(一通目)
平岩さん(ジュリアンさん)、酒井さんのインタビューをどうもありがとうございま
した。これなら、私にも理解できました。著作は難しくても、インタビューや講演は
平明。というのは吉本隆明やフーコーにも感じていたことですが、酒井さんの場合も
そうですね。
特に共感したのは以下の部分ですね。
> ■不安が生み出す暴力。
>
> 日本では、その暴力が外に対してではなく、自分に向かっているのです。自殺者は
> 年間三万人を超え、自殺未遂はその三、四倍と言われる。報告されていないケースも
> たくさんあります。
>
> ■経済が好転すれば問題は解決するのでしょうか。
>
> 単に「不況が悪い」という話ではありません。製造業の省力化や情報化など、産業
> 構造が変化する中で労働力をかつてのように必要としない社会が到来しました。これ
> は社会科学で「ポスト労働社会」と呼ばれています。実際、経団連は「正規労働者は
> 全労働者のうちの一握りにする」という姿勢を打ち出し、その通りパート社員や契約
> 労働者が増えている。それに伴って労働環境が極めて悪化している。
>
> ニートやひきこもりの話になると、「心の問題」のような精神論になるが、まず
> 「人間を必要としない」現代社会が構造的に生み出している問題と考えなければなり
> ません。
ニート・フリーターのみならず引きこもり・メンヘラーの「死屍累々」のサヴァイヴ
ァルというのは、他人事ではなく自分の問題だと思っていますが、「労働力をかつて
のように必要としない社会」(それなのに自由・豊かにはなれない−−何故でしょう
か? かつて展開されていたような余暇論、自由時間論などは所詮ユートピア的な夢
物語に過ぎなかったということでしょうか?)のなかで、どのようにし居場所を見つ
け或いは創出していくか、酒井さんが著作で用いていた語でいえば「根」をどのよう
にして見出していくか、というのは大切な問題だと思います。
酒井さんの話とは関係ないのですが、先日の臨時会議でも香田証生さんの死のインパ
クトについて議論になったので、それに触れて私の知り合いの小説家(といっても自
費出版です)が「人を喰う話」という「絵本」を構想しているので、それを紹介した
いと思います。全然、「運動」ちっくではないのですが…。
●人を喰う話
http://www.geocities.jp/si_garden/hitokui/hitok0.html
菅原正樹さんは香田証生氏に捧げるとして、次のように述べています。
「この青年の無謀な行動を、世間の人は「馬鹿」と呼んでいる。終わりなき日常に耐
え切れず、非日常世界へと引きこもろうとする今どきの日本の若者の典型なのだと。
しかし、世界が意味しているのは、あのような戦場こそが日常なのではないか、とい
うことではないだろうか? 私は夢想するのだ。時差でしかない今の日本の日常を捨
てて、引きこもりの若者たちがあの現地へと赴き、非日常的でしかありえないかもし
れない平和を建設しようと、次から次へと自らの首を差し出してゆく様を。この無抵
抗による世界への反逆は、逆しまな抵抗を漢心(からごころ)として退ける日本浪漫
派的なイロニーにしかならないのかもしれない。がだからまた私は、こうも残念がら
ずにはいられないのだ。彼があと3年の歳をとっていたら、と。13歳とが、人類学的
にも近代法的にも、大人への通過儀礼的な境界であるとしたら、26歳とは、それがも
うひとめぐりした年齢である。世界市民を説くカントによれば、そのおよそ10年の経
巡る歳月とは、生殖能力のつく自然的大人としての生存を超えて、人間が他人と共栄
していく技術の習得に必要な時間ということである。この人為的な年齢の獲得におい
て、はじめて世界市民としての成熟が資格されるというのだ。切腹自殺した三島由紀
夫は、前者の子供と大人の境界をめぐる小説をものしている(『午後の曳航』)。そ
してドストエフスキーは『白痴』において、日本人の恥による割腹という馬鹿げた文
化的儀礼を注視しているが、その主人公ムイシュキンは27歳である。彼は生き長らえ
て、精神病院へと返っていった。世界は、何も変わってはいないのだ。「ならばもう
一度!」 ニーチェもそう言うように、「洞察力を持った白痴(バカ)」たちは叫ぶ
のである。」
菅原正樹さんのホームページは以下です。
●ダンス&パンセ
http://www.geocities.jp/si_garden/
また、私の運営するホームページ「あらゆるアソシエーショニストたちのための広場」
にもエッセイを寄稿していただいています。
●あらゆるアソシエーショニストたちのための広場
