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夢目記


日記鯖システム管理者からのお知らせ

  • HTTPSに対応し、http://ds.sen-nin-do.nethttps://ds.sen-nin-do.net のどちらでも日記鯖にアクセスできるようになりました。 なお、当面はHTTPとHTTPSのどちらも利用可能としますが、将来的には http://ds.sen-nin-do.net へのアクセスは https://ds.sen-nin-do.net へ転送する予定です。
  • 都合により日記鯖のURLが http://ds.wa-mo.to/ から http://ds.sen-nin-do.net/ に変更となりました。 突然で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。(2019/01/27)
  • 日記鯖の仕様変更、不具合対応等については、こちらの記事もご覧ください。

元気です。

2000/09/01

{!!)
 このところ、サイハン・ジャパン(ちょっと前に作ったドゥルーズ=ガタリ掲示板)にまた投稿している。なんていうか再犯、またやっちゃいました、っていう感じかなあ。

 内容はともかく、ほんの数頁であれ外国語を読む習慣めいたものがとり戻せそうな淡い期待が。でも今の世の中、ほんの少しだけ外国語が読めたって、何の役にも立たない。抜群にできれば別だろうけれど、そんなわけじゃ全然ないし。


2000/09/02 ジェラール・フィリップ

(*_*)
 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督(ジェラール・フィリップ主演)『奥様ご用心』をみる。思わずひきこまれてしまう ― こういう映画が大好き。これまで『夜の騎士道』(ルネ・クレール)、『愛人ジュリエット』でジェラール・フィリップをみたけれど、だんだん好感をもってきた。

2000/09/03

(*_*)
 2000年8月31日づけの日記で、”ジョン・ウェイン主演の1973年の『ビッグケーヒム』”と書いてしまった映画は正しくはアンドリュー・V・マクラグレン監督(ジョン・ウェイン主演)『ビッグケーヒル』(73・米)でした。

2000/09/05 家族会議の夢の断片、『マッシュ』。

(*_*)
 アルトマン『マッシュ』をみる。

 夢をみても覚えていられず、なかなか記録もできない。

 今朝の夢の断片。

 《母と一緒に、親戚らが集まる話し合い ― 不動産の売却に関わるものらしい ― に出席。従兄弟ら(知らない顔ばかり)らしい子どもたちもいる。食事のとき、僕はなぜか全裸で食卓につき、恥ずかしい気分になる。最初部屋には僕と母だけで、お腹がすいたからといってお菓子か何かをふたりで食べてしまい、ちょうどそこに、荷台に大きな果物(メロンか何か?)を何個も積んだ親戚のおばさんたちが自転車で帰ってきたのだったが、食卓が賑やかになると、父親が(裸の)僕の存在を煙たがるように「あっちに行ってなさい」と言い、それで別の部屋にひとりで行く。》

 おとといの夢の断片。

 《中学生の制服を着て中学生になっている。通学路 ― といっても見知らぬ光景だ ― を歩いて学校に向かっている。人のいない早朝の商店街らしいところにチロが座っていて悲しそうな目でこっちをみるが、学校に行かないといけないので置いて行く。それで罪悪感を感じる。途中で、忘れ物を取りに引き返すとき、同級生の一団(5,6名ほど)に擦れ違う。彼らはにやにや笑って、ポケットからコンドームを取り出す。僕は彼らに向かって、半ば演技の入った誇張された長話をする。自分はそれで排除されることになるだろう、と思う。》

 時間はあるのに夢が記録できないときというのは、精神的に参っている場合が多い。

 夢についての連想。

 (r)es家はかなり行き詰まっていて、その打開策は今のところふたつほどしかない。ひとつは、これまで通りご近所の有力者から借金すること。ふたつめは、墓石屋の社長さんから分け前を貰うために、身内が亡くなった人に墓を作るようすすめること。それで先日母親が、墓を作るようすすめるため、親戚に電話したのだが、そのとき、いとこのひとりが会社をやめて美容師をめざしている、という話が出た。僕のことも言及されたらしく、「10の力を10出す仕事をしても仕方がないよ、6くらいのところを探せばじゅうぶんだよ」という結論になったとのこと。

 九州の土地 ― 詐欺師だったころの(義)父が母に売りつけ、結婚にきっかけになった崖のそばのどうしようもない土地 ― を売れないかという話になってきているのも、夢におかしな家族会議が出てきた理由だろう。

 これまでよくお金を借り、それで急場を凌いできたご近所さんも、もう(r)es家に貸してくれようとはしない。母が今日そのひとに会って、「... 男がふたりもいるのに... 」といわれた。男がふたりも、というのは(義)父と僕のことだ。

 夕食のときには(義)父がやたら卑屈な態度をして、酒を飲むのにも「ありがとうございます、買っていただいて」などといったりする。他方で、僕がチロチャンの漏らした糞尿を掃除するのにトイレットペーパーを多く使いすぎるといって小言をいう。水を流しても文句をいう。

