NAMやQにおいて問われていたのは、「共同体」の問いではなかったか、ということ。
(NAMでは「アソシエーション」の交換、Qでは「信頼原理」云々。)
「イモケン学派」という名前に全て集約される。
「コミュニケーションの爆発」(ブランショ)としてのNAMやQ。
倉数茂や王寺賢太のNAM評価(=「出会い系」)。
早稲田のサークルスペースにあった「自治」「自由」。
何ものにも管理されない異質なもの同士の出会いの場の創出/再建。
一時期のイモケン自体がそうではなかったか。
山城むつみ、柄谷行人、鎌田哲哉、福井哲也等による否定的評価・侮蔑。(「資本主義のマージナルな領域」、「窮屈な共同体」、「瘴気」を発している、不気味な「ムラ」等々)
蛭田葵自身の(柄谷行人の態度変更を反復しての)態度変更(Qアパートの閉鎖)。
孤立した根無し草のばらばらな個体が、一時的で儚い共同性=絆をLETSを通じて築いていた。
経済=産業連関の内包を看板に掲げていたQだったが、その実態は、先ず個々人の精神的空虚を埋める絆の創出(倫理的=精神的機能)としてあったのではなかったか。
私も含めた「Q患者」とは、Qがもたらした出会いやある種の「共同体」に固執した人たちのことではなかったか。
イモケン学派の擁護と(自己)批判。
1)蛭田葵が強硬に主張し、私たち(関本洋司、田口卓臣、攝津正など蛭田葵の周りに集ってきた若い──といっても二十代後半から三十代の──NAM会員=Q会員たち)がそれを実践した、LETS-Qの受取比率をどんどん高めて、Qを生活に根ざしたものにする、という路線は正しかったか。
2)そのような性急なQ普及=Q実践は、実態としては、自己犠牲的なヴォランティアを過剰にすることにしかならないが、それは誰からも強制されていないし命令されたことでもないのに、自分で自分を追い込んで、例えばQ代表団などに不満を抱く結果になる。
3)それは結果として、蛭田葵を中心とする「窮屈な共同体」(柄谷行人『Qは終わった』)に自分たちを閉じ込める結果になっただけである。しかし、それのみがQの使用法であったか。それがQの正しい使用法であったか。もっと漸次的な、過大な負担や自己犠牲を伴わないQの実践もあったはずだ。
4)Qは空虚なNAMの中に、実質的な共同体を創出した。それがイモケンであった。しかし、それは、「窮屈な共同体」(柄谷行人)、「ムラ」(福井哲也)であった。だとすれば、私たちはどうすればいいのか。「窮屈な共同体」を揚棄し、開かれた共同体=アソシエーションを創出するには、どんなツールが必要なのか(それはQも含まれるのか、否か)、どんな実践や習慣が必要なのか。