今日バイト中閑な時間にぼんやり考えていたのだが、NAMという出来事は経験してみてその終わり方の不愉快さ、居心地の悪さばかり印象に残っている。NAMは柄谷行人崇拝にも、単なる「出会い」の場にも矮小化出来ない、一つの出来事であらねばならなかった。それは如何にささやかなものといっても、「革命運動」だったのだ。「革命運動」だった筈のものが何ら成果を生み出せないまま閉塞し、硬直化して崩壊してしまったという不可解さは、何年経っても忘れることが出来ない。
NAMの多数を批評空間読者が構成していたかもしれないにせよ、NAMは実践的にのみならず理論的にも貧弱であった。デリダ等を軽蔑出来るような実質的内容は無かったと思う。われわれは再び、「不可能性」へと突き戻されたと感じる。その不可能性とは革命の不可能性、運動の不可能性である。われわれはもはや自由であるが、何も出来ない、或いは何かしようとしても無為に引き戻されてしまうのだ。
幻の第4の交換「アソシエーション」を語った時点で、交換の形而上学であるNAMの原理は、あからさまな宗教的色彩を帯びてくる。第4の交換が「在る」事は「信」によってしか保証されない。世俗的であろうとしてか、西部忠が第4の交換「アソシエーション」を否定したのは「学問」としては正当なのかもしれないが、革命運動の動機をも同時に消去してしまう身振りであったと思う。NAMの実践=運動の最中に改訂されたNAMの原理第二版は、第4の交換「アソシエーション」をあからさまにmulti-LETSの中に見る身振りにおいて、一線を踏み越えており、明らかに危険に身を晒していた。柄谷行人のみならずNAMの会員らも、共にその危機に身を晒したはずである。そしてQ紛争においては、破綻と崩壊を共にしたのである。柄谷行人は突如夢から醒めた人のように「幻想」と彼が呼ぶものを破壊し始め、それを「祭り」だと享楽する人々(柄谷行人自身の息子など)がそれに追従した。
そう、NAMの崩壊に立ち会っての不愉快さは、「享楽」の裏面なのだ。精神分析家であれば、このあたりの感情のエコノミーを明晰に言い表すことが出来るのかもしれない。NAMにおいて禁欲(抑圧)されていたものが、「祭り」において噴出した、或いはNAMのMLの中で禁欲(抑圧)されていたものが、2ちゃんねるのNAMスレッドのなかで噴出したのだ。このあたりの禁欲と享楽の弁証法について、誰かがあからさまに語る必要があるのかもしれない。
われわれの経験は、明らかに矮小なものであった。NAMの中心に居た人たちは、「Qは始まらなかった」ように「NAMは始まらなかった」のだと恥ずべき言い訳を述べ立て、NAMの運動の経験の括弧入れを主張し実践し始め、過去の経緯(記憶)を消去し始めた(カントのいう、「統整的理念」という言葉がまるで成果がなかった事の言い訳に盛んに援用された)。そうすることでかれら自身の責任を忘れ去ろうとしたのだ。NAMにコミットする事、それは全く安全であるとともに著しく危険な行為であった。NAMは「何もしない」(ドゥルーズのいう意味でのヴァーチャリティである)、その何もしないNAMを、柄谷行人はナチに喩えていた(そして自らをハイデッガーになぞらえていた)のは後から思えば意味深長であった。矢崎由布さんという方が亡くなったが、それ以外には暴力や死の経験はなかった。だから或る元Q管理運営委員が当時の事を回顧して述べていたような「左翼の内ゲバ」ともまた違ったのだが、しかし不愉快な事、幾ら言葉を尽くして説明してもその不快さが消えはせず強まるばかりであるのはどうしてなのか、よく分からない。
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夕食中も、ずっと考え事をしていた。
柳原弁護士が言うように、
或る現象を眺める時、その現象の能動的、積極的な場面というよりは、むしろ
病理的、混乱的な場面にこそ、その現象の本質が露呈されます。これは、恐慌
に資本主義の本質を見ようとしたマルクスを持ち出すまでもなく、紛争を商売
としている私のような者にとってのコモン・センスです。紛争とは、まさにそ
の紛争当事者にとってのリトマス試験紙です。
という主張が正しいとすれば(私はそれを疑っているが)、Qに関して云々する以前に、NAMに関してそれを言うべきではないのか、という強迫観念が頭を離れない。
NAMで二年間正常に続けられたMLの遣り取りではなく、「病理的、混乱的な場面」、柄谷行人の息子らによる「祭り」の享楽や2ちゃんねるのNAMスレッドのような端的に汚らわしいものや悪にこそ、NAMの真実がある、と見るべきではないのか、と思い至って大いに意気阻喪した。NAMの本質は、「何もしない」享楽する傍観者であったのか。