 もとNHK支社長の叔父さんのむすこ(僕のいとこ)は確かどこか公共機関か何かで働いている。別のいとこは、社民党の議員の秘書をしているらしい。いとこたちについて、子どものころ会ったときの漠然とした想い出しかない。もう二度と会うこともないだろうし、会っても何も共通の話題がない・・・。おばあさんは死んでしまい、共通の関心もない。想い出も薄れていくし、親しさの実感がない。

 ふたつの夢断片について、もうほとんどの親戚や過去の知人から完全に絶縁してしまっていることを想起せざるをえない。彼らにとって、僕はもう終わってしまった何かで、死んだも同然なのだ。逆に自分にとって、彼らは想い出でしかなく、いつまでも何年も(十数年も)前の姿のままだ。現在に属するものがなにもない。

 家のローンがはらえなくなったら、すべてを売って九州の山のなかに行ってのんびり暮らしたい、というような話が出る。僕もそれが一番いいと思うが、どこか今いるのとは違う場所に行くという元気さえ残っていない。

 (義)父はついこないだまで酒を飲むと ― ということは毎晩ということだが ― 偽預言者ふうの言辞を弄して、「すべて終わりにしよう」「いずれ必ず答えが出る」「地球は爆発する」と朝まで独り言をつぶやいていたものだが、最近は卑屈な態度で小言をいい、やたら早く寝てしまい、水道を流しっぱなしにしてもそれを自分がやったことだと認めなくなっている。つまり、チロほどではないにせよ、老いて衰えている。「ご迷惑はお掛けしませんから」、つまり介護が必要になる前に首をくくって死ぬと(義)父はいつもいっているが、僕も母も制止したことがない。本当にそうしてくれればいいと思っているからだ ― 金がないし、誰も稼ぎたいと思っていない。また葬儀について、(義)父は、一番金の掛からない方法 ― ただ単に遺体を焼いた灰を海かどこかに撒く方法 ― を望むともいっているが、この望みももちろんかなえるつもりだ。それにしても、自分たちが儲けの一部をせしめねばならないからとはいえ、他人には豪華な墓を勧め、自分たちは最も安上がりな道を行くというのは、矛盾しているような気がしないでもないなあ。

 確かに、望もうと望むまいとすべて終わりになりかけているし、完全に駄目だったという答えも出てしまった。まあ地球は当分爆発しないだろうけど、そんなことはどうだっていいし。

 一昨日の夢断片での通学路(?)とクラスメート達とのすれ違いについて、高校時代の朝の登校風景を思い出す。人混みがひどく苦手で、多くの生徒より1時間ほど早く登校していたのだが、早朝の誰もいない商店街の風景(くすんだ感じの)がとても好きだった。ウォークマンでモンクの演奏を聴きながら3年間干潟のそばの高校に通った。

 話は飛ぶが、1年ほど前、自宅近くを歩いていると、変な声が聞こえた。憐れむような口調で、「学校の成績だけ良くてもそれだけじゃあ駄目ってことだね」という声が聞こえてきて、聞こえた瞬間それが自分のことだとわかった(ような気がした)。中学か高校で一緒だった人たちの誰かがすっかり変わってしまったいまの姿をみてそういう感慨をもらした、と直感したのだ。もちろん、確かにそうだったという証拠は何もないので、《ひがみ妄想》かもしれないのだが。

 夢のなかでの男の子集団との完全な分離、孤立について、過去の自分そのままだと思う。そして突飛で奇矯な芝居がかった長広舌によって、彼らとの距離をより確かなものにしなければならなかった。そういう過去の姿が繰り返されている。懐かしいようなつらいような、複雑な感じがする。

(*_*)
 長い夢をみたが、ちょっと時間がたつともう思い出せない。

(*_*)
 アルトマンの『マッシュ』に戻ると、実は一番惹かれたのは主題歌。自殺は苦痛じゃない、気分が変わる、やるもやらぬも私の勝手、君も好きにするがいい... とギターを伴奏に男たちが歌う。「苦痛じゃない(painless)」というのは実は従軍している歯科医の名前で、巨大な男性性器をもつことで仲間内で有名だった彼は、ある日看護婦と性交しようとして不能に陥り、自分が同性愛者だと思い込んで自殺を決意する。それを第4077移動野戦外科病院 MASH の仲間たちに打ち明ける。すると仲間らがこの歌を皆でうたって冷やかすのだ。

 映画自体は喜劇的な速い調子で貫かれているので、このけだるくうたわれる主題歌は、全体の雰囲気とどこか違った感じを醸し出している。だがそうでもないのかもしれない。主人公の医師たちは徴兵されて前線にやってきたのであって、「軍隊馬鹿」を軽蔑しきっている。可能なかぎり楽しもうと、賭けや性交やゴルフ、フットボールなどに興じる…。

