら答えるよ。
まあないと思うけど(笑)