フラグクラッシャー
そろそろ死亡フラグが立ちそうでしたが、なんとか回避。本日は休み。
トルコの不況っぷりを見てると生きてるのが嫌になりますなー。不況な割に
金の節約もせずにはいい加減街道突っ走る彼らが微笑ましい気もします。
と、言うか、日本人の節約ブームの方がおかしい気もして来た。
インド
インドでのオフショアのメリット、インド人SEの優秀さ、などと言う記事は見飽きているだろうから、ネガティブなことを書こうと
思う。
いやぁ、悪くも悪くもITバブル、もう、昔の日本のITバブルそのもの。良くこのレベルでSE出来るな、と言う奴がゴロゴロしてる。
凄い奴はいるが、凄い奴は給料も高い。安い奴はとことん悪い。日本のITバブル時代との違いをあげるとしたら、「英語」と「SOW」。
これだけで日本のITバブルの比じゃないくらい仕事が進まない。
まず、キーワード「英語」。笑えることに、これは日本人側じゃなくて、インド人側の方。
会社が「英語の喋れる運転手が欲しい」と要求したら「英語が喋れれば運転手なんかしてない」と言う返事が帰ってきたんだそうだ。
この話を聞いて納得したのだが、言われてみると英語を喋れる奴のエリート意識が高い、壮絶に高い。それはそうである。英語を喋
れることは社会の階層が高いことを意味し、社会の階層が高くないことはこの国では人間ではないことを意味する。
困ったことに、これが「喋れる」だけで「書ける」訳じゃない。報告書は大概、長編小説となるのである。以下に自分が苦労し、活躍
し、目的を遂行中であるか。。。。そのくせ内容はない。もちろんマニュアルも書けない。
そして次、SOW。
「それは私の仕事ではない」と言うのは、どうやらインド人の伝統的な逃げ口上の様である。こいつにSOWが後押しをする。逃げられ
ないようにちゃんとにSOWを定義すると、言い訳大会に巻き込まれる羽目になる。
つまり、「報告書だけではさっぱりわからず、面接すると言い訳大会に巻き込まれる」訳である。プロジェクトは貴重な時間を失った後
である。リカバリにするにも金がかかるのである。
さて、この二つのキーワード、実は我々が日本で直面している現実である。
Webの発展によって、もうSEにとって英語は無いと困る技能の一つになりつつある。かなりの人間が覚えることになると思う。そして、
SOWは仕事を円滑に進めるのに必要なものであり、品質を高める上で重要な作業ステップだ。
しかし、昨今の英語バブルと、グローバル化ごっこだけはいただけない。SEの英語は「通じればよい」が通じさせなくてはならない内容
は非常に高度であり、間違いは許されない。
やってみればわかるが、日本語で作られたドキュメントを翻訳するには、かなりの技量を要求される。最初から英語で作るしか方法はない。
また、会議で役に立つ通訳は英語が出来る同僚のみであり、彼の工数を奪うことになる。
馴れないうちはフォーマットも決まらず、まさにインド人と同じレベルの報告書を提出することになる。報告書文化に慣れきっている我々
が、日本人同士でやる羽目になるのである。
そして、SOWを、仕事の逃れの口実にしている状態も、それを許している状況も間抜けである。社畜系SEが減っている今、誰もそれを
カバーしなくなるだろう。
こう考えるとインドの状況を見て、優越感に浸ることは出来ない。これは、我々の未来なのだ。