 ところで主題歌そのものは実は10年前に聴いていて、感銘を受けていた。高校に入るか入らないかの頃、Bill Evans, You Must Believe In Spring, Warner Bros.の最後に入っていた。実はエヴァンスは当時あまり好きではなかったが、この晩年(1981年)のアルバムだけは例外で、よく聴き返していた。審美的というよりも極端に抑鬱的な情緒で貫かれたこのアルバムの印象が、世評高い最高傑作 Explorations の印象を上回っていた。

 そんなに前から気になっていたならもっと早くにこの映画をみていればよかったかもしれないが、高校生および大学生の頃には映画には全然興味なかったから、10年もかかって実際の元歌をきいたことになる。

 それで感想だけれども、高校生の頃の僕はピアノで演奏される音楽だけを偏愛していたが、この怠惰でけだるい反語的な感じというのは、歌でなければ出せないだろうと思う。エヴァンスの演奏も素敵だが、全体的に抑鬱と追想に沈み込むようなアルバム全体の末尾にあって、微かに明るい光を放つという感じだ。もとの映画の冒頭の歌は逆で、映画全体は(皮肉混じりであれ)コミカルなのに対し、歌だけが疲労と倦怠の色が濃い。これに聴き入ってから映画をみはじめると、面白い場面でも大笑いというわけにはいかなくなってしまう。マルクス兄弟やロイド(全然違った芸風の彼らを並べるの犯罪的かもしれないが)の映画とは違って。

{!!)  ほとんど10ヶ月ぶりに音楽を聴く。You Must Believe In Spring、本当にしばらくぶりに聴いたような。今は3回目の再生。Theme From M*A*S*H (aka Suicide Is Painless) もいいのだが、やっぱり冒頭の1曲。B Minor Waltz (For Ellaine) が出だしからして素晴らしい。録音の加減もあるのかもしれないけれども、なんというか音が空間に溶けていくような甘美さ。音の感じだけじゃなくて曲全体の感じもそう。

 こういうことを、音楽に精通した人達はもっと適切な仕方で記述(ないし説明)できるんだろうか?

2000/09/06 Thelonious Monk trio, 変な長い夢の断片

{!!)
 比較的はやく床に着いたのに、まったく眠れない。Thelonious himself を出してきて掛ける。高校の頃には毎日10回以上聴いていた(ような気がする、錯覚かもしれないが)このアルバムだが、ひさびさに聴くと気分が落ち着くような落ち着かないような。10代の頃は、Monkが使う”水面を掻き回すような”装飾音とか高音から下に降りてくる音使いにすっかり参っていて、それを耳にしているだけで神経の苛立ちが静まるように感じていたものだけれど、だいたい20歳あたりから音楽が効かなくなってきた。それとともに自分で楽器を弾くこともなくなった。

{!!)
 そういえば昨日は、朝9時過ぎから夕方の6時頃までチロチャンがずっとおなじ姿勢で寝たまま動かなくて、呼吸はしていたけれども、このまま死につつあるのではないかと思って何時間も泣いていた。でもきな粉ご飯を食べさせたら元気になって、安心した。

 子どもっぽくなってきてるなあ。

{!!)
 飼い主が(ほとんど)毎晩徹夜している ― といっても有意義なことは何もしていないから単に眠れないだけだが ― ので、チロチャンも夜型犬になったのかも。

(*o*)
 夜更かしの代償、朝がキツイ。変な長い夢をみたが、断片的にしかノートに記録できなかった(あとで纏めよう)。
(夢の本文:はじまり)

 中学か高校での同級生らしい数人のヤンキー風の女性たちと散歩して、何か巨大な遊園地施設 ― 自宅と一体になっているらしい ― まで帰ってきたのだが、入口のあたりが数十人ないし数百人の若い女性でごった返している。
 よく大学図書館か地下鉄にあるような、入退場を規制する銀色の金属の棒がついた装置をくぐって、「ちょっと行ってくる」と施設の中に入る。
 メールのチェックをすると、しばらく家を空けたせいか、30件くらいのどれも重いメールが受信され、画面上に変な表示(「規定の容量を超えています」とか)が出て読めなくなってしまう。
 施設の外なのか内なのかわからないが、長く続く一本道 ― 弓なりに右へとカーブしている ― を一人で(ないし数人で?)歩いている。右手には木々、どうも大学の敷地か何からしい。姿はみえないが誰かが水を撒いているようで、こちらに水を飛ばしてくる。掛かりはしなかったようだが。
 カーブを曲がるあたりに、屋台のラーメン屋があった。そこではラーメンをベースにした地獄鍋をぐらぐら煮立てていて、これをもとに金儲けする計画らしい。
 場面が変わり、『鉄腕アトム』のアニメか漫画のどれかのエピソードに、女性の学者がコメントしている。

