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夢目記


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元気です。

2006/01/11 イモケン学派の問い

1)「イモケンとは、新宿区西早稲田にある蛭田葵所有のアパートの地下室のことである。」「イモケンとは、新宿区西早稲田にある蛭田葵の母親の所有のアパートの地下室のことである。」と事実関係の訂正をした。
2)「そのようなあり得ない出会いは、蛭田葵が主宰して行った数度に渉る東北遠征や、蛭田葵・田口卓臣らが中心になって組織した、幾度にも及ぶTQC(Tokyo Qool Cafe)によって齎されたものである。」という文章を「そのようなあり得ない出会いは、田中正治・阿部文子・青山晃一が主宰し、蛭田葵が尽力して行った数度に渉る東北遠征や、蛭田葵・田口卓臣らが中心になって組織した、幾度にも及ぶTQC(Tokyo Qool Cafe)によって齎されたものである。」と事実関係の訂正をした。


加筆した原稿に、ご意見を乞いたい。ご意見下さる方はメールでお願いします。

 ここで、私自身も属する「イモケン学派」と言われた人たちの在り方について述べ、その意義と限界を問いたい。そうしておきたいと考えるのは、柄谷行人・鎌田哲哉・某氏らにより、私たちに対する否定的ないし侮蔑的な評価が流布しているので、それに反論しておきたいからであり、且つ、MLの過去ログに収められていない現場(オフライン)の出来事(の意義と限界)に言及したいからである。
 「イモケン学派」とは、Qが誕生してから暫くの間、活発なQ普及活動に携わったNAM会員=Q会員たちの名前である。イモケンとは、新宿区西早稲田にある蛭田葵の母親の所有のアパートの地下室のことである。当時、関東のNAM会員=Q会員の多くは、イモケンに集まり、相談や交流などを通して共同性を育んでいた。そのことに関して、鎌田哲哉や某氏はWEB上で誹謗中傷に近い意見を表明している。鎌田哲哉は、私たち関東のNAM会員が顔を合わせ過ぎたために変質・腐敗し「瘴気」を発するに至ったとQのサイトで述べている。某氏は、西部忠がlets_think MLに転載したメールにおいて、NAMに生じた不気味な「ムラ」として、近畿大学グループ、京都登記班、それにカフェSグループ(=イモケン学派)を挙げ、Qはその理念を実現するためにはこれらの「ムラ」と手を切り「再契約」をしなければならないという「人切り」の提案をしている(そして西部忠はそれを支持している)。
 私はかれらに反対し、条件付きながら「イモケン学派」を擁護したい。

 a)私は、鎌田哲哉の意見と違って、オフラインで顔を合わせ過ぎたから私たちが変質したのだとは思わない。むしろ問題は、日常的に顔を合わせていたにも関わらず、そこで育まれた無名人間の共同性ないし連帯(信頼)が著名人である柄谷行人の暴挙の前に無力だったということにある。

 b)鎌田哲哉が「あかね」に言及し誹謗中傷しているのは、NAMに関する事実誤認に基いている。NAM会員の多くが「あかね」に集まっていたというような事実は全くなかった。NAM会員に問題があったとすれば、それは「あかね」のような既にある社会運動やフリースペースの実践に対して軽蔑的な人が多かったことではないか。QがNAMにとって他者であるという理屈を認めるなら、「あかね」はQにとってもNAMにとっても他者である。鎌田哲哉が「あかね」を攻撃しているのは、単に「誤爆」である。それは「あかね」に対して非礼である。

 あからさまに言えば、NAMやQにおいて問われていたのは、「共同体」の問いではなかったか。既存の共同体とは異質の、しかし確かに何らかの絆(それは一過性で儚いものかもしれない)で結ばれた共同体やコミュニケーションの新たなかたちが実験されていたのではないか。(NAMではNAMの原理と「契約」した諸個人からなる「契約集団」という発想、また「アソシエーション」の交換──これら2つの契機はNAMの(世界)宗教的性格を露わにしている──、Qでは「信頼原理」に基く倫理的−経済的コミュニティ。)「コミュニケーションの爆発」としてNAMやQを捉えるのは的外れではないだろうし、NAM内の知識人(批評家・研究者) である倉数茂や王寺賢太のNAM評価はそのようなものであった(=「出会い系」「出会いの場」)。 一時期のイモケン自体が、何ものにも管理されない異質なもの同士の出会いではなかったか。
 それに対して、山城むつみ、柄谷行人、鎌田哲哉、某氏等による否定的評価・侮蔑がなされてきている。(山城むつみがNAM規約委員会のメール[nam-rules:0426]で「じっさい、LETSが普及しているのは資本主義的な生産諸関係のマージナルな領域でしかないのでは?」と述べているのは、世界のLETSの実践についてそう述べているとともに、Winds_q上に露わであったQの実態について批評して発言している蓋然性がある。また柄谷行人は、『Qは終わった』で、「しかし、全国的な取引の「可能性」がもたらされたとしても、小さなコミュニティではじまるような類の取引は、いつまでたっても始まらない。逆に、それは、Qに参加する人たちを窮屈な共同体に閉じ込めてしまうだけである。」と述べているが、ここで「窮屈な共同体」と否定的に批評されているのは、明らかにイモケンの実践のことである。また鎌田哲哉は、Qのサイトで、関東のNAM会員が「あかね」やイモケンで顔を合わせ過ぎて変質し、「瘴気」を発している、などと述べている。また某氏は、西部忠がlets_think MLに転送した西部忠宛ての私信で、イモケンに集まるNAM会員=Q会員たちのことを近畿大グループ、京都登記班と並べNAMにおいて生じた3つの不気味な「ムラ」と述べ、Qの理念との「再契約」を通じてこうした「ムラ」を「切る」べきことを西部に進言している──そして西部忠は某氏の意見を支持している。)
 そして、イモケン学派の指導者的存在であった蛭田葵自身が、(柄谷行人の態度変更を模倣・反復して)Qに対して態度変更をし、かれが家賃のかなりの割合をQで支払えるようにしていたQアパートを閉鎖するに至る。このことに関し、蛭田葵はいろいろな理由づけをしているが、Q-NAM問題の打撃が大きかったことは間違いないのではないだろうか。『Qは終わった』(やNAM解散)によって、最も熱心にQを推進してきた蛭田葵自身の中でQ(やNAM)が終わってしまった、というのが、NAMやQを通じて関わりを持った人たちとの関係をリセットした動機ではないのか。Q紛争以後、またNAM解散以後、蛭田葵は、インターネットや観念的な議論にあからさまな嫌悪を示すようになり、生活技術(発酵)、自然療法、有機農業などに傾斜するようになるが、このような蛭田葵の立場の変化は、それ自身、Q-NAM紛争の打撃、かれにとってQやNAMが終わった(「始まっていなかった」と言い訳するにしても、同じである)ことの結果(効果)ではないか。端的に言って、それは「転向」なのではないか。私は、蛭田葵がQ管理運営委員やQ会員を辞めたことを非難しているのではない。(私もそうしたのだから、人を非難する権利はない。)蛭田葵が、NAMやQが語ったような「大きな物語」の失効後、生活や身体性を変えることが真の運動であるというような立場に移行するのは、映画『LEFT ALONE』に出演している津村喬が、左翼的なマイノリティ運動から気功など身体性を組み替える運動へと移行していくのにとてもよく似ている。私は蛭田葵がそのような選択をしたことを批判(非難)はしないが、同意もしない。私自身は、たとえ観念的であると非難されようと、端的に運動を続けたいと考えている。
 話をイモケン学派のことに戻すと、孤立した根無し草のばらばらな個体──前歴も属性もばらばらな──が、一時的で儚い共同性=絆をLETSを通じて築いていた、というのがその実態であった。産業連関の内包(経済)を看板に掲げていたQだったが、その実態は、先ず個々人の精神的空虚を埋める共同性=絆の創出(倫理的=精神的機能)としてあったのではなかったか。そして私はそのことの意義は幾ら強調してもし足りないと考えている。没落しつつあるとはいえ、一応先進諸国の一員である日本において、LETSが先ず経済的なツール(貧困対策)として機能することはあり得ないのであって、先ずもって精神的な満足や共同体を再建するツールとして機能するのは当然である。「産業連関内包説」の正否はともかく、LETSには倫理的(精神的)機能「も」あるのであって、それを無視すべきではない。
 私は、Qアパートの住人として、関西から早稲田に引っ越してきた初代のQの登記人・渡辺彰吾が、LETSにあるママゴト(子どもの遊び)のような要素を捨てるべきではない、と繰り返し語っていたのをいつも思い出す。渡辺彰吾がQプロジェクト(namプロジェクト)に関わった動機(初心)は、「精神病者が作品を交換する」ツールを作ることであった。かれは、Qではそれが実現できないといって、Q-hiveを辞めたのである(しかし何故か? ペンネームの禁止のせいか? 取引履歴の公開のせいか? オンラインであるが故の操作の煩瑣さ故にか?)。とはいえ、イモケンにおける実践(実験)はある意味、渡辺彰吾の美学的な夢想を実現したと言える。そこでは、各人が、どれだけQを使ったか、(当時は赤字上限スライド拡大制であったので)どれだけ赤字上限を拡大したか、を競っていたのであるが、それは──非難の意味を込めずに述べるが──あからさまに子どもっぽい光景であった。「投げQ」や「感謝」などを含め、必ずしも「経済的」ではないかもしれないが、精神的な共同性=絆を生起させるような取引が数多く為されていたのも、イモケンのみならず、この時期のQの特徴である。倉数茂は経済的な効用ではなく「名誉」を求めてQを求めるようなQの使用法を「麻薬的」なものと呼んでいる。そのような意味で、イモケンに集った人たちは、私自身も含めて、麻薬中毒的であった、と言える。
 私も含めた「Q患者」とは、Qが齎した出会いやある種の「共同体」に(病理的に?)固執した人たちのことではなかったか。実際、NAMそれ自体が異質な存在の出会いの場であったが、Qを通じた交換は、さらに広汎で差異の大きな者同士の出会いを齎した。NAMでは、カント、マルクス、柄谷行人、『批評空間』等の読者層が会員に多かったと思われるため、柄谷行人も後に回顧(自己批判)して述べているように、かれの読者たちが集まったという感があった。しかるにQにおいては、カントもマルクスも柄谷行人も知らない人たち、例えば東北の有機農家の人たちと都会の観念的な学生らが直接出会ったのだ。そのようなあり得ない出会いは、田中正治・阿部文子・青山晃一が主宰し、蛭田葵が尽力して行った数度に渉る東北遠征や、蛭田葵・田口卓臣らが中心になって組織した、幾度にも及ぶTQC(Tokyo Qool Cafe)によって齎されたものである。Qは、空虚なNAMに実質ある共同体を創出したのだ。このことの意義は幾ら強調してもし足りない。
 ここで、イモケン学派の擁護と(自己)批判を行いたい。

 a)蛭田葵が強硬に主張し、私たち(関本洋司、田口卓臣、攝津正など蛭田葵の周りに集ってきた若い──といっても二十代後半から三十代の──NAM会員=Q会員たち。ほぼ全員が学生やフリーター)がそれを実践した、LETS-Qの受取比率をどんどん高めて、Qを生活に根ざしたものにする、という路線は正しかったか。当時盛んに、Qを「使う」、「回していく」ことが強調され、たとえ少人数の内輪であっても、そのメンバー間で活発に・盛んに取引を繰り返すならばそれでいいのだ、という主張が蛭田葵によってなされた。蛭田葵は、Q以外の地域通貨やかれ自身が立ち上げた地域通貨に参加しているが、上記のような基本的な路線にはいささかの変更もない模様である。かつてのQにおけるQをどれだけ使ったかがQに対する、ひいてはNAMに対する貢献度の指標になるというような誤った考えについていえば、それはNAM事務局のMLで倉数茂が指摘していたLETS-Qの「麻薬的」な使用法ということになるかもしれない。たとえQが使えない貨幣であるとしても、それを獲得したり投げQしたりされたりすることが、自らの名誉感情や価値観を高めるというような、いささか倒錯した──尤もこの倒錯には罪がないけれども──事態になっていたといえるかもしれない。

 b)そのような性急なQ普及=Q実践は、実態としては、自己犠牲的なヴォランティアを過剰にすることにしかならないが、それは誰からも強制されていないし命令されたことでもないのに、自分で自分を追い込んで、例えばQ代表団などに不満を抱く結果になる。蛭田葵も、Q講習会グループの人たちも、Q代表団に対して、自分たちの活動の意義に対する評価が十分でない、と不満を洩らしていた。ここでは、Q講習会グループとQ代表団の双方が批判されるべきである。
 先ず、Q講習会は、誰からも指示されたわけでもなく自発的に始めた活動であったので、Q-hiveの公式の業務ではなく、それに対してQ代表団からの評価が十分でなかったからといってそれに不満を持つのは筋違いである。そもそも、Q普及活動は、骨の折れる作業であるとともに、大いなる享楽でもあったはずであり、ヴォランティアと同様、それ自体において酬われていた、と考えるべきである。
 次に、Q代表団は、たとえWinds_qがソフトとして実現しても、それをただ放置していたのではQ会員が自然に増えるはずもないのだから、Q会員を獲得するための明確な路線を持つべきであった(Qの会員獲得という点に関し、西部忠は極めて見通しが甘かった、と言わざるを得ない。かれは、義務化(強制)などしなくても700人のNAM会員の大多数が自然にQに加入すると考えており、そうなれば日本最大のLETSになるからマスコミなどからも注目され、Qが急速に拡大する、と思い込んでいたのだ)。Q代表団は、公的な「経営方針」・路線を持つべきだったのであり、それをQ-hiveやQコミュニティに知らせ、討論をすべきであった。 いかにして、どのような層にQを広めていくのかに関する、「マーケティング」がなかった。具体的「地域」なき「地域通貨」という逆説的な存在であるQであればなおさら、それが志向するヴァーチャルなコミュニティとはどのようなもので、そこにおける信頼はどのように担保され、それはどのような実践を行っていくのか、といった「経営方針」・路線が必要であった。しかし実際には、Q-hiveは明確な経営方針を持てず、全ては場当たり的であったように思える。穂積一平が「ビジョン」の欠如と呼んだものと京都登記班が経営方針の欠如として非難したものは同じではないかもしれないが、近接していることは確かである(両者が共に「Qパンフ」を槍玉に挙げているところまで同じである)。要するに、少なくとも私が在籍していた頃のQ-hiveは、NAM(会員)に依存せず経営的に自立していくための「経営方針」を持っていなかったというほかない。
 宮地剛がQ(multi-LETS)楽天構想を公表しているが、西部忠以外の全てのQ-hiveメンバーが反対したように、それは到底現実的な案とは言えなかった。実際、それは実行されなくて良かった、と私には思える。たとえ最盛期のQであっても、宮地剛が提案していたような巨大な事業案を支えることはできなかったのではないか。ともあれ、次のことが言える。TQCやQ講習会を主催し、カフェSというQの店まで作ろうとしていたイモケンの私たちや、KQCやQ市・休茶会などを主催していた関西の人たちは、地道にQを普及する活動を行っていたのに対し、当時は宮地剛は地道なQ普及に取り組んではいなかったのであり(今は「カフェ・コモンズ」の店長として地域通貨の実践をしているとしても)、それなのに唐突に誇大で現実味があるとは思えない「方針」──Q楽天、京都会議で述べられたQはBtoBの通貨にしても良いという発言など──が提起されたところに不満や不信感が増幅した一つの理由があった。
 要するに、Q講習会グループの思い上がりとQ代表団の怠慢の双方が批判されるべきであると私は考える。付言すれば、Qには「啓蒙」(=Q講習会やバザー等)が不可欠なことを柄谷行人は「退会しますー柄谷行人」で皮肉っているが(それはQ講習会グループの代表格が啓蒙思想(ディドロ)の研究者である田口卓臣であったことへの当てこすりであった蓋然性が高い)、(やはり啓蒙思想=ディドロの研究者である)王寺賢太がそれに反駁して述べているように、どんな通貨を構想しようと「啓蒙」の次元は欠かせない。「貨幣を作って放っておけば、みんなが興味を持って乗って来るかっていうと、そんなことはないでしょう。ここでもまた「啓蒙」および諸活動はどうしても必要になって来るだろう。」という王寺賢太の発言はLの構想への批評である。

