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夢目記


日記鯖システム管理者からのお知らせ

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  • 都合により日記鯖のURLが http://ds.wa-mo.to/ から http://ds.sen-nin-do.net/ に変更となりました。 突然で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。(2019/01/27)
  • 日記鯖の仕様変更、不具合対応等については、こちらの記事もご覧ください。

元気です。

2000/11/01

- ジョン・カサヴェテス『グロリア』:カサヴェテスの映画をみるのはこれが3本目。グロリアが子どもを守るために仲間のギャングたちの乗った車を撃つ場面など、かっこ良過ぎる。似た設定の映画 ― ギャングが見せしめのために一家を惨殺し、ひとり生き残った子どもが追われる ― があったのを思いだした。そちらは随分前にみて、漠然とした印象しか残っていないので比較はできないけれども。グロリアや子どもが笑顔をつくってみせるところに心惹かれる。また、自分らが殺されるとわかって子どもをアパートの隣の部屋のグロリアに託す若く美人の母親の必死な表情にも感動。設定について良くわからない点があったが、まあそれは本質的なことではないのだろう。

2000/11/03 犬と豚との結婚 - nutty or nasty philosopher and queer communist

- ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』(加来彰俊訳、岩波文庫)より、私が一番尊敬する哲学者「犬のディオゲネス」についての逸話の抜粋:
大部分の人間は、ほんの指1本の差で気がふれているとされるものだと彼は語っていた。とにかく、ひとが中指を突き出して歩いて行けば、気がふれていると思われるだろうが、人さし指を突き出して行く場合には、もはやそうは思われないだろうからと。(139頁)

なぜ人びとは、乞食には施しをするが、哲学者にはしないのかと訊ねられると、「それは彼らが、いつかは足が不自由になったり、目が見えなくなったりするかも知れぬとは予想しても、哲学者になるだろうとは決して思わないからだよ」と彼は答えた。
彼がある吝嗇家に施しを乞うていたときのこと、その人が出ししぶっていたので、「ねえ、君、ぼくが君にお願いしているのは、食いぶち(トロペー)であって、葬式代(タペー)ではないのだよ」と彼は言った。
あるとき、通貨を偽造したことで非難されると、彼はこう言い返した。「たしかに、かつてのぼくは今の君と同じような人間だった時期があったよ。だが、今ぼくがあるような人間には、君は将来決してなれないだろうね。」
また、同じその件で彼を非難した別の人に対しては、「そう、以前は、すぐにでも人びとに小便をひっかけたりもしていたが、今のぼくは、もうそんなことはしないからね」と彼は応じた。(156−157頁)

彼が、ある利かぬ気の気むずかしい男に施しを乞うていたら、その男が、「わたしを説き伏せたなら」と言ったので、「あんたを説き伏せることができたとしたら、首をくくるように説き伏せただろうよ」と彼は応じた。(159頁)

アレクサンドロス大王があるとき彼の前に立って、「余は、大王のアレクサンドロスだ」と名乗ったら、「そして俺は、犬のディオゲネスだ」と彼は応じた。
どんな振舞いをするから犬と呼ばれているのかと訊かれたら、「ものを与えてくれる人たちには尾をふり、与えてくれない人たちには吠えたて、悪者どもには咬みつくからだ」と彼は答えた。(160頁)

彼が無花果の木から実をとっていたら、番人が、「その木で、つい先日、人が首をつったんだよ」と言ったので、「それではぼくが、この木を祓い清めてやろう」と彼は応じた。(160頁)

あなたはどこの国の人かと訊ねられると、「世界市民(コスモポリテース)だ」と彼は答えた。(162頁)

「君は哲学をしているくせに、何も知らないね」と言った人に対して、「たとえぼくが知恵のあるふりをしているだけだとしても、そのことだってまた哲学をしていることなのだ」と彼は応じた。(163頁)

ある人が、子供を弟子入りさせようと連れてきて、この子はたいへんよい素質をもっているし、また性質もいたってすぐれていると言ったとき、その人に対して彼は、「では、どうしてぼくが必要なのかね」と言った。(163頁)

彼は劇場に入って行くときには、ちょうど出て来る人たちと鉢合せになるようにしたものだった。それで、どうしてそんなことをするのかと訊かれると、「これこそぼくが、ぼくの全生涯を通じてなそうと心がけていることなのだ」と彼は答えた。(163頁)

世のなかで最もすばらしいものは何かと訊かれたとき、「何でも言えること(言論の自由、パルレーシアー)だ」と彼は答えた。(167頁)