(夢の本文:終わり)

 どうも支離滅裂だし、だいぶ欠落もあるようだ。首尾一貫した筋を再構成できない。アニメへのコメントの場面は別の夢が混入したものか。或いは、3つないし4つの夢が、目覚めたあとの記憶で1つに寄せ集められたものか。
 この頃母親は、すべて売って九州にかえって農業をはじめよう、と遠い目で言ったりすることが多いが、人生の休学ってのは無いのかな。

{!!)
 1952年および54年に PRESTIGE で吹き込まれた Thelonious Monk trio をひさびさに聴きかえす。ひさびさ、といってもこの10年で1000回は聴いでいるだろうから、すぐに入っていける感じがする。

 偏った見方だが、このアルバムが Monk の最高傑作だと思っている。勿論他に素晴らしい演奏が幾らもあるわけだが、このトリオ演奏は、他の盤での演奏以上に音が尖っている

 前日、 You Must Believe In Spring について「音が空間に溶けるような」といったのと同じように、「音が尖っている」というのも質的な規定で、曖昧極まりない。が、他に記述方法を知らないので、とりあえずこう書く。(Monk についての変な本を6、7年前に読んだことがあって、そこでは Evans は水平的なのに対し Monk は垂直である、というような記述がなされていたが、この水平・垂直というのもよくわからない。しかし便利なので、ついつい使いたくなってしまう... )

 調子がいいときの Monk のピアノについては、音がとび跳ねている、という印象がある。或いは、「君の考えは飛躍しているね」という、nutty, singular, strange, queer... といった響きのある意味価でいう「飛躍」。楽想や情緒が飛躍しているだけでなく、より具体的にいって、素材=物質(matter)としてのそのものが跳ねているのだ。特に減5度と短2度 ― 楽典をやったのは高校の音楽の時間が最後だから間違ってないか心配だけど ― の多用が著しい特徴をなしている。例えば音列が(という言い方も間違っているかもしれないが) C → G → C と進めば普通の完全5度の移行だが、真中の G が♭に変様されていたらどうか。また、ちょっとした小唄の旋律がすべて半音下の音に伴われて、しかも耳障りでさえある強いタッチで演奏されていたらどうか。まさにこのこと、特に後者(感傷的な旋律がすぐ半音下の音と同時に弾かれることで、耳障りで不快でさえある反語的な叫びのようなものに姿を変える)が、このアルバムを特徴づけている。対比によって説明してみる。

 このアルバムで演奏されている曲のうち3曲が、晩年(60年代)に CBS で吹き込まれた Solo Monk でも再演されている。トリオとソロという違いもあるだろうが、楽想も規定となる音使いもまったく違っており、僕はむしろ、52年、54年のトリオ演奏とこのソロ演奏とを「垂直的」と「水平的」といった形容を用いた対立で記述したい。どういうことかというと、晩年のソロ演奏においては、不遇時代のトリオ演奏の楽想を強靭なものに鍛えあげていたあの強いタッチの短2度 ― 例えば旋律が F の音のとき、その F を中指で押さえつつすぐ下の E 音を人差し指で同時に押さえる、といった仕方で濁った独特の感じが出るようなそれ ― がすっかり翳を潜めているのだ。昔懐かしの流行り歌に対する反語的な取り組みというよりむしろ、その曲本来の情緒、楽想への没入が顕著なのである。それに対し、トリオ演奏のほうでは懐古、追想、感傷が完全に拭いさられ、挑発的でさえある歪曲作用が、曖昧な感情移入をまったく不可能にしている(ような気がする... 現代音楽と比較したら、Monk の irony などまったく甘いものだ、ということになるのかもしれない)。`

{!!)
 しかし10年も聴いていてこの程度の分析しかできないのは、救われない。やはり音楽についてしっかりした分析をするためには、楽譜の読み書きがきちんとできないとどうしようもないんじゃないか。或いは、楽器か歌かが相当できるとか。愛だけじゃだめだ、ということでしょうか。何ごとも。

 いまは Keith Jarrett, Death and the flower, Impulse を聴いている。これはかなり久しぶりだが、イイ。何がイイかといえば、1曲目(Death and the flower)冒頭の打楽器や soprano saxophone の寂寥感がイイ。聴き入ってしまう。(途中、曲が賑やかな感じ ― 「ゴスペル調の盛りあがり」(佐藤秀樹氏による解説より)らしい ― になってくるとちょっと厭きてしまったりとか。でも寂しげな打楽器の音楽がイイならこれじゃなくて別のものを聴いていればそれでいいような気も。)

 Keith Jarrett のソロ演奏や(スタンダードの)トリオは僕には全然面白くないけど、そういう感想を知人に漏らすと否定されたりする。そうはいっても、 Keith Jarrett trio / The Cure, ECM 冒頭の Monk の名曲 Bemsha Swing の流麗で寛いだ演奏を聴くとトリオも素晴らしいという意見に変わってしまう...