 c)関東のNAM会員=Q会員たちによる性急なQ普及活動は、蛭田葵を中心とするイモケンという名の「窮屈な共同体」に自分たちを閉じ込める結果になっただけである──とはいえ、ここで注意が必要である。柄谷行人は自ら・生身の自身を晒してQ普及活動=「啓蒙」に乗り出したわけではない──『日本精神分析』等の著作においてQを宣伝したとしても──ので、かれはQの取引の実態を、Winds_qに公開されていた取引履歴を読んで「批評」しただけなのである。そのような超越的な・天下りの「批評」=裁定が正当なものだったかどうか、疑う余地は大いにある。「何をどうしても、Qは機能しません。Qは、今、実際は、死んでいます。取引は事実上存在していない。これは取引内容と関係を分析すれば、わかることです。」とNAM規約委員会宛てのメール[nam-rules:0404]で柄谷行人は述べている。つまりかれは、自らの生身を持ってQ取引の現場に降りてきたことは一度もないのに、Winds_qの取引履歴を読んで「取引内容と関係を分析」し、「Qは、今、実際は、死んでいます。取引は事実上存在していない。」という結論を導き出しただけなのである。 
 それに対し、生井勲は[nam-rules:0432]で反論し、「LETSがどの程度流通するかという問題ついては、さまざまな捉え方があるようです。たとえば、柄谷さんの言い分では、Qは流通不足である、といっているように見えますが、僕はそうは思っていません。かなり頑張っている方だと思います。でも、たしかにGGTなどとは比べるべくもない。」と述べている。また西部忠も[q-project-user 1120] 「まだ始まっていないQのために」で次のように述べている。「Qでは買えるモノがない,Qは使えない,といった批判や不満が一部にあるようです。/しかし,Qは,他の地域通貨(バーター取引やポイント取引ではなく)と比べれば,取引に参加しているものの割合は大きいですし,取引量も決して少なくないと思います。Qでは,これまでに,有機米,有機酵母パン,ヨーグルト,自家焙煎コーヒー,ヤギミルクなどのエコロジカルな食品・飲料,木炭,陶器,オリーブオイル,石けん,箸,福祉作業所の手工芸品などの日用生活品など産直・手作りの品々,書籍,音楽CDなどの情報財,古本,中古コンピュータなどのセカンドハンド品,カフェ,理髪,マッサージ,宿泊施設などの各種サービスなどが取り引きされてきました。今でも,検索機能を使って,多くの品目が登録されているのを御覧いただけるはずです。/また,Q会員有志によって,東京,大阪,京都など各地でさまざまなイベントやバザーが行われてきました。さらに,音楽提供サイト,輸送や流通を扱う総合商社,様々な医療サービスを提供する総合病院,設計・建築を行うゼネコンという構想もあったはずです。これらは主に第一次,第三次産業に属しますが,第二次産業すら含まれているのです。今後,これに類する多くの企業や協同組合・NPOが参加するか設立されれば,供給される財・サービスが質量ともに拡大していくでしょう。こうして,Qが産業連関全体を徐々に包摂していくならば,価格におけるQ受取率は徐々に上昇するはずです。/Qとは,このように長い時間をかけながら,自律的な市場経済圏へと漸近していくことを目指す運動ですから,わずか1年の経験から,Qについて成功とか失敗という判断を下すことはあまりに性急です。」
 この問題には、LETS-Qという通貨の根拠を何に求めるか、という理論的問題が背景にある。柄谷行人は、自らの名が持つ社会的権威(信用)がQという通貨の「経済的信用」を形成していると考えた、故に幻影を叩き潰すと称して「逆宣伝」や「Q解体」を強行したのである。これは、いわば著名人の「名」の権威にQという通貨の信用の根拠を求める立場と言えよう。かれはNAMウェブサイト局のML([nam-website:0459])で言っている。「「Qは終わった」というのは早すぎるといわれたが、そもそも「Qは始まっ」ていなかったのです。流通しないものは通貨currencyとはいえない。もちろん、ある程度、それは流通したようにみえます。しかし、どこで流通したのかといえば、私の言説が流通する範囲内だけです。/Qが世の中で「始まった」のは、私が「Qが始まった」(それだけではない)を書いたからです。たとえば、西部は自分の本や論文では、けっしてQに触れません。NAMのこともすべて隠してやっています。だから、彼のために、Qが知られるようになることはまったくありえないのです。だから、Qが失敗しても、学者として、傷つかないようにしている。(中略)/私の支持が必要でないような、現実の生活に根ざした、市民通貨を始めなければならない。そして、それは可能です。しかし、そのためには、私によってもたらされたQへの信用を虚偽として知らしめるところから始めなければならない。それが私の責任です。/まず、幻影を叩きつぶすこと、議論は、この先にしか、始まりません。」
 「どこで流通したのかといえば、私の言説が流通する範囲内だけ」だと柄谷行人は言う。しかしそれは、Winds_qの取引履歴を読んでの、一方的で超越的な批評=裁定に過ぎない。「私の言説が流通する範囲内」の外部、例えば東北の有機農家などがQに参加してきていた──蛭田葵をはじめとするイモケン学派による「啓蒙」の努力によって──のをどう考えるのか。「Qが世の中で「始まった」のは、私が「Qが始まった」(それだけではない)を書いたから」だと柄谷行人は言うが、それは端的に言って傲慢である。Q講習会グループは、西部忠などQ代表団に抗議する以前に、柄谷行人のこのような言説をこそ批判すべきだ。Qが世の中で「始まった」のは、TQCやQ講習会など地道な(無名人による)Q普及活動(=「啓蒙」)があったからである。柄谷行人は一度としてTQC等の地道な実践に参加したことはない。「私によってもたらされたQへの信用」と言うように、かれは自分の著述家としての名の権威によって「Qへの信用」がもたらされたと私念しているのだ。その視野からは、多数のNAM会員=Q会員(=無名人)が各地で展開していた地道な交換=取引の実践は全く排除されてしまっている。それに対して、西部忠は次のように述べている。「Qを含むLETSのみならず,多くの地域通貨は,<信頼>を基盤にしています。一つにはQ「コミュニティへの信頼」,「もう一つは会員間」の信頼です。これらを前提として取引や決済が行われています。いろいろな工夫を施すことはできますが,それをコアに据えなければ地域通貨は成り立たないと私は思います。逆に言えば,参加者に疑心暗鬼が広がれば,モノや国家通貨による担保を欠いた地域通貨は消滅してしまいます。信頼を形成し維持していくことに比べれば,それを破壊することはずっと簡単です。そういう意味では,地域通貨は本性的に脆弱な通貨であるといえるでしょう。功利主義的に見れば,それは「通貨」ではないと人はいうかもしれません。しかし,この<弱さ>を参加者全員が常に自覚することによって,それを<強さ>に転化することができるのではないでしょうか。無担保な信頼の脆さを個々人が鋭く自覚しつつ,なお信頼することから始めるところから「倫理」が生じると私は考えます。Qが倫理的であるのはこのためです。/今の現実から見れば,それは理想論と言われるかもしれません。しかし,みなさん,そのことを信じて参加していただけたのではないでしょうか。この1年でQが大きく拡大してきたとは言いませんが,Qが着実に育って来たことも確かです。それは,決してQハイブの功績ではなく,会員みなさんが信頼に基づいて取引を続けてきた結果です。Qハイブの務めは,その信頼をできるだけ守るよう努力して,Qを保全することにあります。/Qは決して完全なものではありませんし,多くの実験的な要素を含んでします。改良すべき点も多々あるにちがいありません。しかし,まったく信頼のない土壌にQは育たないという基本的な事柄を忘れないでいただきたくないのです。不信や不正や悪意をすべての前提に据えては地域通貨は成り立たないし,完全なシステムはいつまで立ってもできません。このことをたえず念頭に入れ,Qをより現実的なものへと改良していけばいいでしょう。それは,倫理的な場所から出発して,徐々に経済的な市場へと到る道(その,逆ではなく)を歩むことです。Qはそういうものであるべきだと私は考えます。」
 これは無名人間のQ取引の蓄積=「信頼」醸成に通貨Qの根拠を見ようとした立場であると言える。(唯一人の)著名人の名の権威による「信用」か、多数の無名人の間での取引=交換=コミュニケーションの蓄積による「信頼」醸成か、が問われているのである。これは『Lの理論』などで展開された貨幣論に還元されない、社会運動一般の倫理=習慣態(エートス)に関わってくる問題である。超越的な著名人の名への「信用」=帰依を核として運動を組織するか、特異な無名人の内在的な「交換」によって「信頼」を漸次に醸成するといった仕方で運動を組織するか、という問題だ。そもそも柄谷行人(NAMの原理)にとって、multi-LETSは運動論、組織論であるはずだった。『新NAMの原理』から引用する。「NAMの「多元的所属」という組織原理は、Multi-LETSに対応するものであり、その意味でも、NAMは倫理―経済的な運動組織である。」「さらに重要なのは、LETSが「連合の原理」とまったく合致するというということである。それはたんに経済的でなく、倫理的なアソシエーションである。共同体における互酬制が共同体への帰属を強制し、また、市場経済が貨幣の共同体(国家)への参加を強制するのに対して、LETSにおける社会契約は、プルードンがいった「連合」におけるそれと同じである。すなわち、諸個人はいつでもLETSをやめることができるし、複数のLETSに所属することもできる。国家による単一の通貨と違って、LETSは複数的であり、多種多様体としてある。さらに重要なのは、他の地域通貨とちがって、LETSにおいては、各人が(たんに口座に記録するだけだが)通貨を発行する権利をもつことである。国家主権の一つが貨幣発行権にあるとするならば、これは口先だけの人民主権ではなくて、各人を真に主権者たらしめるものである。そして、このことは、LETSがたんなる地域通貨ではないということ、あるいはたんなる経済的問題ではないということを意味する。別のところで述べるように、資本も国家もネーションもそれぞれの「交換」原理にもとづくものであり、広い意味で「経済的」なものだとすれば、それらにとってかわりうるのは交換原理としてのLETSにもとづくアソシエーションだけである。」
 話を戻せば、私たち関東のNAM会員=Q会員によるQ実践が本当に「窮屈な共同体」に自らを閉じ込める結果になっていたか否か、が問題である。結論から言えば、それに近い実態があった、と私は考える。イモケンでは、プライバシーのなさや、蛭田葵個人への依存=従属など、多くの問題があった。しかし、それのみがQの使用法であったか。それがQの正しい──というのも変だが──使用法であったか。もっと漸次的な、過大な負担や自己犠牲を伴わないQの実践もあったはずだ(今仙台でPower to people等が実践しているような)。イモケン学派の実践の基本思想は、1)Qの受取比率を高める、2)少人数の間であれとにかくたくさんQを回す(流通させる)、3)そのことを通じて生活自体を変える、4)multi-LETSである、 ということだったが、そのような性急な実践が必要だったか、問われるところである。特に少人数の間で頻繁にQをやりとりするといった実践が、「窮屈な共同体」のようなものを作り出していた、と私は思う。また、山城むつみの言う「資本主義的な生産諸関係のマージナルな領域」での取引に留まった、という問題性があるとも思う。とはいえ、それはQ自体を辞めなければ(さらに、Qそれ自体を解体しなければ)解決不可能なほどの大問題であった(Qに本質的な疾患であった)、とも思わない。単に、「作法」「習慣」の問題であったと考える。王寺賢太は、小林秀雄が「革命とは生活習慣の変革である」と言っている、と述べている。その意味で、どのようにQを使っていくか、「生活習慣の変革」が必要とされていた(る)のだ、と強く感じる。

