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グループから疎外された左翼(学生活動家)の知人がいた。その人はいわゆる「アニオタ」だったが、アニメ関係の会社に立派に就職した彼と再会し、名刺を貰ったのはもう5年も前のことだ。当時ぼくがはいっていた市民団体の集会にその人が来ていて - だめ連の人たちもいたと思うが - 感動(???)の再会を果たしたというわけだが、もちろんすぐに名刺をなくしてしまい、その後はその人と会ったこともない。市民団体もやめてしまったし、大学院にはいってからは、ほとんど私的な外出というのがなくなっていた。家と研究室を往復するだけの生活。
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手に職のない哲オタの就職はもっと厳しい。アニメだったらまだしもアニメ関連の企業があるが、哲学関連の企業って???。学校や塾の講師になれない(向いてない)人はどうなるのか。ひとごとじゃないが。
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企業化された哲学(者)というのは「ソフィスト」ではないか?と思いついた。さっき大学6年生をやっているともだちから電話がかかり、レポートの代筆を頼まれ、金銭をしつこく要求していたときにそんなことを考えていた。レポートは400字詰原稿用紙8枚。ぼくは10,000円を報酬として要求したのだが、彼は3,000円しか払わないという。教育、高齢者福祉、売春の各テーマについて2枚ずつ書くんだって。それと「授業の感想」に2枚。出てない授業の感想を、どうやって書けというのか。
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これじゃ「ソフィスト」というよりただのなんでも屋、ルンプロであるぞ。
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今週一杯で、契約解除になる見込み。安堵もしたが、コネもなしに次の仕事がみつかるのか不安。
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あと2回、授業が残ってはいるが、緊張の糸がすこし切れてしまって、なんだかボケっとしている。ふと気付くと数秒、あの世に逝っていたりとか。
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今日は PhotoShop LE のインストール&基本操作の教授をやったのだが、もちろん自分ではもっていないソフトで、触ったこともない。説明書をみながら見よう見真似で・・・。結果は自分にしては上出来だったが、商業用パンフレットに使える代物ではなかった。
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授業のあと生徒さん本人から2週間分の給料約4万円(交通費含)をいただき、今後の話をしたが、ついつい「基本操作はもう覚えましたよね?」と念を押したりして自分で自分の首を締めたりとか。来週以降の継続は週末に結論を出すということになったが、いやいや、もう事実上結論は出ているはず。それがお互いのためでもある。
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昨晩どういうわけかまたいつものように変な顔の映像がたて続けにあらわれてきて、うなされた。眠れたのではあるが、なにか気持ちがわるく、東京に向かう電車内でも半睡状態で幻覚を見つづける。
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変な爺さんの顔とか死体???がみえたのだが、オウムが洗脳でつかっていたという死体・死体・死体のヴィデオというのはこういうものだったろうな、という感じのものだ。体調等によってこういうことがよく起きるのだが、自分で自分を洗脳しているのか??? 或いは文字通り、豆腐みたいに脆い脳味噌をゴシゴシ水洗いしてぼろぼろ崩れていくという感じ(意味不明)???