 Death and the flower については、Keith 本人が楽想を示す詩を書いているようだ。一部を抜粋すると以下。
We are dying simultaneously
Every eternal instant
Of our lives
We should try to be more
like a flower,
which every day experiences its birth
And death
 2曲目の Prayer も濃厚に気持ちがイイ。苦痛から逃れるためには音楽が一番だと思う。

 ただ、こういう聴き方は良くないんだろう。反動的な聴取という感じ。音楽をそれ自体として尊重していない。管理マンさんの表現を転用していえば、昇華不良。結局僕は美的なもののわかる人間ではない、ということだろう。

 どっぷり音楽浸け(「麻薬浸け」とかいうのと同じ意味で)だった頃、それなりの満足感と幸福を享受しながらも、こんなふうにから快感、幸福、感情を注入するのは自分が内的に空虚なことの埋め合わせでしかないんじゃないか、という疑念がきざしたことがあった。そのときはそういう疑念もすぐに立ち消えてしまったのだが、今はどうだろう。自分のなかで何かが死んでいるのがわかる今はどうだろう。ただ単に苦痛を和らげるというだけの意味価しか、自分の音楽体験が担っていない、ということが我慢できるだろうか。

 何の価値もないものでも、曲を作り続けていた頃は楽しかったなあ。なぜやめてしまったんだろう。突然むなしくなってしまったからだ。それは確かに正しい直感だったかもしれないが、代わりに好きになるものが何もなかった。どんどんカラッポになっていって。

2000/09/07 老犬、老人。

{!!)
 母親がしきりに、北朝鮮がアメリカに宣戦布告して第3次世界大戦になる、と騒いでいるが、大丈夫だろうか。(戦争も母親も…)

{!!)
 パタリロ殿下が詠んだ通り、「その通り だから余計に 腹が立ち」。本当のことをいわれると、一番腹が立つんじゃないか。独りで赤面する恥ずかしさ…。

{!!)
 音楽を聴いていると、束の間の幸福が味わえるが、その間現実感覚は完全に麻痺している。で、気付くと廊下や隣室でチロチャンがオシッコを漏らしてびしょびしょになっていたりとか。今日は2回も。

{!!)
 でも老犬になったチロチャンを、家族の誰ももう叱らない。ずっとチロチャンの毛が抜けるのを厭がってきた(義)父も、目を細めてチロチャンのお漏らしを許している。

{!!)
 母はそんな(義)父に、「おばあちゃんには散々、年寄りは汚いとか臭いとか文句を言っといて今さら…」と陰で悪態をついている。自宅を騙し取られ、さすらいの身になって(r)es家に1年ほど身を寄せていたときのことだ。

{!!)
 妹が祖母の家を取り壊して自分らの豪華な家を建て、嫌がる祖母を老人ホームに放り込んだとき、母が祖母を引き取った。母の妹(僕からみたら叔母さん)は、新しい家ができたら一緒に住みましょうね、といって祖母から家の権利を譲り受けたのだが、家が建って少ししたら祖母を追い出してしまったのだ。

{!!)
 そんなわけで暫く祖母は(r)es家にいた。おしっこに行くときトイレまでもたず、気付かないうちに漏らしながら廊下を歩いたので、家のなかがおしっこだらけになった。そして仕事から戻った母に、「照ちゃん、このうちのトイレは水が漏るなあ!」と繰り返した。

{!!)
 また便秘になると、美空ひばりもこのせいで寿命を縮めたというセンナを飲み、トイレに行って肛門に指を突っ込んで便を掻き出すのだった。

{!!)
 確か高校生の頃だったと思うが、当時の僕はひどいニキビで悩んでいた。いま肥満で困っているのと同じくらいニキビで困っていて、実際ひどかったんだけれど、かなり大袈裟に悲劇的に考えていたものだ。おばあちゃんは「たーちゃん、可哀相に…」といって、ウンコのついた指で顔中にをなすりこむといった素晴らしい民間療法を施したりしてくれたが、控え目にいって、その療法に効果はなかった。

{!!)
 (r)es家が20年ほど前、暴力団関係者や借金取りに追われていたころ、祖母の家に身を寄せていたこともあって、僕はおばあちゃん子だった。日本茶が何よりの好物になったのは、幼児の頃、仕事に行って深夜まで帰らない母を、祖母と一緒にお茶を飲みながら待っている、という生活を何年を続けたから。

{!!)
 そんなわけで祖母のことは大好きだったが、家のなかが糞尿まみれになって悪臭を放つのには正直なところ参ってしまった。そのうち、最初は愛想もよかった(義)父が、祖母を無視し始めた。「たかかずさん、おはようございます!」といっても知らん顔で、障子をぴしゃん!と音を立ててしめてみたりする。「なんで返事をしてくれないんですか、何か私に恨みでもあるんですか」と祖母が泣いてもやはり知らん顔。そのうち祖母は、落ち込んで九州に帰ってしまった。