 d)Qは空虚なNAMの中に、実質的な共同体を創出した。それがイモケンであった。しかし、それは、「窮屈な共同体」(柄谷行人)、「ムラ」(某氏)であった、と言われている。だとすれば、私たちはどうすればいいのか。「窮屈な共同体」を揚棄し、開かれた共同体=アソシエーションを創出するには、どんなツールが必要なのか(それはQも含まれるのか、否か)、どんな実践や習慣が必要なのか。
 この問いに対して、今の私は答える言葉を持ち合わせない(『Q-NAM問題-4』でそれを模索したい)。私は、私自身のLETSの実践として、metaという「自由通貨」を提案し実践した。metaは、その基本的特徴において、全てQの裏返しであった。私は実践的なQ批判としてmetaを構想し実行した。しかし、結局のところ、metaは少しも流通しなかった。私のmetaの実践は、地域通貨そのものの否定であった。流通(機能)しなかったのも、当然と言えよう。
 私がNAMやQにおいて「共同体」が問われていた、というのは、穂積一平や鈴木健太郎がNAMを「フリーター問題」として把握するのと同じである。 柄谷行人がNAMの原理で言う「自立した個人」とは、あからさまにいえば、「サラリーマン」のことを指していた(スペースAKでのヴィデオ参照)。しかるに、サラリーマンに倫理的契機(後に柄谷行人が「革命運動の動機」と呼んだもの)があるかどうかはそれ自身疑わしいのだが、NAMに集ってきた・そして何らかの発言や活動に携わることの出来た人たちの大多数は、フリーター・学生やそれに準ずる層であった。倉数茂のいう「ジャンク浪漫派」の運動といった趣きを呈していたといってもよい。要するに、NAMの原理が謳っていた「自立した個人」(サラリーマン)の安定の幻想が崩壊しつつある時代に、その事実を認識することなくサラリーマンを対抗の主体に据えた運動を開始したというところに、NAMの理念と現実の大きな乖離があった。Qの共同体創出的な実践は、そのNAMに実質的な何事か──人と人との絆の創出──をもたらした。
 私は再建される(!?)NAMにせよ、現存するQにせよ、金のある層、余裕のある層からアソシエーション運動なりLETSなりを広げていこうとするのであれば、そのような路線には一貫して反対である。「ルンペン優位」ということではないし、何が優位ということでもないのだが、資本主義の現実の動きのなかで「負け組」の生を否応無くされている「われら貧者たち」の問いが入らないのであれば、そんな運動には意味がない、と思う。
 私はNAMの原理が掲げていた、「自立した個人」という見てくれの良い標語自体に批判的だ。今の新自由主義的な社会は、「自立」を、それが出来ない人たち(野宿者や障がい者)にも暴力的に強制してくるのだし、運動の単位を「個人」に求める、そして倫理は個人にしかないなどと個人を特権視するのも問題だと思う。(むしろ、「群れ」の倫理=習慣態の変革=組み替えを志向すべきではないのか。)

 e)問題は、その後、Q講師たちがほぼ全員(関本洋司を除いて)、Q-hive(Q管理運営委員会)のみならずQそのものを辞めてしまった、ということである。恥ずかしながら私もそうなので人のことは言えないが、Qを自ら実践するのみならず、(特にNAMと何の関係もない)他者に勧めてQ会員になっていただくというのは、それなりの社会的責任を伴うことであるはずだ。それなのに、Q会員への説明責任を果たさず、Q管理運営委員のみならずQをも辞めてしまう、というのは、如何なものか。尤も、迷惑になるといけないので名前は挙げないが、2名ほどの良心的な人たちは、自己批判なり事情説明なりの文章を何度も何度も書いたが公表できなかったという話を聞いている。何度も書いたがうまく書けなかったので公表しなかった、Qを一所懸命やっている人に悪いから、というのである。私は、そのような人たちには、一定の倫理的責任感があった、と思っている。
 私を含めたQ講師たちは、或る人たちは柄谷行人に追従して喜んでQを辞めていき、或る人たちは柄谷行人や関井光男らの振る舞いに我慢できず・堪え切れずにQを辞めていった。自らがQ規約やWinds_qの操作方法を教え、Q入会を勧めたQ会員たちを後に残して。事情は各自あったにせよ、そのことには問題があったと考えている。
 Qを辞めなかった関本洋司にせよ、不正高額取引が本当に「不正」だったかどうか分からないとか、関井光男らの「契約解除」は当然の権利だったなどと言っているので、かれ自身柄谷行人の強い影響にあるままだと言うしかない。Q-NAM問題を批判的に総括するためには、柄谷行人の論理と理論から決定的に分離し、それと訣別しなければならないと私は考える。関本洋司は、QとLを理論的に両立させようなどとしているが、Lの発案者の柄谷祐人(原祐人)自身がLの構想を放棄しているという現実の前では、その宥和の試みは無惨である。

2006/01/14 イモケン学派の問い・その2

1)「イモケンとは、新宿区西早稲田にある蛭田葵所有のアパートの地下室のことである。」「イモケンとは、新宿区西早稲田にある蛭田葵の母親の所有のアパートの地下室のことである。」と事実関係の訂正をした。
2)「そのようなあり得ない出会いは、蛭田葵が主宰して行った数度に渉る東北遠征や、蛭田葵・田口卓臣らが中心になって組織した、幾度にも及ぶTQC(Tokyo Qool Cafe)によって齎されたものである。」という文章を「そのようなあり得ない出会いは、田中正治・阿部文子・青山晃一が主宰し、蛭田葵が尽力して行った数度に渉る東北遠征や、蛭田葵・田口卓臣らが中心になって組織した、幾度にも及ぶTQC(Tokyo Qool Cafe)によって齎されたものである。」と事実関係の訂正をした。


加筆修正しました。ご意見はメールで。なお西部忠が某氏の「人切り」の提案を支持していた、というのは誤解として訂正します。

 6.Q会員であったNAM会員については、nam-event ML、QユーザーMLなどでNAMにおける一連の非民主的決定やQ攻撃行為に対して抗議を行う者が少数だった。Q会員であったNAM会員の大多数は、LETSの重視や三権分立の真の実現が書き込まれていた『NAM原理』第二版を電子投票で採択し、そのようなNAM原理と契約し、且つ、Q規約とも契約していた責任を放棄したと言われても仕方ないだろう。
 ここで、私自身も属する「イモケン学派」と言われた人たちの在り方について述べ、その意義と限界を問いたい。そうしておきたいと考えるのは、柄谷行人・鎌田哲哉・某氏らにより、私たちに対する否定的ないし侮蔑的な評価が流布しているので、それに反論しておきたいからであり、且つ、MLの過去ログに収められていない現場(オフライン)の出来事(の意義と限界)に言及したいからである。
 「イモケン学派」とは、Qが誕生してから暫くの間、活発なQ普及活動に携わったNAM会員=Q会員たちの名前である。イモケンとは、新宿区西早稲田にある蛭田葵の母親の所有のアパートの地下室のことである。当時、関東のNAM会員=Q会員の多くは、イモケンに集まり、相談や交流などを通して共同性を育んでいた。そのことに関して、鎌田哲哉や某氏はWEB上で誹謗中傷に近い意見を表明している。鎌田哲哉は、私たち関東のNAM会員が顔を合わせ過ぎたために変質・腐敗し「瘴気」を発するに至ったとQのサイトで述べている。某氏は、西部忠がlets_think MLに転載したメールにおいて、NAMに生じた不気味な「ムラ」として、近畿大学グループ、京都登記班、それにカフェSグループ(=イモケン学派)を挙げ、Qはその理念を実現するためにはこれらの「ムラ」と手を切り「再契約」をしなければならないという「人切り」の提案をしている(某氏のメールに関しては、『Q-NAM問題-1』で引用した)。
 私はかれらに反対し、条件付きながら「イモケン学派」を擁護したい。

 a)私は、鎌田哲哉の意見と違って、オフラインで顔を合わせ過ぎたから私たちが変質したのだとは思わない。むしろ問題は、日常的に顔を合わせていたにも関わらず、そこで育まれた無名人間の共同性ないし連帯(信頼)が著名人である柄谷行人の暴挙の前に無力だったということにある。というよりも、オフラインの場では「柄谷さんのやり口はちょっとひどいよね」というような共通の了解がかなりあったにも関わらず、それをML上の公的な実践に転化できず、結局柄谷行人への謝罪や追従に終始してしまったことにある。私自身がそうであった。信頼できる友人達と語り合うオフラインの場の会話では、柄谷行人(やそれに追従した関井光男・山住勝広等)はひどいと言いながら、MLや私信で柄谷行人から批判されると抵抗することが全くできず、謝罪し自己批判した。つまり、オフラインで育まれていた友人同士の信頼という共同的な絆を、オンラインのMLで公的に活かすことができなかったのだ。

 b)鎌田哲哉が「あかね」に言及し誹謗中傷しているのは、NAMに関する事実誤認に基いている。NAM会員の多くが「あかね」に集まっていたというような事実は全くなかった。NAM会員に問題があったとすれば、それは「あかね」のような既にある社会運動やフリースペースの実践に対して軽蔑的な人が多かったことではないか。QがNAMにとって他者であるという理屈を認めるなら、「あかね」はQにとってもNAMにとっても他者である。鎌田哲哉が「あかね」を攻撃しているのは、単に「誤爆」である。それは「あかね」に対して非礼である。恐らく鎌田哲哉は、私が一時期「あかね」のスタッフをしていたことから、NAM会員が「あかね」のような場所で頻繁に交流していたと誤解したようである。しかし、NAM解散後であれ、だめ連や「あかね」に接近したのは私一人であった。そして、「あかね」の実践や交流について、私は否定的な考えを持たない。矢部史郎が言ったように、「『あかね』が百軒できても革命は起きない」だろうとは思うが(しかし、では、矢部史郎の経営する新宿歌舞伎町のバー「じゃこばん」のような店が増えれば革命が起きるとでもいうのだろうか?)。

 あからさまに言えば、NAMやQにおいて問われていたのは、「共同体」の問いではなかったか。既存の共同体とは異質の、しかし確かに何らかの絆(それは一過性で儚いものかもしれない)で結ばれた共同体やコミュニケーションの新たなかたちが実験されていたのではないか。(NAMではNAMの原理と「契約」した諸個人からなる「契約集団」という発想、また「アソシエーション」の交換──これら2つの契機はNAMの(世界)宗教的性格を露わにしている──、Qでは「信頼原理」に基く倫理的−経済的コミュニティ。)「コミュニケーションの爆発」としてNAMやQを捉えるのは的外れではないだろうし、NAM内の知識人(批評家・研究者) である倉数茂や王寺賢太のNAM評価はそのようなものであった(=「出会い系」「出会いの場」)。 一時期のイモケン自体が、何ものにも管理されない異質なもの同士の出会いではなかったか。
 それに対して、山城むつみ、柄谷行人、鎌田哲哉、某氏等による否定的評価・侮蔑がなされてきている。(山城むつみがNAM規約委員会のメール[nam-rules:0426]で「じっさい、LETSが普及しているのは資本主義的な生産諸関係のマージナルな領域でしかないのでは?」と述べているのは、世界のLETSの実践動向についてそう述べているとともに、Winds_q上に露わであったQの実態──ダントツで取引量一位の座にあった蛭田葵を中心とするイモケンの人たちによる取引がその大部分を占めていた──について批評してそのように発言している蓋然性がある。また柄谷行人は、『Qは終わった』で、「しかし、全国的な取引の「可能性」がもたらされたとしても、小さなコミュニティではじまるような類の取引は、いつまでたっても始まらない。逆に、それは、Qに参加する人たちを窮屈な共同体に閉じ込めてしまうだけである。」と述べているが、ここで「窮屈な共同体」と否定的に批評されているのは、明らかにイモケンの実践のことである。また鎌田哲哉は、Qのサイトで、関東のNAM会員が「あかね」やイモケンで顔を合わせ過ぎて変質し、「瘴気」を発している、などと述べている。また『Q-NAM問題-1』で引用し批判したように、某氏は、西部忠がlets_think MLに転送した西部忠宛ての私信で、イモケンに集まるNAM会員=Q会員たちのことを近畿大グループ、京都登記班と並べNAMにおいて生じた3つの不気味な「ムラ」と述べ、Qの理念との「再契約」を通じてこうした「ムラ」を「切る」べきことを西部に進言している。)
 そして、イモケン学派の指導者的存在であった蛭田葵自身が、(柄谷行人の態度変更を模倣・反復して)Qに対して態度変更をし、かれが家賃のかなりの割合をQで支払えるようにしていたQアパートを閉鎖するに至る。このことに関し、蛭田葵はいろいろな理由づけをしているが、Q-NAM問題の打撃が大きかったことは間違いないのではないだろうか。『Qは終わった』(やNAM解散)によって、最も熱心にQを推進してきた蛭田葵自身の中でQ(やNAM)が終わってしまった、というのが、NAMやQを通じて関わりを持った人たちとの関係をリセットした動機ではないのか。Q紛争以後、またNAM解散以後、蛭田葵は、インターネットや観念的な議論にあからさまな嫌悪を示すようになり、生活技術(発酵)、自然療法、有機農業などに傾斜するようになるが、このような蛭田葵の立場の変化は、それ自身、Q-NAM紛争の打撃、かれにとってQやNAMが終わった(「始まっていなかった」と言い訳するにしても、同じである)ことの結果(効果)ではないか。端的に言って、それは「転向」なのではないか。私は、蛭田葵がQ管理運営委員やQ会員を辞めたことを非難しているのではない。(私もそうしたのだから、人を非難する権利はない。)蛭田葵が、NAMやQが語ったような「大きな物語」の失効後、生活や身体性を変えることが真の運動であり革命であるというような立場に移行するのは、映画『LEFT ALONE』に出演している津村喬が、左翼的なマイノリティ運動から気功など身体性を組み替える運動へと移行していくのにとてもよく似ている。私は蛭田葵がそのような選択をしたことを批判(非難)はしないが、同意もしない。私自身は、たとえ観念的であると非難されようと、端的に運動を続けたいと考えている。
 話をイモケン学派のことに戻すと、孤立した根無し草のばらばらな個体──前歴も属性もばらばらな──が、一時的で儚い共同性=絆をLETSを通じて築いていた、というのがその実態であった。産業連関の内包(経済)を看板に掲げていたQだったが、その実態は、先ず個々人の精神的空虚を埋める共同性=絆の創出(倫理的=精神的機能)としてあったのではなかったか。そして私はそのことの意義は幾ら強調してもし足りないと考えている。没落しつつあるとはいえ、一応先進諸国の一員である日本において、LETSが先ず経済的なツール(貧困対策)として機能することはあり得ないのであって、先ずもって精神的な満足や共同体を再建するツールとして機能するのは当然である。「産業連関内包説」の正否はともかく、LETSには倫理的(精神的)機能「も」あるのであって、それを無視すべきではない。
 私は、Qアパートの住人として、関西から早稲田に引っ越してきた初代のQの登記人・渡辺彰吾が、LETSにあるママゴト(子どもの遊び)のような要素──紙の通帳に書き込んで通貨を「発行」する時のようなささやかな喜び──を捨てるべきではない、と繰り返し語っていたのをいつも思い出す。渡辺彰吾がQプロジェクト(namプロジェクト)に関わった動機(初心)は、「精神病者が作品を交換する」ツールを作ることであった。かれは、Qではそれが実現できないといって、Q-hiveを辞めたのである(しかし何故か? ペンネームの禁止のせいか? 取引履歴の公開のせいか? オンラインであるが故の操作の煩瑣さ故にか?)。とはいえ、イモケンにおける実践(実験)はある意味、渡辺彰吾の美学的な夢想を実現したと言える。そこでは、各人が、どれだけQを使ったか、(当時は赤字上限スライド拡大制であったので)どれだけ赤字上限を拡大したか、を競っていたのであるが、それは──非難の意味を込めずに述べるが──あからさまに子どもっぽい光景であった。「投げQ」や「感謝」などを含め、必ずしも「経済的」ではないかもしれないが、精神的な共同性=絆を生起させるような取引が数多く為されていたのも、イモケンのみならず、この時期のQの特徴である。倉数茂は経済的な効用ではなく「名誉」を求めてQを求めるようなQの使用法を「麻薬的」なものと呼んでいる。そのような意味で、イモケンに集った人たちは、私自身も含めて、麻薬中毒的であった、と言える。
 私も含めた「Q患者」とは、Qが齎した出会いやある種の「共同体」に(病理的に?)固執した人たちのことではなかったか。実際、NAMそれ自体が異質な存在の出会いの場であったが、Qを通じた交換は、さらに広汎で差異の大きな者同士の出会いを齎した。NAMでは、カント、マルクス、柄谷行人、『批評空間』等の読者層が会員に多かったと思われるため、柄谷行人も後に回顧(自己批判)して述べているように、かれの読者たちが集まったという感があった。しかるにQにおいては、カントもマルクスも柄谷行人も知らない人たち、例えば東北の有機農家の人たちと都会の観念的な学生らが直接出会ったのだ。そのようなあり得ない出会いは、田中正治・阿部文子・青山晃一が主宰し、蛭田葵が尽力して行った数度に渉る東北遠征や、蛭田葵・田口卓臣らが中心になって組織した、幾度にも及ぶTQC(Tokyo Qool Cafe)によって齎されたものである。Qは、空虚なNAMに実質ある共同体を創出したのだ。このことの意義は幾ら強調してもし足りない。
 ここで、イモケン学派の擁護と(自己)批判を行いたい。

