●振り、振り、そしてオチ
思うに、日本の裁判制度における三審制というのは、裁判制度の「逃げの余地」のためにあるのではないだろうかと思ったりする。
裁判官もピンからキリまでいるわけで、そのヒエラルキーの最下層に居る裁判官は、ある種のビッグヒットを狙うわけですよ、こういう裁判で。結果的にそれがかなりアレな判決であったとしても、「どうせ控訴すれば上級審でなんとかするさ」的な考えが裁判所にあるのではないかと思う。
高裁以下の裁判官は国民審査なぞないし、どうせ政治的・憲法解釈的にヤバそうなネタは最終的には最高裁が責任を持ってやってくれるだろうという下級審における甘えが「オイオイ、お前、その判決の意味わかって言ってるんだろうな」的な判決を生むのだろう。
裁判費用を負担させられる当事者や国民にとってみればとんでもない話であるものの、金銭的・時間的なコストを慎重な審理のためには度外視してよいなどという考えに立てばどうってことないわけだよなぁ。
金と時間の無駄だから、グダグダ言わんで最初っから最高裁でマジメに審理してくれよ。地裁と高裁が、単に両極の意見を出してみるにすぎない機関なんだとしたら…とか思うわけなのだが。