{!!)
 いま家族中がこぞってチロチャンのことを大事にするのは祖母に対する仕打ちについての罪悪感からではないか、という気がする。(義)父のみならず僕も(たぶん母も)、正義感や情愛に駆られて同居してみたけれどこりゃ想像以上に大変だなあ、と感じていた ― しかし、感じてはいてもそれをはっきり口に出したり態度で示すことはできなかった ― だろうから。祖母が他の親戚と同居することになって、内心ほっとしたのだ。その後また祖母が老人ホームに入所させられたと聞いたとき、あのときもっと看ていてやれば良かった、と母は泣いていた。

{!!)
 数年前一度祖母が危篤になって母が実家に帰ってみると、祖母は両手を縛られていた。人口呼吸器などの諸機械のチューブやおむつを患者本人が外してしまわないためだという。母は、自分が夜通しついているから、と医師に言って縛るのをやめて貰った。

{!!)
 病床の祖母は、孝行しなかった娘が枕元で「私よ、わかる?」と訊ねると、わざとボケたふりをして「あんた、どちらさん?」といった。その後母には、「私が死んだらもう九州には来るな、あんた、来たらきょうだい喧嘩するやろ?」といった。

{!!)
 容態はそのときはもちなおしたが、1年後祖母は亡くなった。母も僕も、葬儀には出なかった。生きている誰の顔をもみたくなかったからだ。葬儀をとりしきったNHKのもと支社長の叔父が母に電話してきて、「おばあちゃんからくすねた百万円を返せ」といってきた。母が「貰ったものだから返さない」と言い返して大喧嘩になった。

{!!)
 以上の話とはまるで関係ないけれど、南条あや『卒業式まで死にません』(新潮社)が出ましたねー。僕は web 上で日記や掲示板を詠んでいましたが。無断リンク禁止のサイトなのでリンクはしないけど、ご興味のある方は検索とかでお探し下さい。

(*o*)
 また長い夢をみたが、チロチャンが漏らしたウンコの処理で、忘れてしまった。以下だけ思い出せた。

 同級生と偶然再会する夢

 夢の本文:

 《駅前かどこかで、丸刈りの男(中学時代の友人で、当時野球部の主将だった人)がじっとこっちをみている。じっとみられていて、ばつが悪くなって声を掛ける。
この人は僕より勉強も出来、スポーツも出来、鷹揚な性格で誰からも好かれていた。決して怒らず、いつもにこにこ笑っていた。中学卒業後、県内随一の進学校、千葉県で最高の高校に進んだ。中学時代彼が密かに心を寄せていた陸上部に所属してやはり頭が良い女性も、その高校に進んだ(一度僕は彼のこの秘密をばらしてしまい、ちょっとだけ喧嘩になったことがある)。高校進学後、一度だけ再会したことがあるが、浮かない顔で疲れているようだった。

 (が、ここで相手が別の人 ― 高校時代の知人でやはり野球部の人 ― に入れ替わる。彼とは、それほど親しくなかった。実際よりも背が高い感じで、詰襟の学生服を着、ボタンをきっちり一番上まではめた姿である。)
中学の制服は学生服、高校の制服はブレザーだった。

 「スガワラくんだよね?」

 相手はそうだという身振りをし、「誰だっけ?」と訊ね返してくる。「S... だよ」と返事をする。(恥ずかしい気持ちと、相手に対する申し訳なさのようなものを感じている。見つかってしまった、今の姿をみられてしまった、という感じ。) 
自分のほうは相手を思い出せるのに相手は自分の名前を思い出せない、自分が取るに足らないどうでもいい存在になってしまった、という抑鬱的な気分になり、その後彼に対して、背を向け沈んだ陰気な声で返事をしていたような気がする。

 その後会話は、最近中高時代の知人に他に再会しなかったかという話題になる。
 
 「ほら、誰だっけ、額にホクロのある人……、関くん」

 (額にホクロのある人は、最初にじっとみつめてきた中学時代の友人の友人である ― 「関」という名前ではないが。彼とは成人式の行事で再会し、そこで不思議なことをいわれた。その日には別のかつての知人からも意外で奇妙なことをいわれた ― まったく意味がわからない ― のを思い出す。)
この人は、職人肌の父親からかなり暴力を受けており、当時は見習いか何かをしていた。最初に出てきた友人と3人で飲みに行ったとき、僕に「自分で稼いでない人はオトナじゃないから、お酒を飲んじゃいけないんだよ」といったのだ。当時 ― 大学2年生だったかな ― の僕は精神的に不安定で、ほとんど毎晩泥酔していた。