 a)蛭田葵が強硬に主張し、私たち(関本洋司、田口卓臣、攝津正(私)など蛭田葵の周りに集ってきた若い──といっても二十代後半から三十代の──NAM会員=Q会員たち。ほぼ全員が学生やフリーター)がそれを実践した、LETS-Qの受取比率をどんどん高めて、Qを生活に根ざしたものにする、という路線は正しかったか。当時盛んに、Qを「使う」、「回していく」ことが強調され、たとえ少人数の内輪であっても、そのメンバー間で活発に・盛んに取引を繰り返すならばそれでいいのだ、という主張が蛭田葵によってなされた。蛭田葵は、Q以外の地域通貨やかれ自身が立ち上げた地域通貨に参加しているが、上記のような基本的な路線にはいささかの変更もない模様である。かつてのQにおけるQをどれだけ使ったかがQに対する、ひいてはNAMに対する貢献度の指標になるというような誤った考えについていえば、それはNAM事務局のMLで倉数茂が指摘していたLETS-Qの「麻薬的」な使用法ということになるかもしれない。たとえQが使えない貨幣であるとしても、それを獲得したり投げQしたりされたりすることが、自らの名誉感情や価値観を高めるというような、いささか倒錯した──尤もこの倒錯には罪がないけれども──事態になっていたといえるかもしれない。この論点に関しては、g)で後述する。

 b)そのような性急なQ普及=Q実践は、実態としては、自己犠牲的なヴォランティアを過剰にすることにしかならないが、それは誰からも強制されていないし命令されたことでもないのに、自分で自分を追い込んで、例えばQ代表団などに不満を抱く結果になる。蛭田葵も、Q講習会グループの人たちも、Q代表団に対して、自分たちの活動の意義に対する評価が十分でない、と不満を洩らしていた。ここでは、Q講習会グループとQ代表団の双方が批判されるべきである。
 先ず、Q講習会は、誰からも指示されたわけでもなく自発的に始めた活動であったので、Q-hiveの公式の業務ではなく、それに対してQ代表団からの評価が十分でなかったからといってそれに不満を持つのは筋違いである。そもそも、Q普及活動は、骨の折れる作業であるとともに、大いなる享楽でもあったはずであり、ヴォランティアと同様、それ自体において酬われていた、と考えるべきである。
 次に、Q代表団は、たとえWinds_qがソフトとして実現しても、それをただ放置していたのではQ会員が自然に増えるはずもないのだから、Q会員を獲得するための明確な路線を持つべきであった(Qの会員獲得という点に関し、西部忠は極めて見通しが甘かった、と言わざるを得ない。かれは、義務化(強制)などしなくても700人のNAM会員の大多数が自然にQに加入すると考えており、そうなれば日本最大のLETSになるからマスコミなどからも注目され、Qが急速に拡大する、と思い込んでいたのだ)。Q代表団は、公的な「経営方針」・路線を持つべきだったのであり、それをQ-hiveやQコミュニティに知らせ、討論をすべきであった。 いかにして、どのような層にQを広めていくのかに関する、「マーケティング」がなかった。具体的「地域」なき「地域通貨」という逆説的な存在であるQであればなおさら、それが志向するヴァーチャルなコミュニティとはどのようなもので、そこにおける信頼はどのように担保され、それはどのような実践を行っていくのか、といった「経営方針」・路線が必要であった。しかし実際には、Q-hiveは明確な経営方針を持てず、全ては場当たり的であったように思える。穂積一平が「ビジョン」の欠如と呼んだものと京都登記班が経営方針の欠如として非難したものは同じではないかもしれないが、近接していることは確かである(両者が共に「Qパンフ」を槍玉に挙げているところまで同じである)。要するに、少なくとも私が在籍していた頃のQ-hiveは、NAM(会員)に依存せず経営的に自立していくための「経営方針」を持っていなかったというほかない。
 宮地剛がQ(multi-LETS)楽天構想を公表しているが、西部忠以外の全てのQ-hiveメンバーが反対したように、それは到底現実的な案とは言えなかった。実際、それは実行されなくて良かった、と私には思える。たとえ最盛期のQであっても、宮地剛が提案していたような巨大な事業案を支えることはできなかったのではないか。ともあれ、次のことが言える。TQCやQ講習会を主催し、カフェSというQの店まで作ろうとしていたイモケンの私たちや、KQCやQ市・休茶会などを主催していた関西の人たちは、地道にQを普及する活動を行っていたのに対し、当時は宮地剛は地道なQ普及に取り組んではいなかったのであり(今は「カフェ・コモンズ」の店長として地域通貨の実践をしているとしても)、それなのに唐突に誇大で現実味があるとは思えない「方針」──Q楽天、京都会議で述べられたQはBtoBの通貨にしても良いという発言など──が提起されたところに不満や不信感が増幅した一つの理由があった。
 要するに、Q講習会グループの思い上がりとQ代表団の怠慢の双方が批判されるべきであると私は考える。付言すれば、Qには「啓蒙」(=Q講習会やバザー等)が不可欠なことを柄谷行人は「退会しますー柄谷行人」で皮肉っているが(それはQ講習会グループの代表格が啓蒙思想(ディドロ)の研究者である田口卓臣であったことへの当てこすりであった蓋然性が高い)、(やはり啓蒙思想=ディドロの研究者である)王寺賢太がそれに反駁して述べているように、どんな通貨を構想しようと「啓蒙」の次元は欠かせない。「貨幣を作って放っておけば、みんなが興味を持って乗って来るかっていうと、そんなことはないでしょう。ここでもまた「啓蒙」および諸活動はどうしても必要になって来るだろう。」という王寺賢太の発言はLの構想への批評である。

 c)関東のNAM会員=Q会員たちによる性急なQ普及活動は、蛭田葵を中心とするイモケンという名の「窮屈な共同体」に自分たちを閉じ込める結果になっただけである──とはいえ、ここで注意が必要である。柄谷行人は自ら・生身の自身を晒してQ普及活動=「啓蒙」に乗り出したわけではない──『日本精神分析』等の著作においてQを宣伝したとしても──ので、かれはQの取引の実態を、Winds_qに公開されていた取引履歴を読んで「批評」しただけなのである。そのような超越的な・天下りの「批評」=裁定が正当なものだったかどうか、疑う余地は大いにある。「何をどうしても、Qは機能しません。Qは、今、実際は、死んでいます。取引は事実上存在していない。これは取引内容と関係を分析すれば、わかることです。」とNAM規約委員会宛てのメール[nam-rules:0404]で柄谷行人は述べている。つまりかれは、自らの生身を持ってQ取引の現場に降りてきたことは一度もないのに、Winds_qの取引履歴を読んで「取引内容と関係を分析」し、「Qは、今、実際は、死んでいます。取引は事実上存在していない。」という結論を導き出しただけなのである。 
 それに対し、生井勲は[nam-rules:0432]で反論し、「LETSがどの程度流通するかという問題ついては、さまざまな捉え方があるようです。たとえば、柄谷さんの言い分では、Qは流通不足である、といっているように見えますが、僕はそうは思っていません。かなり頑張っている方だと思います。でも、たしかにGGTなどとは比べるべくもない。」と述べている。また西部忠も[q-project-user 1120] 「まだ始まっていないQのために」で次のように述べている。「Qでは買えるモノがない,Qは使えない,といった批判や不満が一部にあるようです。/しかし,Qは,他の地域通貨(バーター取引やポイント取引ではなく)と比べれば,取引に参加しているものの割合は大きいですし,取引量も決して少なくないと思います。Qでは,これまでに,有機米,有機酵母パン,ヨーグルト,自家焙煎コーヒー,ヤギミルクなどのエコロジカルな食品・飲料,木炭,陶器,オリーブオイル,石けん,箸,福祉作業所の手工芸品などの日用生活品など産直・手作りの品々,書籍,音楽CDなどの情報財,古本,中古コンピュータなどのセカンドハンド品,カフェ,理髪,マッサージ,宿泊施設などの各種サービスなどが取り引きされてきました。今でも,検索機能を使って,多くの品目が登録されているのを御覧いただけるはずです。/また,Q会員有志によって,東京,大阪,京都など各地でさまざまなイベントやバザーが行われてきました。さらに,音楽提供サイト,輸送や流通を扱う総合商社,様々な医療サービスを提供する総合病院,設計・建築を行うゼネコンという構想もあったはずです。これらは主に第一次,第三次産業に属しますが,第二次産業すら含まれているのです。今後,これに類する多くの企業や協同組合・NPOが参加するか設立されれば,供給される財・サービスが質量ともに拡大していくでしょう。こうして,Qが産業連関全体を徐々に包摂していくならば,価格におけるQ受取率は徐々に上昇するはずです。/Qとは,このように長い時間をかけながら,自律的な市場経済圏へと漸近していくことを目指す運動ですから,わずか1年の経験から,Qについて成功とか失敗という判断を下すことはあまりに性急です。」
 この問題には、LETS-Qという通貨の根拠を何に求めるか、という理論的問題が背景にある。柄谷行人は、自らの名が持つ社会的権威(信用)がQという通貨の「経済的信用」を形成していると考えた、故に幻影を叩き潰すと称して「逆宣伝」や「Q解体」を強行したのである。これは、いわば著名人の「名」の権威にQという通貨の信用の根拠を求める立場と言えよう。かれはNAMウェブサイト局のML([nam-website:0459])で言っている。「「Qは終わった」というのは早すぎるといわれたが、そもそも「Qは始まっ」ていなかったのです。流通しないものは通貨currencyとはいえない。もちろん、ある程度、それは流通したようにみえます。しかし、どこで流通したのかといえば、私の言説が流通する範囲内だけです。/Qが世の中で「始まった」のは、私が「Qが始まった」(それだけではない)を書いたからです。たとえば、西部は自分の本や論文では、けっしてQに触れません。NAMのこともすべて隠してやっています。だから、彼のために、Qが知られるようになることはまったくありえないのです。だから、Qが失敗しても、学者として、傷つかないようにしている。(中略)/私の支持が必要でないような、現実の生活に根ざした、市民通貨を始めなければならない。そして、それは可能です。しかし、そのためには、私によってもたらされたQへの信用を虚偽として知らしめるところから始めなければならない。それが私の責任です。/まず、幻影を叩きつぶすこと、議論は、この先にしか、始まりません。」
 「どこで流通したのかといえば、私の言説が流通する範囲内だけ」だと柄谷行人は言う。しかしそれは、Winds_qの取引履歴を読んでの、一方的で超越的な批評=裁定に過ぎない。「私の言説が流通する範囲内」の外部、例えば東北の有機農家などがQに参加してきていた──蛭田葵をはじめとするイモケン学派による「啓蒙」の努力によって──のをどう考えるのか。「Qが世の中で「始まった」のは、私が「Qが始まった」(それだけではない)を書いたから」だと柄谷行人は言うが、それは端的に言って傲慢である。Q講習会グループは、西部忠などQ代表団に抗議する以前に、柄谷行人のこのような言説をこそ批判すべきだ。Qが世の中で「始まった」のは、TQCやQ講習会など地道な(無名人による)Q普及活動(=「啓蒙」)があったからである。柄谷行人は一度としてTQC等の地道な実践に参加したことはない。「私によってもたらされたQへの信用」と言うように、かれは自分の著述家としての名の権威によって「Qへの信用」がもたらされたと私念しているのだ。その視野からは、多数のNAM会員=Q会員(=無名人)が各地で展開していた地道な交換=取引の実践は全く排除されてしまっている。それに対して、西部忠は次のように述べている。「Qを含むLETSのみならず,多くの地域通貨は,<信頼>を基盤にしています。一つにはQ「コミュニティへの信頼」,「もう一つは会員間」の信頼です。これらを前提として取引や決済が行われています。いろいろな工夫を施すことはできますが,それをコアに据えなければ地域通貨は成り立たないと私は思います。逆に言えば,参加者に疑心暗鬼が広がれば,モノや国家通貨による担保を欠いた地域通貨は消滅してしまいます。信頼を形成し維持していくことに比べれば,それを破壊することはずっと簡単です。そういう意味では,地域通貨は本性的に脆弱な通貨であるといえるでしょう。功利主義的に見れば,それは「通貨」ではないと人はいうかもしれません。しかし,この<弱さ>を参加者全員が常に自覚することによって,それを<強さ>に転化することができるのではないでしょうか。無担保な信頼の脆さを個々人が鋭く自覚しつつ,なお信頼することから始めるところから「倫理」が生じると私は考えます。Qが倫理的であるのはこのためです。/今の現実から見れば,それは理想論と言われるかもしれません。しかし,みなさん,そのことを信じて参加していただけたのではないでしょうか。この1年でQが大きく拡大してきたとは言いませんが,Qが着実に育って来たことも確かです。それは,決してQハイブの功績ではなく,会員みなさんが信頼に基づいて取引を続けてきた結果です。Qハイブの務めは,その信頼をできるだけ守るよう努力して,Qを保全することにあります。/Qは決して完全なものではありませんし,多くの実験的な要素を含んでします。改良すべき点も多々あるにちがいありません。しかし,まったく信頼のない土壌にQは育たないという基本的な事柄を忘れないでいただきたくないのです。不信や不正や悪意をすべての前提に据えては地域通貨は成り立たないし,完全なシステムはいつまで立ってもできません。このことをたえず念頭に入れ,Qをより現実的なものへと改良していけばいいでしょう。それは,倫理的な場所から出発して,徐々に経済的な市場へと到る道(その,逆ではなく)を歩むことです。Qはそういうものであるべきだと私は考えます。」
 これは無名人間のQ取引の蓄積=「信頼」醸成に通貨Qの根拠を見ようとした立場であると言える。(唯一人の)著名人の名の権威による「信用」か、多数の無名人の間での取引=交換=コミュニケーションの蓄積による「信頼」醸成か、が問われているのである。これは『Lの理論』などで展開された貨幣論に還元されない、社会運動一般の倫理=習慣態(エートス)に関わってくる問題である。超越的な著名人の名への「信用」=帰依を核として運動を組織するか、特異な無名人の内在的な「交換」によって「信頼」を漸次に醸成するといった仕方で運動を組織するか、という問題だ。そもそも柄谷行人(NAMの原理)にとって、multi-LETSは運動論、組織論であるはずだった。『新NAMの原理』から引用する。「NAMの「多元的所属」という組織原理は、Multi-LETSに対応するものであり、その意味でも、NAMは倫理―経済的な運動組織である。」「さらに重要なのは、LETSが「連合の原理」とまったく合致するというということである。それはたんに経済的でなく、倫理的なアソシエーションである。共同体における互酬制が共同体への帰属を強制し、また、市場経済が貨幣の共同体(国家)への参加を強制するのに対して、LETSにおける社会契約は、プルードンがいった「連合」におけるそれと同じである。すなわち、諸個人はいつでもLETSをやめることができるし、複数のLETSに所属することもできる。国家による単一の通貨と違って、LETSは複数的であり、多種多様体としてある。さらに重要なのは、他の地域通貨とちがって、LETSにおいては、各人が(たんに口座に記録するだけだが)通貨を発行する権利をもつことである。国家主権の一つが貨幣発行権にあるとするならば、これは口先だけの人民主権ではなくて、各人を真に主権者たらしめるものである。そして、このことは、LETSがたんなる地域通貨ではないということ、あるいはたんなる経済的問題ではないということを意味する。別のところで述べるように、資本も国家もネーションもそれぞれの「交換」原理にもとづくものであり、広い意味で「経済的」なものだとすれば、それらにとってかわりうるのは交換原理としてのLETSにもとづくアソシエーションだけである。」そうであれば、Qが前提していたような「信頼原理」もまた、NAMの組織論・運動論としてあったはずだと言うべきではないのか。実際、柄谷行人はLETSの原則を適用して、NAMには「除名」はないが「契約解除」はあると述べていたのである(NAM末期には、自分でこのことを忘れてしまい、誰某を除名すべきだ、というようなメールを書いていたにせよ)。
 話を戻せば、私たち関東のNAM会員=Q会員によるQ実践が本当に「窮屈な共同体」に自らを閉じ込める結果になっていたか否か、が問題である。結論から言えば、それに近い実態があった、と私は考える。イモケンでは、プライバシーのなさや、蛭田葵個人への依存=従属など、多くの問題があった。しかし、それのみがQの使用法であったか。それがQの正しい──というのも変だが──使用法であったか。もっと漸次的な、過大な負担や自己犠牲を伴わないQの実践もあったはずだ(今仙台でPower to people等が実践しているような)。イモケン学派の実践の基本思想は、1)Qの受取比率を高める、2)少人数の間であれとにかくたくさんQを回す(流通させる)、3)そのことを通じて生活自体を変える、4)multi-LETSである、 ということだったが、そのような性急な実践が必要だったか、問われるところである。特に少人数の間で頻繁にQをやりとりするといった実践が、「窮屈な共同体」のようなものを作り出していた、と私は思う。また、山城むつみの言う「資本主義的な生産諸関係のマージナルな領域」での取引に留まった、という問題性があるとも思う。とはいえ、それはQ自体を辞めなければ(さらに、Qそれ自体を解体しなければ)解決不可能なほどの大問題であった(Qに本質的な疾患であった)、とも思わない。単に、「作法」「習慣」の問題であったと考える。王寺賢太は、小林秀雄が「革命とは生活習慣の変革である」と言っている、と述べている。その意味で、どのようにQを使っていくか、「生活習慣の変革」が必要とされていた(る)のだ、と強く感じる。