また彼は、デメテルのこと(飲食のこと)も、アプロディテのこと(性交のこと)も、何でもすべて人前で公然と行なうのを常としていた。そしてそれについては、何かこんなふうな議論を持ち出していたのであった。 ― もし食事をとることが何らおかしなことではないとすれば、広場でとってもおかしくはない。しかるに、食事をとるのはおかしなことではない。それゆえ、広場でとってもおかしくはない。
また彼は、人の見ているなかで、しばしば手淫に耽りながら、こう言っていたものである。「お腹の方もこんなふうにこするだけで、ひもじさがやむとよいのになあ。」(167頁)

とにかく、事実として、人生においては何ごとも、鍛錬なしには決してうまく行くことはないのであって、この鍛錬こそが万事を克服して行く力をもっているのだと彼は言っていたのである。だからして、人は無用な労苦ではなしに、自然にかなった労苦を選んで、幸福に生きるようにすべきであり、不幸な生を送るのは愚かさのせいなのである。というのは、快楽そのものに関しても、これを軽蔑することを前もって練習しておけば、そのことが最も快適なことになるからである。つまりそれは、ちょうど享楽的な生活を送ることに慣れている人たちが、それと反対の生活に向かうときには不快を感ずるように、快楽と反対のもので鍛えられた人たちは、快楽そのものを軽蔑することに、むしろよりいっそうの快適さを感ずるからだというわけである。
以上のようなことを彼は語りかけていたのであり、またその通りに実行していたことも明らかである。つまり、彼はまさしく通貨(ノミスマ)を偽造していたのであって、法律習慣(ノモス)によることには、自然本来(ピュシス)にもとづくことに与えたような価値を少しも与えようとはしなかったのである。そしてこのことは、彼に言わせれば、自由にまさるものは何もないとして、まさにヘラクレスが送ったのと同じ型の生活を送り通すことだったのである。
また彼は、すべてのものが賢者の所有であると言い、そしてわれわれが先に述べたような議論を持ち出していた。すなわち、すべてのものが神々の所有である。ところで、神々は賢者と親しいもの(友)である。しかるに、友のものはみんな(に共通)のものである。それゆえ、すべてのものが賢者の所有である、というわけである。
また法に関しては、それがなければ、(文明化した)市民生活を送ること(ポリテウエスタイ)は不可能であると彼は言っていた。なぜなら、彼の主張では、市民国家(ポリス)が存在するのでなければ、文明化していて(アステイオン)も何の益にもならない。しかるに、市民国家は文明化をもたらすものであるし、また市民国家が存在するのでなければ、法は何の役にも立たない。したがって法は、文明化をもたらすものなのだ、というわけである。
また彼は、高貴な生まれとか、名声とか、すべてそのようなものは、悪徳を目立たせる飾りであると言って、冷笑していた。
また、唯一の正しい国家は世界的な規模のものであると。
さらにまた、婦人は共有であるべきだと言い、そして結婚という言葉も使わないで、口説き落した男が口説かれた女と一緒になればいいのだと語っていた。そしてそれゆえに、子供もまた共有であるべきだと。
また、神殿から何かを持ち去るとか、あるいは、ある種の動物の肉を味わうとかすることは、少しも異様なことではないし、さらに、人肉を食べることさえも、異国の風習から明らかなように、不敬なことではないとした。
また、正しい言い方をすれば、あらゆるものがあらゆるもののなかに含まれ、あらゆるものを貫いて行きわたっているのだと彼は言っていた。すなわち、(身体の構成要素である)肉(の一部)はパンのなかにも含まれているし、パン(の一部)はまた野菜のなかに含まれているのである。というのは、その他の物質についても、そのいたるところにおいて、目に見えぬ孔を通して、微粒子が中に入ったり、また蒸気となって外へ出たりしているからである、と。 ― この説は、悲劇『テュエステス』のなかで彼が明らかにしているものである。(168−171頁)

また彼は、奴隷として売りに出されたときにも、まことに堂々とした態度でそれに堪えた。というのも、彼はアイギナ島への航海中に、スキルパロスの率いる海賊どもによって捕えられ、クレタ島に連れて行かれて売りに出された。そして触れ役の者が、お前にはどんなしごとができるのかと訊ねたとき、「人びとを支配することだ」と彼は答えたからである。またその折りに彼は、紫の縁飾りのある立派な衣裳を身につけた或るコリントス人、つまり、前に述べたクセニアデスのことであるが、その人を指さして、「この人におれを売ってくれ。彼は主人を必要としている」とも言ったのであった。それで、クセニアデスは彼を買い取って、コリントスへ連れ帰り、自分の子供たちの監督にあたらせ、また家のこといっさいを彼の手に委ねた。そして彼の方は、家事全般をたいへんうまく取りしきったので、主人のクセニアデスは、「よきダイモーン(福の神)がわたしの家には舞い込んだぞ」と言いながら、そこらじゅうを歩き廻ったほどであった。(171−172頁)
私が nutty (or queer) communism といっていたものがもし可能なものであるなら、ここで がいっているような(諸)原理を含まねばならないはずだ。通貨(ノミスマ)の偽造、法律習慣(ノモス)の転倒。それに加えて、 家事 の才能。また、私はずっと犬のディオゲネスの立場を、今ふうにいえばアナーキズムやダダイズムの側にあるものと考えていたのだが、読みかえしてみると、一種のスピノザ的なコミュニスト(〈共同態〉主義者?)でもある。彼は(実際にはありはしなかった世界国家の)世界市民であり、具体的な諸制度とともに市民国家を構想している。そして恐らくその倫理、社会観は、万物の相互浸透・混合といった自然観・存在論によって支えられている。「スピノザ的な」といったのは、存在論(『エティカ』第1部)や自然学(第2部)、心理学(第3部)に支えられた倫理(第4部、第5部)という意味である。(ネグリのスピノザ論が読みたくなってきた。翻訳はまだ出ないのかなあ??)