別の知人とは太った男で、成人式に金の腕輪等をして派手な格好をして現われ、終始独りで騒いでいた。この人は僕を見るなりいきなり「なんだS... 、死相が出てるじゃないか! 俺は女とも男ともやって稼いでるぞ!」と大声でいった。
 その後場面は急転し、どうも一緒に駅前にいたらしい母を、知人(或いは別の誰か?)が売春婦としてスカウトする。すっかり老いている母だが、知人(或いは別の他の悪党)が「20代みたいに綺麗だよ」と誉める。》


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 あとで思い出した別の夢、図書室から逃げ出す夢

 夢の本文:

 《M... さんが、巨大な邸宅内部に、私設の図書室を作る。その図書室は、地域の公共図書館よりも大きいくらいの蔵書量だ。和書も洋書もあり、精神分析関係の本もあればオカルトの本もある。ところどころに、天井から吊るされた小さなプラスチックの板で矢印や指で差す図案とともに「読んだ本は必ずもとの場所に戻してください」という注意とか「... (本の分類)はこちら」などという案内が記してある。よく独りでこれだけ集めたなあ、と驚嘆する。M... さんは、毎日懐中電灯をもって、広大な図書室内を巡回して廻るのだ。

 ところが、だんだんM... さんの言動が宗教がかってきて、自分はUFOから啓示を受けて救済を行おうとしているのだ、と言い出す。これはまずいと思って逃げ出そうとするが、M... さんが巡回してくるし、邸宅内部が迷宮とか地下水路のようになっていて、逃げ出せない。》


2000/09/08 河童ふうの「第2の出生」

{!!)
 例年8月は駄目だけど今年は9月になっても意気阻喪の程度が甚だしい。ほんとまじで、九州の山のなかの、崖そばで危険区域に指定されてるようなどうしようもない売れない土地に引き篭ろーか。なんて思うだけで絶対やらないんだろうな。

 今日はほんのちょっとだけ些細な義務を果たしたが、果たさないと気が重いが果たしたら果たしたで自分が厭になる。「義務」という語彙そのものを捨ててしまいたいものだ。

{!!)
 今日の夕方、ニュースでもと交際相手の女の子を殺害した17歳の男の子が2年間にわたってつけていた日記、それも性欲について延々と悩んでいる辺りをがんがん報道されているのをみた。ぞっとした。僕なんかももしうっかり誰かを殺めてしまったら、この日記(を含めて小学生の頃からの文集、作文等々)があげつらわれるんだろうか? そう想像すると、情けないことに順法精神がむらむらと……。

{!!)
 こんな報道にはどんな意味があるんだろうか? 一種の見せしめ? 人を殺めるようなやつの内面はドロドロしていて怪物じみている、とその醜さを強調したいんだろうか?

{!!)
 この頃空想している非現実的制度。

 中学を出た15歳あたりに、第2の出生という意思確認を必ずやる。「生まれたい」と答えた子は、そのまま高校に行くか働くかする。「生まれたくない」と答えた子は、保健所(これって強迫観念だな)で注射されて、安楽死する。

{!!)
 2年間もつけていた日記のなかで、性欲に苦しみ殺人衝動を抑えきれなくなっていく過程を書きつづけていた男の子のことを、本当に気の毒だと思う。もちろん殺された女の子はもっと気の毒だが。その男の子が気軽に保健所に行って去勢(これまた強迫観念)して貰えたら、彼は人を殺めずに済んだかもしれない。或いは、同様の情念や衝動に苦しむ少年少女たちが集められた巨大施設があって、そこで十分に性衝動を満足させることができていたら、人を殺めずに済んだかもしれない。もちろん、こうしたことすべては本質的なことではないかもしれないが。

{!!)
 基本的に、衝動や情念に駆られる人に「我慢しなさい」といっても無意味だと思う。例えば精神科医のwebmasterさんの性同一性障害についてのコラムでは手術を思いとどまるよう説得する文脈で孔子の「お父さんお母さんから貰ったからだを、むやみに傷つけるもんじゃないよ」という言葉に依拠しているし、またある文芸批評家は自傷行為(リスカ等)やピアッシングに対する抑止の論拠としてその言葉に言及していた。しかし、そんな説教されてすっきりするくらいなら、誰も困らないし問題も起きていないはずじゃないか。

{!!)
 また、「死にたいが勇気がない、他人を殺せば追い詰められて死ねるかもしれない」と思いこんで見ず知らずのお年寄りを殺害した男の子の場合も、彼にへの道をもっと大きく開け広げておいてやったら、人を殺さずに済んだかもしれないと思う。そんな単純なことじゃないかもしれないというのはわかるが、ではこないだ出た判決みたいに「生命の尊厳」を説教することが少しでも意味のある行為なのか。

{!!)
 何年も同じことを考えていると、冷蔵庫のなかで1年目を迎えた食材のように、考えも腐ってまずくなってくるような感じがする。

(*o*)
 C言語って何のこと?