 d)Qは空虚なNAMの中に、実質的な共同体を創出した。それがイモケンであった。しかし、それは、「窮屈な共同体」(柄谷行人)、「ムラ」(某氏)であった、と言われている。だとすれば、私たちはどうすればいいのか。「窮屈な共同体」を揚棄し、開かれた共同体=アソシエーションを創出するには、どんなツールが必要なのか(それはQも含まれるのか、否か)、どんな実践や習慣が必要なのか。
 この問いに対して、今の私は答える言葉を持ち合わせない(『Q-NAM問題-4』でそれを模索したい)。私は、私自身のLETSの実践として、metaという「自由通貨」を提案し実践した。metaは、その基本的特徴において、全てQの裏返しであった。私は実践的なQ批判としてmetaを構想し実行した。しかし、結局のところ、metaは少しも流通しなかった。私のmetaの実践は、地域通貨そのものの否定であった。流通(機能)しなかったのも、当然と言えよう。
 私がNAMやQにおいて「共同体」が問われていた、というのは、穂積一平や鈴木健太郎がNAMを「フリーター問題」として把握するのと同じである。 柄谷行人がNAMの原理で言う「自立した個人」とは、あからさまにいえば、「サラリーマン」のことを指していた(スペースAKでのヴィデオ参照)。しかるに、サラリーマンに倫理的契機(後に柄谷行人が「革命運動の動機」と呼んだもの)があるかどうかはそれ自身疑わしいのだが、NAMに集ってきた・そして何らかの発言や活動に携わることの出来た人たちの大多数は、フリーター・学生やそれに準ずる層であった。倉数茂のいう「ジャンク浪漫派」の運動といった趣きを呈していたといってもよい。要するに、NAMの原理が謳っていた「自立した個人」(サラリーマン)の安定の幻想が崩壊しつつある時代に、その事実を認識することなくサラリーマンを対抗の主体に据えた運動を開始したというところに、NAMの理念と現実の大きな乖離があった。Qの共同体創出的な実践は、そのNAMに実質的な何事か──人と人との絆の創出──をもたらした。
 私は再建される(!?)NAMにせよ、現存するQにせよ、金のある層、余裕のある層からアソシエーション運動なりLETSなりを広げていこうとするのであれば、そのような路線には一貫して反対である。「ルンペン優位」ということではないし、何が優位ということでもないのだが、資本主義の現実の動きのなかで「負け組」の生を否応無くされている「われら貧者たち」の問いが入らないのであれば、そんな運動には意味がない(少なくとも私自身にとっては)、と思う。
 私はNAMの原理が掲げていた、「自立した個人」という見てくれの良い標語自体に批判的だ。「自立した個人」がスペースAKでの柄谷行人の講演が言っていたように端的にサラリーマンのことを指すのであれば、正規雇用自体が崩れ、フリーターが増加している(私自身もそのようなフリーターの一人である)現実から乖離しているというべきである。今の新自由主義的な社会は、「自立」を、それが出来ない人たち(野宿者や障がい者)にも暴力的に強制してくるのだし、運動の単位を「個人」に求める、そして倫理は個人にしかないなどと個人を特権視するのも問題だと思う。(むしろ、「群れ」の倫理=習慣態の変革=組み替えを志向すべきではないのか。)精神科医の神田橋條治は、『精神療法面接のコツ』(岩崎学術出版社、p201)の自殺希求を訴える患者への対処を述べた箇所で、「「人という字は互いにもたれあって立っている」という言い回しが、最近聞かれなくなって、代わりに「自立」ということばが頻出するのは、悪貨が良貨を駆逐した例ではないかと思ったりする。」と述べている。社会運動においてもそうではないだろうか。例えばRAMカタログプロジェクトで、私は一時期(Qが始まった頃)「ニュー・アタラシキ・ムラ」(NAM)としてRAMの人間関係(友人関係)を肯定していたし、その後岡崎乾二郎の性急な呼び掛けで「変態から編隊へ」という標語を掲げてRAMが反戦運動にシフトした時も、やはり信頼ある友人間の連帯でそれを行った。かつてRAMの言説と実践を批判した(そして北川裕二・田口卓臣・岡崎乾二郎との間で論争になった)某氏に言わせれば、それは「こころよわい」者同士の内輪の繋がりに過ぎない、ということになるのかもしれないが、私は「こころよわい」者には「こころよわい」者なりの実践があるし、それは可能だと考えるのである。RAMの実践を特権視するつもりはないが(実際それはささやかなものだし、反戦運動に際して持ったインパクトについても過大評価すべきではない)、一般に「信頼」のないところに社会運動は成り立たないのではないだろうか。かつてのスペースAKやイモケンがそうであったと言われるような──勿論両者には差異があるが、悪意ある他者たちから後になって悪し様に言われたという点では共通している──、共同性や馴れ合いの押し付けがあってはならないが、しかし「友人」同士の「信頼」が必要であるという論点は譲れない。杉原正浩もかれ自身のNAM総括のサイト(http://park20.wakwak.com/~m.sugihara/)に、予告として「2)理論家と実務者 理論と責任、そして信頼」という項目を設けているが、NAMであれ他のものであれ、社会運動を問う時に「信頼」という問いは必須である。そしてそれは既に述べたような共同体の問いでもある。共同体の問いが、必然的に通貨の問い(信頼通貨であるLETSの可否という問い)を招来するのかどうかについては、正直に言って私には分からないというほかない。
 私が自己批判するとすれば、無名人の間の信頼や友情のみならず、著名人の権威に依存しがちだという点にある。NAMでは柄谷行人の、RAMでは岡崎乾二郎の、Qでは西部忠の、早稲田大学文学部ビラ撒き逮捕事件抗議の取り組みでは絓秀実の、今回の『重力03』寄稿では鎌田哲哉や西部忠の言説(文章)やイラストを自らの言説や実践が依拠する枠組みとして使っている、という点に。それは私の俗物根性かもしれないが、私自身の自我に何らかの欠陥がある(例えば、超自我が正常に機能しないため他者による補填を常に必要としている、など)可能性もある。西部忠からも批判された通り、私は「自分の言葉」というものを持ち合わせていないのである。それは私の決定的な欠点だと言える。とはいえ、私が超自我としたのは著名人だけではない。私はある時は柳原敏夫(朽木水)を、ある時は蛭田葵を、ある時は飛弾五郎を信頼ないし尊敬し、かれらとの交流の中で自己を肯定し活動してきた。今私がかれらを批判するとしても、その気持(かれらへの信頼感)にはいささかの変化もない。例えば私は、NAMの最初の会合に出た直後、NAMをもう辞めようと思っていた。スペースAKとNAM東京の抗争を知り、自分にはこうした中でやっていく自信がないと思ったからである。私がNAMを続けたのは、身近で世俗的な他者たちである朽木水(柳原敏夫)、高瀬幸途、蛭田葵、飛弾五郎、大和田善博、倉数茂などの人々を信頼したからであって、遠くにいる著名人である柄谷行人に感情転移していたからではない。勿論NAM原理を起草した柄谷行人は尊敬の対象であったが、NAM東京でのパソコン教室のささやかな実践から始まり、イモケンにおけるQ実践に至ったNAMの活動において、柄谷行人への感情転移から動いたという事実は(私の自己認識としては)ない。良くも悪くも、私は身近で世俗的な他者(無名人)たちに支えられて、かれらへの・そしてかれらからの信頼の中で、NAMやQを続けることができたのだ。NAMやQの実践を通じて得られた信頼関係は、私にとって、まさに一生ものの資産であり宝物であると言える(そしてそのような貴重な経験ができたのは、私が(くじ引き的に?)運が良かったからでしかない)。とはいえ、そのような人間関係のレベルでNAMやQを肯定するのは不十分である。理念のレベル(NAMであれば最大限綱領としての資本と国家の揚棄、Qであれば<可能性>である理念としての産業連関内包)も問われなければならない。そして本稿ではそのような純粋に理論的な問題は扱わない(私に理論的能力が欠けているために)。杉原正浩や西部忠がWEBや『重力03』で公開しようとしているNAMの理論的/実践的総括に期待したい。

 e)蛭田葵は、Qを盛んに使っていた時期もQを辞めた後も、自分こそ最もQを実際に使っているのだということを強調し、誇っていたが、蛭田葵にせよイモケンの人たちにせよ、単に(くじ引き的に?)運が良かっただけではないかという自省が欠けていた(る)ように思う。蛭田葵は土地や財産を持っているという点で特権的であったが、それは運が良かっただけだし、イモケンに集ってくる人たち(私を含めて)は、イモケンにアクセスできること、蛭田葵と人間関係を築くことが出来ていたことにおいて運が良かっただけであった。そのような幸運の自覚が欠けていたことが、蛭田葵を含めてイモケンに関わった人たちの実践の大きな問題点であったと私は思う。
 私はイモケンやTQC等を中心にQを実践していた時、いつも不安と疑念を感じていた。それは端的に言って、自分がこのようにQを使う機会がある、それで甚だ大きな享楽を得られているのは、関東在住で蛭田葵とも親しいという地理的・人間関係的な幸運に恵まれていたからであって、そうでない大多数のQ会員はQを使う機会がなく、Q取引プラスマイナス「0」のままであった、という事情があったからである。私はQ管理運営委員を務めていた時期から、そのようなQ取引プラスマイナス「0」の膨大なQ会員たちのことを憂慮し、かれらに申し訳ないと感じていた。私自身は(くじ引き的に?)運が良かったので、Qを使い、それを享楽することができていたが、地方在住のQ会員や、関東在住であっても蛭田葵やイモケンと人間関係のないQ会員にはQ取引の機会がほとんどない状況であった。私はそのような状況を変えたいと思っていたが、どうしていいか分からなかった。
 鎌田哲哉は、私の「独房Q」の言説を批判して、そこに東京(関東)中心主義的な「ローカリズム」があると述べている。それは確かにその通りだが、かつてのイモケンの実践にもそれが言える。一時期のQの爆発的な盛り上がりは、関東ローカル、それもイモケンの周辺に限定された現象であった。Q取引の多くを、限られた少人数の人たちが占めていたのであって、それ以外の多くのQ会員は取引0のままであった。勿論、蛭田葵やイモケンの人たちによって、幾度にも及ぶ東北遠征や蔵王Qool caféなどが実行されてきたのではあるが、しかしそれでも地方と東京(イモケン)の格差は歴然としていた。