http://associationists.fc2web.com/
・ホームレスと
http://associationists.fc2web.com/sugawara0003.html
・引きこもりからフリーターということ
http://associationists.fc2web.com/sugawara0006.html
「また大学(文学部)卒業後、都市部の地方銀行に就職してから外資系企業やなんや
に転職していた4つ年上の兄が、とうとう病として倒れ入院したのもその頃である。
社会に出て行った兄は発病し、引きこもった私はそれを逃れたのだ。」
とありますが、このお兄さんの病気とは統合失調症です。早稲田ノンセクト界隈の文
脈でいえば、早稲田大学文学部での不当逮捕抗議のホームページで署名もしメッセー
ジも寄せている(菅原さんも署名しメッセージを寄せていますが)「おいどん」さん
の運命を連想せずにはいられないでしょう(QTさんやういすさんは「おいどん」さ
んのことはご存知ですか? 尾原さんは勿論ご存知ですよね)。私は在学中、「おい
どん」さんに誘われて東郷健の引退記念講演会というのに参加したのが楽しい思い出
としてあります。その頃「おいどん」さんは元気でした。その後人生の転変があり、
私もかれもすっかり別人のように変わってしまった…というと感傷的になりますが。
「勿論、あらゆる人生は崩壊の過程である」とフィッツジェラルドがその随筆『崩壊』
で述べているとドゥルーズが述べていますが、崩壊の過程としてあるわれわれの生の
うちで、その生を肯定し新たな次元を創出していく何かを探し求めていきたいと思っ
ています。「死屍累々」のサヴァイヴァルが私の課題です。
(二通目)
世界社会フォーラムからの私の投稿です。
パレスチナの人々の闘いを讃美するだけではなく、日本の私達こそ変わらなければな
らない、「先進国」、日本の政策や社会構造をこそ変えなければならないという思い
をこのニュースを聞いて強くしました。
パレスチナ・フォーラムのMLに以下の投稿をしました。世界社会フォーラム宛ての稲
場さんの投稿を参照したので、こちらにも投稿します。
個人的にはせっかくの稲場さんの問題提起がその後議論を深められず放置されている
現状を残念に感じています。
早尾さん、皆さん
>
http://palestine-heiwa.org/note2/200602020150.htm
>
>
> 加えて言うべきことは、やはり日本も含めた諸外国は、いまさらハ
> マスとは何者かと問うよりも、パレスチナ人の民意が何に対して NO
> を突きつけたのか、オスロからの十数年間を反省すべきなのだと思い
> ます。ファタハに対して NO というだけでないはずですから。
ご教示有難うございます。早速拝読しました。
占領下にあるパレスチナでは、小泉が911選挙で圧勝したりしている日本などより
も余程「民主主義」が機能し、民意が投票結果に反映されている、しかしこれからど
うなることか、ということですね。
選挙について、また民主主義について考えさせられました。
占領下のパレスチナの人々が、自分達に不利益を蒙るかもしれない危険を顧みずはっ
きりと「NO」を言えたのは何故なのか。憲法九条などを持っている日本の私達がイラ
クに自衛隊を派兵している小泉に「NO」と言えないのは何故なのか。主観的・主体的
な「勇気」云々の問題なのか。それとも、別の原因があるのか。
話は大幅にズレますが、私は憲法九条改悪に反対する「平和への結集」という運動に
賛同することにし、その集会にも参加してきました。
http://earthcooler.ti-da.net/e636420.html
遠くにいる、占領下のパレスチナの人々において「民主主義」が機能しているのに、
日常生活に危険もない、いわゆる「先進国」と言われている日本において「民主主義」
が機能不全に陥り憲法違反の軍隊海外派兵を許してしまっている状況をどう変えれば
いいのか。NGOに勤務する私の友人は、「世界社会フォーラム」でかつて以下のよう
な提起をしていました。
http://www.jca.apc.org/wsf_support/messages/759.html
パレスチナ被抑圧人民に想像的に自己同一化するのではなく、先進国の、北の「私達」
を、日本の政策と社会構造をこそ変えねばならない、という気持でいます。勿論、そ
のための具体的なプランなど持ってはいないのですが。友人の重い提起に、理論的に
も実践的にも答えることが出来ないままですが、模索していくしかないと思っていま
す。