2000/09/09

{!!)
 崖のそばの荒れ放題の土地をみてこようかな。

{!!)
 この荒地を誰かに売りつけると、詐欺の被害者から加害者に転化...

{!!)
 精神科を受診したり入院したりすると、治療費を払うんじゃなくて向こうから払ってもらうんだったらどんなにいいだろう。不幸が減ると思うけれど。

(*_*)
 読売新聞の入社試験を受け直す夢をみた。2次、3次と筆記がつづき、連日夕方4時まで試験つづきなんて憂鬱だなあ、と夢のなかで思って、「落ちたんだから、もう受けなくていいはず」と突然気がつく。それで高校のころの友だちと(なぜか)再会する。そんな夢だった。

(=o=)
 夕方、食べ物が半額になるころを見計らって近所のスーパーに行くのだが、きのうはヤンキーふうの女子高生たちに妊婦と間違われ、今日は財布を落として床に小銭をばらまいてしまった。

(*p*)
 夢のつづき。
 どこか第3世界についてのドキュメンタリフィルムをテレビでみている。独裁者である大統領が組織した〈団〉という組織があって、村人たちはふだんは仲良く暮らしているが、何かことが起きると ― 内乱や戦争のことらしいが ― 全員が動員され一致団結して戦うことになる。ドキュメンタリではそれは過去の話として語られ、現在は(なぜか)〈儒教〉にもとづいて統治されている、というのが表を用いて説明されていた。

2000/09/10

(*p*)
 Charles BRONSON 主演(Nicolas GESSNER 監督)『扉の影に誰かいる』(Quelqu'un Derrière La Porte)をみる。信じられないほど退屈。時間の無駄。

(o_o)
 今は某通信関連企業に勤めている小噺とアメリカン(?)・ジョーク好きの知人の学生時代のお遊びより。
Q.摂津という気が狂ったような人は何者ですか?

A.西洋哲学専攻の院生と聞いていますが、詳しいことはわかりません。ときどき発狂するのは、単なる気晴らしのようです。

Q.摂津という人はドゥルーズが専門のようですね。

A.ドゥルーズは去年で卒業したようです。今は、太陽黒点説と禅の関係について、深い関心を持っているそうです。
 当たってないこともないような。

(-p-)  毎日朝まで眠れないよりかは、睡眠薬を処方してもらって毎晩眠ったほうがいいのではないか、という気がする。

{!!)  Bill EVANS, Alone, PolyGram Records,Inc. を聴きかえしている。高校時代には退屈きわまりないと思っていてがっかりした1枚だったけど、いま聴くと涙ぽろぽろです。どうしちゃったんだろう、いったい。情緒不安定? 生理? (なんか『パタリロ!』のギャグの下手な模倣みたいだな。)

(-o-)  もうすぐ深夜3時だけど、一日でいちばん目が冴えている時間帯になってしまった。朝や昼間はひどい頭痛や霧が掛かったような感じに苦しむのですが、そういうときは完全に現実離れして半ば幻覚じみた夢想を楽しむことができる。でも、意識が明晰なときはかえって始末が悪くて、いろいろの種類の麻酔(音楽とか)が不可欠。

[p_p]  強迫神経症的に、いったいを朝まで待っているのか。>自分

[-!-]  やばいなあ、もう(午前)3時半。

(@o@)
 思うようにフランス語(自閉症についての文章らしい)が訳せなくて、いらいらする。能力が足りない。きのうきょうと、ずっとやってるのに。

{!!)
 Bill Evans trio, Explorations, Riversideを聴いている。Beautiful loveNardisのなんと素晴らしい演奏...

`o`)
 残暑もこれまでなら、これからは風邪の季節かな。

{!!)
 夕方6時か7時ごろに毎日仮眠をしていて、そのときの眠りがいちばん気持ちがいい。寝入るのも寝ているあいだも、寝起きもすべていい。朝から昼に掛けては頭痛がするし、深夜はいらいらしているから。暗くなるかならないかのあたりの時間帯が、眠るにも買物に出掛けるのにも気分のいいときだ。

 ぼんやりした感じの光が好きなのだろう。高校生のときは、朝の6時か7時ころ、人気の少ない商店街に薄い光が射しかかる光景を登校しながら眺めるのが楽しみだった。昼間の光は怖かった。

 さっき仮眠からめざめてすぐご近所のスーパーに買物に行ったが、寝ぼけていて何度か転びかけ、それも酔っ払っているような感じで気持ちが良かった。頭がはっきりしているときだと、足をどう上げてどう下ろすかも予測・計算しなければならないような気がして、疲れてしまう。

{!!)
 久しぶりに、 UA Kenwood capybara restaurant を聴いている。

元気ですかー?