 f)問題は、その後、Q講師たちがほぼ全員(関本洋司を除いて)、Q-hive(Q管理運営委員会)のみならずQそのものを辞めてしまった、ということである。恥ずかしながら私もそうなので人のことは言えないが、Qを自ら実践するのみならず、(特にNAMと何の関係もない)他者に勧めてQ会員になっていただくというのは、それなりの社会的責任を伴うことであるはずだ。それなのに、Q会員への説明責任を果たさず、Q管理運営委員のみならずQをも辞めてしまう、というのは、如何なものか。尤も、迷惑になるといけないので名前は挙げないが、2名ほどの良心的な人たちは、自己批判なり事情説明なりの文章を何度も何度も書いたが公表できなかったという話を聞いている。何度も書いたがうまく書けなかったので公表しなかった、Qを一所懸命やっている人に悪いから、というのである。私は、そのような人たちには、一定の倫理的責任感があった、と思っている。
 私を含めたQ講師たちは、或る人たちは柄谷行人に追従して喜んでQを辞めていき、或る人たちは柄谷行人や関井光男らの振る舞いに我慢できず・堪え切れずにQを辞めていった。自らがQ規約やWinds_qの操作方法を教え、Q入会を勧めたQ会員たちを後に残して。事情は各自あったにせよ、そのことには問題があったと考えている。
 Qを辞めなかった関本洋司にせよ、不正高額取引が本当に「不正」だったかどうか分からないとか、関井光男らの「契約解除」は当然の権利だったなどと言っているので、かれ自身柄谷行人の強い影響にあるままだと言うしかない。Q-NAM問題を批判的に総括するためには、柄谷行人の論理と理論から決定的に分離し、それと訣別しなければならないと私は考える。関本洋司は、QとLを理論的に両立させようなどとしているが、Lの発案者の柄谷祐人(原祐人)自身がLの構想を放棄しているという現実の前では、その宥和の試みは無惨である。

 g)ここで柄谷祐人・後藤学・福西広和によるWinds_q上の「不正高額取引」について触れておきたい。この事件は、3人が赤字上限ぎりぎりのQ取引(空取引)を繰り返すことで、赤字上限を極端に拡大した、というものである。この事件は、信頼に基くQコミュニティの本性上の脆弱さを示したと私は考える。共同体のルールを公然と破り・そのことに反省もないような他者(柄谷祐人のような)の前に、当時のQは無力であった。
 この事件が起きた当時、私は怒ったが、Q-hive(その審査部)が超越的に当事者たちを裁くのではなく、Qコミュニティが内在的に「評判原理」で対処するのが良策だと考えていた。何故なら、相対取引の原則があるから価格づけは個人の自由であったし、感謝の気持ちの表明や「投げQ」など必ずしもモノ・サービスの実体的なやり取りを伴わない取引も(文化的なメディアの機能=コミュニケーションの一環として)頻繁に行われていたからである。不正高額取引をした人たちの行為をプロバイダであるQ-hiveの審査部が裁くということは、自由な価格づけとか「投げQ」や批評としてのQ支払い等のQコミュニティにおける「慣習」をも否定することになるのではないかと私は懸念した。西部忠は、Q-hiveメンバーの信頼を回復するためにといって、「逆転満塁ホームラン」を狙ったというメールを送ってきたが、私は正直なところ失望した。他のQ-hiveメンバーの多くもそうだったと思う。というのは、そのメールでは、Q-hiveの審査部がQの価格づけや投げQなどに制約を設けることが提案されていたからである。私は、そのような案ではQ-hiveの審査部の負担が重くなり過ぎる(実際、全ての商品の価格を知っていることが前提される)し、Qコミュニティが自由の少ない「警察」的な息苦しいコミュニティになるように感じた。
 この不正高額取引事件では、柄谷祐人が通知してきた通り、物理的に傷付いたという意味での「被害者」はいない。私は今、早稲田大学文学部キャンパスでビラを撒いていた人が大学当局により拘束・警察に通報され逮捕された事件で、それに抗議する運動に署名し参加しているが、それと同じ論理で言えば、大学構内でビラ撒きをする行為に「被害者」がいないのと同様、Winds_q上の不正高額取引にも「被害者」はいないということになる。しかし問題は、不正高額取引が、「信頼」を原理とするQの根幹を破壊しようという悪意から企てられた行為だということである。蛭田葵は、不正高額取引について、「ユーモア」だなどと言っていたが、私はユーモアなど微塵も感じなかった。感じたのは悪意のみであった。事件が公になってから、柄谷祐人は、謝罪と称して、Q会員全員に「3Q」の投げQをしたが、それ自身Qそれ自体及び「投げQ」の慣習を皮肉り嘲弄する行為に他ならなかった。
 この事件において、当時スライド式で取引を繰り返す度に拡大するとされていた赤字上限の大小が当該のQ会員の信頼の度合いの指標であるという理論が反証されたのを認めないわけにはいかない。事実、Q-hiveは、その後赤字上限を固定制にしている。ここで思い起こさなければならないのは、Q取引の回数や量、それに伴って変動する赤字上限の大きさを競い合うようにしていた蛭田葵をはじめとするイモケンの人々のQ実践のことである。不正高額取引によって極端に拡大された赤字上限がその人たちの実際の信頼度の指標にならないというのなら、蛭田葵をはじめとする人たちの相当に拡大していた赤字上限も同じく、Q(やそれを通じて間接的にNAM)への貢献の指標、信頼度の指標ということにならないというべきではないか。蛭田葵をはじめとする(私自身も含めた)イモケンの人々の赤字上限拡大は正常なQ取引によって生じたものだから信頼度の指標になり、柄谷祐人らの極端に大きな赤字上限は空取引によって生じたものだから信頼度の指標にならない、とは言えない。むしろ、イモケンの人々の相対的に大きな赤字上限は、NAMやQへの依存の深さの指標、どれだけ「フェティシズム」に深く侵されているかの指標となっていたというべきである。福西美穂は、不正高額取引はQへの痛烈な批判であったと述べていたが、単に「運が良かった」だけなのに自分らこそQやNAMに最も貢献しているというイモケン学派の病理的な思い込みに対する痛烈な批判であったとも言えよう。
 だからといって、浅輪剛博が(「皮肉」としてであっても)Q-hiveのメールで述べたように、不正高額取引をした人たちに「感謝」したり「表彰」すべきだとは全く思わないが。鎌田哲哉も述べているように、不正高額取引以後、NAM会員=Q会員のQ批判は、公的な言論(討論)によるものではなく、実行行為への移行によるものに変化していく(吉永剛志のWinds_qのバグへの批判や、関井光男等の「告訴」恫喝など)。Qプロジェクトの路線・方針に疑問があるなら、NAM会員=Q会員はそれを公的に討論すべきであった。また、当時Q代表団は辞任して不在であったのだから、Q代表団の職務を引き受けるなどして自らの路線でQを運営していく、若しくは解散する、といったことが求められていた。しかし、NAM会員=Q会員たちは、そのような公的な討論や責任敢取をせず、「祭り」を病理的に享楽するか、或いは内心の良心の呼び声において不正を感じつつもそれを公的な討論の場で提起することができないまま沈黙したのである。

2006/01/15 自己批判2つ

自己批判・その1

http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/realitas/200601b.html#20060114
に関して以下の自己批判を行いたい。

1)私は森谷めぐみの好意を受けて、鎌田哲哉が私(攝津正)の「重力03」執筆に際して参考資料として送付する一方、刊行以前の公開を禁じた森谷めぐみの論文を、著者の森谷めぐみや編集責任者の鎌田哲哉の許可も得ずに約束を破って勝手に引用した。

2)鎌田哲哉にそのことの失礼を思い至り連絡したところ、鎌田哲哉から批判され、かれに求められて森谷めぐみ論文の引用を削除したにもかかわらず、それらの経緯には言及しないまま、削除した改稿をWEBに掲載した。引用は公開でやったのに、鎌田哲哉や森谷めぐみへの謝罪はこっそりと穏便にすませた。

3)上記のような、約束を守らないばかりかその指摘の後にさえ不都合な事実に言及しない姿勢には他者感覚が全く欠如しており、それは、Qユーザーのメールアドレスを不正取得、不正利用しながら同年の「和解の提案」(http://associationists.fc2web.com/sets0003.html)の中でその事実には一切言及しなかったかつての自分、あるいは大多数のNAM会員の行動様式の矮小な反復にすぎない。そうしたNAM会員における他者感覚の欠如は、早稲田大学文学部キャンパスでの不当逮捕への署名運動(http://wasedadetaiho.web.fc2.com/)に冷淡な早稲田大学の現役学生やOB・OGを含む一般の人々の精神的雰囲気と地続きである。私は私を誹謗中傷した人々に対して怒りを表明している(http://d.hatena.ne.jp/femmelets/20060104)が、私自身が、かつてNAMやQにおいて、柄谷行人の意向によりMLで袋叩きにされたり排除されたりしたNAM会員やQ会員(空閑明大、松本竜也、栗原信義、宮地剛など)に対してかれらを擁護・援護をした事実は一切なく、空閑明大の場合かれが柄谷行人によって強引にML(NAMの運動)から排除されるのを黙認し、松本竜也の場合自らもかれを強く批判し、栗原信義の場合NAM監査委員会における柄谷行人の指示を受けて私自らがかれをMLから排除し、宮地剛に対しても攻撃を続けたのだから、私自身、多数派の同調圧力の盛んな勢いで私を誹謗中傷した人々とかつて同じ体質を持っていた、と言える。故に私の怒りの発露は、自己批判でもあらねばならなかった、と考える。

4)私は自我に根底的な欠損があり、不注意や傲慢によるミスや過ちを犯すことが頻繁にあるが、それに関して、その都度自己批判を行っていきたいと考えている。そのような自己批判なしに、現実の社会的変革は不可能である。今後の「重力03」執筆や社会運動の実践一つ一つが、その実現のための模索としてある。

自己批判・その2

1)西部忠から指摘されて、以下の訂正を行いたい。lets_think MLに転送されたメールに関して、私はそのメールの著者を暴露したが、lets_think MLの性格を考えれば私のその措置は妥当とは言えなかった。故に、私は、基本的には実名による批判が望ましいと考えるものの、当該の人物に関しては匿名にした。そのことを明らかにし、当該の人物にお詫びしたい。

2006/01/17 SNSについて

以下、某MLに投稿した文章。

補足しておくと、Qに限らずネットコミュニティ通貨がSNSと連動することで、文化的
(倫理的)・経済的な効果を生み出せないか、と夢想中です。

かつて西部さんが想像したように、freemlを立ち上げるのと同じ簡便さでLETSを立ち
上げられるし(CCSP)、同様にSNSも立ち上げられるのです。

http://atpne.jp/

でも乱立したLETSなりSNSなりが豊かになっていくか、というとそうも思えませんけ
れど。


SNS、ブームですね。
報道番組で取り上げられたり、地方自治体が地域振興のために(!)導入しようとし
たりしている。
でも、自然発生的なブームのままに放置しておくと、いずれ衰退するのではないでし
ょうか。

私には今のSNSブームが、かつての地域通貨ブームと重なって見えます。

NAMやQといった実践と関わったので、ブームの時の熱狂と、ブームが過ぎ去ってから
の衰退ぶりの寂しさの両方が分かる気がします。私は、今、NAMやQなどといった基本
的には何の成果もなかった実践について、「共同体」の問い(また「フリーター問題」
の一環)としてそれを捉え返す草稿を長い時間を掛けて書いています。ご興味のある
方がいらっしゃれば(いないでしょうが)、以下をご覧ください。

http://groups.yahoo.co.jp/group/meta21/files/Q-NAM/20060106/

SNSはツールの一つだ、と私は考えています。
shuzoさんと同意見、ということになるかもしれません。

mixi内の書き込みで見たのですが、テキサスさんは徹底的な反mixi派らしいですね。
mixiに参加している奴は太陽肛門スパパーン友の会には入れない、と言っているらし
い(笑)。
私は、そこまで嫌わなくてもいいのでは、と思うのですが。

SNSを介して、新たな出会いがあることは事実だし、そこから社会運動や反戦・平和
運動等の新たな実践が広がらないとも限らないと思います。

> 私は、今、NAMやQなどといった基本的には何の成果もなかった実践

これは明らかに言い過ぎですね。失礼しました。

NAMの運動にはQという「成果」があったのです。それを度外視しては、「何の成果も
なかった実践」という不毛な総括に終わるほかありません。

Qの実践は、LETSを通じた共同体創出という成果があり、且つまた、都会で生活して
いる人間と東北の農家の出会いなど、豊かな邂逅を生み出しました。またTQCの意義
も忘れることはできません。

http://dp52008078.lolipop.jp/namtokyo/symposium.html

私自身がQ-NAM紛争というあからさまな「傷」を負っているために、認識に歪みや盲
点が生じることが多く、関係者の皆様には申し訳なく思いますが、基本的にはかつて
のQには意義があったし、今後のQの意義についてもQ会員たちの実践がそれを証明す
ることだろう、と思っています。

ともかく、「独房Q」を立ち上げた時から今に至るまで、Qの意義を十全に評価してこ
なかったと思います。Qには未完成なところや欠陥もあったかもしれませんが、一定
の成果・効果は持ったのです。私達はそれを享楽したはずです。それを忘却してしま
い、何の成果もなかったとか、無意味だったとかいうのはおかしいです。私はいまだ、
柄谷行人の「Qは終わった」がもたらした衝撃から自由になれてはいないようです。