- 今日はトンデモ家庭教師としての初仕事。パソコン選び、接続、設定をやる。次週から、月・火・木・金と週4日、1日2時間(午後2時〜午後4時)の約束で、社長さんのお宅にお邪魔することになった。帰宅後、教材を作った。

2000/11/05 眼が痛い

- チロチャンの左目が潰れ、白濁した粘液が流れ出す夢をみた。一昨日から、ひどく右目が痛い。どういうわけか眼球が爛れているらしい。このことが夢に反映しているのか。

- 5日くらい前から、チロチャンは寝たきり・垂れ流しになった。それはいいのだが、ウンコをするときひどく苦しいらしく、絶叫といった感じで大声で鳴き叫んだり、幼犬に戻ったような声でヒンヒン鳴いたりしていて、いよいよ病状 ― 何の病気だかよくわからないが ― が悪化したかと思うと堪らない気持ちになる。

- 細かく裂いた新聞紙や広告紙の寝床を廊下につくり、チロチャンをそこに寝かしていて、洩らすと汚れた紙片を取り替える。古新聞を細かく裂くとき、その細片が奇妙な通貨にみえてくる。何らかの価値や時間、感情などが憑いているような印象。

- 昨日は用事で東京まで出かけたのだけれども、帰りの電車のなかで auto-analyse (自己/車−分析)というガタリの地口に由来する強迫観念を反芻していた。車体を解体するのと同じようにして自分自身をばらばらに切り刻む自己−分解、というのがそれだ。

- 行きの電車のなかではヘーゲル『精神現象学(上)』(樫山欽四郎訳、平凡社ライブラリー)で脳について述べられているところなどを読んでいて、以下のようなくだりを発見した:
― だからある人に向って、君の がそういうふうな性質なのだ から 、君(君の内面)もそういうものだと言ったとする。その場合私は、骨を 君の現実 だと、考えていると言っているにほかならない。人相術の場合には、そういう判断に対し、横面をはりとばして答えたのであるが、その場合、まず 柔かな 部分を、その外見や位置から外しておいて、その部分が 真の 自体でもなければ、精神の現実でもないことを示すに止まった。 ― ここ頭蓋論の場合には、答えはじつはずっと進んで、そういう判断をするものの頭蓋骨を打ち砕いて、その人の知恵と同じ程度に粗雑に、人間にとって骨は、全く 自体 ではなく、ましてその人間の真の現実などではないと、示してやるべきであろう。 ― (386−387頁)
納得。

2000/11/07 初仕事

- トンデモ家庭教師はおそろしくツカレル。準備しておいた教材の説明が一日にして終わってしまったので、帰宅後も明日の授業のための教材づくりに追われる。

2000/11/08 2日目

- 家庭教師2日目にして、自信をなくす。私自身がパソコン学校に行くべきだ。「マクロ」とは何か、ということさえわからないのだから。
もっとも一般的にはカントは自分が最悪の家庭教師だったと述懐している(どういう点で悪かったのかはいっていない)。また家庭教師時代の夢は一番いやな夢だともいった。窮屈な「隷従状態」をみずからも経験したというのであろう。(野田又夫「カントの生涯と思想」より:『世界の名著』20頁下段)
私の場合待遇に文句をいうわけにはいかないが、お客様のご機嫌をうかがう隷従状態であるし、教え方や能力の点からいって「最悪の家庭教師」だと思う。コネがなければこの仕事(?)は絶対なかったはずだ。

2000/11/09 3日目

- 生徒のお宅にうかがうと、彼はすでにパソコンを立ち上げ、自分で表計算をやっていた。私よりうまくなっていた。

2000/11/10 4日目

- 文章入力の練習。新聞記事などを使ってみる。この領域では、まだしも、教えられるものが残っていたようだ。私が2分で打つ文章に、生徒さんは12分かかる。5分を切ることを目標にしよう!

元気ですかー?