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今日の収穫は、ブーバーを研究している研究生(博士論文執筆中)の方(還暦を過ぎた経営者の人)から、協同組合についてお話をうかがえたこと。産業社会の具体的現実についての認識など皆無な哲オタのぼくなどには到底思いいたらないことで、新鮮だった。(研究室に通っていて良かったなぁ、とひさびさに感じた。)その方のお話の論旨を要約すると:
- ブーバーは消費協同組合よりも生産協同組合を重視したが、生産協同組合は、農業部門と商工業部門に分かれる。後者についていえば、いまの日本にもそういう実践がないわけではないが、いろいろ限界がある。例えば工業団地をつくって、共同仕入・共同配達をやるというのがある。しかし、それは「ないよりはまだ良い」というくらいなものだ。なぜなら、協同社会の理想といっても、往々にして、政府から補助金や援助を引き出すための口実に過ぎないから。そこには「神」を「中核」とした「真の共同体」の姿はみられない。
- 諸中小企業間の(悪い意味での)「独立」性;自独性が協同性の理想の実現を妨げている。
- 協同組合に興味があるなら、政府の『中小企業白書』に必ず一項が設けられているので、それを参照したら良い。
- 商工組合中央金庫に連絡して資料を請求すれば、関連資料を送ってもらえるはずだ。
この研究生の方は、中年過ぎてから社会人入学で大学院にはいってきて、ついに博士論文まで完成させつつある。ぼくのような単なる哲オタではなく、企業の実際に精通しているから、理想的なことを話題にしても空論に終わらない。
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2週間ほど前、この方と先生からブーバーの『もう一つの社会主義』という本を勧められた。地元の図書館でお願いしておいたのだが、先日きた本は、向こうのミスで同タイトルの別の本(河野健二という人がかいた世界書院の本)だった。もういちどリクエストの書類を出しなおしたが、誤配されてきたこちらはこちらで借りて読み、非常に感銘を受けた。プルードンについての本だが、これまでプルードンについてなんら積極的な興味をもってこなかったのは、偏見のなせる業だと痛感した。同時期に、ポラニー『大転換』を読んでオーウェンへの認識も改めた。
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フーリエについては、シェレールの本を通じてだんだん親近感を感じていたのだが、プルードンやオーウェンについては、語の普通の意味で「道徳家的」な著作家という先入観をもっていて、敬遠していたのだ。だが、たんにそのことだけをもってダメということにはならないわけだし。
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ろくにドイツ語ができないぼくは、マルクスを読むといっても限界があるけれども、フーリエ、プルードン、オーウェンなら(頑張れば)ある程度は読めるはずと思う。いまは洋書を買う金などないが....。
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伊藤悟・やなせりゅうた編著『思春期を奪われる子どもたち』(あゆみ出版)を読んだ。
中学に入学したころは、おびただしい数の校則を強引に守らせようとする教師のやり方(暴力ももちろん含まれる)に怒りを覚え、強烈な反発心を持っていたのに、その後、高校でも続いた管理教育の中で、私の感性はじわりじわりと「しょうがない」に侵食されていった。何しろ周りの友人たちも私と同じように少しずつ「洗脳」されていくわけで、自分の周りにいる人間がみんな自分と同じ感性をしていると、自分の考え方に疑問を持つ機会がなくなってしまうのである。
高校を出るころには、私の「しょうがない」という感性は、五臓六腑に染み渡っていた。理不尽な暴力を見ても、「学校というものはそんなものだ」という気持ちのほうが強くなっていたし、中学校時代、教師たちに腹を立てていたことさえ、日に日に記憶が風化して、少しずつ「ひとごと」になっていった。「しょうがない」の威力は絶大であった。(p39-40 / やなせ氏の執筆箇所)
僕も中学の頃は厭な思いばかりしていたが、高校にはいって少し気軽になり、大学、大学院と進むたびに段々改善していった。自宅にいる今は外的環境としてはこれまでで最も良い(はず)。内的には、クレージーだが。
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そういえば今日の朝日の朝刊で文部大臣になった町村とかいう人のインタビューを読んで、血圧が急上昇。やばいやばい。
-奉仕活動への義務づけには批判もあります。
「奉仕であれ何であれ、強制しない教育なんてあるのだろうか。教育の一環として奉仕活動を取り上げる場合に、何らかの強制力が働くのは当たり前だ。学校現場できちんとカリキュラムの中に位置づけて、全員にやってもらうことに何らためらうことはない」
中高生じゃなくて、本当に良かった!
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といった舌の根も乾かぬうちにいっても説得力ないが、なぜ中高生だけなのかわからない。少子高齢化社会にはいって現在のヴォランティアだけでは人出が足りないというなら、大学生、大学院生、無職者、有職者、フリーター、囚人、暴力団員、ホームレス等々すべての国民が労働の負担を分担すれば良いではないか。「教育」と変に絡めるから余計おかしくなるのでは?。人出が足りないならその問題を具体的に解決すれば良いのに。
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奉仕活動義務づけが中高生だけなのは、「学校」が人に権威的に何かを強制するのにはうってつけの装置だからでしょう?と言いたくなるのはもちろん、読んだ本にすぐさま影響されたからだろう。
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しかし実際、その辺のサラリーマンや商店主たちに「義務づけ」たって、動かない人は意地でも動かないだろう。子どもならやりやすいとでもいうのか??? 内申点で縛るのか???
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今日の妄想:
ケインズ型公共事業としての高齢者介護サービス