2006/01/19 「事務局の問い」に加筆/「はじめに」を書く

以下、加筆部分。http://d.hatena.ne.jp/femmelets/20060118に加筆した。

草稿の全体は、http://groups.yahoo.co.jp/group/meta21/files/Q-NAM/20060118/ で見ていただきたい。

***
 柄谷行人が言及した「自己犠牲のメンタリティ」とはQ普及活動やQ-hiveの業務のことを指すと思われるが、杉原正浩が応答して述べている「自己犠牲」とはNAM内労働(NAM事務局労働)のことであった。「実際自分の中途半端な実務能力がその方面で役立つことも多いのではないかという予想もあった」と述べていることからも、それは明らかである。
 性急なQ普及活動に伴う「自己犠牲」については、私は「補論1.イモケン学派と共同体の問い」で言及し(自己)批判した。NAM内労働(NAM事務局労働)に伴う「自己犠牲」についても、NAMの(換言すればNAM代表柄谷行人やスペースAK・初代NAM事務局長乾口達司をはじめとする歴代事務局の)「路線」選択の誤りを指摘したい。既に述べたように、NAMの会員登録が激務となったのは、柄谷行人をはじめとする著名人がシンポジウム等でこぞってNAMを宣伝したため会員登録希望者が急増したからであるとともに、会員がどの系に登録しているかまでを(そしてML登録や削除までも)NAMセンター事務局が把握し実働しなければならない、というようなことが、NAMにはアナーキストの組織と違って「センター」があるという口実のもとに正当化されていたからである。このことは、NAM初代事務局長乾口達司やその背後にいたスペースAK経営者空閑明大に最高の責任があるし、かれらの路線を批判せず逆に追認することによって、結果的にNAMの実践を将来に渉って歪めてしまったNAM代表柄谷行人にも最高の責任がある。「私がNAMをはじめたのは、こういう自己犠牲のメンタリティを根本的に否定するためでした」と柄谷行人は述べているが、NAM内労働にせよQ普及にせよ、自己犠牲を不可避的に強迫するような路線を選択し決定し続けてきたのはかれ自身である。
 杉原正浩の応答もどこかおかしい。かれは自分が「実践に没頭しようとしてき」たというが、その「実践」とは、対外的な成果を生む・言い換えれば資本と国家に実際に対抗する運動の何らかの実践のことではなく、「NAM内労働(NAM事務局労働)」のことであった。ここには確かに倒錯がある。杉原正浩は理論と実践の分業の問題として本件を取り扱っているが、私の見るところでは、そうではなく、これは実践上の(きわめて実際的で現実的な)路線選択の問題であった。(杉原正浩は柄谷行人に対して、何故、何を謝罪・弁明しているのか? 仮にNAM(NAM事務局)の実践が、対外的成果を伴わない内向きのもの、それも「赤軍的」な「自己犠牲」になってしまっていたのだとしたら、そのことの最高責任は、そのような自己犠牲を必然化する路線を選択したかつてのNAM代表=柄谷行人にあることは自明ではないか! 杉原正浩の自己批判は、仮にそれが正当なものであったとしても、柄谷行人批判を同時に伴うべきものであった。天皇の戦争責任が問われなければならないのと同様、柄谷行人のNAM責任も問われなければならないのだ。)杉原正浩は、NAM初代事務局が選択しNAM代表柄谷行人が追認した路線を無批判に継承し、何故このような仕事が必要なのかを問うことをしないまま(どのような事務作業が必要なのかの判断を「理論家」に委ねつつ、盲目的に)過重な事務負担を担い続けるべきではなく、必要な仕事とそうではない仕事を分け、事務作業を合理化していくべきであった。それは杉原正浩のみならず、歴代事務局全てにおいて言える。例えば太田出版にあったNAMセンター事務局においては、太田出版の社員が、社長の高瀬幸途の厚意と庇護の下、会社で仕事をする時間をNAMのほうに割いて事務作業をしていた(毎日数時間)。NAM事務局の作業の合理化・削減・スリム化に取り組んだ(少なくとも、提言した)のはNAM事務局長浅輪剛博が最初であった。それまで誰も、過重な実働なるものの必要性如何を問わず、既存の路線・方針を無批判に踏襲してきた、そしてQ支払いによって過重な実働による負担に対処できるなどと考えていたのである。
 恐らく「青春を返せ」問題をLETS支払いで解決できるという見通し自体が甘く、逆にそのことを口実に過重な事務負担を正当化してしまっていたのだ。書物としての『NAM原理』(太田出版、p104-105)において、柄谷行人は次のように述べている。

「われわれの運動は、それ自体NAMの原理の実験でもある。さらに、NAMでは、その内部で、LETS(地域通貨NAM)を採用しようと思っています。NAMでの活動は無償のボランティアですが、実は「タダほど高くつくものはない」のです。ボランティアの奉仕は、奉仕自体によって報われる、とはいえるのですが、必ずしもそうではない。たとえば、事務的な労働をしてもらうとき、私はいつも負担を感じています。個人的にはお金を払いたいぐらいです。しかし、それではアソシエーションの運動にならない。また、自発的な活動は、そのときはいいが、挫折してやめてしまうときには、裏切られた、青春を返せ、というようなことになりがちです。私はかつて文芸批評家として、そのようなことを書いた「挫折」小説をずいぶん読まされましたが、正直いって、アホとしか思えませんでした。しかし、自発的にやったのだから、その責任は当人自身にあると、指導者がいうとしたら、そのような組織は致命的にダメです。運動が持続的であるためには、ボランティアや革命的精神だけでは無理です。ところが、奉仕(贈与)が、一定のお返しを受けるのであれば、こうした問題は起こらないのではないか。しかも、そのお返しが、貨幣ではなく、LETSであることで、互酬制交換の輪が広がることになる。私は、NAMに参加するか否かに関係なく、一般に、市民運動などでもこのやり方を勧めたいと思います。改めていいますが、NAMの目的は、NAMが組織的に強大化することなどではなく、NAM的なものが広がることなのです。」

 先ずこのくだりでは、「われわれの運動は、それ自体NAMの原理の実験でもある。」ことが明言されているが、これではNAM会員自体が柄谷行人の理論の実験に使われたモルモットであったことが露わなのではないか。勿論、「実験」であることを承知の上で、自らを実験台として差し出した私達NAM会員にも自己責任はあるけれども。
 そして、「たとえば、事務的な労働をしてもらうとき、私はいつも負担を感じています。個人的にはお金を払いたいぐらいです。しかし、それではアソシエーションの運動にならない。」──故にLETSで支払う、と述べているが、お金やLETSを払う、払わない、ではなく、事務作業そのものを簡略化・合理化・軽減することを何故考えないのか。他の左翼運動・市民運動・社会運動で、会員登録・会員管理の事務作業が過重でそれと実際の対外的運動が取り違えられる倒錯があった、などという現象が一つでもあるか。そんな馬鹿な話はNAM以外何処を探しても無いのであって、それは結局、NAMが(そして柄谷行人が)、将来LETSを支払うからという口実(正当化)をもって過重な実務や自己犠牲を必然化するような路線を選択してしまった、ということでしかない。具体的にいえば、会員登録・会員管理を各系に委ねずセンターが全てを掌握するという発想だ。繰り返しになるが、スペースAKでの実践(空閑明大)にその端緒があるとはいえ、柄谷行人自身のNAM代表としての追認により、そのような「センター」という発想が事務作業を著しく過重なものにしてきたのだ。
 次いで、「また、自発的な活動は、そのときはいいが、挫折してやめてしまうときには、裏切られた、青春を返せ、というようなことになりがちです。」と述べているが、そのようなことになるのは、労働に対価が支払われなかったからではなく、当該運動の路線が公的に誤っていたからではないのか。対価(円であれ、LETSであれ)を支払うかどうかと相対的に無関係に「挫折してやめてしまう」ことは起こり得るのではないか。私の早稲田大学での唯一の親友がそうだった。ノンセクトの学生運動に挫折して──その根本的理由は運動の中心人物への感情転移からくる崩壊にあった──やめてしまい、鬱病・麻薬中毒になって、人生的な破綻を迎えた。私はボロボロになってしまったかれの姿を決して忘れない。私はそのような犠牲を生み出す運動がダメだと思いNAMに入ったが、結局NAMでも中心人物への感情転移に基いて組織形成がなされ、当該人物の恣意的な意向で組織の公的な路線が決められていくという点では、他のダメな運動と変わりがなかった、と言える。ひびのまことが言う意味で、社会運動は公的なもの、みんなのものであるべきなのだ。
 さらに「しかし、自発的にやったのだから、その責任は当人自身にあると、指導者がいうとしたら、そのような組織は致命的にダメです。運動が持続的であるためには、ボランティアや革命的精神だけでは無理です。ところが、奉仕(贈与)が、一定のお返しを受けるのであれば、こうした問題は起こらないのではないか。しかも、そのお返しが、貨幣ではなく、LETSであることで、互酬制交換の輪が広がることになる。私は、NAMに参加するか否かに関係なく、一般に、市民運動などでもこのやり方を勧めたいと思います。改めていいますが、NAMの目的は、NAMが組織的に強大化することなどではなく、NAM的なものが広がることなのです。」というくだりであるが、根性論・精神論(早稲田大学のノンセクトの学生運動で顕著であった)を否定するのはいいとしても、「奉仕(贈与)が、一定のお返しを受けるのであれば、こうした問題は起こらない」かどうかは「実験」が済んだあとにしか分からないはずではないか。それなのに、「私は、NAMに参加するか否かに関係なく、一般に、市民運動などでもこのやり方を勧めたいと思います。」と他の市民運動にこの方式を推薦してしまっている。吉本隆明が何処かで、「思想を売るということは恐ろしいことである」という意味のことを述べている。吉本隆明の強い影響下からエディプス的に出てきた柄谷行人が、吉本隆明のそのような思想を知らないはずがない。それなのに柄谷行人は、自分自身が生身の肉体を晒して実践・実験してみたわけでもない思想(=NAMの原理)を売り、多数の人々をNAM会員として巻き込んだばかりでなく、NAM以外の市民運動や資本制企業等の他者に対してもまだ自分達が「実験」に成功してさえいない「技術」(くじ引きやLETS対価支払い等)を勧めたのである。しかも、柄谷行人は、今なおNAMの失敗に関して何ら反省がなく、ユーゴスラヴィアの活動家からNAMの原理を知りたいと連絡が来たとか、NAMは実践的にはこれからだ、などと文芸誌での座談会やオフ会で述べている。まさにNAMの実践そのものによって、明確に反証された原理が幾つもあるのではないのか。そのことの徹底した認識(反省)なしにNAM(その現実の実態のみならず理論としてのNAM原理)を肯定していいのか。太田出版の『NAM原理』冒頭(p11)にある、

「資本と国家を揚棄することを課題とする運動はすでに二世紀に近い歴史をもっている。それはユートピア社会主義と呼ばれたり、共産主義と呼ばれたり、アナーキズムと呼ばれたりした。しかし、二〇世紀の末に、それらが最終的に無惨な結果に終わったことを認めなければならない。もちろん、資本主義のイデオローグが何といおうと、資本と国家が存続するかぎり、それらに対抗する運動が不可避的に生じる。だが、それが真に新しく、有効な運動であるためには、過去の革命運動への根本的な反省が不可欠である。たんなる修正や弥縫によって、社会主義的運動が回復されるはずがないし、されるべきでもない。」

という言葉は、今やNAMそれ自体に向けられるべき言葉である。たんなる修正や弥縫によって、NAMの運動が回復されるはずがないし、されるべきでもない。

「はじめに」を書いた。ご意見・ご感想はメールでお願いします。

***
はじめに

 『Q-NAM問題-1』の冒頭でも断り書きを入れたように、本稿の全体が、鎌田哲哉からの倫理的要求への応答として書かれている。本稿はそれ以上でもそれ以下でもない。私は『重力』同人ではないし、『重力』の基本理念や路線を了解(承認)しているわけでもない。というより、『重力』を読んだこともない。私は、単に、鎌田哲哉やそしてとりわけ西部忠に対して、倫理的に応答する義務が誰よりもある、と考えただけである。それは柄谷行人の提唱した「Q解体」路線に従ってQを破壊・解体しようとしたNAM会員=Q会員は多数いたが(柄谷行人、柄谷祐人、後藤学、福西広和、関井光男、山住勝広、杉原正浩、柳原敏夫(朽木水)等々)、私の攻撃ほどに大規模で甚大な被害をQに対して及ぼしたものはなかったからだ。
 私自身がNAM解散後すぐ作成した「独房Q」MLの参加者や2003年に引き起こした大々的なQ破壊・Q関係者誹謗中傷である「一斉同報メール」(=「負け犬の最後の闘争」)を支持してくれた人たちには、私の立場の変化は唐突に映るかもしれないし、いぶかしく思われるかもしれない。それで、少し説明しておきたい。
 私の立場の変化は、宮地剛と穂積一平によるlets_think MLの全面公開を受けてそれの全文を読み、そこにはひどい表現はあったかもしれないがQ代表団として裏で公的な路線を決めていた事実はないこと、言い換えれば「謀議」の事実がないことを確認したことと、同時に公開された「その後の意見」における柳原敏夫(朽木水)批判を読み、Q-NAM問題の根幹はQ幹部の非人間性ではなく、むしろNAMの側にある、と気付いたからである。具体的には、私の「超規約的」提案に続くNAM会員=Q管理運営委員のQ-hiveからの一斉大量退職という出来事が、柄谷行人による暗黙の強制や脅しに基くものであった、という事実を想起したのだ。それは、NAM末期の組織的変質と密接に結びついていた。私は、そのことを公的に認め、(自己)批判しなければならないと考えた。
 私の変化は、柄谷行人を今でも支持する人から見れば、「転向」に映るかもしれない。事実、一種の「転向」があった。私は、「NAMの原理の原理主義者」であることをやめ、NAMの「遺伝子」(岡崎乾二郎)とか「ハードコア」(西部忠)といわれていた憲法にあたる部分すら、批判や再考が必要だと考えている(general boycott、くじ引き、「自立した個人」=サラリーマンによる生産協同組合の独立起業、LETSによる資本主義揚棄等)一方、Qに関しては、「産業連関内包説」という<可能性>としての理念(西部忠)については態度保留しているものの、一つの実現したオンラインLETSとして、かつても今も一定の意義・成果があるものと考えている(詳しくは『補論2.イモケン学派と共同体の問い』参照)。とはいえ、私は、対抗運動・社会運動をやめたつもりはないし、今後もやめるつもりはない。その意味では、「転向」していない。NAMの原理を実現(遵守)しなかったからNAMが壊れたのだとしたら、また一から再建すればいいし、NAM自体が失敗だと分かれば、非NAM的な社会運動・対抗運動を始めればいいだけだと考えている。
 樋口陽一『先人たちの「憲法」観──”個人”と”国体”の間──』(岩波ブックレットNO.518、2000年、ISBN4-00-009218-9、p43-45)に三島由紀夫の『英霊の声』を批判したくだりがある。それは『英霊の声』から以下のくだりを引用している。

「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」
「陛下がただ人間と仰せ出されしとき
神のために死したる霊は名を剥脱せられ
祭らるべき社もなく
今なおうつろなる胸より血潮を流し
神界にありながら安らひはあらず」
「……
されど、ただ一つ、ただ一つ
いかなる強制、いかなる弾圧
いかなる死の脅迫ありとても
陛下は人間なりと仰せらるべからざりし」

 ここでの天皇を柄谷行人に置き換えてみれば面白いかもしれない。柄谷行人に帰依する人々にとって「されど、ただ一つ、ただ一つ/いかなる強制、いかなる弾圧/いかなる死の脅迫ありとても」許せないこととは、柄谷行人の理論的言説=NAMの原理の誤謬を公的に認め(自己批判し)、総括することであるに違いない。NAMの自己批判がないかぎり、かれらはNAMが解散しても、良かれ悪しかれ自分がNAM的だと信じる活動を継続するに違いない。私は元NAM会員が社会運動にコミットすること自体を批判しようとは思わない。しかし、NAMの経験の総括やNAMの理論的/実践的自己批判なしにそうするのであれば、かつての柳原敏夫(朽木水)の言葉を借りれば、「ただの屍に、依然、自分たちの理想を押し付けて、屍と共に幻想の中を虚しく生きるだけ」なのではないのか。

「或る理想を目指した運動が失敗に終わることはザラにあります。しかし、真に
理念を持ち続ける勇気があるならば、死ぬことを恐れる理由はありません。そ
こから再び、次の運動に挑戦すればいいからです。
ただし、そのためには、その運動は二度死ななければなりません。
一度目は、自らの未熟さと至らなさで事実として死んでしまったことであり、
二度目は、その死んだ事実を事実として認識し、そのような死をもたらした原
因を可能限り徹底して認識することです。つまり、死に至る過程を再度、追体
験することです。さもなければ、ただの屍に、依然、自分たちの理想を押し付
けて、屍と共に幻想の中を虚しく生きるだけだからです。」

 2003年に「負け犬の最後の闘争」を提起し実行した時から、私はこの方針をQのみならずNAMにも適用すべきだと主張し、且つそうしてきた。しかるに、それは不十分であった。本稿の総体が、私なりの限界を持ちつつ、それを徹底して実行しようとする試みである。
 樋口陽一は、そのエッセイを次のように結んでいる。

「道義の源泉として位置づけられていた、神としての天皇が不在となったあと、公共社会を支えるエートスを、どうやって編みあげてゆくか。三島の「英霊」と反対むきのよびかけを、ひとりの青年士官・白渕大尉が、こう言いのこしています。──「……負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ……敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ再生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」(吉田満『戦艦大和ノ最期』一九五二年)。半世紀を費やして、日本社会はまだ、この、さわやかなまでにも悲痛な声に、答えていません。」

 ここでも、「道義の源泉として位置づけられていた、神としての天皇が不在となったあと、公共社会を支えるエートスを、どうやって編みあげてゆくか。」という問いを「道義の源泉として位置づけられていた、神としての柄谷行人が不在となったあと、公共社会を支えるエートスを、どうやって編みあげてゆくか。」と言い換えることが可能である。大袈裟に聞こえるかもしれないが、現に柳原敏夫(朽木水)によるQ批判(倫理的=人間的な断罪)は、あからさまに柄谷行人の言動(京都会議)を「道義の源泉」とするものであった。
 そして、ここで「三島の「英霊」と反対むきのよびかけ」と言われている、「……負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ……敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ再生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」という声は、「日本」をNAMに置き換えれば、そのまま私達のものである。そしてNAMは「この、さわやかなまでにも悲痛な声に、答えてい」ない。言い換えれば、虚妄の(脳内)「勝利」を放棄し、事実としての「敗北」を公的に認めること(「負ケテ目ザメルコト」「敗レテ目覚メル」こと)ができていない。
 私の「転向」は、「神界」にある「英霊」から世俗的な人間世界に身を置いて生きる一人の人間(白渕大尉)への、態度変更である。言い換えれば、死者から生者への「転向」である。私の考えでは、それは根本的に倫理的なものである。そして本稿は、無神論(宗教批判)としてのNAM批判に当たるものである。
 「独房Q」を始めた頃、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判序説』(岩波文庫『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説』p71-73、*で囲んだ語句は傍点付き)から引用し、それをQに適用して批判したことがあった。

 「ドイツにとって*宗教の批判*は本質的にはもう果されているのであり、そして宗教の批判はあらゆる批判の前提なのである。
 誤謬の*天国的な祭壇とかまどのための祈り[oratio pro aris et focis]*が論破されたからには、その巻添えをくって誤謬の*現世的な*存在も危くされている。天国という空想的現実のなかに超人を探し求めて、ただ自分自身の*反映*だけしか見いださなかった人間は、自分の真の現実性を探求する場合、また探究せざるをえない場合に、ただ自分自身の*仮象*だけを、ただ非人間だけを見いだそうなどという気にはもはやなれないであろう。
 反宗教的批判の基礎は、*人間が宗教をつくるのであり*、宗教が人間をつくるのではない、ということにある。しかも宗教は、自分自身をまだ自分のものとしていない人間か、または一度は自分のものとしてもまた喪失してしまった人間か、いずれかの人間の自己意識であり自己感情なのである。しかし*人間というもの*は、この世界の外部にうずくまっている抽象的な存在ではない。人間とはすなわち*人間の世界*であり、国家であり、社会的結合である。この国家、この社会的結合が*倒錯した世界*であるがゆえに、*倒錯した世界意識*である宗教を生みだすのである。宗教は、この世界の一般的理論であり、それの百科全書的要綱であり、それの通俗的なかたちをとった論理学であり、それの唯心論的な、体面にかかわる問題[point d'honneur]であり、その熱狂であり、それの道徳的承認であり、それの儀式ばった補完であり、それの慰めと正当化との一般的根拠である。宗教は、*人間的本質*が真の現実性をもたないがために、人間的本質を*空想的に実現したもの*である。それゆえ、宗教に対する闘争は、間接的には、宗教という精神的*芳香*をただよわせている*この世界*に対する闘争なのである。
 *宗教上の*悲惨は、現実的な悲惨の*表現*でもあるし、現実的な悲惨にたいする*抗議*でもある。宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の*阿片*である。
 民衆の*幻想的な*幸福である宗教を揚棄することは、民衆の*現実的な*幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想を棄てるよう要求することは、*それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求すること*である。したがって、宗教への批判は、宗教を*後光*とするこの*涙の谷[現世]への批判の萌し*をはらんでいる。
 批判は、鎖にまつわりついていた想像上の花々をむしりとってしまったが、それは人間が夢も慰めもない鎖を身にになうためではなく、むしろ鎖を振り捨てて活きた花を摘むためであった。宗教への批判は人間の迷夢を破るが、それは人間が迷夢から醒めた分別をもった人間らしく思考し行動し、自分の現実を形成するためであり、人間が自分自身を中心として、したがってまた自分の現実の太陽を中心として動くためである。宗教は、人間が自分自身を中心として動くことをしないあいだ、人間のまわりを動くところの幻想的太陽にすぎない。」

 私は2003年1月に、自らのQ普及実践を自己批判して、これを以下のように言い換えた。

 「NAMにとって*Qの批判*は本質的にはもう果されているのであり、そしてQの批判はあらゆる批判の前提なのである。
 誤謬の*天国的な祭壇とかまどのための祈り[oratio pro aris et focis]*が論破されたからには、その巻添えをくって誤謬の*現世的な*存在も危くされている。天国という空想的現実のなかに超人を探し求めて、ただ自分自身の*反映*だけしか見いださなかった人間は、自分の真の現実性を探求する場合、また探究せざるをえない場合に、ただ自分自身の*仮象*だけを、ただ非人間だけを見いだそうなどという気にはもはやなれないであろう。
 反Q的批判の基礎は、*人間がQをつくるのであり*、Qが人間をつくるのではない、ということにある。しかもQは、自分自身をまだ自分のものとしていない人間か、または一度は自分のものとしてもまた喪失してしまった人間か、いずれかの人間の自己意識であり自己感情なのである。しかし*人間というもの*は、この世界の外部にうずくまっている抽象的な存在ではない。人間とはすなわち*人間の世界*であり、国家であり、社会的結合である。この国家、この社会的結合が*倒錯した世界*であるがゆえに、*倒錯した世界意識*である宗教を生みだすのである。Qは、この世界の一般的理論であり、それの百科全書的要綱であり、それの通俗的なかたちをとった論理学であり、それの唯心論的な、体面にかかわる問題[point d'honneur]であり、その熱狂であり、それの道徳的承認であり、それの儀式ばった補完であり、それの慰めと正当化との一般的根拠である。Qは、*人間的本質*が真の現実性をもたないがために、人間的本質を*空想的に実現したもの*である。それゆえ、Qに対する闘争は、間接的には、Qという精神的*芳香*をただよわせている*この世界*に対する闘争なのである。
 *Q上の*悲惨は、現実的な悲惨の*表現*でもあるし、現実的な悲惨にたいする*抗議*でもある。Qは、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の*阿片*である。
 民衆の*幻想的な*幸福であるQを揚棄することは、民衆の*現実的な*幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想を棄てるよう要求することは、*それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求すること*である。したがって、Qへの批判は、宗教を*後光*とするこの*涙の谷[現世]への批判の萌し*をはらんでいる。
 批判は、鎖にまつわりついていた想像上の花々をむしりとってしまったが、それは人間が夢も慰めもない鎖を身にになうためではなく、むしろ鎖を振り捨てて活きた花を摘むためであった。Qへの批判は人間の迷夢を破るが、それは人間が迷夢から醒めた分別をもった人間らしく思考し行動し、自分の現実を形成するためであり、人間が自分自身を中心として、したがってまた自分の現実の太陽を中心として動くためである。Qは、人間が自分自身を中心として動くことをしないあいだ、人間のまわりを動くところの幻想的太陽にすぎない。」

 しかし、今になってみれば、「宗教」に「Q」を代入すべきではなく、むしろ「NAM」を代入すべきであった。Qは世俗的であるが、NAMのほうは、「資本と国家の揚棄」という「最大限綱領」を掲げ、それによって個体の死(と生)を意味付けていたからである。さらにいえば、NAMの原理の言説総体が「交換」という語を基礎概念とするあからさまな形而上学であることを付け加えておきたい。それは、人間の営みの総体を「交換」に還元したうえで、どこにもない第4の交換「アソシエーション」に希望を見出そうとしたものなのである。しかるに、この「アソシエーション」なる語の用法は多義的で、概念として十全に(実在的に)規定されていなかった。むしろ、「アソシエーション」という隠語の使用は、NAMをあからさまに(世界)宗教じみたものにしてきたのである。

「反NAM的批判の基礎は、*人間がNAMをつくるのであり*、NAMが人間をつくるのではない、ということにある。しかもNAMは、自分自身をまだ自分のものとしていない人間か、または一度は自分のものとしてもまた喪失してしまった人間か、いずれかの人間の自己意識であり自己感情なのである。しかし*人間というもの*は、この世界の外部にうずくまっている抽象的な存在ではない。人間とはすなわち*人間の世界*であり、国家であり、社会的結合である。この国家、この社会的結合が*倒錯した世界*であるがゆえに、*倒錯した世界意識*である宗教を生みだすのである。NAMは、この世界の一般的理論であり、それの百科全書的要綱であり、それの通俗的なかたちをとった論理学であり、それの唯心論的な、体面にかかわる問題[point d'honneur]であり、その熱狂であり、それの道徳的承認であり、それの儀式ばった補完であり、それの慰めと正当化との一般的根拠である。NAMは、*人間的本質*が真の現実性をもたないがために、人間的本質を*空想的に実現したもの*である。それゆえ、NAMに対する闘争は、間接的には、NAMという精神的*芳香*をただよわせている*この世界*に対する闘争なのである。
 *NAM上の*悲惨は、現実的な悲惨の*表現*でもあるし、現実的な悲惨にたいする*抗議*でもある。MA<は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の*阿片*である。
 民衆の*幻想的な*幸福であるNAMを揚棄することは、民衆の*現実的な*幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想を棄てるよう要求することは、*それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求すること*である。したがって、NAMへの批判は、宗教を*後光*とするこの*涙の谷[現世]への批判の萌し*をはらんでいる。」

 蛭田葵が典型だが、NAMについて、「数十年単位、数百年単位の運動」だと強調するようなNAM会員がいた。それは、自らの生の内部においてはNAMの究極目標は実現できないということの承認であるとともに、遠い未来に実現される(はずの)革命によって現在の生(と死)を意味付けようとする宗教的態度であった。(とはいえ、柄谷行人によって、遠い将来にではなく、今ここで実現されるコミュニズムとして、LETSが意味付けられていたことも付言しておかねばならない。私を含め、多数のNAM会員=Q会員がQ普及活動に狂奔したのは、「今ここで」実現されるコミュニズムという考えに魅了されたからであった。)個体の死を意味づける言説であるという意味で、NAMはあからさまに宗教的であり、ナショナリズム的であった。
 本稿は、そうした意味での宗教批判=NAM批判である。しかし、本稿の限界もそこにある。柳原敏夫(朽木水)が採用した二分法(「経済(理論)−倫理(人間性)」)に基いて言えば、「倫理(人間性)」にのみ注目し分析した、というのがその限界である。「経済(理論)」の面でのNAM批判に関しては、私はほとんど全く出来なかった。それに関しては、他の方の総括の試みを待ちたい。私が言いたいことは、対外的には何の成果も生まなかったNAMの理論的言説と実践的経験とを批判的に総括して、現実社会の変革に向かわなければならないということ、資本と国家に現実に対抗する運動に参加しなければならないということに尽きている。未来のアソシエーショニズムにとって、「NAMの批判はあらゆる批判の前提」である。その観念的な倒錯を徹底的に批判して、内向きでなく外に向かう開かれた公的な運動を構築していかなければならないのだ。

元気ですかー?